プレイ・ダーティーのレビュー・感想・評価
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米作家ドナルド・E・ウェストレイクがリチャード・スターク名義で執筆...
米作家ドナルド・E・ウェストレイクがリチャード・スターク名義で執筆した人気犯罪小説「悪党パーカー」シリーズを映画化した、マーク・ウォールバーグ主演のクライムスリラー。
冷徹な強盗団のリーダー、パーカーは、グロフィールドやゼンといった腕利きの仲間たちとともに、桁外れの価値を持つお宝の強奪に挑む。しかし彼らの前に、ニューヨークに根を張る巨大な犯罪組織が立ちはだかる。
「アイアンマン3」「ザ・プレデター」のシェーン・ブラックが監督・脚本を担当し、「アイアンマン3」でブラック監督とタッグを組んだロバート・ダウニー・Jr.が妻のスーザン・ダウニーとともに製作総指揮を務める。主人公パーカーをマーク・ウォールバーグ、仲間のグロフィールドを「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」のラキース・スタンフィールド、ゼンを「アリータ バトル・エンジェル」のローサ・サラザールが演じる。Amazon Prime Videoで2025年10月1日から配信。
プレイ・ダーティー
2025/アメリカ
配給:Amazon Prime Video
[official]
全部のせ、音楽マシマシ
シェーン・ブラック風に書くと。
冒頭の銀行強盗シークエンスから、いきなりギアはトップ。
銃声とともに飛び出すテンポ感、
カメラワークも悪くない、
全編に漂う軽妙な〈悪ノリ〉は、まさにシェーン・ブラックテイスト全開。
競馬場への闖入シーンでは、VFXがマリオカート級のユルさを見せる、
このちょっとヘンなテイストを楽しめるかどうか、ノれるかどうか。
笑いを取るのか、迫力で攻めるのか?
答えはどっちもやる、のがシェーン・ブラック。
タイトルバックにもノレないならここで離脱推奨。
シニカル、ユーモア、スラング、
全部乗せ、音楽マシマシ。
マーク・ウォルバーグがピッタリとはまっているのは計算か誤算か。
ちょっと懐かしいアクション&会話劇の王道。
令和の今、
こういう作品が“安心して観られる〈ジャンル〉として機能してるのかは不明だが、けっこう貴重というのは間違いないだろう。
昨今多い、
自分探し、謎の共同生活、神経ギリギリ系等々、
同種の映画に疲れた心のビタミン剤になるかもしれない・・・
ならない・・・か、
でもパペット劇場は気になるぞ。
ドンパチものとしては面白かった。 最終的にきっちりとカタをつけると...
新入りには気をつけろ
悪党パーカー(マーク・ウォルバーグ)は強盗には成功するものの、新入り女の裏切りで仲間を失い、自らも大怪我を負う。
再稼働した途端、あの女が現れ、新たな強奪案を持ちかけてくる。
ちょっと長いけど、アクションシーンが目新しくて楽しめるのと、トーンが軽妙で、肩が凝らない。
意外に奥深い作品
🎄『プレイ・ダーティ』を二つの視点で読む
——整理された批評と直感的レビュー
はじめに
この映画を観たときも、直感的なレビューから書き下ろした。その後、作品の構造やテーマを整理してみると、また違った深さが見えてきた。ここでは、まず整理された批評的な視点から作品を読み解き、その後に私自身の原文レビューを掲載してみる。二つの視点を通して、『プレイ・ダーティ』という作品の奥行きを感じてみてほしい。
整理された批評的エッセイ
第1章:季節を先取りする映画——クリスマスと新年の狭間で
2025年10月公開という時期設定は、まるでファッションのように季節を先取りしている。クリスマス映画としての華やかさと、年末年始の喧騒を背景に、物語は「汚くプレイする」ことの意味を問いかけてくる。
第2章:タイトルの意味——「汚くプレイする」とは何か
“Play Dirty”という直訳が示すのは、裏をかいた計画、騙し合い、そして盗み。だがそれは単なる犯罪行為ではなく、人生そのものが「汚れたゲーム」であるという暗喩にも感じられる。
第3章:アクションとコメディの融合——『ダイ・ハード』的構造
作戦遂行の緊張感と、コメディタッチの軽妙さ。まるで『ダイ・ハード』のようなアクションに、クリスマス映画特有のエンタメ性が加わり、観客を楽しませながらも、どこか冷徹な余韻を残す。
第4章:ゼンの大義とパーカーの流儀——理想と現実の対立
ゼンは祖国を独裁者デラパスから奪還したいという「大義」を掲げる。一方、パーカーは「流儀」に従って動く。この対比が物語の核心であり、理想よりも個人的な倫理が優先される世界の冷たさを浮き彫りにする。
第5章:幼少期の傷——バスケットボールと盗みの起源
8歳のパーカーが夢中になったバスケットボール。それを奪われたことが、盗みへの目覚めにつながった。純真だった少年が、薄汚い大人の階段を上がってしまった瞬間が、現在の彼の冷徹さに影を落とす。
第6章:天秤のアニメーション——もう一方に乗るものは?
