星と月は天の穴のレビュー・感想・評価
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「恋愛の最終段階は性愛にいたる」
皆さんは数の多さは別にして、恋愛をしている、恋愛をしていたと思います。きっかけは何ですか。相手が可愛い、恰好いいという人もいれば、お互いの話が、波長が合うという人もいるでしょう。そして付合いを経て最終的に「性愛」にたどりつくのではないでしょうか。お互いが愛しくなると抱きしめたいという気持ちは「本能」だと思います。
恋愛を経験した人、していない人はこの映画を見てどのように思うのか興味深いです。映画の半分くらいは「性愛」の行為が描写されます。それが自然の成り行きと思うか単なるエロ映画と見るか、どちらかではないでしょうか。
脚本・監督は荒井晴彦です。「火口のふたり」や「花腐し」でもかなりきわどい「性愛」を描いていました。「火口のふたり」は従妹という血のつながりが気持ちも肉体もフィットする映画でした。「花腐し」はお互いを好きになった女性と男性が「性愛」につながる映画でした。
今回の映画は面白い構成になっています。作家の矢添は小説の主人公Aを「精神的に愛する男」というベースで書いていきます。作家自身の矢添は「女を見るとやりたくなる」男です。小説と自分自身がまったく乖離していますが、年齢はともに43歳というのも肝です。
矢添は小説家ですが妻に逃げられてからずっと一人でいます。彼の心には妻に逃げられたことがショックでどこか女を信じられないというコンプレックスを持っているのです。それゆえ女への不信感から「女を見るとやりたくなる」という、女を「物」としか見られなくなっているのです。
小説のAはバーでアルバイトしている大学生B子に好意を抱きますが、あくまで紳士的にふるまいます。一方、矢添が朝食をとるときに赤い鮭を見て欲情すると、すぐ売春宿に電話してなじみの娼婦・千栄子を抱きます。この鮮明な赤色はのちに3度出てきます。娼婦・千栄子は彼にとって「物」です。彼女が矢添へ好意を持っていてモーションをかけますが矢添はまったく無視します。
矢添はふらっと入った画廊で大学生の紀子と出会います。彼女を車に乗せて家まで送るときあることがおき、二人は連れ込み旅館に入ります。裸にして「性愛」をしようとしても欲情しません。ただ部屋の隅に数えきれない男と女の毛を見た瞬間欲情するのです。それ以降何度も何度も矢添と紀子は「性愛」をかさねます。
あるとき矢添と紀子が「性愛」にいたったとき、紀子の体に赤い傷が鮮明に映し出されます。赤い傷。紀子の「性愛」に対する欲情です。体は正直なのです。矢添がいつもの売春宿から電話を受けて16歳の子がいると聞き、そそくさと出かけます。裸になったその子の唇に真っ赤な口紅がひかれている。この赤い口紅は後のB子につながるのです。
AはB子に紳士的でしたが、あるとき突然部屋へ行こうと言い「性愛」に及びます。なぜか。B子がつけていた真っ赤な口紅がB子らしくなかったからです。Aは純情そうに見えていたB子に悪意を持つ、そして強引に「性愛」におよんだのです。
紀子と二人車に乗っているとき事故を起こします。レントゲンを撮るふたり。そこで矢添の秘密が明らかになったのに、紀子の一言によって矢添は紀子を以前より愛おしくなっていくのです。ここにおいて女を「物」としてしか見てこなかった矢添は紀子に陥落するのです。そしてB子と紀子、Aと矢添がだんだんとリンクしていき、彼の小説は完成します。
恋愛というものは、「お互いがありのままの自分を愛してくれる人を愛する」に尽きるのではないでしょうか。娼婦・千栄子は矢添にとっては恋愛の対象ではなく、女という「物」でしかなかった。彼女が遠くを見る目つきで諦めたようにブランコをこぐ姿に「性行為」だけではどうしようもないことがあることを見事に描写していました。
滑稽で切なさがつのりますが、この映画はまさにラブストーリーです。愛する者同士の世界は面白い。お互いが高齢になったとき「性愛」がなくなっても愛は残るからです。
他人を愛せない昭和の男
『火口のふたり』や『花腐し』の荒井晴彦監督による、綾野剛主演の映画で、他人を愛せない、めんどくさい昭和の小説家の話です。吉行淳之介の原作を映画化したものですが、観ていくとだんだん主人公の矢添克二が吉行淳之介に見えてきました。
令和の世に、こういう男はもういないと思いましたし、診察室で医者がたばこを吸うなど、今ではありえないシーンの連続で、昭和の設定でないとこの映画は成り立たないでしょう。
前の日に観た『マディソン郡の橋』を思い出し、少しはこれでも観て頭を冷やせと、矢添克二に言いたくなりました。
『花腐し』で綾野剛と共演していた柄本佑も出演するというので期待していたのですが、少し期待外れでした。
それにしても紀子役の咲耶は素晴らしい。何と言っても声が艶っぽいです。
サーモン、唇、入れ歯、傷痕
モノクロ基調に官能的な内容、主人公は(エロ)創作家と前作『花腐し』と共通点多し。
キャストも綾野剛はじめ、柄本佑、吉岡睦雄、MINAMOと被せまくり。
まぁ内容としては全然違うのだけど、綾野剛以外はちょい役だし、ノイズなだけだったなぁ。
過去の経験から恋愛に臆病になってた主人公が情愛を取り戻す話?
