Ryuichi Sakamoto: Diariesのレビュー・感想・評価
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補完する意義と、物足りなさと、死を意識することについて
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿したので、ここでは補足的な事柄をいくつか書いてみたい。
評では「死去する半年前の2022年9月にNHKのスタジオで演奏した20曲を収めたコンサート映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」とは、互いに補完しあう内容とも言える。」と書いた。実際、「Opus」から「The Sheltering Sky」の演奏シーンが丸ごと引用され、その舞台裏も映像で紹介するなど、「Opus」のメイキング映像のようなシークエンスも含まれる。
なので、もともと坂本龍一の楽曲をよく知るファンと、「Opus」や他の坂本龍一の演奏シーンを多く含むドキュメンタリーをすでに観ている人なら、一人の人間として生と死に向き合う彼の姿を感慨深く鑑賞できるはず。だが一方で、乏しい予備知識でいきなりこの「Diaries」を観ると物足りなさを感じたとしても無理はない。まあ、本作鑑賞をきっかけに坂本の音楽に興味を持ち、過去の楽曲群を聴いてみたり、彼がテーマ曲や劇伴で参加した映画を観たりする流れもあり得るだろう。
坂本の闘病する日々を目にしながら、余命を宣告され迫りつつある死を意識しつつ残りの時間を生きられたことは、ある意味幸運だったようにも思う。死に向けた準備をほとんどできないまま、最期を迎える人だって大勢いるのだ。自分がもしそうなら、薄れる意識のなかであれをやっておけば、これをやっておけばと後悔することがたくさんありそう。いや、そうしないためにも、本作のような作品を機に、すべてについて一期一会の心構えで生きればいいのかもしれないが。
坂本龍一ほど映像化するのに相応しい人物はいなかった?
2024年にNHKで放送されたドキュメンタリーに何ヶ所か加筆して、坂本龍一が亡くなる間際までの3年半に密着した映画は、まず、被写体とカメラの距離感が近いことに驚く。カメラが追う、なとどいう生やさしいものではなく、時には痛々しいほどまで肉薄して、音楽に生きた1人の天才の最期を映し出す。これは遺族の協力なくして実現しなかった作品だ。
晩年の彼が、音楽というより自然界が奏でる音そのものに触発されたのは、環境問題に人一倍の興味と危機感を抱いていたアーティストの必然だと感じる。
同時に、彼が息を引き取る直前まで美しい佇まいをキープし続けたことと、とことん端正だった彼の音楽とは無関係ではなかったとも思う。すべては1つのストーリーとして完結しているのだ。少なくとも、本作を見る限りにおいては。
そう考えると、坂本龍一ほど映像化するのに相応しい人物はいなかったのではないかと思う。今、音楽界はもちろん、映像の世界も深い喪失感の中にいるはずだ。
がんを通して人生と向き合うこと
音楽は救いにならないのか
坂本龍一さんががん告知を受けてから亡くなるまで、約2年間のご本人の日記、自撮りなどを元に編集した映像。
がん告知前に、ニューヨークの自宅の庭にグランドピアノを設置する。ピアノが自然に戻る様が見たいと言う。
基本的に日記の短文を田中泯さんが朗読しつつ、ご本人の映像がインサートされる他は、観客に委ねる構成。唯一、亡くなるまであと1年みたいなテロップがはいるのみ。
結果的に日本で晩年を過ごされるが、震災支援の社会活動のオーケストラ指導以外は、孤独感がつきまとう。
孤独の中で音楽に向き合い続けるが、音楽が救いにならないことが描かれる。未完の曲は、病床で癒しになった雨音のような現代音楽だった。ノイズのようでもあり映画音楽のようでもあった。
フォーカスされない日記の端に「怪物」の文字。サラッとカメラが本棚を移動した時に、武満徹さんの全集が映る。
ニューヨークの庭でポツンと朽ちていくピアノが、どうしても坂本さん自身に見えてしまう。
美しい音楽家が生き続ける姿
坂本龍一
死すべき運命にある私たちを慰めるものは何だろう?
