星と月は天の穴のレビュー・感想・評価
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日活ロマンポルノ・オマージュ?
吉行淳之介が1966年に発表した同タイトルの小説の映画化作品。結婚に失敗した40代の作家が固定的な関係を築くことには臆病なくせに若い女との関係が深まっていく様を描く。
舞台の始まりは1969年の春の東京。ちょうど私が小学校に入学した頃と重なるので、壁に貼ってある看板やポスト、建物などの風景や店で流れるBGMを含めた空気感は懐かしくもある。それ故に、現代の若者には違和感があるかも知れない登場人物の話し方やタバコの吸い方(例えば、医者が診察中に喫煙する)なども、あの時代だと思うと自分にはまったく気にならない。
ただ、全般的にノスタルジーを押し出すのはいいのだが、全編白黒画面なのに、差し色として「赤」だけがカラーにすることで官能的な演出を狙ったりするなど、いかんせん感性が古めかしいとしか思えない。
原作小説は読んでいないのでどのくらい忠実に映像化しているのかは分からないのだが、性と愛を人間の本質として文学作品が描くことはよくある。だが、本作を鑑賞しながら感じていたのは昭和の時代へのノスタルジーというより、あの当時に隆盛を極めていた日活ロマンポルノへのノスタルジーなのではないか、ということだ。
日活ロマンポルノといえば、10分に一度程度「裸」あるいは「濡れ場」のシーンを入れさえすれば、純文学だろうがコメディだろうがSFだろうが題材やテーマは何でもありで、低予算で実験的な作品群を次々と作りながら若手監督たちが場数を踏むことができ、後の大物監督を何人も輩出してきたと言われている。
荒井晴彦監督自身、若い頃は若松組の助監督で、日活でいくつもの作品制作に関わってきた。宮下順子が本作でフィーチャーされているのも当時への想いからであろう。
1969年の最大のイベントといえばアポロ11号の月着陸。そして、翌年の1970年には「人類の進歩と調和」を謳う大阪万博が開催され、時代の潮流が大きく変わる。そんなアポロ以前へのノスタルジーで終わらせてしまうのは何かもったいないような気がするのは私だけだろうか?
表裏一体のポジとネガ
美しい言葉のやり取りに、男女の心の機微を感じとる。
文学的行き止まりを打ち破る咲耶の突破力。
1969年を舞台とした作品である。この年にあったことで映画内で映像が取り上げられているのはアポロ11号の月面着陸だが、全学連による東大安田講堂事件があった年である。実に時代は政治の季節だった。政治と文化は一体化しており、その中で政治とは一線を画して恋愛と性愛をベースとした文学を志向した吉行淳之介の初期作品群(この「星と月は天の穴」は1966年の作品)は軟派な文学とされてマイナーな位置づけであった。
吉行の文学が、さらに性愛を濃く激しく描く一方で、時代がそれを容認して、より幅広い読者に支持されるようになるのは、政治的動態が一段落した80年代近くになってから。作品でいうと「夕暮れまで」である。
さて、映画は、綾野剛演じる作家の矢添が、自分をモデルにした小説を書きながら、複数の女性の間を揺れ動く物語である。全編モノクロームであり矢添が性欲を感じる対象(スモークサーモン、女性の唇、女性の身体の傷跡など)だけが赤のパートカラーで表現される。舞台も矢添の部屋や、銀座や国立の店店ばかりであり(「ロジーナ茶房」とかね)人工的で閉鎖的な印象を与える。つまり吉行=矢添の世界は、その世界の中にいる女性への興味、欲望に内向しており、外の世界には開かれていない。
これが文学的内宇宙であることは、原稿用紙の文章が映画内クレジットとしてそのまま現れることや、基本、出演者が皆、セリフを棒読みすることでも表現されている。そして内宇宙では、星も月も書き割り的な穴ぼこに過ぎず固有の光も熱ももたないことからこのタイトルになっているのだろう。
唯一、矢添が、外界と接する可能性があるのは、矢添の部屋の下にあるブランコのある公園だけである。
だから矢添は、最終盤まで公園に足を踏み入れない。
実にグジグジした作品であり、正直、途中で席を立とうかと思ったほどである。それを救ったというか、映画的に決着をつけたのは、主演女優咲耶のラストカットとエンドロールのブランコを漕ぐ姿である。このシーンは、彼女が矢添を赦し、違う世界に導いたことを暗示している。おそらく、その世界では、矢添はミソジニーな女たらしではなく、一人の男として、おそらくは同じ性癖をもつ女と対等な関係をもっているのだと思う。というか、そうあって欲しい、そうあるべきだと思うのだが。
サーモン、唇、入れ歯、傷痕
モノクロ基調に官能的な内容、主人公は(エロ)創作家と前作『花腐し』と共通点多し。
キャストも綾野剛はじめ、柄本佑、吉岡睦雄、MINAMOと被せまくり。
まぁ内容としては全然違うのだけど、綾野剛以外はちょい役だし、ノイズなだけだったなぁ。
過去の経験から恋愛に臆病になってた主人公が情愛を取り戻す話?
