さらば青春の光のレビュー・感想・評価
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モッズ文化を現代に伝える貴重な資料。さらば青春のセックス&ドラッグ&ロックンロール…🥀
60年代のロンドンを舞台に、”モッズ”青年ジミーの無軌道な生き方とその青春の終わりを描いたヒューマン・ドラマ。
60'sから現代に至るまで活動を続けるレジェンドロックバンド、「ザ・フー」。ロジャー・ダルトリー(vo)、ピート・タウンゼント(g)、ジョン・エントウィッスル(ba)、キース・ムーン(dr)という黄金カルテットは、演奏技術の高さもさることながら何よりその奇行の数々により、世界中全てのロックンロール・ラヴァーに信奉されている。
彼らのアルバム「四重人格」(1973)は、あるモッズ青年の苦悩や葛藤を2枚組LPで表現したロック・オペラとなっており、本作はそれを原作としている。ザ・フーの4人はエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされており、またピート・タウンゼントは脚本を、ジョン・エントウィッスルは音楽を担当している。なお、本作の製作途中である1978年9月、薬物の過剰摂取によりキース・ムーンが突然の死去。32年の生涯をノーブレーキで突っ切っていった。
余談だが、現在ザ・フーのツアーメンバーとしてドラムを叩いているザック・スターキーは、何を隠そう「ザ・ビートルズ」のDr.リンゴ・スターの息子。彼は生前のキースからドラムのレクチャーを受けた直系の弟子でもあるのです。キースの良き友人でありライバルでもあったリンゴの息子がザ・フーにドラマーとして加入する。こういうドラマがあるからロックンロールっつーのは最高に熱い訳なんですよ!!Woo〜〜✨
本作はその内容以上に、「モッズ」と「ロッカーズ」という60'sユースカルチャーが描かれている点が興味深い。
「モッズ」も「ロッカーズ」も、日本でいうところの暴走族とか不良のような存在な訳だが、「モッズ」が細身のスーツにミリタリージャケット、短髪やソフト帽といった英式の小洒落たファッションであるのに対して、「ロッカーズ」は革ジャンと革パン、リーゼントといういかにもロックだというようなファッション。乗っているバイクもモッズがスクーターなのに対してロッカーズは大型のアメリカンバイクだし、おんなじ不良なのに何から何まで真逆なのが本当に面白い!
冒頭、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」(1956)を歌うロッカーズのケヴィンと、それに対抗するようにキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」(1964)を歌うモッズのジミー。コイツらが相容れない関係だというのを一発でわからせるこの音楽描写。いやもうこういうのが楽しすぎる♪この二大勢力によるカラオケ対抗戦があればぜひ観戦しに行きたいものである😆
ちなみに、日本を代表するモッズバンドといえばやはりザ・コレクターズ!Vo.の加藤ひさしさんはゴリゴリのモッズで、若い頃はユニオンジャックのスーツを私服で着ていたとか。「イギリスの右翼」とか陰口叩かれていたらしい笑笑
ロッカーズでパッと思いつくのは、ギターウルフのセイジさん!寝る時にも革ジャンを着、風呂に入る時にもサングラスを着用しているという伝説を持つクレイジーロックンローラーである。
うーん…。こうやって考えると、80'sから活躍している日本のロックンローラーは本当に面白い人たちが多い。彼らをモデルにした実録映画を早く作るべきだと前々から思っているんだけど。ヒロトとかを主役にしてさ。誰かやってくんないかしら🙄
本作が舞台にしている1964年といえば、まだデヴィッド・ボウイもストゥージズも世に出ていないわけで。この後にモッズを源流とするパンクやグラムといった若者文化が誕生し、そしてオルタナやグランジへと派生していく。本作で記録されているのはまさにロック史観的ユースカルチャーの目覚めであり、そのブームを代表するバンドであるザ・フーが製作に携わっているからこそここまで真に迫ったモッズの生態を描くことが出来たのではないだろうか。
セックス・ピストルズが『勝手にしやがれ‼︎』を発表したのが77年、同年クラッシュは『白い暴動』を発表、そしてまたダムドも時を同じくして『地獄に堕ちた野郎ども』を発表している。
