あなたになら言える秘密のことのレビュー・感想・評価
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心を紡ぐ 〜 きっと泳いでみせる
他者との関わりを避けるように生きるハンナ( サラ・ポーリー )には、心を閉ざす辛い過去が…。
海底油田掘削所で働くジョゼフ( ティム・ロビン )とサラは互いの心の距離を徐々に縮めていく…。
震える心を救えるのは、人の優しさなのだろうと改めてそう感じた。
ー人には してはならない過去がある
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕版)
目が見えない「わたしだけの患者」だから話せたこと
目が見えない「わたしだけの患者」だから話せたのかもしれない壮絶な過去。海底油田採掘所を離れて、再び勤め出した工場でのお弁当。ほうれん草のラザニアに変わっていました。食べ物への興味も失せるレイプのトラウマから少しずつ回復しつつあるのはコックのサイモンのおかげでもありましょう。
人に言えない秘密を抱えて孤独を生きる人に小さな希望を持たせてくれるエンディングでしたが、「双子の弟たち」と少女が語るということは、ハンナは国連軍兵士達に女の子を産まされ、自らの手で命を殺めることを強要されたのではないか。つまり、母娘の話もハンナ自身のことだということに気付かされました。
きみの親友の名前は?
ハンナよ。
PTSDによる多重人格症状や心を支えるための Imagenary Friend であったという解釈も可能だけれども、とても自分のこととして告白するのはハードルが高すぎるから、他人のこととして話すのが精一杯だったのでしょう。それを感じ取ったジョセフの表情。胸が押し潰されそうでした。
ジョセフ(ティム・ロビンス)がカウンセラーの役割も果たしたということ。しかし、生半可な覚悟ではできないジョセフの選択。ハンナと添い遂げたいと勇気を出して告白するジョセフ。あなたも涙の海で溺れてしまうからそれは出来ないというハンナ。泳ぎを習うからと返すジョセフの優しく、まっすぐな人柄。凄惨なハンナの過去の告白により深く結びついた二人の将来が、また悲劇を繰り返すことなく続くようにと祈ります。
海洋物理学者君もロープに付いた貝の観察はやめて、前に進んでもらいたいものです。海底油田採掘による汚染は瞬く間に拡散してしまうので、そこに留まって濾過洗浄し続けても意味はありません。覆水盆に帰らず。戦争も起こしてしまったらダメです。
ゲイカップルも登場します。しかし、彼らはサイモンを目の前にして、言いたい放題。ハンバーガーにオニオンリング。ディープパープルかけろって、ホントに失礼でした。ディープパープルっていうトッピングスパイスがあるのかと思いました。イギリスのゲイカップルの設定なんでしょうね。ブリティッシュロックだから。一人のほうが落ち着く人達のなかで、ゲイカップルのほうが明らかに上から目線でした。ドラム缶のステージで歌って盛り上げてくれました。挿入歌はみんなとてもいい感じでした。
ジョセフは友達の嫁さんと出来てしまって、その友達が自殺でもしたんでしょうか。ジョセフの携帯の伝言サービスをチェックしたハンナの行動はプライバシーの侵害と思ってしまいますが、患者の置かれている状況を詳しく知って適切なケアをするのに必要な情報収集とも言えましょう。謎めいた美人看護婦さん役のリサ・ポーリー。難しい役だと思いますが、本当に素晴らしかったです。リサとティムのやり取りをずっと観ていたいと思いました。
最後、Inge Genefkeに捧ぐと出ました。調べると拷問の犠牲者の命と心を擁護する女性人権活動家。この映画の監督も女性でした。
完成度の高い映画
何度も見るうちに、この映画は凄く完成度が高いような気がした。音楽の使い方、選曲も素晴らしい。冒頭のハンナが仕事をしている時の多分耳鳴りと騒音を表現したかったのかな?あのBGMだけは好きになれなかったが、途中で日本語の歌が流れてきたのにはびっくりした。謎の女の子の声は、きっとハンナの過去の子供なのだろう。忘れたいけど忘れられない過去。その消せない辛い過去を持った2人が傷を舐めあい理解し、生きる価値を見出していく様。ジーンときます!
