殺し屋のプロットのレビュー・感想・評価
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我が国には、元女子高生やアルバイトの殺し屋もいるし
年老いた殺し屋のジョン・ノックスはイツフェルト・ヤコブ病。記憶が急速に消えていく病気だ。そのせいか、仕事では標的の男だけでなく、その女や、あろうことか、相棒まで殺してしまう。互いに殺しあったようにみせるも、それって無理あらへん。主人公を英文学と米国史の博士号を持ち、元大学教授だった有能な殺し屋と描いているが、家族にばれている時点でダメでしょ。その彼のもとへ、10年以上連絡のなかった息子が突然訪ねてくる。人を殺したから助けてくれと。まあ、厚かましい。その後の展開は、アガサ・クリスティの『検察側の証人』、ラストはクリント・イーストウッド『グラン・トリノ』かなあ。LAネオ・ノワールの誕生など評されているが、ノワール度はそれほど高くない。ジョン、宝石欲しさに輩を連れてきたアニーに『二都物語』を送ったのは何かの皮肉?ラストでアル・パチーノがダンスしたのはなぜ?人殺しの暴力息子は無罪になっただけでなく金ももらい、そしてジョンは医療刑務所へ。記憶は消失したから、もう罪に問われることはない。
2週間限定犯罪 締め切り間近
脚本はとてもよく練られていて、無駄がない。前半から結構伏線が張られている。
娼婦は「カサブランカなんて駄作よ」とうそぶき、終盤行動理念に沿った行動に出る。それを「大義」で返す粋。送った本が贖罪がテーマの「二都物語」!
1年後に「あれってどんな映画でしたっけ?」とはならない秀作。
妻と息子と風俗嬢
とある殺し屋の終活の話。
相棒との小洒落た会話から入るが、個人的にこれが合わず、少し身構える。
ヤコブ病の診断を受け、仕事では失態を犯し、息子からは殺人の隠蔽を依頼される。
踏んだり蹴ったりとはこのことか。
しかし、まだ露見してないのに死体や現場に細工をしなかったことで、意図が読めてしまった。
そのため、不可解に見せたいであろう行動もミスリードも退屈に見守る結果に…
派手なアクションを期待したワケではないが、話運びも冗長に感じた。
会話劇の緩急も効いておらず、画面は終始暗め。
劇中時間としても映画の尺としても、そんなにかかる話には思えない。
殺された男がクズなのは間違いないが、息子も頼み事する態度じゃないし、意味不明にキレるし。
40歳前後だとは思うが、全てがティーンみたい。
孫娘はまだ懲りてなさそうで笑う。
魅力的なキャラはゼイヴィアがくらいしかいない。
主人公の関わる2つの事件を同じ刑事が担当するって、他に捜査官いないのかな。
息子にしろ主人公にしろ、3週間以上も証拠を自宅に残してることに違和感は感じないの?
割ったグラスを捏造しても血液反応は出ないよね。
そもそもジョンは簡単に目を付けられすぎだけど、本当に病気のせいだけなのか。
BGMすらない店で物騒な話しすぎ。
主人公の正体とか、息子の殺人とか、身内には結構バラしてんのね。
記憶が失われることによるハラハラ感も薄く、最後まで盛り上がれなかった。
筋が読めていいことなんて一つもないな…
殺し屋の自己犠牲
記憶喪失×フィルムノワール、てことで「メメント」みたいなのを想像していたんですが、さらに家族愛と自己犠牲を描いたヒューマンドラマでもあるというジャンル縦断の奇跡。
こんな映画観たことないですね。
自らの病を逆手に取って完全引退の筋書きをもくろむ主人公が痛快でもあり、「殺し屋のプロット」という邦題はなかなか上手いと思いました。
舞台は現代ですが90年代末期〜2000年代の映画の雰囲気を感じたのは自分だけでしょうか。
白人ギャング専門の刑事とか、無口だけど実はインテリな殺し屋とかちょい古臭いなーと。(それがまた良き)
アル・パチーノとマイケル・キートンの共演も眼福。パチーノが出るだけで画面が締まり、さすがの存在感でした。
でもって、どうでもいい話ですがパチーノにはスマホじゃなくて二つ折り電話が似合うよねと…
最後、娼婦のもとにノックスの本が届くシーンでディケンズの「二都物語」が映りますがこれも改心した男の自己犠牲がテーマのお話。
今作のように不器用だけど誠実な男、の役柄がマイケル・キートンにはハマるのですが、今作では製作と監督もしていたようでセルフプロデュース力にも長けているのねと驚きました。
緻密で無駄のないシナリオは、セリフの一つ一つに重みがあって唸ってしまう
2025.12.10 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ映画(115分、G)
認知機能が低下してきた殺し屋のある計画を描いたクライムミステリー
監督はマイケル・キートン
脚本はグレゴリー・ポイリアー
原題は『Knox goes away』で「ノックスは去っていく」という意味
物語の舞台は、アメリカのロサンゼルス
殺し屋として暗躍してきた元軍人のジョン・ノックス(マイケル・キートン)は、相棒のマンシー(レイ・マッキノン)とともにある仕事の準備に入っていた
だが、ジョンには気掛かりなことがあり、仕事が控えているのにも関わらず、サンフランシスコの医師バーンズ(ポール・ペッリ)のもとで検査を行なっていた