とはいえモテモテだし綾野剛だしで、贅沢な悩みだ。
ほとんどずっと紀子と会って、食事して、会話して、セックスしての繰り返し。
アクセント的に劇中作のB子の話も挟まるが、やってることは一緒なのでかなり単調。
“16歳”の登場もあまり意味を感じないし。
もちろん微妙な関係性や心理の変化はあるのだが、個人的には千枝子との別離で終わってよかった。
だって入れ歯は誰にも否定されてないし。
紀子が寄り添い続けるラストでは、「男ってやっぱり若い女性に認められたいのね」に感じてしまう。
咲耶や岬あかりの身体は綺麗で眼福だが、主人公の性質からか濡れ場は淡白な印象。
また、彼女らが頑張ったぶん田中麗奈が見せない不自然さが際立ってしまった。
要するに、“演者”が意識されてしまうのだ。
芝居は文句ナシだが、バランスとして失敗してる。
はじめは違和感のあった台詞回しは、個人的に“文学的棒読み”として受け入れられた。
特に咲耶の昭和感は非常によかった。
しかし書き文字とモノローグで心情を語り過ぎる演出はガッカリ。
主人公に感情移入できなかったこともあり、前作ほどハマれなかった。
主演女優の華奢がどうしても気になる。
もう一工夫欲しかったけど、綾野剛は良かった
綾野剛主演ということで注目していた作品でしたが、内容は吉行淳之介の小説を原作とし、1969年当時の40代独身男性作家の性生活を描いた、いわゆる私小説的な物語でした。
綾野剛演じる主人公・矢添は、高級娼館に通ったり、画廊で偶然出会った女子大生・紀子(咲耶)と行きずりで関係を持つなど、冒頭から終盤に至るまでセックスシーンが頻出。事後に確認するとR18+指定であり、それも納得という内容でした。ただ全編が基本的にモノクロ映像で構成されているため、(良いか悪いかは別として)過度な艶めかしさを感じることはありませんでした。
もっとも、本作は単なるポルノ作品というわけではありません。40代にして総入れ歯という矢添の身体的コンプレックスや、かつて一年間だけ婚姻関係にあった元妻が別の男を作って去ってしまったことへの喪失感を抱えながら生きる姿には、中年以降の男性であればどこか共感を覚える部分があるのではないかと思われました。若い女性に都合よくモテる点については、羨ましい反面、全く共感できませんでしたが。
とはいえ、作品全体として見ると、今ひとつ心に響かなかったというのが正直な感想でした。本作を2025年に映画化する意義がどれほどあったのか、というのがその最大の理由。1969年が舞台であっても、現代に通じるテーマ性があるとか、逆に1969年当時の独自のテーマ性があったのならまだしも、その辺があまり感じられませんでした。
また、1969年という時代設定の表現にもいささか安直さを感じました。矢添の乗るBMWやタクシーが旧車であること、ダイヤル式の黒電話や円筒形の郵便ポストといった小道具はそれらしく登場しましたが、矢添が住むマンションの仕様は明らかに現代的だったし、街並み全体も今様でした。そうした粗をモノクロ映像で覆い隠しているように感じられたのも残念なところでした。であれば、いっそ設定自体を現代に置き換えてもよかったのではないか、などと考えましたが、それは後の祭りでしょう。
それでもなお、綾野剛という俳優の魅力は十分に感じ取れる作品であり、その点においては満足のいく一本でした。
そんな訳で、本作の評価は★3.0とします。
凄まじくリアリティを欠いた、感情のリアリティ
推しの綾野剛の裸体がとても見たかったので鑑賞。
制限指定からどんな映画になるか大方予想は付いていたが、思っていた以上に得られたものも多かった。
純文学映画と批評されている人が多いが、間違ってはいない。それどころか小説をそのまま映像にしたような印象が極めて強く感じられた。
特にセリフの発し方などはこの辺が顕著に出てる。主人公視点で物語が進むにも関わらず、引きのカットばかりで、没入する映画ではなく眺める映画という印象。
ピンク映画とは違い欲情をを煽るような演出は控えめ。
また、音楽に関してもレベルが高く、普通のピンク映画とは一線を画したものがある。
