「結局…」ぼくらの居場所 くーさんの映画レビュー(感想・評価)
結局…
愛されてる子と、愛されてない子の現実の落差がすごかった。
結局人生ってどんな親のもとに生まれたかで決まる。
属性や天与のもの等も、短期的には他人にどう扱われるかを左右するが、長く付き合っていく上では、どんな人間なのかー愛されて育った故の安定性、芯のある朗らかな優しさーが大切だ。
よく、「毒親」という言葉にアレルギーを示し「親だって人間だもの」「完璧じゃないのは当然」と言い訳ばかりの親がいるが、そういう人の子は、間違いなく幼少期に満たされるべき愛が足りなくて生きづらさに苦しんでいるだろう。
だって、その子の親は、子のことより自分のことで頭がいっぱいなのだ。
親として1番大切な子を満たしてあげること、ができない、親としての適性に欠ける者。
ローラは親に恵まれなかった。
父親は母親ほど酷くはなく、どうすればいいかわからなかったり経済的ゆとりがないゆえに、彼自身は好きな場所ではなくてもセンターに通っていた。
とはいえ、感情のコントロールができず、ローラを傷付けていた。彼がそんな風なのは、彼自身が同じように育ったのだろうと推察された。
ビリーは3人の中では恵まれている。
母親に愛され、互いに細やかに声をかけ、あたため合っている。
体型など、いじめられやすい要因はあっても、どんな目に遭ったか伝えることができる。ローラはそれができなかった。
一人遊びで歌うときだけ。
そんな彼女がHからHAPPYを真っ先に紡ぎ、
HUGを言葉として認識できたときの様子!
彼女がもっとヒナ先生と時を重ねて言葉を獲得し、身体的にも自分を守れる年まで成長できていたら…
シルヴィーは、利発で優しい子だ。言うべきことをきちんと言い、ビリーをいじめる男の子や意地悪なクララに立ち向かえる。
言うべきことをきちんと伝える母親の性質を受け継いでいるのだろう。
彼女の母は強くて賢い。弟の異常に不安を感じ、きちんと早くから診療所に行ったのに、経済的な理由から助けを得られず、保健所の白人母に見下され否定され苦しむ。
シルヴィーに弟のことを特別な言葉を持つ子なのだと伝えるところ、そんな風に表現する発想が自分になくて、愛ある親は子の特性をあるがまま愛するのだなと思った。
報われなくて疲れても、見捨てない。
一瞬を見逃さず、成長を喜び、育む。
この映画の幸せな部分は、多分にヒナ先生から派生する。
彼女のスタンスが子どもたちと親に好影響を及ぼす面は大きい。
上司に毅然と立ち向かった彼女が、時に制度や現実と理想の狭間で苦しみながらも、自分の大義を大切に、できることを手放さずに取り組んでいく姿は、希望を感じた。
けれど、福祉は、一部の志ある人の負担で成り立つものであってはいけないはずだ。
ヒナ先生が経験を積んだあとに、ローラと父のような親子にどう接して、どんな方向に進むのか見たかった。
スカボローの貧しい人たちは、あたたかいコミュニティを築いていた。
最初の方、シルヴィーが母と弟と帰宅するところ、冷蔵庫壊れたからと食料をわけてくれる女性、犬を連れたホームレス、絵を描く男性、近所のよくシルヴィーを預かってくれる高齢者、みんな気安く声を掛け合い、冷たさがない。
日本ではどうだろう、みんな疲れ切って、自分のことしか考える余裕がなくなっているのでは…
真面目に働いてこうなのだから、政治の責任と思う。
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