「タイトルなし(ネタバレ)」レッド・パージ 今に続く 負の遺産 ひろしさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし(ネタバレ)
「レッド・パージ」と言えば、その意味くらいは分かっていると軽く構えて観にいきましたが、これは戦後史を見直す上で欠くべからざる重要事件だとしっかり認識することができました。多くの日本人は、「戦前は暗かったが戦後は民主化されてよかった」とまさに誤解していて、自覚的な人々も「良くなったがその後はだんだん右傾化している」というような否定面の部分的理解に止まっています。が、実際は戦後の直後からずっと悪かったのであって、それに吉田茂からの日本政府がかなり深く関わっているということです。この映画の強調点は2つあって、①「民主主義」が当初は「軍国主義」の対立概念として提起されたのが、この過程で「共産主義」の対立概念となったということ、②共産党の公職追放・企業解雇などは占領軍の指示ではなく裁判所と日本政府の決定として行われたということです。②については「えっ」と思われるかも知れませんが、GHQは「支持」をしなくとも「示唆」だけで日本政府はそうするだろうと判断していたということで、しかし、これを「GHQの指示」とすることによって日本政府・裁判所の責任を免れてきているということです。「反共」という共通の目的をもったアメリカと日本政府がうまく役割分担をしながらやっていたということで、私は今やっている原爆・大空襲の「戦争犯罪」問題でも同じことを感じざるを得ません。我々がアメリカの加害を追及すると「日本は加害者であることを忘れるな」と言う人間たちが出てきて、それが我々のアメリカ断罪を邪魔するとか、やむなく「原爆の被害者補償」が前面に立つとやはり「アメリカの戦争犯罪」が飛んでしまって「戦争を開始した日本政府の責任」となってしまうとかという話です。この「戦後の見直し」は占領期のこうした史実の発掘作業とも関わることを知りました。
なお、これははずかしながらのことですが、1953年に中国から帰って来た私の父が一旦関西電力に雇われることになりながらその雇用契約を一方的に破棄されたということ(私の生まれる前の事件)もこの「電産労組攻撃」に付随した事件だったということを認識しました。「レッド・パージと関わっている」と一般的には知ってましたが、ようするにこういうことだったのですね。この結果、私の父は仕方なくラジオ店を開業して生きることとなりました。自分の歴史としてレッド・パージを語ることができることを知った次第です。