無明の橋のレビュー・感想・評価
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女子高生のセリフがちょっと怖くてとても印象に残った
江戸時代から山岳信仰の地であった立山。しかし、立山は女人禁制であったために女たちに擬死体験の儀式として行われるようになった布橋灌頂会。
東京の博物館職員の八木由紀子(渡辺真起子)は立山曼荼羅図の特別展示から布橋灌頂会を知り、立山を訪れることを決める。
自然な導入。
博物館の深紅のフロアーは目に悪いのかも。
毎朝仏壇に朝食を供えて出かける日々。
立山ではひとりの観光タクシー運転手(吉岡睦雄)、儀式のサポートボランティアの女子高生(陣野小和)、参加者のひとりの若い女性(木竜麻生)と知り合う。
立山信仰には地獄と極楽浄土の2つが存在する。
布橋は賽ノ河原の上に108の煩悩の数の板からなる朱塗の橋。閻魔堂の建つ現世側から白装束に白い布の目隠しをし、白い布を被せた橋を渡りきり、あの世に行くことで生まれ変わり、現世の自分を浄化、リセットすることを目的とする儀式らしい。
渡辺真起子は商業映画から自主映画まで色々な映画でたくさんの役をこなしてきているが、最近観た作品では彼女自身が荒々しい戦いの神のようだったり、慈悲深い菩薩のようだったり、生き仏のような神々しさがある俳優さんだと思う。そういう俳優さんはなかなかいない。
彼女ははたして橋を渡りきったのか?と思わせるカットがある。
タクシー運転手は雷鳥の真似をして乗客を楽しませようとするが、彼自身は神の使いである雷鳥を見たことはないという。何か気になったら何回でもまた来ればいいと由紀子声をかける。地元の女子高生沙梨は由紀子に鳥はなぜ一羽、二羽と数える?魚はなぜ一尾、二尾と数えるか知ってるかと聞く。参加者の訳あり風の夏葉(木竜麻生)は、お店では違う幾つもの名前を持っていて、それらを捨てるために参加したという。彼女の泊まった宿は HOTEL YOSHIWARA だった。ソープ嬢なのだと想像を逞しくしてしまった😎 木竜麻生には似合わないんだけど。
由紀子は最初は橋を渡りきることをためらったと思う。渡りきったとしても、それでよかったのか?儀式を完遂せずに現世に留まり、娘を賽ノ河原に残し、自分だけ極楽浄土に行ってよいものかと思ったんじゃないか。そんな彼女をフォローアップする女子高生。何度でも来ればいいというタクシー運転手。人気食堂は江戸時代の巡礼の宿場をモチーフにしたものだろう。
題名は無明の橋。
人間は愚かな存在だ。
しかし、逡巡しながらも進まねばならぬ。
この映画を観て一年を締めくくれてほんとによかった。
ちなみに、わたしは若い頃に日本アルプスで雷鳥を何度も見ている。夏山に母親鳥が何匹かの子供を引き連れているところを見ることが多かった。雷鳥は長い間神の使いとして扱われて来たために人間を恐れないと言われるが、そうではなく、元々堂々としていて、達観している動物にみえた。それが神の使いとされるゆえんではないか。近年は温暖化のために森林限界を越えてキツネが上がって来るため、絶滅が危惧されている。ヒトによる保護繁殖活動が盛んになっている。私の妻は動物園で雷鳥の保護ボランティアをしているが、自然の中での雷鳥を見たことはない。それでも頑張っているのは、なんとも憐れに思うのだが、信仰の精神とはそういうものなのかもしれない。
過去はガラスケースに入れてもいい
冒頭ではほとんどセリフがなく、その静けさの中で聞こえる音や言葉は、受け取る側によってまったく違って感じられることを実感させられた。
同時に、光と闇の描写が印象的に迫ってくる。
まるで、”今は”光が届かない心が強調されるかのように。
「空っぽ」という言葉は、白い可能性のある空白なのか、黒く塗りつぶされた絶望の虚無なのか。
辛くても大切な過去は、捨てずにガラスケースに入れてもいい。
支配されない場所に自分で置き直せばいい。
未来の描き方は自由。空き地に何を描いてもいい。
無理にでも描こうとすれば自ずと光が入ってくる。
そう教えられた気がする。
私には光が届いた。
noteでは YouKhy 名義で、もう少し長い感想を書きました。
孤独
名を遺す
それ以前と、以後、全ての印象が違って見える「立山信仰の世界」
