ハード・トゥルース 母の日に願うことのレビュー・感想・評価
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巨匠マイク・リーにしか紡ぎえない有機的な人間模様
この主人公は強烈だ。目覚めと共に怒りを爆発させ、買い物中でも、美容室にいる時でさえ周囲への攻撃が止まらない。まるで何かが視覚に入る前からすでに攻撃の準備が整っているかのよう。もしもあなたにとってこれが初めてのリー作品なら大きな衝撃を抱くはず。でも逆に巨匠リーをよく知る人は、一向にやまない口撃に笑みすら浮かべ、「この女性の心理では何が起こっているのか」と探究モードが起動していくことだろう。リー作品には脚本がない。キャストは皆、監督との数カ月に及ぶ共同作業でシチュエーションを与えられ、それに対する即興演技を練り上げ、徐々に作品としての一つの流れが形作られていく。だからこそ彼の映画は、有機的な感情の交錯こそが全ての要となるのだ。『秘密と嘘』以来となるマリアンヌの突き抜け方は相変わらず素晴らしい。何一つ”答え”が提示されないのもリー作品でおなじみ。暗転と同時に、突き放された余韻がズーンと沁み渡る。
謎多き(?)女の人
とにかくなぜあんなに不機嫌で周りに当たり散らすのか、ひたすら謎でした。確かに見ていて不快ですが、ここまで不機嫌になるには、現状というより、過去の出来事に起因しているのではないかな、と。作品中、どうもそれを匂わす体験を過去にしていたらしいことをポロっと漏らすシーンがありましたが、特段そこを掘り下げるわけでもなく、また日常のシーンに戻ってしまい、真相を知るには至りませんでした。しかし、そんなわずかなシーンの中でも何とか不機嫌な原因が垣間見えたのはまだ救いだったかな。
それにしても、彼女もたいがいでしたが、駐車場のおじさんと言い、スーパーでレジ待ちしていた女性と言い、かなり口汚く罵って不機嫌な主人公に絡んでいくのも相当なもんでしたね。私だったらいちいち絡みません、怖くて。普通ならこんな女の人に関わっちゃいけない、と知らん顔します。日本人ならだいたいそうじゃないかな。
変なところで外国の人と日本人の差を認識できたような気がしました、
本心は誰にも分からない
1.はじめに:マイク・リー監督との相性
①1943年英マンチェスターに生れのマイク・リー監督は、私より2歳上なので、親近感がある。
②処女作の『ブリーク・モーメンツ(1971)』(日本未公開)以降、55年間で合計15本の監督作品があり、内10本が日本で公開されている。ほぼ4年に1本の寡作作家である。(出典:Wikipedia)
③全体の相性は「上~中」。マイベストは、『ピータールー マンチェスターの悲劇(2018)』の100点。
④6年振りの新作となる本作は、残念ながらマイワースト。
2.マイレビュー
❶相性:中。
➋時代:現代、2023年頃。2018年に亡くなった主人公の母の5回忌の年。(仏式なら2022年。)
❸舞台:ロンドン。
❹主な登場人物:
①パンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト):
主人公。ロンドンに住む黒人の中年女性、専業主婦。夫と息子の3人住まい。潔癖症で、家の中は綺麗に磨き上げる。鳥や虫や動物のみならず奇麗な花でさえ直接触れられない。朝から小言ばかりで家族ともぎくしゃくしている。常に何かに苛立ち、スーパーの店員、客、歯医者等、行く先々で衝突を繰り返している。理由は何も示されない。
②カートリー(デヴィッド・ウェバー):
パンジーの夫。黒人の配管工。
③モーゼス(トゥウェイン・バレット):
パンジーとカートリーの22歳の息子。ニートで、オンラインゲームをしながらダラダラ過ごしている。
④シャンテル(ミシェル・オースティン):
パンジーの妹。シングルマザーで、自身が経営する美容院で働きながら2人の娘と暮らしている。パンジーとは対照的に明るく社交的で、家庭内では笑いが絶えない。
❺考察
①邦題から人間ドラマの感動作かと予想したが大違い。中味は原題「Hard Truths/厳しい真実、つらい現実」通り、マイナスキャラの主人公と家族関係の複雑さをリアルにそしてシニカルに描いたものだった。