とはいえモテモテだし綾野剛だしで、贅沢な悩みだ。
ほとんどずっと紀子と会って、食事して、会話して、セックスしての繰り返し。
アクセント的に劇中作のB子の話も挟まるが、やってることは一緒なのでかなり単調。
“16歳”の登場もあまり意味を感じないし。
もちろん微妙な関係性や心理の変化はあるのだが、個人的には千枝子との別離で終わってよかった。
だって入れ歯は誰にも否定されてないし。
紀子が寄り添い続けるラストでは、「男ってやっぱり若い女性に認められたいのね」に感じてしまう。
咲耶や岬あかりの身体は綺麗で眼福だが、主人公の性質からか濡れ場は淡白な印象。
また、彼女らが頑張ったぶん田中麗奈が見せない不自然さが際立ってしまった。
要するに、“演者”が意識されてしまうのだ。
芝居は文句ナシだが、バランスとして失敗してる。
はじめは違和感のあった台詞回しは、個人的に“文学的棒読み”として受け入れられた。
特に咲耶の昭和感は非常によかった。
しかし書き文字とモノローグで心情を語り過ぎる演出はガッカリ。
主人公に感情移入できなかったこともあり、前作ほどハマれなかった。
そういれば
年代によって捉え方が非常にに変わる作品。
自分が、その時代に総入れ歯だったらどう考えるかもなぁ。
納豆を器に入れたりベッドメイキングをしているあたり、誰にも邪魔れたくない丁寧な暮らしを感じる。
あのくらいの年齢ならそんなスペースは必要なのだろうな。
腕時計は大事。ここ重要。
コンプレックスだったり、自虐だったりでウロウロする主人公はノリコという怪物を成長させる。
私はノリコが怖いし、ノリコに喰われた主人公が気の毒…?な。
チエコと共に公園に入ろうとした主人公の心情を思えばグッときけど、結局その席を笑顔で陣取ったのはノリコ。
今はないけど「電話帳に載ってた」って怖い。
全体的に性的シーンはあるも嫌悪感はなく寧ろエンドロールのブランコが監督さんなりのチラリズムサービスなのかもと思った。
重ねた先にある皺と疵は、官能を高める道具となり得るだろうか
2025.12.23 アップリンク京都
2024年の日本映画(122分、R18+)
原作は吉行淳之介の同名小説
拗らせ小説家の妄想と現実を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は荒井晴彦
物語の舞台は、1969年・春の東京
銀座近辺に住んでいる小説家の矢添(綾野剛)は、街角で偶然、大学時代の友人(柄本佑)と再会することになった
彼にはすでに二十歳になる娘がいると聞かされ、自身の逃げられた妻のことを思い出してしまう
その後、自宅に戻った彼はベランダから見える公園のブランコにて、若い男女の性交が性交しているのを見てしまう
矢添は筆を取り、銀座の行きつけのバーにて、アルバイトの女子大生と出会う自分を題材に小説を書き始めた
小説家は女子大生・B子を家まで送ると言い、そのタクシーに大学教授Cが相乗りすることになった
そこで紳士的に振る舞おうとする自分を滑稽に感じ、そのまま筆を滑らせていくことになった
矢添には馴染みの娼館があり、いつも千枝子という女と関係を持っていた
彼は女性を「道具」だと考えていて、それ以上の関係にはなろうとしない
そんな彼女は、矢添が総入歯であることに気づいていて、それは彼のコンプレックスでもあった
物語は、その後街を散策していた時に、とある画廊にて女子大生の紀子(咲耶)と出会うところから動き出す
仮面の展示を行なっている画廊にて、とある仮面に見入っていた紀子に興味を持ち、声を掛けて、外で食事をすることになった
それから二人は頻繁に会うようになり、体を重ねるようになっていった
そしてふと、彼女にも総入歯であることに気づかれるのではと心配になってしまうのである
映画は、小説家の妄想と現実を描いていて、どちらにも女子大生というものが登場していた
紀子を家まで送ろうとしたものの、彼女が粗相をしてしまい、二人は近くのホテルに入ることになった
そこで関係を深めていくことになるのだが、彼女の「軀」をさわっても沸き立つものが生まれなかった
だが、部屋の隅に落ちていた体毛を見た瞬間、彼の中で何かが弾け、まるで獣のように交わり始めるのである
映画のタイトルは『星と月は天の穴』というもので、漆黒の中にある白い物体を窓として捉えていく