今回もトレーラーも観ずにどんな映画か判らないまま、様々な役をこなし大変に信頼の厚いバイプレイヤー・渡辺真起子さんが主演を張るということで劇場鑑賞を決定。会員サービスデイにシネスイッチ銀座にて鑑賞です。
愛する娘を亡くし、そのことを引きずり続けて日々をただ漫然と過ごしている由起子(渡辺真起子)。殆ど人と絡むことのない仕事を選び、休暇も一人娘の墓参りに通うばかり。ただ最近、夜に暗い部屋で過ごしていると自分をほんのり照らす赤い光がまるで“何かの暗示”のようでやけに気になります。ところが、念のため眼科にかかるも医者は「特に異常ありませんね」との診断。そして間もなく、それまでほとんど無関心だった自身の職場で展示解説されている「立山信仰の世界」が気になりだし、更に不意に知ることとなる女性のための儀式「布橋灌頂会」に強く引き付けられ、二泊三日の予定で富山県立山を訪れます。
正直、本作を観ていて前半は「これは(レビューを書くのに)大変な作品を選んでしまった…」と嘆息しそうになるのを抑えながらの鑑賞。気になることは少なからずあるものの、“出来事”と言えることは殆どないばかりか会話さえも必要最低限な由起子。そして、前半最大の見せ場なのだろうと思った儀式の様子だって、傍から見ると大変に地味な感じがしてあくまで「すがりたい」人のためのものなのだろうとやや冷めた目で観ていました。ところがその直後、「ある登場人物の出現」をきっかけにどこか“現実感”が希薄になって不思議な感触。そして、その登場人物を媒介として由起子に繋がりや会話が生まれ、由起子の口から想いが吐露され始めて心が解放されていくのがはっきり判るくらい「それ以前と、以後」で由起子の「見ているものと、見えているもの」、或いは「意識と、無意識」が見えてきて、ようやく彼女の本心に触れることが出来たように感じます。そして、その目で見直せばまた「布橋灌頂会」の様子も違って見えてくるから実に不思議。
いわゆる「ご当地モノ」でありつつ、アートムービー的なアプローチで描く本作、由起子を赤く染める光や、立山一泊目の鏡前の食事シーンにおける超常的演出、暗い中でカメラに反射する光線を敢えて生かす撮影や、録音部さん泣かせな由起子の聞こえないくらいの小声の会話など、挙げれば枚挙にいとまがないほどこだわりぬかれた作品だったと、観終わってみれば前半に感じた印象をはっきり覆されました。当然に「立山信仰」が背景にあるからこその摩訶不思議さなのだと思いますが、それにしてもこれ初見では相当に難しいっス。完全に降参。いずれまた観返せば、新たな気づきが幾つもあるだろうこと間違いないと思います。
兎も角、今作も流石の渡辺真起さんはただただ素晴らしいと言える熱演。それだけでも観て良かったと感じますが、本作が長編映画デビュー作となる新星・陣野小和さんは今後が大変に楽しみな存在。勿論チェックインさせていただきました。
見知らぬ街への旅
大切な人を亡くした悲しみを癒すのは、喪失感を埋めるのにはどうしたらいいのだろう。
決して埋められなんかしない、祈りも時間の経過も意味をなさない、ずっと誰もいない知らない街を歩いているようなもの、苦しいわけではないけれど意味があるとも思えない世界が生きる限りいつまでも続く、そんなことを想いながら観ていた。
余分なものを取り除いたシンプルな序盤が由紀子の心の内を思い起こさせる。さすがに中盤以降は情報が増えるが、今度はどこまでが現実なのかわからなくなってくる。
どこまでが此岸でどこが彼岸なのか。沙梨も夏葉も、“布橋灌頂会”の後の出来事はもしかしたらすべて幻だったのかもしれない。
答えを見つけられるわけではないが、自ら見知らぬ街への旅に出るのもいいのかもしれない。
生まれ変わりの儀式
15年前に3歳の娘を亡くした女性が「布橋灌頂会」に参加する話。
食事を作って仏壇に手を合わせ仕事に出かけて…無機質な日常を過ごす一人暮らしの女性をみせて始まって行くけれど…職場で行っていた立山曼荼羅を題材にした催事で、布橋灌頂会を知って巻き起こって行く。
会話や台詞等のドラマらしいものをみせるパートはあまりなく、何かをしている姿をみせるばかりの余白たっぷりなシーンがめちゃくちゃ多い。
そんな状況から布橋灌頂会となり、どんな儀式か知らなかったけれど、タイトルの無明の橋ってそういう意味だったんですね…それにしても余白が…。
帰り道で少しずつ会話が増えていき、そこはなかなか良かったのだけれど、タクシーの後はどうゆうこと?