最も注視したい所は女性の絶妙な感情の距離のリアリティ。ここがとても印象に残った。
総評として、下品なものを見に来たおっさんが綺麗になって劇場から出てこれる、そんな魅力を秘めた映画。
主人公の矢添も主演の綾野剛さんもそりゃモテる
今年3本目の綾野剛さんでした。「でっちあげ」とも「愚か者の身分」とも違う3人目の人物をしっかり出現させていて本当に達者な人。40過ぎ男のコンプレックスと若い子への気後れと強がりは痛いほどよくわかるよー😭 矢添も綾野さんもそりゃモテるわ。
女優ではいつも感心する田中麗奈さんがまたまた良かった。咲耶さんは声と口調が絶妙にマッチしていて、特に声が好き(ただし、あれの時の声は監督の意図なんだろうけど、大き過ぎて…)。
吉行淳之介による同名原作小説(未読)のタイトルの響きが、わからないけどなんか良くて観たかった。そのタイトルの由来がわかるシーンの重みがない感じも好き。
R18でエッチなシーンがいっぱいだけど、男と女が対等かむしろ女が矢添(綾野さん)を翻弄する感じなので嫌悪感は感じない。R18を警戒して観ないとしたらちょっともったいないかな(個人の感想です)。1969年という時代背景にマッチした劇中歌もとても良くて、若さを通り過ぎた昭和人たちにオススメの1本。
若い女性がこの映画を観てどう思うのか気になるけど、そんなこと、聞ける知り合いもいなければ、いたとしても気後れして聞けやしませんよ。そういう意味でも矢添の女性慣れした感じと、なのに滲み出る少し自信のない感じの絶妙なバランス…これが大人の男の色気というものか!(習得したい人生だった!)と思ったです。
可笑しくて哀しい、愛すべき映画
そういれば
年代によって捉え方が非常にに変わる作品。
自分が、その時代に総入れ歯だったらどう考えるかもなぁ。
納豆を器に入れたりベッドメイキングをしているあたり、誰にも邪魔れたくない丁寧な暮らしを感じる。
あのくらいの年齢ならそんなスペースは必要なのだろうな。
腕時計は大事。ここ重要。
コンプレックスだったり、自虐だったりでウロウロする主人公はノリコという怪物を成長させる。
私はノリコが怖いし、ノリコに喰われた主人公が気の毒…?な。
チエコと共に公園に入ろうとした主人公の心情を思えばグッときけど、結局その席を笑顔で陣取ったのはノリコ。
今はないけど「電話帳に載ってた」って怖い。
全体的に性的シーンはあるも嫌悪感はなく寧ろエンドロールのブランコが監督さんなりのチラリズムサービスなのかもと思った。
病院で喫煙
重ねた先にある皺と疵は、官能を高める道具となり得るだろうか
2025.12.23 アップリンク京都
2024年の日本映画(122分、R18+)
原作は吉行淳之介の同名小説
拗らせ小説家の妄想と現実を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は荒井晴彦
物語の舞台は、1969年・春の東京
銀座近辺に住んでいる小説家の矢添(綾野剛)は、街角で偶然、大学時代の友人(柄本佑)と再会することになった
彼にはすでに二十歳になる娘がいると聞かされ、自身の逃げられた妻のことを思い出してしまう
その後、自宅に戻った彼はベランダから見える公園のブランコにて、若い男女の性交が性交しているのを見てしまう
矢添は筆を取り、銀座の行きつけのバーにて、アルバイトの女子大生と出会う自分を題材に小説を書き始めた
小説家は女子大生・B子を家まで送ると言い、そのタクシーに大学教授Cが相乗りすることになった
そこで紳士的に振る舞おうとする自分を滑稽に感じ、そのまま筆を滑らせていくことになった
矢添には馴染みの娼館があり、いつも千枝子という女と関係を持っていた
彼は女性を「道具」だと考えていて、それ以上の関係にはなろうとしない
そんな彼女は、矢添が総入歯であることに気づいていて、それは彼のコンプレックスでもあった
物語は、その後街を散策していた時に、とある画廊にて女子大生の紀子(咲耶)と出会うところから動き出す