それは何かの入り口のようでいて、その先は妄想の世界になっている
小説内では女子大生に格好をつけている様子が描かれ、どのようにしてプライドを保つかに固執する小説家が登場する
だが、表層的なものとは違って、彼の内面は女に溺れていき、さらに窒息を促すかのように女の道具にもなっていく
男女関係に勝敗があるのかはわからないが、矢添の中ではいつも負けているという感覚が宿っているようだった
1969年を舞台にしている理由と、タイトルの意味がラストで回収されるのだが、そこに月面着陸が絡んでくるのは面白いと思う
何かの入り口に思えた妄想の先には変わらぬ現実があるのだが、そこはまだブラウン管の向こうの世界であって現実ではなかったりする
これは、女性をわかったと思った男が「実は妄想の確認の中で敗北している瞬間」のようにも思え、それは滑稽にも感じられる
自分の中の何を知られたら負けになるのかは人それぞれだと思うが、矢添の場合は総入歯だったということになる
だが紀子は、それを知った上でなお、矢添に「ああいう髑髏を持っている矢添さんに、おもいきり虐めてもらいたいと考えていたのよ」と言ってしまう
矢添は「そういう君を許してくれる若い男もきっといるはず」と距離を置こうとするものの、結局は紀子を追いかけて、ともに歩みだしてしまうのである
いずれにせよ、激しいシーンの多い作品で、そこにも意味がある内容となっていた
当初は正常位からの、牝犬呼ばわりからの後背位となり、さらに弱み(総入歯に気づかれてから)を見つかってからの騎乗位と変化していた
これは矢添が女性を道具化してきた概念の変化にもなっていて、最終的には自分が道具(動かない棒)と化している
小説の中で若い女に対する妄想をしてきた矢添が現実の若い女を知ることで道具化してしまうのだが、年配の男が若者と交わる時の悲しい現実を見せられているようにも思える
そう言った意味において、年輪を重ねた男子は「自分の何が道具となり得るのか」を振り返る必要があり、それが道具の質だけの問題ではないと思い知ることなのだろう
純文学的な暗喩の中にあるドス黒いものが散りばめられているので、なかなか興味深い内容だなあと思った
【”年下の女性には知られたくない事。”今作は43歳の独り身の純文学作家が或る秘密を抱えつつ二人の女性と互いの心を探り合いながらSEXする徒然なる日々をモノクロームで描いた作品である。】
ー ご存じのように今作は、文学界一のモテ男であったと言われる、故吉行淳之介の芸術選奨文部大臣賞受賞作の映画化である。故にモノクロームで描かれる今作の世界観と、口紅、肌の傷などの”朱”のみ鮮やかに映される演出が、当時の趣を醸し出しているのである。-
■純文学作家の矢添(綾野剛)は、妻と別れてから43歳まで独り身である。
だが、時折部屋に掛かって来る”乗馬クラブ”からの電話には、”ウム・・。”などと呟きつつ車を飛ばして行き、いつも馴染みの千枝子(田中麗奈:ムッチャ美しい。)を指名し、身体を重ねる徒然なる日々を過ごしている。
或る日、行きつけのバーでバイトをしていた大学生の紀子(咲耶)と出会い、男女の関係になる。だが、矢添には誰にも知られたくない”秘密”があり、積極的に近づいてくる紀子を絶対に家には上げずに、階下の公園で待たせるのであった・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は矢添を演じる綾野剛の抑制した演技と、SEXシーンの見せ方の巧さが光る作品である。又、彼が妻と別れた事が原因なのか、女性と正面から向き合えない心を持つ姿も印象的である。
ー 個人的意見だが、邦画でSEXシーンを上手く演じる俳優のNo1.2は松坂桃李と綾野剛だと思っている。松坂さんは「娼年」、綾野さんは「日本で一番悪い奴ら」での瀧内公美さんとのシャブSEXシーンはゴックンものである。ー
・紀子を演じた咲耶さんは、これまで観た映画ではメインキャストではなかったので余り知らない女優さんであったが、清楚な表情からの淫蕩なSEXシーンの大胆さには驚いたし、徐々に矢添の秘密に近づこうとする表情には、小悪魔的な魅力も感じたのである。
・矢添と紀子は、逢引の和風の宿で正常位、後背位でSEXする。尚、今作の舞台は1969年であるが、二人は”69”ではSEXしない・・。(当たり前だ!)