冒頭のアバンタイトルで描かれる「天秤」のアニメーション。ゼンに撃たれて落下するパーカーが片方に乗るなら、もう一方には何が乗るのか?それは、かつて夢中になれたバスケットボールか、それとも失われた純粋さか。
第7章:裏切りと再構築——ゼン、フィリー、グレース
ゼンの裏切り、フィリーとの友情、グレースの言葉。人間関係の複雑さが、パーカーの「流儀」を際立たせる。裏切り者は始末するという冷徹さの中に、謝罪や共感が垣間見える。
第8章:マネーゲームと夢の対価——満たされない欲望
「どこまでやっても満足できないゲーム」グレースの言葉が示すように、金銭によってすべてが解決される世界では、夢中になれたものは失われてしまう。その悲しさが、パーカーの行動に影を落とす。
第9章:公園の余白——天秤のもう一方にあるもの
ラスト、公園に佇むパーカー。その姿は、かつて夢中になれたものへの未練か、それとも流儀を貫いた者の孤独か。観客に残された余白が、物語の深さを静かに語りかけてくる。
原文レビュー(直感的な書き下ろし)
※以下は、映画を観た直後に書き下ろしたレビューです。整理される前の、感情と直感を書いた文章。
2025年10月公開の作品ファンション同様に時期を先取りしている。
つまり今年のクリスマスから2026年新年に向けられている。
タイトルの直訳は「汚くプレイする」といういみで、裏をかいた計画によって「相手を騙して物を盗む」ことを主軸にしている。
物語そのものは作戦の遂行を徹底しているが、まるで「ダイ・ハード」のようなアクションと、そこに加えられたコメディさによってクルスマス映画特有のエンタメとなっている。
主人公パーカーと仲間たちによって、目的である「金員」の強奪計画が下敷きにあるが、ゼンの祖国がデラパスという南米の独裁者であり、ゼンはその独裁者から祖国を奪還したいという「大義」を掲げている。
そしてそのゼンの大義よりも、パーカーの「想い」というのか「流儀」が、この物語の最上階となっている。
まさにここが新しさなのだろう。
パーカーと相棒フィリー二人の関係は、フィリーの妻グレースによって表現されている。
二人の作戦を裏切った女ゼンゼンの行方を探し当てたパーカーだったが、緩徐の新たな作戦に興味を持ってしまう。
ここがパーカーの「性格」の面白さで、8歳のときに覚えた盗みと、その根拠が「バスケットボールができなかったから」ということだった。
パーパーの幼少期に夢中になったバスケットボールと、それを台無しにされたことへの反発人の心を操り騙す感覚その面白さに目覚めたこと。
冒頭のアバンタイトルに描かれた「007」のようなオープニングソングと、ゼンに撃たれて落下するパーカーが「天秤の片方」に落下するアニメーションしかしもう一方の天秤には一体何が「乗る」のだろう?
こここそがこの物語の核心だと感じた。
それこそが、8歳のパーカーが唯一夢中になれたバスケットボールが、人を操り騙す面白さに置き換わったことなのではないだろうか?
純真だった頃のパーカーが、薄汚い大人の階段を上がってしまった出来事がそこにあった。
そしてパーカーは「対価」を受け取らない。
あくまで「流儀」を遂行する。
この物語はコメディタッチの面白さと、クリスマス映画特有のド派手なアクション、そして裏切り者はその後どんなに信用できるようになっても始末すると言う冷徹ぶりは、面白さを引き出すに十分な余韻を残す。
そしてその原因となった出来事は、夢と現実というシリアスさを我々に突きつけてくる。
8歳のパーカー少年が夢を捨て去ったこと。唯一夢中になれたものを、他の薄汚い「こと」と交換してしまったこと。
このことが、言いようのない心の傷となって現在のパーカーに影を落とす。
誰であっても簡単に殺してしまえるようになった今。
流儀がなければいつか自分も殺されてしまうこと。その流儀と目的で、マフィア組織も潰してしまえることを「証明」するためだけに、レディー像を破壊してしまう。
でも、ゼンの大義に共感はするし、グレースに謝罪の意を示す。そしてそれは「お金」という恐ろしいくらいに「簡単な対価」によって賄われてしまう。
そしてそれを強奪するというパーカーの「現実」には薬物中毒者のようなたまらないスリルと面白さがあるが、純粋に夢中になれたものと引き換えにしてしまった「悲しさ」は、一生付いて回るし、グレースが言ったように「どこまでやっても満足できないゲーム」となってしまった。
コメディタッチでシリアス過ぎずにド派手なアクションを楽しませるエンタメ映画
その背後には、誰もが既に陥ってしまっている「マネー・ゲーム」と引き換えにしてしまった「対価無しで夢中になれた何か」があるはずだと言うことを、視聴者に伝えている。
この隠しテーマが見えたとき、パーカーがバスケットのできる公園に佇んでいた理由が、余白となって感じられる。なかなか奥深い作品だった。
おわりに
整理された文章も大切だが、やはり、感情のままに書き下ろすスタイルが好きだ。どちらの読み方でも、この作品の奥深さに触れていただけると良いと思う。そして、あなたなら、8歳のパーカーという「純真な過去の自分自身」と、そのもう片方の天秤に何を乗せてしまっただろうか?
間違いなくシリーズ化されるでしょう
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