世界のレビュー・感想・評価
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「世界」の広がりと閉塞感
いつもながらこの人のフィルムには雑多なものがわざと映し出されている。テーマパークのバックヤードに雑然と置かれた荷物、ダンサーたちの楽屋の衣装、私物。
そして、拡声器から流れ出る声をはじめとして、雑多な音もまた、意図的に観客の耳に入るようになっている。
様々なタイプの映画を観ていない観客にとっては、どれが重要な情報となるものなのかを読み取ることがストレスとなるだろう。しかし、この雑然とした風景こそが、一瞬これはドキュメンタリーフィルムかと思わせるリアリティそのものなのだ。このリアリティなくしてジャ・ジャンクーのフィルムから漂い出してくる閉塞感は成立しない。
「世界」に働く若者たちは実は現実社会ではパスポートも持てない。それでも、この「世界」で地位を築いた先の成功を夢見ている。主人公の青年は警備の責任者として、親身になって部下たちの面倒を見ている。公園を出入りする人物は、彼の部下たちによってチェックされて、逐次彼に報告されている。しかし、その彼でも、北京という大都市ではこの「世界」にしか居場所はないのである。地方の小さな町から出てきた若者にとっては、本物の世界はもちろんのこと、北京という街ですら途方もなく広く、自分の未来を切り拓いていく方法を探し出すことが出来ないでいる。
金や地位のある人間はどこにいて、どこでそれらを手に入れることが出来たのか。カラオケ店で金持ちの男に誘惑をされてもついて行くことのできないダンサーの女もまた皮肉に満ちた存在である。夜ごと、きらびやかなステージ衣装を着替えているというのに、普段着の姿は不器用で、警備員の恋人以外に信じられる存在もないほど臆病で純粋である。彼女がよく乗っているのが園内を環状に巡るモノレールである。どこへ行くともなく、同じところを周回するだけのこの乗り物が、「世界」の中での彼女の状況を象徴している。上役に取り入り地位を上げていく同僚のように現状を変えることもできず、ただ日々が過ぎ去っていく。
新婚旅行に出かけた友人の留守宅で死を迎えるラストは、そんな彼らの皮肉な人生の最後としてこれ以上ないのではないだろうか。人生の新しいステップを踏み出した者のそれまでいた場所。居場所のない二人が、そこへ入り込み命を落とす。他人の空けた場では生きてはいけない。自分で切り拓かなければこの世界に居場所などないのだという、厳然たる一般法則を伝えてフィルムは終わっている。
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