そして、矢添は紀子が持って来たお土産を見て、後背位でSEXしている時に”雄犬、雌犬”を考えるのである。ゴックン。
・矢添は、早々に千枝子には”秘密”を見抜かれるのだが、動揺しつつも冷静に対処する。が、紀子にはその”秘密”を知られたくないようである。
だが、彼が運転する車がガードレールに衝突し、二人で”夫婦”と偽り、病院でレントゲンを撮った時に”秘密”がバレるのである。クスクス。
そして、診察医は二人を親子だと思うのである。年の差もあるが、”秘密”が分かってしまったからねえ。
それでも、矢添は紀子を家には挙げずに、階下の公園で待たせるのである。冒頭、彼が見ていた”若いカップルがSEXしていたブランコ”がある公園で。
そして、紀子はパンツを見せながら豪快にそのブランコを漕ぐのである。
<今作は43歳の独り身の純文学作家が、或る秘密を抱えつつ二人の女性と互いの心を探り合いながらSEXする徒然なる日々をモノクロームで描いた作品である。>
裏の主役
田中麗奈が演じる娼婦を裏の主役として製作されているように思える。
展開の主軸となっている小説家と女子大生がどちらも浮世離れしたキャラクターであることが娼婦の人間臭さが引き立たせている。エンドロール時のブランコを撮るアングルにも何かしらの意図を感じる。
序盤の小説家と同期とのやり取りや終盤の医者との会話は面白いと思うものの、主要となる2人の登場人物の価値観が理解できないため、あまり入り込むことができなかった。
言い訳と逃げ道で敷き詰めた43歳の恋愛
主人公は中年男の精神的な恋愛とやらを求めてバーでアルバイトする女子大生(B子)にアプローチするのだが、男としての肉体的欲求がノイズになるといけないので馴染みの娼婦(千枝子)や偶然出会った女子大生(紀子)とも情事を重ねる、という話のようだ。
なんともひどい人に見えるが、昭和の小説家は作品のためと称して、道に外れた欲望を充足し、またそんな回り道をしながらも、難儀な人生に向き合おうとしたのだと思う。白黒映画ということもあり、古めかしい時代を「そんなものかもね」と楽しめる映画。
「自分は本当は女など必要としていない」というのが作家の態度。B子には肉体関係ではなく一緒に散歩して見せびらかしたいと言い、千栄子は使い慣れた道具だと言い、紀子には雌犬と雄犬の関係だと言う。
作家が家に招く(B子)、近所の公園で会う(千枝子)という序列のなかで、一人ブランコをさせられる紀子が一番扱いが悪い。しかしこの紀子が、だんだん作家の欠落感(入れ歯の問題、前妻との別れ)を浮かび上がらせていく。
最初のうちこそ原稿用紙を画面いっぱいに広げ、B子との関係を朗読して小説に仕立てあげようとするのだが、何の説明もなくウヤムヤに。
紀子と一緒に鍋を食べる、星を見上げる、事故に遭ってレントゲン写真を見るというように、紀子との出来事が人生を転がしていくのだ。
本当は男女の関係とは、正面から向き合える人は幸運で、このぐらい言い訳と逃げ道がなければ成り立たないものなのかもしれない。
すごく「モテおくん」だった男の話。
吉行淳之介フリークとしては、はずせない作品。原作の小説を発表したのが、1966年だからもう妻とは別居して、宮城まり子さんと一緒に暮らしているときの作品。
モノクロ風の作品だけど、欲情するときは赤い色が出てくる。
あと主人公の矢添(=綾野剛)は43歳でもう総入れ歯になっている。おそらく母親から大して愛情を受けなかったのだろう。矢添はそれがコンプレックス。
当時の娼館は、一階でピアノを弾いてるようなところもあったのか。
途中まで牝犬とか道具のように扱ってた、女子大生の紀子(=咲耶)とだんだん立場が変わってきて、ラストシーンでは入れ歯コンプレックスなんて気にせず、対等の立場で付き合おうとしたのが良かった。
綾野剛の淡々とした語り口と「ご乱行」シーンの無慈悲っぷりもなかなかだった。
また静岡県掛川市のねむの木学園内にある、吉行淳之介文学館へ行ってみたくなった。
揺れないブランコ
荒井監督作品は「花腐し」に続いての鑑賞。
