私はフランケルダ
解説・あらすじ
2025年・第38回東京国際映画祭アニメーション部門上映作品。
2025年製作/114分/メキシコ
原題または英題:Soy Frankelda
スタッフ・声優・キャスト
- 監督
- ロイ・アンブリス
- アルトゥーロ・アンブリス
- 製作
- ロイ・アンブリス
- アルトゥーロ・アンブリス
- 脚本
- ロイ・アンブリス
- アルトゥーロ・アンブリス
- 音楽
- ケビン・スミザーズ
2025年・第38回東京国際映画祭アニメーション部門上映作品。
2025年製作/114分/メキシコ
原題または英題:Soy Frankelda
東京国際映画祭2025で拝見。
ある意味めちゃくちゃで、ある意味素晴らしい作品だった。
まず最初に思ったのが、「色遣いがメキシコ」。
ギラギラてかてかしていて、観ていてチカチカ目が痛いほどの色の洪水。
絵の2Dアニメーションと、ストップモーションアニメと、人形劇の入り混じった表現に、光とイマジネーションが奔流となって襲ってくる。
次に、いろんな捉え方ができる作りであるように見えたこと。
私には2つの見方が生じました。
まず1つは創作者であることと、剽窃者(盗作者)になってもいいから有名になりたい欲求と、目的のために必ず原稿を仕上げさせる編集者と、販売者と、狂った客という、自分の中にある「多面的な欲望が暴走する様」を描いていたという見方。
もう1つは、自分で描いた物語とキャラクターに浸食されると考えると、「現実と悪夢[フィクション]の境界線がわからなくなっている」自分の葛藤との戦いということ。
そんなひらめきを、思いつくまま叩きつけたフィルムに見えました。
主人公の見る夢の世界(虚構[フィクション]の世界)では、人間に見せる悪夢を作り出せることがステイタスで、人に夢の物語を伝える能力を持つのが王族という設定。
主人公の少女= 若手作家の物語に惚れた、夢の世界の王子が、主人公の意識を夢の中へ引きずりこみ、このまま起きないで、一生夢の世界で物語を作って、と願う。
王子に惚れるチョロい主人公。
ところが、夢世界に住む名ばかりのロートルの大作家が、主人公のアイデアを盗み、大作家の名で発表するという悪夢を繰り広げる。
王族を裏切り世界を支配したい、7つの悪魔の種族……編集者やディレクターや、子どもの夢を否定する嫌な大人などが、主人公を密室に閉じ込めて、「私(悪魔)を讃える物語を書け」と主人公を脅迫する悪夢も展開。
そして、悪夢を手がかりに、夢の世界の悪魔たちが、現実を侵略しようとするが、それに対し主人公の怒りが爆発。
「虚構は虚構だから面白いのに、現実に混じったら、どっちも凡庸でつまらなくなるでしょう!」
我に返った小説家かよ、と内心ツッコミ入れつつ、笑った笑った。
小説家や漫画家やアニメーターや舞台劇団の人に観てほしい作品だなとも思えました。
ただ、文句(クレーム)としては、2つ。
とにかく動かすこととそれを撮っているに作り手が酔っているように見え、イマジナリーラインとか意識してなくて、視線が定まらず見づらい。
さらに、あの映像情報量に対して日本語にせよ英語にせよ、字幕を読むのは、どちらも頭に入らなくていかん。
『鬼滅』並みに、感情まで全部を口にしちゃうんで、けっこうセリフ量が膨大。
観るなら吹替がいい。
ミュージカル調の歌パートは原語のまま字幕で、会話を日本語吹替で観たい。
が、今作はあまりにも、スタッフなどの名がドマイナーだし、なにより先述のようにデザインや色が独特過ぎて、一般配給は難しいんじゃないかなぁ、という感触。
ただ、(メキシコ系スペイン語表記はよくわからんけども)エンドロールで製作・プロデュースにギレルモ・デル・トロが関与しているっぽい記載があったので、そのネームバリューからせめて配信へは回ることに期待したいところ。