「「ペンギンをプールに入れろ!」」ペンギン・レッスン livest!さんの映画レビュー(感想・評価)
「ペンギンをプールに入れろ!」
若い頃、自分の主張を盾にして、先生や上司に歯向かうことを厭わなかった。
それが「自分らしく生きる」ことだと信じていた。
でも、いつしか上司や取引先のご機嫌を伺い、トラブル回避のために身をかがめ、波風立たせないように生きるようになっていた。
気がつけば作り笑いだけがうまくなっていた。
きっと「大人になる」ってこういうことなんだろうと思い込もうとしていた。
物事をスムーズに進ませるための「大人らしい生き方」が、自分が傷つかずに済むと言い聞かせていた。
それが若い頃に思い描いていた「自分らしく生きる」こととはほど遠いと気づいていながら、見て見ぬふりをして生きてきた。
この映画の主人公トム・ミシェルは、そんな典型的な「賢く生きる」ことを最優先に生きてきた。
そしてそんな自分に嫌気がさして、いつも皮肉ばかり言っていた。
軍事政権下のアルゼンチンで、イギリス人教師が平穏無事に生きていくためには、黙っていること、何も見ないこと、目と耳を塞ぎ、自分を消して生活する必要があった。
しかし、ペンギンと一緒にいることで「透明人間」ではいられなくなった。
この作品にとってのペンギンとはなにか?
主人公にとっての、登場人物にとっての何のメタファーなのか?
そして、作品と向き合った私たちにとって、ペンギン的存在とは何か?
主人公は、ペンギンと出会い、ペンギンとともに生活する中で、「自分らしさ」を少しずつ取り戻していった。
そして、ペンギンを通じて、それまで自ら距離を取ろうとしていた周囲の人間関係を親密なものに変えていった。
親しくなった学校の使用人の若い女性が不当逮捕された時、その瞬間は体が動かなかった主人公が、無謀にも自ら権力者に対して一対一で交渉する。
結果、逮捕されてしまう主人公だが、一晩で解放された時のスッキリした表情は「自分らしさ」を取り戻しつつある顔だった。
自ら進んで危険な交渉をして逮捕される — 以前の「大人らしい生き方」に染まった主人公から見れば、きっとありえないほどバカげた大人気ない蛮行だろう。
しかし、きっと「自分らしく生きる」ためなら無謀なことさえ厭わない姿勢こそ、本来の彼の姿だったのではないか。
「ペンギンをプールに入れろ」
ペンギンの死を悲しむ主人公が生徒たちにそう訴える。
この学校に赴任以来、「そんなことをしたら校長から目をつけられて損をする」(大人気ない、バカバカしい行動)と思い込んでいた。
ずっと自主規制を重ねて、自分の言動範囲を狭めて、身を固くして生きてきた。
でもそんな生き方をして意味があるのか?
損しても、強大な権力に抗っても、「自分らしさ」を忘れずに生きることのほうがずっと意味があるのではないか?
傷ついても、厳しい状況に追い込まれても、「自分」を失わないこと。
賢く生きることが当たり前になっている今を生きる私たちにとって、一番大事だけれど、一番忘れてしまっていることなのかもしれない。
それをペンギンが教えてくれているのかもしれない。
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