その結果は、クロイツフェルト・ヤコブ病に罹患しているというもので、これは急速に全身の付随運動が進行する認知症の変性疾患であり、普通に動けるのは数週間と言われてしまう
その後、マンシーとともに任務を遂行することになったのだが、ジョンは誤ってマンシーを撃ち殺してしまう
彼はこれ以上続けることは無理だと感じ、自身の財産を整理し、別居中の妻ルビー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)や息子のマイルズ(ジェームス・マースデン)たちに遺産を分割する計画を立てた
そして、親友の資金洗浄のプロ・ファイロ(デニス・ドーガン)に任せることになった
だが、そんな彼のところにマイルズがやってきて、事態は一変してしまう
それは、マイルズが娘ケイリー(モーガン・バスティン)を妊娠させたアンドリュー(チャールズ・ビセット)を殺害してしまったというもので、彼は殺し屋である父を頼ってきたのである
映画は、マンシー殺害とマイルズの殺人事件が交錯する中で、ジョンのある計画が進行していく様子が描かれていく
マンシーの件は「同じ銃で3人が殺されていた」ことが決定的な状況証拠となっていて、マンシーと相棒であると認識されているジョンは任意の聴取を受けることになった
2つの事件を担当するのはロス市警の刑事エミリー(スージー・ナカムラ)で、相棒のレイル(ジョン・フーゲナッカー)とともに念入りな捜査を始めていく
アンドリューとケイシーの関係に行き着いたエミリーたちは、マイルズを任意の聴取をしながらも、家宅捜索を進めていく
そして、彼の家から被害者の血のついた服や凶器などが見つかってしまい、マイルズは逮捕されてしまった
彼は父親を頼っても逃げ切れなかったのだが、この一連の逮捕劇には裏があったのである
物語は、兵役期間中に哲学書を愛読していたことから「アリストテレス」というあだ名をつけられていたことが描かれ、それがコールガールのアニー(ヨアンナ・クリーク)との関係で使われる名前となっていた
彼女は4年間もの間、毎週木曜日に彼の自宅を訪れていて、映画は「木曜日が起点となって数週間を描いていく」という流れになっていた
そこから、徐々に薄れていく認知機能とその変化の中で、ジョンは親友のゼイヴィア(アル・パチーノ)を頼りながら計画を実行していった
そして、わざとマイルズを逮捕させ、そこから証拠の分析に至る中で、彼がハメられていたという流れへと向かっていく
さらに、それを仕組んだのがジョンであるとわかるように仕向けていくのだが、この最終段階に至るための前置きというものもきちんと描かれていた
映画では、警察はかなり有能として描かれていて、エミリーの洞察力から、ロス市警の分析力の高さなどが浮き彫りになっていく
さらにマイルズの前で一芝居を打ったことが決定機となるのだが、これに関してはエミリーは嘘だとわかっていながらも突き崩すことはできないと悟っていた
それは、ジョンがすでに病状の進行によって事情聴取ができないレベルになっていて、マイルズの嘘を突き崩すことができないことがわかっているからであろう
本作では、証拠というものがうまく機能していて、最たるものが「防犯カメラの時間をわざと変えずに改竄を思わせる仕掛けを行ったこと」だと言える
これによって、実際の犯行時刻の曖昧さが生まれていて、さらにこのカラクリは「マイルズを一度逮捕させてから不起訴へと持っていく流れ」と付随している
いわゆる不起訴案件による再逮捕のハードルの難しさというものを利用していたと言えるのだろう
カリフォルニア州では「証拠不十分からの起訴取り下げ後でも、新証拠や供述によって再起訴がなされる」のだが、あの状況では「新証拠(メモは焼却されている)」は見つからないし、「供述(ジョンの認知症進行)」も確かなものは得られないだろう
エミリーはそれらを全て理解しているのだが、これは彼女の母親が同じように認知症になっていたことに由来する
劇中にて、母親の件で施設に入るための手続きがうまくいっていない旨が示され、バーンズ医師と聞いてジョンの病状を理解し、ラストでは母親に寄り添うシーンで結ばれていた
これらを踏まえた上で、ゼイヴィアの放つ「お前なら俺の訓練の意味を理解できると思った」というセリフとリンクしているので、ある意味において、エミリーが有能すぎるゆえに計画がうまく行ったとも言える
本作では、言葉の端々にいろんなヒントが現れていて、無駄なものが一つもない
エミリーの有能さとレイルとの関係性などもさらっと入れ込んでいたので、そう言った本線に関係なさそうなところまで意味が宿っているのはすごいと思った
いずれにせよ、邦題はいつものアレだが、そこまでおかしくないので許せるような気がする
とは言え、原題の方が奥深い意味があって哲学的でもあるので、もう少し考えが及んでも良かったと言えるだろう
直訳すると「ノックスは去っていく」という意味になるが、これは認知症によって彼の意識が消えていくことも示唆していると思う
そう言った意味において、隅々まで隙のない映画だなあ、と思った
今年のベストワン、ムービーになりました