前作は普段触れないであろうピンク映画というジャンルを新鮮に楽しめた&男2人での構図が意外と良かったのもあってそこそこ評価してたんですが、今作はかなりポエミーな内容で、監督の好みの女性のおっぱいをポロンポロンさせてパンパンさせたいだけなんでは?と思えるくらいSEX祭りで内容がないようでした。
小説の世界でもヤりまくり、現実でもいわゆる娼婦とパコパコし、街で出会った女子大生とパコパコ、ほとんどがくどい台詞回しとすけべで成立していたので、ある意味凄いんですが、なんかもうこの手の感じで興奮しないのが不思議でした。
色んなプレイが盛りだくさんとかなら性癖博覧会みたいで面白くなるかなーと思ったのですが、困ったことに基本的には正常位・騎乗位・バックで突きまくるので、バリエーションがあんまり無いのも物足りなさに拍車をかけていました。
矢添にどんどん惹かれていく紀子というのが下地にあるとは思うんですが、そんなに矢添は魅力的かい?とどうしてもなってしまいましたし、体目当てで見られているのにホイホイ付いていっちゃうんだとかもやっぱり引っかかってしまいました。
文学的というんでしょうか、これが行間を読めってやつなんでしょうか、矢添の考え方にはほとんど共感できませんでしたし、女性をモノのように扱うという時点でそりゃ共感できんわともなりました。
1969年当時の恋愛絡みは今よりもかなーり雑で、でも自由でってやつなんでしょうか。
女性は大切にというのがモットーなので、まだ今の時代の方が恋愛的には良いかなとも思いました。
エンドロールでは紀子がブランコにのってパンツが見えるか見えないかの映像1本で乗り切るのである意味面白かったです。
最初こそキモって思いましたが、ずっと続いてちょっとずつパンツが見えてくる遅効性が確かにありました。
今作の見どころは綾野剛さんの引き締まったお尻ですね。
とっても綺麗ですげ〜ってなりました。
そりゃああんな色男に近づかれたら堕ちちゃう人だっているかという納得感を味合わせてくれました。
映画にストーリーを求める人間としてはやはり物足りず、純愛・ピュアな恋愛が好きな人間としてはそもそもターゲットではない、でもどこかどハマるんじゃ?と思って観にいったので悔いはないです。
ただ次の作品も同じテイストだともういいかなとなると思います。
鑑賞日 12/20
鑑賞時間 18:35〜20:50
多分、主人公はbucknumberの『瞬き』を聴いたら…
…鼻で嗤ってくる。
それが自嘲か、皮肉かは分からないが。
妻に男を作って逃げられて以来ずっと傷心のまま、無感情・無気力・無感動の渦中に在って、異性を好きになること、愛することを忌避し続けてきた四十過ぎのヤリチン小説家が、
20歳以上も年の離れたJD と、ひょんなことから知り合い…行きずりのワンナイトラブな関係で終わるのかと思いきや、
ズルズルと上辺で浮気な関係を保ちつつも、ヤリチンクソ小説家野郎が、少しずつ恋愛に前向きになっていくリハビリ過程を描いた作品。
私の様な、非リアでモテない只の不細工デブのオッサンからしてみれば、
甚だ鼻持ちならない理不尽で不条理な気色の悪い作品だった🤣
【気持ち悪い】のではない、《気色悪い》のだ。
どんなに手を伸ばしても獲られない異性からの愛情や思慕・恋慕の類を、
その気になれば、いつだって求めに応じて与えてくれる人が、異性が沢山いるのに…
あのバカは、総入れ歯がどうのとか…歳の差がどうのと自らマトモに見ようともしないクセに、
それでいて…誰も愛してくれない!、誰も愛せない可哀想な俺!みたいなスタンスでいやがる。
全くもってふてぶてしいヤツ😡
だから、云いたい事はアタマでは理解出来るけど、心が、あのバカ共々を拒絶している。
しっかし、ズルいよ。
あんな気色の悪い変態野郎を、
綾野剛が演じると普通にイケメンに見えるんだから、ズルい狡過ぎる!😢
全12件を表示
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