涙の海を泳いでみせる(涙)
ハンナが秘密を打ち明けるシーンは可哀想で涙が止まりませんでした。 なんで人はあんなに残酷になれるのか、それも同じ国の味方の兵士だったなんて。 打ち明けている時にハンナが服を脱ぎ、傷痕を触らせて、今まさに打ち明けているその傷だとジョゼフが察した時あたりから涙腺崩壊でした。 同じ主演、監督タッグの『死ぬまでにしたい10のこと』が好きだったので、タイトルにも興味を惹かれこちらも観てみたらこんな秘密だったとは・・・休暇を取ってよかった、旅行に行ってよかった、「私、看護師です」と名乗ってよかった、油田の人達に会えてよかった、食の喜びを再び味わえるようになってよかった、そしてジョゼフに出会えて本当によかった(涙)
それでも人生は続く
少女の声の語りで始まる。この声の主が誰かは最後まで語られない。それは、見るものの想像にまかせられる。おそらく、主人公ハンナの不幸の中で葬り去られた、彼女のはじめての娘の声ではなかったのだろうか…。
開巻と共に、ハンナがいかなる女性かが紹介されていく。その描写は簡にして要。大きな工場での生活の様子。作業前に一人だけヘッドホーンをとらない彼女は難聴者なのだ。独り、ライスと半分の林檎とチキンナゲットのランチを食べる彼女。障害故の人嫌いなのだろうかと思わされるのだが、耳のことも、人付き合いのことも、もっと重い理由があることを、我々は後で知るのである。
勤勉すぎることに組合からクレームがつき、
一ヶ月の強制休暇をとらされた彼女は、海辺の町にたどり着く。しかし、彼女は、なぜか遊べない人のようなのである。そこで短期の看護士の仕事につき、沖に浮かぶ海中油田の基地へと渡るのである。そこに彼女を待っていたのが、大火傷を負ったジョゼフであった。 体にも心にも傷を持ちながら、ユーモアに満ちた話し上手のジョゼフとのやりとりの中で、少しずつ心を開いていくハンナ。自らに贅沢を禁止するかのような食生活をしていた彼女が、シェフ・サイモンの愛情ある料理を貪るように食べるシーンも印象的である。
コーラという看護士と少年の悲話。自らの名前さえ語らぬハンナの対応。秘密の話としてジョゼフが語る父親とのボートのエピソード。一つ一つの会話に深い意味が込められている脚本は見事。
ジョゼフの秘密とは「僕は泳げないのだ」ということ。この秘密も、ラストの感動を深くする伏線なのだ。二人の対話劇の進行の果てに我らが耳にするハンナの「秘密」は、共に涙することでしか癒すことのできない、ボスニアの悲惨な戦いの中での地獄の体験であった。一時的に視力を失っているジョゼフの手を取り、傷だらけの自分の胸を触らせるシーンは切ない。彼が言う「レイプの果てに、ナイフで傷つけられ、その傷口に塩をすり込まれ、さらに縫合され、衰弱して死んでいった君の親友の名前は何というの?」彼女は答える「ハンナよ」と。生き残ったものの恥がそう言わせたのだろう。私も死にたかった。生き残った自分に幸せになる権利はないのだ。そんな深い悲しみが、今の、独りの彼女をつくっていたのだ。
彼女の苦しみを我が苦しみとして、胸に受け止め、共に涙したジョゼフから、しかし、彼女は去っていく。視力の回復した彼は、逡巡の果てに、彼女との人生を望む。彼女を見つけ出し、その思いを告白する場面が心に残る。ハンナは言う「一緒になっても、ある日急に私は狂ったように泣き出し、あふれる涙を止めることができず、二人ともついにはその涙の海におぼれてしまうだろう」と。ジョゼフはうつむき考えるるそして彼が言った言葉は、我々の胸にストンと落ちた。「ぼくは泳ぎを一生懸命練習するよ。」