②黒人で中年の主人公パンジーは潔癖症で、家の中は綺麗に磨き上げる。鳥や虫や動物のみならず奇麗な花でさえ直接触れられない。常に何かに苛立ち、夫や息子には朝から小言ばかり。外でも、スーパーの店員、客、歯医者等、行く先々で衝突を繰り返している。自分自身も含め、全ての生き物が嫌いのように見える。観客は、パンジーのような人とは関わりたくないと強く思う。パンジーの不機嫌の理由は明らかにされない。おそらく、色んな要素が積み重なった結果なのだろう。今のパンジーはそういう性格なのだ。
③マイク・リーは、そんなパンジーを否定もしなければ肯定もしない。ただドキュメンタリータッチで淡々と描くだけである。
④パンジーの対極にあるのが妹のシャンテルだ。シングルマザーのシャンテルは、自身が経営する美容院で働きながら年頃の2人の娘と暮らしている。シャンテルは、明るく社交的で気配りもあり、周囲は笑いが絶えない。
★周りを不快にするパンジーと、逆に、楽しくするシャンテルを対比させることにより、バランスが取れていることが示される。
⑤シャンテルはパンジーに、母の日(注1)に母親の墓参りに行こうとパンジーを誘う。渋っていたパンジーだが根負けしてシャンテルと墓参りに出かける。
★墓石に刻まれた日付から母が2018年に亡くなっていることが分かる。Pearlivy Montgomery 1947-2018
★登場したロンドンの墓地が荒れているのに驚いた。日本の墓地はどこも奇麗に手入れされているのと正反対である。
⑥墓の前で、パンジーはシャンテルに、「母の死体は自分が見つけなければよかった、母はシャンテルばかりを可愛がっていた、自分は家族に嫌われている」と言う。シャンテルは、「そんなことはない。私は、あなたを理解出来ないが、それでも愛している」と答える。
⑦その後、シャンテルの家で、シャンテル、2人の娘、パンジー、夫カートリー、息子モーゼスの6人が食事をする。その席で、モーゼスが母の日のプレゼントとして花を用意したことを知ったパンジーは、涙を流す。
⑧本作のラストは、腰を痛めたカートリーを仲間が家に連れ帰り、2階にいるパンジー呼びにいくが、パンジーは何かを考えていて動かないシーンで終わる。
⑨パンジーとカートリーの関係が変わることはなさそうに思えるが、モーゼスは変わる可能性がある。そこにはわずかながら希望が見える。
❻まとめ
①パンジーが不機嫌な理由は最後まで明かされないので欲求不満が残る。
②描かれた内容は、理解出来るが、共感は出来ない。
③要は、「世の中には色んなタイプの人がいるが、本心は誰にも分からない」ということか?
(注1)母の日(Mother's Day)(出典:Wikipedia)
①定義は「日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日」で、世界共通だが、日付は国によって異なる。
②日本はアメリカに倣って「5月の第2日曜日」。2025年は5月11日。
③本作のイギリスとアイルランドでは「イースター(復活祭。春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日)の3週間前の日曜日)」。2025年は3月30日。
不機嫌な現在
見ていて不快に
主人公のパンジーの誰かれ無しに当たり散らす様が見ていて本当に不快になってくる。自分が怒鳴られて当たられてるような気持ちになり沈む。
自分自身の体調不良や過去の傷があっても、あそこまで周りに当たり散らすのが、パンジーの家族や妹さん家族が気の毒で見ていられない。
病院でも買い物でも赤の他人にも当たり散らす。
すごく甘えがあるんやな。刺されたり殴られたりしないような相手を選んで当たってる。
ご主人はどんな地雷を踏んであんな仕打ちをされ続けるの?
優しく明るい妹さんに対しては嫉妬しかないからイラつくの?
パンジーはとても清潔好きで部屋も片付いてるけど、いくら部屋が整っていても家庭での団欒は得られない。
ご近所にあんなタイプのおばあちゃんがいるけど、もちろん当たり散らしクレーマーの彼女は一人暮らし。
パンジーは結婚して子供もいる。いつからそうなったの?幸せな時はなかったの?
「今日はしんどいから自分達でご飯何とかして」って言ったら自分らのホカ弁だけ買ってくるなんてこと、どこの家庭でもある。「あたしの分は?」と思っても心の中でしか言わないよ、頼まなかったんだから。察してプリンでも買ってこいなんて無理無理。
パンジーは諦めがないから当たり散らすのかな?そんなに不満だらけの家族なら離婚したら?って思った。
不機嫌ハラスメント 10段階中の10認定
暴言がきついためにお話しの流れも頭の中に入ってこない
被害妄想自己中専業主婦?