仮面の展示を行なっている画廊にて、とある仮面に見入っていた紀子に興味を持ち、声を掛けて、外で食事をすることになった
それから二人は頻繁に会うようになり、体を重ねるようになっていった
そしてふと、彼女にも総入歯であることに気づかれるのではと心配になってしまうのである
映画は、小説家の妄想と現実を描いていて、どちらにも女子大生というものが登場していた
紀子を家まで送ろうとしたものの、彼女が粗相をしてしまい、二人は近くのホテルに入ることになった
そこで関係を深めていくことになるのだが、彼女の「軀」をさわっても沸き立つものが生まれなかった
だが、部屋の隅に落ちていた体毛を見た瞬間、彼の中で何かが弾け、まるで獣のように交わり始めるのである
映画のタイトルは『星と月は天の穴』というもので、漆黒の中にある白い物体を窓として捉えていく
それは何かの入り口のようでいて、その先は妄想の世界になっている
小説内では女子大生に格好をつけている様子が描かれ、どのようにしてプライドを保つかに固執する小説家が登場する
だが、表層的なものとは違って、彼の内面は女に溺れていき、さらに窒息を促すかのように女の道具にもなっていく
男女関係に勝敗があるのかはわからないが、矢添の中ではいつも負けているという感覚が宿っているようだった
1969年を舞台にしている理由と、タイトルの意味がラストで回収されるのだが、そこに月面着陸が絡んでくるのは面白いと思う
何かの入り口に思えた妄想の先には変わらぬ現実があるのだが、そこはまだブラウン管の向こうの世界であって現実ではなかったりする
これは、女性をわかったと思った男が「実は妄想の確認の中で敗北している瞬間」のようにも思え、それは滑稽にも感じられる
自分の中の何を知られたら負けになるのかは人それぞれだと思うが、矢添の場合は総入歯だったということになる
だが紀子は、それを知った上でなお、矢添に「ああいう髑髏を持っている矢添さんに、おもいきり虐めてもらいたいと考えていたのよ」と言ってしまう
矢添は「そういう君を許してくれる若い男もきっといるはず」と距離を置こうとするものの、結局は紀子を追いかけて、ともに歩みだしてしまうのである
いずれにせよ、激しいシーンの多い作品で、そこにも意味がある内容となっていた
当初は正常位からの、牝犬呼ばわりからの後背位となり、さらに弱み(総入歯に気づかれてから)を見つかってからの騎乗位と変化していた
これは矢添が女性を道具化してきた概念の変化にもなっていて、最終的には自分が道具(動かない棒)と化している
小説の中で若い女に対する妄想をしてきた矢添が現実の若い女を知ることで道具化してしまうのだが、年配の男が若者と交わる時の悲しい現実を見せられているようにも思える
そう言った意味において、年輪を重ねた男子は「自分の何が道具となり得るのか」を振り返る必要があり、それが道具の質だけの問題ではないと思い知ることなのだろう
純文学的な暗喩の中にあるドス黒いものが散りばめられているので、なかなか興味深い内容だなあと思った
昭和文学の薫り
消えゆく昭和文芸エロスにあえて4
本当なら3.5かな。原作未読。まずモテる奴に対する業火のような嫉妬心にどうせ少数の絵空事だよと適応規制している自分といやいやちゃんと冷静に見てるぞという自分が混ざりあい、劇中の矢添とAの自我の混乱に重なる笑。そんなええもんか。
スジそのものの展開には不満はない。病院でもタバコを吸うなどの描写や映像も時代をきちんと踏まえていて好ましい。必要以上に挿入されるエロシーンは監督の思いだろう。付き合う咲耶と綾野剛も偉いが、エロシーン弱めバージョンにしてR18を外した方が良かったかも。
女優陣は田中麗奈が下着姿になっていたのが良かった。咲耶については肩の力が抜けた自然なセリフ回しは好印象だが、なぜか近頃の女性がタイムスリップしていたように感じる時もあり…。(あと個人的には苗字は付けておいた方が今後のために良いと思う。)
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