こうして二人は結ばれるのである。明るいキッチンに座り、静かな表情でコーヒーを飲むハンナ。少女の声が重なる。「私の妹たちが戻ってくる声が聞こえる。もう私は去ろう。そして、二度と戻ってくることはないだろう。」
窓の向こうの草原を、赤い服を着た双子の少女がこちらに向かって走ってくる。明るい声と共に。そして、画面は、静かにフェードアウト。その暗闇の中で、ハンナと共に痛んだ自分の胸が、静かに癒されていくのを感ずる。我々の誰もが味わったことのない悲惨を胸に、それでも人は幸せになれるのだろうかという問を、心の隅に残しながら。
静かな音楽を耳に、ハンナの今の幸せに精一杯のエールを送りながら、エンディングのスクリーンを見つめていた。
好きな夢を見るなら・・・
海の中にポツンと浮かび上がる要塞のような油田掘削所。爆発事故が起こり一人が死亡、一人が大火傷・骨折・一時的失明の重傷を負った。無理矢理与えられた休暇にうんざりしていたハンナ(サラ・ポーリー)は、看護師が一人必要だという話を聞きつけ即名乗りでることに・・・従業員たちには看護師の経験があることだけ伝え、「出身はどこだ?」と聞かれても頑なに返答を拒むハンナ。仕事さえ出来れば文句はないはずと言わんばかりの彼女だが、過去には触れられたくない様子に従業員たちもそれ以上聞いてこない。いつ掘削作業が再開されるかわからない要塞において、国際色豊かな残された人々は皆孤独を分かち合うかのようで、人の痛みを互いに理解している優しい雰囲気に包まれている。
従業員が皆ヘッドホンで騒音をカットしている中、難聴のハンナには必要ない。労働組合にも加わらず、友達もいない。常に孤独。食堂では決まって白米とチキンナゲットと半分に切ったリンゴをひとりで食べているのです。彼女は食べ物も質素。ある町へ旅行に来て、入った店が日本の音楽がかかっている中華料理店というのもカウリスマキ風の哀愁を感じるのだ。
掘削所には世界各国の料理を作ることができるサイモン(ハビエル・カマラ)という料理人もいて、ハンナにも好きなものを食べさせたくてしょうがない。ジョゼフ(ティム・ロビンス)の看護を始めたとき、彼の残した食事(ニョッキ?)を食べたことがなかったらしく、こっそり食べてしまうのです。「美味しい。こんなの食べたことないわ」とハンナの気持ちが伝わってくる(実際には言ってません)。サイモンとジョセフのおかげで食べ物の言葉が数多く登場しますが、世界各国の音楽とともに土地の料理を食べるなんてかなり幸せかもしれない・・・
タイトル通り、看護師と患者が心を通わせハンナがジョセフに秘密を伝えるところも涙なしでは観れないところ。それでもまだ自分の名前をコーラのままにしておいたり、髪の毛の色もブロンドではなく赤毛だと隠していた。クロアチアのホテルには看護学校の友達も実際にいたのかもしれないし、子供を連れたお母さんもいたのかもしれないけど、三人称で悲劇を語り泣き崩れるハンナの気持ちを全て察したかのようなジョセフ。病院に転送される際に「ハンナ!」と叫んだシーンによって彼の心も伝わってくる・・・
ハンナのカウンセラー(ジュリー・クリスティ)の言葉でもわかるように、戦争の傷痕は受けた本人にしか伝えられない。ナチスの行った虐殺さえも風化してしまうのが現実であり、人間は悲惨な事実を忘れてしまうものなのです。語り継ぐ者が必要なのに、当の被害者は生き残ったことさえ恥だと感じるくらい心に傷を負っている。日本においても南京大虐殺の事実や慰安婦問題を消し去ろうとする勢力があるけど、戦後生まれの人間に歴史を否定されても説得力がない。かといって、被害者・加害者ともに口を閉ざしてしまっているのだから、水掛け論になるのも当然なのかもしれない。
