「一夜の事件が描く、ヨーロッパ分断社会の不安と孤独」ナイトコール nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
一夜の事件が描く、ヨーロッパ分断社会の不安と孤独
ベルギーの映画賞マグリット賞で史上最高の10部門でノミネートされたという2025年新作のアクション・スリラーだ。同賞では映画賞、長編映画賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞しているから、監督の手腕が高く評価されたということだろう。
監督ミッシェル・ブランハートはまだ32歳の若いベルギー人。本作が長編デビューだという。
90分という短めの尺で、テンポよく、ドキドキしながら楽しく観れる。エンターテイメントとして観て損はない、誰がみても楽しめる佳作だと思う。公開館数は少ないけれど、近くでやってるなら自信を持って面白いよ、とお勧めできる。
ただ、よくできたおもろい映画というだけでは、このベルギーでの高評価は説明できないと思う。エンターテイメントでありつつ、現在のベルギーやこの映画の共同制作国フランス(本作はフランス語映画)の社会情勢を物語の背景に巧みに入れ込んだことが評価されているのではないだろうか。
日本人の僕がみると「うん、面白かった!」で終わってしまいかねないのだけれど、ベルギーやフランス、あるいは欧州の観客なら、もっと切実で、強烈な切迫感を感じる映画なのだと思う。つまりアクション・スリラーの形式を借りた社会的リアリズム映画でもあるとして観るといいと思うのだ。
なので、ベルギーという国の状況を映画と絡めて整理してみたい。
この映画は、ベルギーの首都ブリュッセルが舞台。主人公は夜、鍵屋として働く黒人青年(おそらくコンゴ系移民3世)のマディだ。彼が夜、電話で自宅に入れないという女性から鍵を開ける仕事を頼まれたことから、犯罪絡みの陰謀に巻き込まれる。その一晩、夜から朝までのワンナイトの物語だ。
ポイントはその夜、舞台のブリュッセルが大混乱の最中であること。ブラックライブズマター(BLM)のデモで警察側との衝突が起こったのだ。BLMは2013年にアメリカで黒人青年が警察に不当な暴力を受けたとから始まった運動だが、それと同様の出来事があって抗議デモが過激化している夜の出来事だ。
ブリュッセルには随分前2度ほど行ったことがある。ベルギーを目指した訳ではなく、格安航空券のトランジットで短時間そこで過ごしたのだ。ブリュッセルというのは多国籍都市なのだという。EUの本部があることでも有名だけれど、アフリカ、中東、アジアからの移民が多い欧州有数の国際都市なのだそうだ。
ただ街中にいると、それはあまり感じなかった。それはおそらく外国移民やその2世3世の多くが安い労働力でもあり、首都の中心部ではあまり目立たないからかもしれない。
5年ほど前、大規模交通ストライキの最中にパリ郊外の安いホテルに数日間、宿泊したことがある。その時、僕と一緒に夕方、苦労してパリから郊外に帰宅する、あるいは朝パリに通勤する人たちの相当数が、移民、もしくは移民の2世3世と思われる人であることに驚いた。つまり、大都会パリの労働は、生活費の安い郊外に住む移民系の人によって支えられている。
ベルギーやフランスは、帝国主義時代が終わった後の1950年代、60年台に旧植民地から安い労働力として大量の移民を受け入れている。ベルギーの場合はコンゴを植民地にしていたからコンゴ系の2世3世が多くいる。彼らは肌の色でそれとわかりやすい。現在はベルギー国民として同様の権利を保障されているのだけれど、社会の分断構造が根強く、低所得労働者が多いということだ。それが、警察はじめ国家権力や社会構造への不審となり、ベルギーでもBLMが広がるにつながっているようだ。
主人公の青年マディは、ベルギーの一般国民として、昼は学生で、夜は鍵屋として働いている。低所得で二重労働に近い状況であることが暗示されている。ただ、BLMに参加していた訳ではないし、この夜までは強い被差別意識を持っていた訳ではなさそうだ。
マディがこの夜、不運にも事件に巻き込まれて、警察に通報しようとした時に、BLMデモのニュース速報映像を観てしまった。そこでは、警察の鎮圧部隊が自分と同じ移民系住民を激しい暴力で鎮圧していた。
そこで彼は思ってしまったのだ。
「警察が僕を本当に守ってくれるのだろうか?」
「真面目なベルギー国民だけれど、黒人の僕は疑われるのでは?」
映画では描かれないが、マディは成人するまでに、差別されたと感じる経験が何度もあって、ニュースを観て、それが蘇ったのかもしれない。
国家権力を信じられないというのは、どれだけ不安で、自分の存在基盤が揺らぐことかーー。ここに対してどれだけ想像力を働かせられるかどうかで、この映画の切実さは全く変わってしまうのだと思う。
犯罪組織メンバーの背景はあまり明確に描かれないが、ネオナチ的な白人至上主義的な背景のある人物もみて取れる。ここはあんまり深読みすべきではないのかもしれないけれど、中間層の没落によって経済的に苦しむ若者が犯罪組織にいつの間にか巻き込まれた。単なる悪とは言い切れない切実な犯罪であることも見て取れるように感じた。
だからこそ、自分を巻き込んだ相手にも、マディは何か共感か思いやりのようなものを感じているのではないだろうか。「そこは戦わないと」なんてい気持ちでマディの行動にハラハラさせられる場面がいくつかある。その、同じ苦しんで生きているもの同士の共感みたいなものも、日本人の僕にちゃんと想像できているのだろうか、と考えさせられた。
だから、その共感こそが、分断を超える希望でもあるように感じさせるし、ただ同時に、それがワンナイトの幻想でもあることを描いているのかもしれない。
ジャンル映画としてハラハラドキドキ楽しめる映画であると同時に、背景にある欧州の社会情勢への興味も掻き立てられる見事なエンターテイメント作品だ。
欧州の今をちょっと調べてからみてみると、もう一歩深く楽しみ、考えさせられる映画になると思う。

