「あまりにも渋すぎではないか?」殺し屋のプロット ケージさんの映画レビュー(感想・評価)
あまりにも渋すぎではないか?
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知的でクールな殺し屋の生き様と去りゆく美学をマイケル・キートンが監督・主演で描く。
邦題「殺し屋のプロット」で原題は「KNOX GOES AWAY」。
病の進行で引退を決意する殺し屋、その仕事で大きなミスをして、いよいよというタイミングで現れる疎遠だった息子、彼のやらかしの後始末を最後の仕事として自らの幕引きを進めるノワール物。
渋く良く出来た話に思えるが、実際のところは上手い話ではなく、淡々とした殺し屋という職業のお仕事話に徹している。
彼にとって病は喪失に対する恐怖ではなく、完璧な仕事が出来ないプライドが許さない恐怖に感じる。
息子に対する手助けや、周囲への資産の分配などは、贖罪と見れば良いのかも知れないが実際のところは完璧主義ゆえの職業的な行動に思えて仕方がない。
ノックスという男はヤコブ病で記憶が失われる以前に、殺し屋という職業病により感情の豊かな部分は失われているように思えてならない。
自身のミスで殺してしまった同僚に対する感情の薄さ、資産の3分割に当初から息子は割り振られていたのだろうか、妻に対する想いは信じてあげたいが分配が娼婦と同じ割合であるし、写真を大事に持ってるといっても、自分の病を調べる本のしおりにしているのも気になってしまう。
なにせ息子の後始末にあれだけのプロットを考える男だ、相手がどう捉えて、どう考えるかも計算ずくかも知れない。
病により記憶が消えゆく中、浮き出てきたのが幼かった頃の息子の記憶だったことが、救いであり悲しみでもあるが、最後の彼の表情に解放や安らぎを感じてしまったことが正解であるかは分からない。
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