映画では要所を子供の声のナレーションを入れていることが印象に残ります。その子の正体は謎のまま進みますが、「赤いコーデュロイパンツと青のシャツを着て・・・」とは、おそらくクロアチア国旗を指す言葉なのでしょう。また、最後には2人の子供が生まれたので役目が終わったと言ってるところから、ハンナの子供だったと推測できますが、秘密の告白を聞いてしまった後では、その子が母親を全て許している親子愛にまた泣けてしまう・・・
止まっていた時間がようやく動き出す
総合:90点
ストーリー: 95
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 70
音楽: 70
イギリスの辺鄙な片田舎の平和な社会において、場違いで想像もしてなかった秘密がまるで青天の霹靂のように突然に明かされる。常人には耐えられないほどの話が。
感情を失ったかのように世間からも目立たぬようにひっそりと生きるハンナ。偶然が重なり彼女の休暇中に介護をすることになった相手は石油採掘基地で働くジョゼフ。彼は目が見えないのにほとんど口もきいてくれないハンナ相手に軽口をたたくが、実は彼には体だけでなく心にも大きな傷があった。
少しずつ彼女の信頼を得ていたジョセフが自分の苦悩をさらすことによって、思いもよらずハンナの堅く閉ざされた心の扉を開けることになった。それがきっかけで彼女は、普通の人も映画の視聴者も到底想像が出来ないあまりに悲惨な秘密を打ち明けることが出来た。それまで水面にわずかに起こる波紋のように静かだった物語は、まるで洪水を引き起こす急流のように激しく動く。
ハンナにとっては心の底に沈めておかなければ自分自身が耐えられないほどのことであったろう。心の傷を持っていたジョセフだからこそ、ハンナは普通の人には受け止めるのにあまりに重く一生自分の心の底に封印しているつもりだったことを話すことがを出来たし、また彼もそれを受け止めることが出来た。
このときまで彼女はただの生ける屍に過ぎなかった。苦しみながらただ呼吸をし若くして老いていき死を待つばかりの人生だった。しかし本当は一人で抱え込むには大きすぎて辛すぎる秘密だった。無言電話もそのためであろう。興味本位や仕事だからではなく、心からの理解者を彼女は本当は深層心理では欲していた。そして今ようやく彼女は理解者を得た。彼女に何が起きたのか、彼女は何故喋らないのか、彼女は何故人と関係を持とうとしないのかをわかってくれる人を得た。あのときから何年間も止まっていた彼女の感情と時間は、苦悩を抱えつつ今ようやく未来に向けて動き出す。
いったい誰が油田の採掘施設の事故からこのような話の展開を予想できるだろうか。まったく意表を衝かれる物語。この話は戦争被害者というだけではなく、ボスニア紛争における人道犯罪という問題を含んでいる。戦争に関わった兵士だけでなく、民間人でも非戦闘員でも何をしても虐殺してもかまわないという思想の下での被害者なのである。彼女は戦争に巻き込まれたのではなく、戦争における人道犯罪・市民の虐殺行為に巻き込まれ人権を無視した虐待を受けた被害者である。それは戦争以上に重大な意味を持つことが多い。
個人的な話ではあるが、昔から私はこのような民族浄化や極端な人権無視に興味があり多少調べたりしてきた。また偶然ではあるが一連のユーゴスラビア紛争に巻き込まれた被害者も直接知っている。それだけにこのような主題に余計に関心を示してしまう。娯楽としてだけではなく、「サラエボの花」と同様にそのような行為を世間に知らしめる意味でも大切な映画である。
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