そして海を超えたアメリカでは、ラモーンズが1976年に『ラモーンズの激情』を発表。商業的には成功しなかったものの、批評家には大絶賛で迎え入れられた。
本作が公開されたのは1979年。この頃には、最盛期を過ぎたパンクロックはニュー・ウェーヴやハードコア・パンクへと分化しつつあった。これを踏まえると、モッズの象徴的存在であるエースに「ザ・ポリス」のスティングがキャスティングされているという事実はとても面白い!ポリスといえば70's後半から80's前半、ニュー・ウェーヴブームの中心にあったバンド。彼らの登場により70'sから80'sへと時代が移り変わったと言っても良いかもしれない。
ポリスが世間に本格的に受け入れられるのは、本作の公開とほぼ同時にリリースされたセカンドアルバム『白いレガッタ』(1979)。この作品でバンド初となる全英チャート1位を獲得する訳だが、これはつまり本作にキャスティングされた段階ではまだスティングはロック・スターという立ち位置ではなかったということ。これはすごい青田買いですよね。感心しちゃう。
パンクムーブメントに終止符を打ったザ・ポリスのスティングが、ジミーの持つモッズ族の幻想を粉々に打ち砕くエースを演じているという、この一点だけに着目してもこの映画は本当に興味深い。
古い映画ではあるが、ロックカルチャーに興味のある人間なら絶対に楽しめるし、ここからロックにハマっていく人も絶対にいるはず。みんな観ろっっ!!
内容としては、身も蓋も無い言い方をすればヤンキー映画。高橋ヒロシの漫画だったり、品川ヒロシの映画だったり、まぁジャンルとしてはそれらと同じところにカテゴライズされるだろう。保養地でのモッズvsロッカーズの大乱闘なんて鈴蘭vs武装戦線みたいなもんだし。
とはいえ、本作はただのチンピラ映画という枠に収まっていない。これは本作がいつかこの夢から醒めてしまうことを無自覚に理解しつつも、その感情のやり場の無さにもがき苦しむ青年のナマの姿を描き出すという文学性を有しているから。「ダチに手を出す奴は俺がゆるさねぇ!!」的なただの暑苦しい友情物語ではないのです。
「他の奴らとは違う特別な存在になりたい」と言っていながら、モッズという同じような格好をした仲間たちと連んでいるジミー。この自己矛盾に気付いていない彼の未熟さ、青さというものに過去の自分を重ねてしまう観客も多かったのではないだろうか。モラトリアムの地獄絵図ともいうべきこの行き止まり感、その鬱憤が爆発すると同時に彼の青春は終わりを告げるのだが、アメリカン・ニューシネマ的な寂寥感に満ちたエンディングの切れ味がまぁ見事。クラッシュが1979年にカバーしたことでも知られるクリケッツの名曲「アイ・フォウト・ザ・ロウ」(1959)を思い起こさせる、青年の夢の終わり、ひいてはモッズという一時代の終わりを的確かつ詩的に描き切っている。
青年の身の破滅を描く物語であり、かなりシリアスな映画ではあるのですが、ザ・フーによるパワフルなサウンドトラックのおかげで全くしみったれたところのない快作となっている。特に終盤、ジミーが電車に乗り1人ロンドンを逃げ出してからエンディングまでのシークエンスの疾走感は半端ではない!このジミーの暴走ははっきり言ってコメディであり、ベルボーイとしてこき使われるエースを発見した時の「ベルボーイかよっ!!」という心の叫びには正直爆笑してしまった🤣
ザ・フーの「アイヴ・ハッド・イナフ」に合わせて描かれる明日なき暴走。エースのベスパを崖から突き落とすことでその青春に自らの手で終止符を打ち、そして夕日をバックに歩き去る。あの印象的なオープニングはここに繋がっていたのである。
宵闇の中へと歩き出すジミーの姿は正しく「さらば青春の光」という邦題の通り。いやぁこの邦題は本当に素晴らしい✨原題の通り「四重人格」としていたら、ここまでのカルト映画にはなっていなかった事だろう。
あの時代のあの空気を見事に再現してみせた、歴史的価値のある一作。モッズとは一体どういうものだったのか、それをがっつりと学ばせていただきました!観て良かった😊
いやしかし、フレッドペリーのポロシャツが不良のアイコンだった時代があったんだなぁ…。
とてもよかった
大昔レンタルビデオで見て2回目、主人公がへなちょこ野郎で、徒党を組んで暴れる様子に反吐が出そう。会社を辞めたのにスーツにネクタイという堅苦しいファッションを好むところが全く理解できない。だったら真面目に硬い仕事すればいいのにと思うのだが、たぶん違うのだろう。