マイケルキートンは当たり前ですが、好きな俳優さんがいっぱい出てきて
それだけでうれしい。
ひさしぶりですね、映画館で涙が出てしまいました
乾燥気味の季節に目玉潤って感謝です
ひかえめな音楽も雰囲気ぴったり、トランペットがうるさくなく主人公によりそってます
キートンさんは監督もやってたんですね
本人は引退せずにまだまだ活躍してほしい♪
もうすぐ遠くへ行く
こないだ鑑賞してきました🎬
ノックスにはマイケル・キートン🙂
序盤である病気に罹患していることが明かされます。
それから息子マイルズが訪ねてきたことで、色々起きますが、薄れゆく記憶の中である計画を実行に移す。
キートンには静かな貫禄があり、この役に深みを与えてますね🤔
マイルズにはジェームズ・マースデン🙂
ある一件により、疎遠だった父の元へ。
なんか冷静そうに見えて実はそうではない男が合ってますね。
2面性を感じさせる出で立ちというか、マースデンの表情は何か怪しさがありました😳
ノックスの友人ゼイヴィアにはアル・パチーノ🙂
さすがに年は取りましたが、やり手の男を連想させるには充分。
彼が発する言葉には、独特の重みがあります🫡
1人の男が記憶が失われていく病気と戦いながら、大胆な計画を実行していくストーリー。
多少強引ながらも見入ってしまうのは、リアルな哀愁さが漂うからか。
キートンの内なる戦いの表現は悪くなく、マイルズの気持ちも分かる気も😔
※野暮ですが実際にあの病気になったら、ノックスの計画を完遂するのは不可能でしょう
派手さ控えめ、渋さ多めのノワールものとしては、かなり良くできていました👍
ただ、上映館が少ない…😰
幕の閉じ方
マイケル・キートンはこんな映画を撮りたかったのかと少し驚いたが、根本は家族がテーマのヒューマンドラマ。
殺し屋だが父であり夫であり、家族が抱えている問題をちゃんと解決し、それぞれにお金を残し人生を終えようとする。
ラストはどんでん返し的な効果を狙ったの?かも知れないが、あの時点で息子を裏切ることは考えにくく、きっと家族を守るため何らかの仕掛けをしているのだろうと予測はついた。
極論、クロイツフェルト・ヤコブ病型認知症でも不治の病でも何でもいいのかも知れないと思ったが、最後の面会シーンでもしかしたらちゃんと覚えてるのかなと思わせる感じがちょっとオシャレ。
また木曜日の女性への対応もオシャレで素敵だった。
自らを優秀とのたまう日系の女刑事はできる感を見せていたものの余裕で騙され少し惨め。
すでに怪物化してる老齢のアル・パチーノが普通に運転しててちょっと怖かった。
息子はサイクロップスの人だと思うけど、マッチョ過ぎてミスキャストだと思った。
シュレディンガーの犯人。
非情な病魔と戦いながら、息子を救うために息子が殺人犯であるようなトリックを仕掛ける。そのトリックが警察に見破られるのを計算してたんだな。いやあ見事です。
アル・パチーノの脇役も味が出てました。
なかなかの良作見つけた
マイケル・キートン演じる異色の経歴を持つ殺し屋・ノックスがクロイツフェルト・ヤコブ病に侵され、徐々に記憶を無くしていくまでの物語を描く本作。
初めは地味な画面とゆっくりとした進行で作品のチョイスを誤ったかと思いましたが、物語が進むにつれその印象は誤りだったと気づきました。始まりは主人公であり殺し屋のノックスが医者から病を告げられるところ、ここから一週間毎にストーリーが展開していきます。
大まかなストーリーは解説の通りとして、息子から殺人の隠蔽工作を頼まれ、ラスト近くにそれは失敗したのかと思わせつつ見事などんでん返し。これにはうーん、やられたーと唸るしかなく…。
ラスト7週目、医療施設に入れられたノックスに会いに行く息子、自分のことが分からない風なノックスの様子に涙を流しますが、この時のノックスは本当に全てを忘れ去ってしまったのかと思わせる表情と仕草に、家族愛のカタチを考えさせられずにはいられないのです。
年末になかなかの良作を観させていただきました。
vase
あらすじを読んでみた感じ「メメント」に近しい記憶リセットものかなーと思いましたが、どんどん記憶が薄れていく過程を描くというところはかなり違いがあり、そういうところの点でもいろいろ比較ができました。
試写会にて鑑賞。
展開がノロッとしているのでかなーり地味な絵面が続き、そんでもって体感中々長いのがネックでしたが、用意周到な殺し屋の淡々とした感じは余すことなく描写されており、トリック要素もこねくり回さずちゃんと見せてくれたところはかなり印象良いです。
邦題の通り、プロットを立てて物事を進めていくので、派手な殺し合いとかは無いので、従来の殺し屋ものとはかなりギャップのある作りですし、マイケル・キートンはじめ役者パワーが強すぎるのもあって、ストーリーが若干置いてけぼりにされているかなとは思ってしまいました。
息子のためを思っての行動いう点でようやく点と点が繋がってしっかりストーリーになったなとは思いました。
少し静かすぎて好みではなかったですが、もう一度観たらいろいろと変わるのかな〜なんて思いながら試写室を後にしました。
鑑賞日 12/2
鑑賞時間 19:00〜20:55
ネオ・ノアールの指向である思考を覆す!?
