「重ねた先にある皺と疵は、官能を高める道具となり得るだろうか」星と月は天の穴 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
重ねた先にある皺と疵は、官能を高める道具となり得るだろうか
2025.12.23 アップリンク京都
2024年の日本映画(122分、R18+)
原作は吉行淳之介の同名小説
拗らせ小説家の妄想と現実を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は荒井晴彦
物語の舞台は、1969年・春の東京
銀座近辺に住んでいる小説家の矢添(綾野剛)は、街角で偶然、大学時代の友人(柄本佑)と再会することになった
彼にはすでに二十歳になる娘がいると聞かされ、自身の逃げられた妻のことを思い出してしまう
その後、自宅に戻った彼はベランダから見える公園のブランコにて、若い男女の性交が性交しているのを見てしまう
矢添は筆を取り、銀座の行きつけのバーにて、アルバイトの女子大生と出会う自分を題材に小説を書き始めた
小説家は女子大生・B子を家まで送ると言い、そのタクシーに大学教授Cが相乗りすることになった
そこで紳士的に振る舞おうとする自分を滑稽に感じ、そのまま筆を滑らせていくことになった
矢添には馴染みの娼館があり、いつも千枝子という女と関係を持っていた
彼は女性を「道具」だと考えていて、それ以上の関係にはなろうとしない
そんな彼女は、矢添が総入歯であることに気づいていて、それは彼のコンプレックスでもあった
物語は、その後街を散策していた時に、とある画廊にて女子大生の紀子(咲耶)と出会うところから動き出す
仮面の展示を行なっている画廊にて、とある仮面に見入っていた紀子に興味を持ち、声を掛けて、外で食事をすることになった
それから二人は頻繁に会うようになり、体を重ねるようになっていった
そしてふと、彼女にも総入歯であることに気づかれるのではと心配になってしまうのである
映画は、小説家の妄想と現実を描いていて、どちらにも女子大生というものが登場していた
紀子を家まで送ろうとしたものの、彼女が粗相をしてしまい、二人は近くのホテルに入ることになった
そこで関係を深めていくことになるのだが、彼女の「軀」をさわっても沸き立つものが生まれなかった
だが、部屋の隅に落ちていた体毛を見た瞬間、彼の中で何かが弾け、まるで獣のように交わり始めるのである
映画のタイトルは『星と月は天の穴』というもので、漆黒の中にある白い物体を窓として捉えていく
それは何かの入り口のようでいて、その先は妄想の世界になっている
小説内では女子大生に格好をつけている様子が描かれ、どのようにしてプライドを保つかに固執する小説家が登場する
だが、表層的なものとは違って、彼の内面は女に溺れていき、さらに窒息を促すかのように女の道具にもなっていく
男女関係に勝敗があるのかはわからないが、矢添の中ではいつも負けているという感覚が宿っているようだった
1969年を舞台にしている理由と、タイトルの意味がラストで回収されるのだが、そこに月面着陸が絡んでくるのは面白いと思う
何かの入り口に思えた妄想の先には変わらぬ現実があるのだが、そこはまだブラウン管の向こうの世界であって現実ではなかったりする
これは、女性をわかったと思った男が「実は妄想の確認の中で敗北している瞬間」のようにも思え、それは滑稽にも感じられる
自分の中の何を知られたら負けになるのかは人それぞれだと思うが、矢添の場合は総入歯だったということになる
だが紀子は、それを知った上でなお、矢添に「ああいう髑髏を持っている矢添さんに、おもいきり虐めてもらいたいと考えていたのよ」と言ってしまう
矢添は「そういう君を許してくれる若い男もきっといるはず」と距離を置こうとするものの、結局は紀子を追いかけて、ともに歩みだしてしまうのである
いずれにせよ、激しいシーンの多い作品で、そこにも意味がある内容となっていた
当初は正常位からの、牝犬呼ばわりからの後背位となり、さらに弱み(総入歯に気づかれてから)を見つかってからの騎乗位と変化していた
これは矢添が女性を道具化してきた概念の変化にもなっていて、最終的には自分が道具(動かない棒)と化している
小説の中で若い女に対する妄想をしてきた矢添が現実の若い女を知ることで道具化してしまうのだが、年配の男が若者と交わる時の悲しい現実を見せられているようにも思える
そう言った意味において、年輪を重ねた男子は「自分の何が道具となり得るのか」を振り返る必要があり、それが道具の質だけの問題ではないと思い知ることなのだろう
純文学的な暗喩の中にあるドス黒いものが散りばめられているので、なかなか興味深い内容だなあと思った
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