とにかく、へなちょこがイキっている様子が腹立たしく、暴動の場面はすごい、などと考えて見ているうちに、主人公の彼を否定することは自分を否定することであるような気持ちになって、自分の恥ずかしい部分を見せられているような気がしてくる。あほみたいにバックミラーをつけたベスパ、自慢のスーツ、彼にはそれしかなく、青春映画ではパーティの場面では必ず主人公が悲惨な目に合うのが定石なのだが、この映画では活き活きと楽しそうにしているパリピで、自分とは全く違うのだけど、そんなパリピの中身の無さ、パーティや仲間といる時だけがすべてといったような悲しさは感じる。
スティングが警察に殴り掛かっている暴動シーンは、ポリスがポリスを殴っているというギャグなのだろうか。そんなスティングがホテルでコマコマと働いていて、主人公と同様に打たれる。
時計じかけのオレンジに似てた
・モッズのパーカーとベスパのミラーを沢山つける改造のセンスに比べてロックの中型か大型くらいのバイクと革ジャンの対立だったら、ロックの方が勝ってるように見えてしょうがなかった。でも、イギリスとアメリカの対立でもあったのかな。ベスパの改造の感じは良かった。
・映像の感じから時計じかけオレンジが後かと思ってたら、さらば青春の光の方が7年も後で驚いた。そう思うと、時計じかけのオレンジのSF感、凄まじいと痛感した。
・もしかしたら、20歳ごろ見たら全然ちがう感想を持った気もするけど、ジミーには感情移入できず、若者が騒いでいる映画といった感じだった。
・モッズとロックが対立していたけど、特に致命傷を与えるとかでもなく、バイクを蹴るとか何かゆるい対立に見えたけど、後半、集団暴行事件になったり一体何があったんだと思った。
・前半は薬を飲んで騒ぐための奔走、ステフと付き合うには?で、後半のモッズの集会でジミーが逮捕された後の皆の凄まじい冷たさが面白かった。勘当されて自暴自棄になって恋人と思ってたステフが、仲間に取られたり、モッズの仲間たちとはもめて孤立したり衝動的に仕事を辞めたといったら、大人になれとモッズの仲間たちに諭されたり、自慢のバイクが大破したりという強烈に惨めな事が雪崩のように起きて凄かった。前半パートもそんな幸せそうでもなかったので、悲惨さが際立った。
・モッズの憧れの男がホテルのベルボーイだった事に激怒したジミーの気持ちが全くわからなかった。結局、お前もあいつらと同じか!って事だと思うけど。そのあと、どうやって鍵を?と思いつつ、バイクで疾走後、崖からバイクだけ落としたけど、ジミーはどうなったのだろう。
・ジミーのような奴が何で皆から慕われてるのかが物凄い不思議だった。
観終えるとわかる邦題の秀逸さ。
デジタルリマスター版上映にて鑑賞。
終盤に向けすべて(友人、好きな女の子、家族、スクーター)を失っていくジミーくんに、この作品のラストはどうなるのかしら…と固唾を飲んで観ていたが、切なさとほろ苦さと希望が入り混じる粋なラストシーンだった。
運転者不在で崖から墜落し、壊れたスクーター。
あれはジミーくんの青春と、大人になることを拒否していた彼自身なのね。
邦題の切ない響きがここでようやく効いてくる。
中盤くらいまでは「フラストレーションと暴動はいかにも若者らしいとはいえ、ジミーもモッズの若者たちも本当にどうしようもない奴らだな!」って思ってたんだけど、すべてはラストのスクーターが壊れる(=ジミーのモラトリアムの終焉)に繋げるためだったのね、とわかる。
劇中音楽のUKロックが良いなーと思ってたんだけどザ・フーだったのね!(そういえばジミーくんの部屋にもポスター貼ってあった。)
あと「モッズ」ってスタイルのことだったのか、と本作を観て知った。モッズコートは彼らの象徴的ファッションだったのね。
「若者の行き場のない怒り」ってヤツ。
カッコ良く言い過ぎだと思うし、この陳腐な言い回しには嫌悪すら感じる。ぶつける相手のない怒りの出所は自分自身。不条理な怒りを周囲にぶちまけるのは止めなよ。ただただ、迷惑。
ジミーに全く魅力が無く、共感出来なくて辛かった。スティングが結構ガッツリ出てるのにはビックリ。最近見た、ベルファストやノーザン・ソウルと比べてしまうのはしょうがないでしょ?全然ダメだった、俺的には。
破滅的な人格のジミーの理性が決壊。崖から落ちるて行くヴェスパ。「さらば青春の光」なんて好意的につけられた邦題。モッズを捨ててどこへ行く気なのか。行き場なんか無さそうなんですけど。
「ブーム」「大人になること」「子供でいること」の本質をついた名作
名作です。
とにかく、何をとっても音楽とファッションがかっこいい!!