余白が多いしテンポが悪いし半分ぐらいの尺で作ってくれたらもう少し良かったかな。
極限までムダを省いた表現で、想像力を掻き立てられる。また見たくなる作品。
富山・立山で3年に一度行われている女性救済のための仏教儀式「布橋灌頂会(ぬのはしかんじょうえ)」をモチーフに、かつて幼くして愛娘を亡くしたある女性の心模様を静かに、丁寧に描いた作品。
我が娘へのやり場のない思いと、時を経ても決して癒えることのない自責に苛まれながらも、そこから目を背けることなく自らの生と向き合おうとする主人公・八木由起子(渡辺真起子)。その日常と、儀式という異空間に没入していくさまが、あたかもその場に居合わせたかのように表現され、現実とも夢ともつかない世界に引き込まれていく。
渡辺の抑制の効いた演技と、無用な説明や演出を極限まで排除した構成によって、細部の解釈を押し付けることをせず観る者の想像に委ねているのが面白い。また、儀式に居合わせた吉田夏葉を演じる木竜麻生のいつもながら屈託のない明るさが、重くなりがちな雰囲気のなかで救いとなっている。
不思議な映画体験
「無明の橋」の先に悲しみからの癒しを見た
「果てしなきスカーレット」は、地獄巡りをして山頂に辿りつくと極楽に行けるという立山信仰を描いている。富山出身だからすぐわかった。誰も賛同してくれなくて寂しいけど。
偶然、同時期に立山信仰の女性版(立山登山は、女人禁制だった)、布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)をテーマにした映画があることを知り、公開日のトークショー付き上映会に行ってきた。
布橋灌頂会は、江戸時代(1603-1867年)に女性の極楽往生を願った儀式であり、男性にのみに許された立山禅定登拝に代わるものとして誕生したそうだ。今も三年に一度、参加者を募って行われている。
布橋灌頂会は立山信仰を簡易にしたシステムで、地獄めぐりの代わりに、布橋という真っ赤な橋を、白衣の和装に目隠しをされて橋の向こう側にあるあの世に行く形をとる。
東京で博物館に勤務している一人暮らしの中年女性が、自分の勤める博物館の展示で布橋灌頂会のことを知り参加する。
なぜ、主人公女性はこの儀式に参加しようと思ったか、縁があって知り合うことになる、地元の女子高生との会話でポツポツと明かされていく。主人公女性の表情が東京にいた時に比べて柔和になっていき、立山にきたことが癒しになったことがわかる。女子高生が女性にたずねる。
「なぜ、布橋灌頂会に参加しようと思ったのですか?」
「会いたい人に会えるかな?と思って」
誰のことか徐々にわかってくる。もしかしたら、「会いたい人」は、目の前にいるその人なのかもしれないと思う。だから、別れのシーンの切なさに思わず涙が出た。
果たして、この女性は布橋を渡ることができたのか?
渡った先に何を見たのだろうか?
そんなことを考えるうちに、おそらく監督がトークショーで言ってた、自分の想像以上の映画が撮れたと話してた、この映画の山場が訪れる。目隠しで布橋を渡ることを観客に体験させる。これは、映画館じゃないとできない体験だった。
監督は自分に子どもができて、能登地震でお子さんが亡くなってるのを知り、親御さんはどんな気持ちか考えたことが、この映画を作るきっかけになったと話していた。布橋灌頂会は江戸時代には、吉原の芸者にも人気だったらしい。監督は、布橋灌頂会の歴史から学び、現代の参加者にも取材して、この映画を作った。その姿勢がしっかりシナリオにいきていた。
富山出身だから、東京のシーンで標準語で話す室井滋さんが登場すると、あれ?いま富山だっけ?とか混乱したけど、富山以外の方には気にならないだろう。
エンディングロールに、佐伯姓、志鷹姓が多い。実は我が家も江戸時代には佐伯姓で、あるきっかけで今の名前に変わったと聞いたことがある。実は立山の開山伝説に関わる話だ。
主人公が泊まるホテル、グリーンビュー立山は、実家の定宿だった。劇中ではタクシー移動していたが、実は立山駅すぐそばで、室堂に向かうケーブルカーにも近い好立地。立山に行きたくなったら宿泊先におすすめします。
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