配管工の夫と22歳ニートの息子とロンドンで暮らし、常にイライラしてどこに対しても吠えまくる黒人主婦の話。
結構大きなキレイな一軒家で暮らし、息子のやることなすことにモンクを言ったかと思いきや、帰ってきた夫にも…食事中も愚痴とモンクが止まらず頼むから黙ってくってくれという始まり方をみせていく。
と思ったら、職場やアパートで客や仲間や娘たちと愉しそうにバカ話をして盛り上がる妹界隈。
そんな妹とのやり取りも絡めつつ、兎に角口悪く何でもかんでも罵りまくり、人を卑下しまくるヤバいパンジーをひたすらみせて行くけれど、これって夫とはうまくいっていた時期も恐らくはあるんだろうし、もともとではなくてかなり拗らせた更年期障害か不安障害的な精神疾患てことですかね?
てか、病院でそういうとこ紹介されないのかね?
そしてあらすじ紹介に記されていた通り、思いを吐露はしていたけど、それってあなたの感想ですよね。しかもだとしてもだから何?
からのモーゼスの心に触れて………。
と思ったら、なんだそりゃ?フォーリング・ダウン的な方向に向かうのでもなく、コメディにもなっていませんが?
カートリーもやり切れなさと思しき感情の片鱗を1度だけ見せたけれど…そしてそこで終わりですか?主人公は夫と息子?
中途半端な不快さが続くだけで、何も面白さが伝わって来なかったし、映画として何が言いたいのか全然わからなかった。
どうでも良いけど「いらち」は関西以外では通じないことが多い言葉なので気をつけましょう。
孤独という存在
人物づくりの即興性に注目
ロンドンやNYでは去年の秋に上映されていた作品。今回日本の宣伝では触れていないようですが、この映画の最大の注目ポイントは、その人物像。
この映画に写し取られているのは、撮影スタジオやロケ現場に俳優と監督が行って、そこで長い議論と即興的な演技、カメラテストを繰りかえしながら「その場で」作りあげられた登場人物たちと言葉・表現。それを精密な脚本に起こしてカメラを回すので、「即興的な演技」「アドリブ撮影」ではないんですね。あくまでクラシカルな映画作りです。しかし、そこに映っているものは俳優たちの個性と人生が色濃く反映したその場かぎりの姿、という面白さ。
だからこの映画は、なんということのない話であって、主人公は終始ぶつぶつ文句を言っているだけなのに、画面は『ドライブ・マイ・カー』のようにスリリングです。半ばドキュメンタリーでもあり、半ばフィクションでもある。その緊張の糸を切らないように、音楽はきわめて抑制的にしか使われていません。
これを単にハリウッドのよくある感動家族ドラマと考えると、その正体をとらえそこなってしまいます。俳優と俳優の関わり方の迫真性に、ぜひ注目してください!
不安が全ての元凶だよな。。
孤独は何よりも人を傷つけるのかもしれない。
パンジーは心配事で頭が一杯。
でも不安をぶつける場所がない。
行き場を失った鬱憤がいつの間にか口撃となって他人を傷つけて、自分も同時に返り討ちにもあってしんどい日々。
多分、どの人も何かしら大変な日々を送っているけど、そのしんどさを分かち合えるから元気に生きていけるんだなと思った。
パンジーの鬱憤は、本人にもコントロールできず、全方向に無差別に発射されてしまい、他人を傷つけてしまう事で自分も傷つけてしまう。本人もとてもしんどいと思う。
でもあの口撃は正直一緒にいるのが辛い。
他人なら距離を距離を置けるけど、家族は逃げ場がなくてみているだけで辛かった。
あの家族のその後が気になるわ。
しかし、監督80代、人生集大成の時期に撮られた作品だと思うとなかなか感慨深かった。
怒り
病気のおばちゃんの話
くらった。ただキツい。
イギリスの黒人おばちゃん姉妹の話。
姉のおばちゃんが健康上の悩みを抱えてる。そのためか無口な旦那、引きこもりの息子に当たり散らす。優しい妹にも当たり散らす。診断で訪れた、内科、歯科でも医者に毒づき追い出される。いやなババアをずっと見せられる地獄が続く。
終盤、ようやく意味がわかってくる。
おばちゃん、行く病院間違ってる。
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