本作とよく似た設定で、ある殺し屋が認知症を患い記憶があいまいになる2022年の映画『Memory』というのがあったけど... あたしからするとその映画は認知症を題材に挙げている割には映画製作者は、認知症というその病に関して漠然とだけで、加齢による物忘れと認知症の違いをあまり把握されてはいなかったと記憶する。あたしは、別の映画サイトでこのように映画の印象を載せていた。
「それよりももっと認知症を前面に押し 出して主人公の混乱ぶりを表し、危機に陥る様子を描くのかと思えば中途半端な一品と言えるかもしれません。」とまぁ~ぁ、いつものように、きつい事を... 失礼
ところで... 婉曲的思考により
"It is a far, far better thing that I do, than I have ever done;
it is a far, far better rest that I go to than I have ever known." (※忘却からの帰還として...カートンのラストの言葉より自分の身を犠牲にしてでも、より崇高な目的を果たすことへの価値観)だから婉曲的に考えればの... お話? そして婉曲的セリフの極みなのが、ノックスのセリフにも現れてもいる。
Knox: As far as you're concerned, I'm Schrödinger's
murderer.
映画を観なければ... いやたとえ観たとしても... 理解の範疇を超えるものとして引用が見受けられる。 ... それは...
量子力学の不気味さを考えさせる思考実験 "Schrödinger's cat" による彼のおかれている状態への比喩的表現となっている。
『Memory』という映画が、"認知症と健忘症" との違いを曖昧にしたことで映画の質があたしから言わせると体たらくと言えるものとなったけれども... 本作に関しては、主人公のジョンの立場、つまり "殺したのか? それとも殺していないのか?" の自覚の曖昧さがこの映画の本質であり、しかもその病質の微妙な変化においても自分の息子を助けるという人としての "最後の砦" を守りぬくところに映画の価値観が見出せるものとなっている。
クレーン役のアル・パチーノのセリフ
He wants to make a change to the list. Take off
the last name, the hooker.(※注意してください。この文章には女性を差別する言葉が含まれています。でもアルパチーノによるもんなので...)
このセリフが後の伏線となり、ネオ・ノアールの退廃的、虚無的、シニカルな雰囲気を和らげる... 映画の邦題『殺し屋のプロット』より "plot twist" でもあってヤコブ病を患っているにもかかわらず、人間性を失わない粋な終わり方をしている。
あたしの持論が初めて違ったというか... 「製作総指揮者が増えれば増えるほど映画の質が落ちる」... でもね、キートンの人柄が我も我もと出資したのに違いないとあたしは思っているって、言い訳として...失礼しました。
最後に不思議に思ったのが何故? アル・パチーノが映画出演を承諾したのかについて
キートンからの依頼なのかもしれないけど巨額の予算によるスリルよりも、登場人物たちによるシーンや物語全体の変化や動き、演技の抑揚などが、観客の関心を引きつけ、感情的な影響を与えるための様々な技術に重点を置いたことで、大規模なスタジオ制作とは異なるクリエイティブな体験が得られるからだと考えられる。(※高次的映画解説参照)
しいてこの映画に難があるとするなら...
日系女性が演じたコケイジョンのしかも男性社会の荒波の中でアジア系の有能な捜査官の女性リーダーが、狂牛病末期の患者にまんまとしてやられるところが... うまくプロットが出来ていても... 天邪鬼なあたいには... どうしても "?" が付いてしまう... 失礼しました。根がわがままなもんで⁉
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