「あのグスタヴが最後の一匹だとは思えない…。全人類の厨二心をくすぐったあの殺人ワニがスクリーンに堂々登場っ!🐊」カニング・キラー 殺戮の沼 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
あのグスタヴが最後の一匹だとは思えない…。全人類の厨二心をくすぐったあの殺人ワニがスクリーンに堂々登場っ!🐊
ブルンジ共和国に生息するという人喰いワニ「グスタヴ」の恐怖を描いたアニマル・ホラー。
納涼ワニ祭り!
日本人のサメ映画好きは世界に知られるところだが、その類似ジャンル「ワニ映画」は少々軽んじられている様な気がする。
野生のワニが生息していない日本で、ワニの恐怖というものがイマイチピンとこないのも仕方のない事なのかも知れないが、世界では年間数百人が人喰いワニの被害にあっている。ワニは怖いのだ。
そんな人喰いワニ界におけるスター中のスター、それが「ギュスターブ(グスタヴ)」である🐊
全長6m、体重900キロ、推定年齢60歳以上というこの怪物は、これまでに200〜300人をその強靭な顎で噛み殺してきたと伝えられている。
実際のところ本当にそんなに大勢を殺害したのかはかなり怪しいらしいのだが、アフリカの奥地に棲息する巨大殺人ワニの伝説は多くの人間の厨二心を掴んで離さず、その存在はゴシップを超えもはや神話の領域に片足を突っ込んでいる。
ワニ後進国である日本でも、グスタヴ伝説に胸を熱くした男子中学生は少なくない事だろう。ネッシーやモンゴリアン・デス・ワームなどのUMAとはまた違った魅力がこのワニにはあるのよねぇ…。
「実話に基づく」と謳われているが、グスタヴがトピックとして用いられている事以外は完全なるフィクション。こんな事件が実際に起こった訳では勿論無い。
ただ、ブルンジにおけるフツ族とツチ族の民族紛争、虐殺、内戦といった負の歴史をテーマとして扱っており、ジャーナリスティックな側面を有している作品であるという事は強調しておきたい。
本作でのグスタヴの描かれ方は動物というよりはほとんど怪獣。冒頭、虐殺された市民の遺体を掘り起こそうとした法人類学者が襲われるところから映画が始まるなど、人類の侵した罪への罰として生まれた存在、つまり「ゴジラ」としてこのワニを扱っている。
藪蛇ならぬ薮ワニに首を突っ込んだ挙句に地獄を見るというのはホラー映画の定番ですが、ここで注目したいのはアメリカから来たジャーナリストたちの描かれ方。彼らは西欧的な人道意識を持ちブルンジを訪れているが、そこにはアフリカのプリミティブな文化への優越感が滲み出ている。特に、動物ジャーナリストのアビバにその特徴が顕著に表れており、彼女は生贄に捧げられた子犬は可哀想だと言って助けるのだが、その一方でグスタヴを誘き寄せる為に生きたヤギを用いているのである。
また、彼らは地元のギャングたちに惨殺されるシャーマンの映像を撮影し、それを公開する事でブルンジの惨状に耳目を集めようとするが、いざグスタヴに襲われるとそのデータの入ったパソコンは簡単に捨て去ってしまう。大層な人権意識を振り翳していても、結局は自分の命が大事。ここにもたまたジャーナリズムの欺瞞が浮き彫りになっている様に思う。
グフタヴを恐れ、憎み、あるいは憐むのは西欧から来た人間のみ。対照的に、現地の住民はその存在を当たり前に受け止めているところが面白い。子供が食い殺されたというのに、彼らはその現場を避けようともしないのだが、グスタヴの住むルジジ川は現地民の生活の場であり、そこを避けては行きてゆけないのである。
モンスターの住む川で生活をしなければならない、我々の感覚ではそれは恐怖だが、ブルンジの人々にとってはそれはただの日常であり特別に忌避すべきことでは無い。ここには、内戦という人的な悲劇を甘んじて受け入れるしか無い彼らの悲劇と、自然動物が齎す死と隣り合わせに生きる彼らの人生観が同時に描かれている。
そもそも、ブルンジを2つに分断するフツ族とツチ族の抗争も、元を正せば西欧社会による植民地支配がその発端である。出自を同じとする民族を2つに分け、少数派のツチ族が多数派のフツ族を支配するという捩れた構造を作り上げた結果、何十万という人間が命を落とす地獄の様な事態が引き起こされた。
だからグスタヴは外から来た異邦人を執拗に狙い襲う。ブルンジに渦巻く死と憎悪、そして怒りはそこから持ち込まれたものなのだから。
グスタヴの大きさはもっと誇張した方がより怪獣映画らしくなったと思う。その点は少々不満だが、パニックホラーとしては十分に満足のいく出来だった。また、ブルンジの惨状とジャーナリズムの欺瞞を描く社会派な側面にも楽しませていただきました。
世間的には評判がすこぶる悪い様だが、これはワニ映画界を代表する傑作であると、私は声を大にして言いたいっ🐊
こういう映画を日本ももっと作れ!我が国には熊という絶好のモチーフがあるじゃあ無いかっ🐻