リアルなモッズって本当にかっこいいですね。細身のスーツにM-51を羽織ってミラー盛りだくさんのランブレッタに乗る…。これだけでもう本当にかっこいいのですが、また、女の子もめちゃくちゃ可愛い!!主人公のジミーが狙うステフの格好がいちいち可愛い!!レザーのステンのコート姿とか、もうほれぼれです。
そんなファッションが一番楽しめる映画の一つですが、これって、本当に哀れな普通の若者の姿を描いた、現代にも大きく通じるテーマなのかなって思ったりもします。
主人公のジミーはトレンドであるモッズを敬愛し、自分がモッズのスターになると信じ込んでいるメールボーイのごく普通の青年。この時代って、英国は兵役が免除されたのかなくなったのかで、少年が自分で自分の好きなものをかったりすることができるようになり、そのためにバイトをして、好きなものに明け暮れるっていう時代に入っていたみたいですが、周りの少年もそんな感じで、両親からは当然理解されず、両親とのいざこざも絶えず…。
毎日仕事が終わればクラブでクスリと女とダンスと…。
そんなジミーはモッズのグループの中でもスターのエースにあこがれ、その彼女のステフに恋をする…と。
また、このエースが本当にかっこいい。だってスティングですもん笑。
ジミーはブライトンビーチで自分がモッズの顔となりなんとかステフの興味を引こうとし、そのことには成功するのですが…。
最終的には、ロッカーズと争いながら、ブライトンビーチでのロッカーズとの対決をへて、警察に捕まるわけですが、ここからがこの映画の本質。ジミーは家をでて、今までの自分の素晴らしい生活にしがみつこうとし、仲間の元に行くわけですが…。ステフはジミーの友達とべったり。失望のジミーは事故を起こしべスパもお釈迦に…。あこがれだったエースのホテルでのベルボーイとしての働きをみて、その姿にも失望し、エースのべスパを盗んで疾走…。
結局ジミーは、モッズという一つのブームにどっぷりつかって、その中で自分がなれるはずのないものに憧れて、自分を特別な人間と勘違いして…。でも自分の憧れていたモッズというものは一つのトレンドであり、あこがれのエースですらちゃんと働いていて、仲間やステフはその青春の刹那を楽しんでいるにすぎず、自分だけが踊っていることに築いたのだと感じました。
本当にモッズとロッカーズの対決とか見てると、スタイルの違いなだけであって、本質は何も変わらないのにくだらないな…と思う反面、子どもなんだもん、こんな熱いことがあってもいいじゃん!!って感じることもなくはないのですが…。
ジミーが全てを失って、たくさんの事に築き、大人になっていく。子どもと大人の狭間だからこそのこの話って、今にもつながる秀逸なテーマだなって思います。たとえばスタンドバイミー見たいなことに通じるような。
全てを語ってくれるラストのシーン、エースのべスパで海岸線を疾走するシーンがとても印象的で、それまでの数々の印象的なシーン―友人のホームパーティーでの乱痴気騒ぎや、ロッカーズとの対決、ブライトンビーチでの勝利の行進―とのコントラストが強いのが本当に印象的でした。
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