あと何回🌕️を見れるか
前回見た教授のピアノソロのスタジオコンサートが月明かりに照らされてるみたいだなと思ってたら、ホントに月が出てきて驚いた フルムーン好きだったのかな?コロナ禍や震災の爪痕が大きくてしんみりする記録、諸行無常を感じた 意外だったのは高橋幸宏氏も同じ位に亡くなっていること 病床までコンダクターのような、ピアノ🎹弾いてるのは最後までこの人は音楽家魂なのだと思った 教授日本の誇り映画音楽ありがとう、そしてどうか安らかに
田中泯の声と、月・雨・風・雲と…
NHK「Nスペ」枠で放送された59分間の番組『Last Days 坂本龍一 最期の日々』に新たな映像と音楽を加え、96分のドキュメンタリーとして再編集された本作。元がテレビ番組だったとは知らずに鑑賞したが、「要領よくきれいにまとまっている」というのが第一印象。使用楽曲も「Merry Christmas Mr. Lawrence」をはじめ耳馴染みのもの中心に選曲され、万人に伝わりやすいテレビ的なタッチで作られている。
このドキュメンタリーは、坂本氏が残された日々の中で音楽家/芸術家として成した業績よりも、一個の人間としてどう生きたかをみせることの方に比重を置いている。晩年の氏のさまざまな創作活動、芸術交流、メッセージ発信は取捨選択され、同氏が遺した「日記」からの抜粋朗読とともに手際よく紹介される。
その「日記」を朗読する田中泯の声が実にいい。過剰な表情や感傷を廃して淡々と読み進める。ここで序盤に読まれる「何を見てもこれが最後」「死刑宣告」「俺の人生、終わった」などの赤裸々なことばに、まず胸を衝かれる。
死の無常にあがきながらやがて諦観の境地に至るまで、この「日記」のことばは紡がれていく。その折々にコメント映像が挿し込まれるが、それらは本人や親交があった人々だけにとどまらない。担当医師、高橋幸宏氏の妻、そして当人の子どもたちの肉声にまで及び、故人の心境をつまびらかにしていく。
ことばだけではない。本作には未公開メイキング映像やプライベート動画も盛り込まれ、ときに衰えゆく自らの身体までも「晒して」みせるのだ。亡くなる間際、意識不明に陥ってなお手振りで指揮するようなしぐさを見せる様子など、軽く衝撃を受ける。
ただし、こうしたショットはいずれもおしなべて美しく目に映る。酷な言い方に聞こえるかもしれないが、そこでは人間存在への厳しい凝視、目の前に起こっていることをしかと見届ける視線が巧みにぎりぎり回避されているようにも思える。
また、ここまで切り込むなら、おそらく当人に最も近しい位置で終始寄り添ってこられたであろうパートナーの方のコメントも併せて伺いたかった、という気がしないでもない。無論プライバシーのこともあるから、軽率にそんな口を挟むのは慎むべきなのだろうが。
ところで映画序盤に、同氏が「ピアノを自然に還す実験」と称してニューヨークの自宅の庭にピアノを放置し、月日とともに朽ちてゆくさまを観察する、というくだりがある。次第にそれは風化して、いつしか風景の一部に溶け込み、地に根づいたような佇まいをみせる。見る者はそれらのショットに自ずと同氏の人生を重ねるのだが、それとは別に、このピアノの朽ち方は、本作中で同氏が折にふれ言及していた「月/雨/風/雲」との結びつきも強く意識させる。
「雲の動きは音のない音楽」「雨音を何時間もずっと聴いて救われた」などのことば。また、雨風に揺れる枝葉や夜空に浮かぶ満月の映像。本作で見聞きするそれらは、つなぎショットや一場の点景、あるいは同氏の心象風景といった意味合い以上に、氏の名曲の数々にも匹敵することだったと思えてくる。自然を慈しむ中で至った無為自然の境地。そう思うと、なんだかすっと心が晴れて、自分も「救われた気分」になった。
余談だが、たしか本作の始めと終わりに、さざ波に揺れる水面の月らしき映像が挿入されていたかと思う。ここでアッバス・キアロスタミ監督の傑作『5 five ~小津安二郎に捧げる~』の記憶が鮮やかに甦った。NHKからの委嘱で制作された同作の中で、キアロスタミ監督は、池の水面に映る月が風によって姿を変える様子を、野鳥や蛙の鳴き声とともにワンシーンワンカットで延々と撮っている。コレがものすごく心に沁みたことを今また噛みしめている。
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