さよならはスローボールでのレビュー・感想・評価
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草野球をするおじさんたちを眺めるだけの映画なのに
この作品は、長年地元で愛されてきた野球場が中学校建設のために取り壊されることになり、そこでおじさんたちが最後の草野球をする――ただそれだけの映画。
特にドラマチックな展開も、感動的なエピソードも、手に汗握る試合シーンもない。
始終グダグダな試合運びで、決して野球がうまいとは言えず、突き出たお腹、もたついた足、空を切るバット……カッコいいシーンなんてひとつもない。
正直、途中から「私はいったい何を見せられているんだろう」と思ってしまった。
けれど、不思議なことに時間が経つほどに、胸の奥にじんわりと哀愁が広がっていく。
言葉には出さないけれど、「最後の試合が終わってほしくない」という彼らの気持ちが伝わってきて、当たり前のようにそばにあった大切な時間や関係が終わっていく寂しさが、自分の記憶とも重なって蘇ってくるのだ。
そんな彼らを見て、日常の何でもない時間の積み重ねこそが、実はかけがえのない特別なものなのだと気づかされた。
鑑賞後は、少しだけ胸にほろ苦い余韻を残しながら、自分の“今ある日常”を静かに噛みしめたくなる一作だった。
この空気感は、体験してみないと分からない
脱力系、オフビート、大人たちの放課後。本作を形容する言葉は数多くあるが、結局のところ実際にその目で体験しないとオムネス・フィルムズ一味の目指すテイストはわからない。おそらく彼らはストーリーの束縛から遠く逃れ、その瞬間に立ち現れる構造や空気感によって何か特別なものを表現しようとしている。いかに思いきって身体を預け、草野球の持つ時間軸、中年大人たちの心によぎる「今日が最後」という切なさに触れられるか。それが本作を楽しめるか否かを分けるポイントだろう。かくいう私は、放たれる心地よい映像世界が不思議な角度で自身のキャッチャーミットにズバンと収まった。一見、何もない。しかし何かがある。噛めば噛むほど味が出る。観客に委ねられているといえばそれまでだが、我々もまた仲間として球場内に立って時間と空間を共有し、この二度とは戻らない「最後」を味わっているかのよう。世界も人生も、さよならの積み重ねでできている。
さよならゲーム
さよならはベビーブーマーへの挽歌
原題は"EEPHUS"。MLB用語で山なりの超スローボールのこと。
結論から言って、私の感想としては「かなりクセは強いが、悪くはない」。
ただし、この映画は少々秘孔を突かれないと刺さらないので、恐らく大いに評価が分かれる映画だろう。
アメリカの田舎町の爺さんたちが、廃止予定の球場でドタバタと最後の草野球をするコメディだと思って映画館に行けば、間違いなく当てが外れる。
平板なストーリー展開にはうんざりして途中退席する人も居るだろう。
さりとて特別アーティスティックな香りの仕上がりでもなく、何かのファンタジーでもない。
なので、低い評価が多くなるのは無理もない。
むしろコアなミニシアターでかかりそうな、カルト的な作品とも言えるが、それでもハコ側としてはけっこう勇気の要る買い付けだろう。繁華街のミニシアターで2〜3週間で打ち切られて、しばらくしてからちょっと郊外に流れて来るようなイメージだ。それでも客席はまばらだろう。
良くもまぁ、ヒューマントラストシネマで初公開したものだと、妙な感心をしている。
この作品は、普遍的な感情を強く揺さぶらない。そういう設計もされていない。
文化や文脈を共有しないオーディエンスを端から無視しているとさえ思う。
もちろん、長年地元の草野球チームに愛されてきた場がなくなることによって、ガキの頃からここで育った中高年たちの「居場所がなくなる悲哀」を丹念に描いている、という意味では共感は(少しは)呼べるかもしれない。
ただ、それではあまりにも陳腐な、今までにさまざまな作品で語り尽くされてきた物語だ。その割には語り口に新味はない。
あるのは、ただひたすらに極私的なノスタルジーであって、その描き方が常軌を逸しているレベルでベタなのだ。
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ほとんど劇伴がない中で、ラジカセから聴こえてくるのは地元商店の宣伝と街のニュースばかり。
それだけでここが半径5km程度のスモール・タウンの世界なのだ、ということが良く分かる。
むしろ、このだらだらと鳴るラジオが作品の最初から最後まで、特定の鑑賞者にだけ刺さるように意図的に使われている。
それは試合が終わって誰も居なくなるダグアウトでも鳴り続けている(あれは誰の持ち物で、誰が持って帰るのだろう?とふと思った)。
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両チームは野次で罵りあっているけれど、全員、お互いの人柄や家族のことを骨の髄まで知っているだろう。
そこには分断すらない。
乗り付ける車に日本車など1台もない。V8の野太い咆哮を発するアメ車のセダンやピックアップ・トラックばかりだ。
それで1970年代の終わり頃か?とも思ったが、温存される隣のサッカー場で若者がプレーしているのが何度か映るので、サッカー人気の興隆と「おやじの野球」の凋落ぶりが対比されている。ということは1990年代末以降かもしれない。
その年代でこの雰囲気ということは、本当にかなりの田舎だと思う。
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季節は、ハロウィン・セールのCMが聞こえるが、別れ際に「良い感謝祭を」と言い合うような、北米では日が暮れればあれほど吐く息が白くなる晩秋だ・・・。
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こんな、極めて特殊でハイコンテクストな設定を煮詰めた作品であることを覚悟しないと、何が何だかわからない。
そういう意味では変態A24の『TVの中に入りたい』に通じるセンスがある。
ただし『TVの中に入りたい』は、現実にあったであろう一種独特なファンタジーチャンネルの番組に囚われ続けるティーンエイジャーたちとそのセクシュアル・マイノリティを重ね合わせていたので、極私的な世界線がわかりやすい。
しかしこの『スローボール』は、一見日本人にも馴染みが深い草野球がモチーフなので、実はそこに描かれた時代性やアメリカ東海岸の中~下層社会のいわば符牒のような表現が却ってわかりにくい。
われわれが感じる脱力系の笑いと、まさに当事者たちであるあちらの人びとが受け取る笑いのほろ苦さは、自ずとまったく違うはずなのである。
恐らくそれは、「アメリカ社会の最後のベビーブーマーへの挽歌」であると思う。
別のYouTubeで、昨年開催された第62回ニューヨーク・フィルム・フェスティバルでカーソン・ランド監督と”エド”役(赤チームの監督兼投手で途中で姪の洗礼式のために居なくなる人)をやったキース・ウィリアム・リチャーズを招いたトークイベント動画が見られる。ここでリチャーズは、映画でのキャラと設定はまさに自分たちのことだという前提で話している一方、自分の年令を61歳と言っているので、つまり1963年生まれだ。
アメリカの「ベビーブーマー」は一般的に生年が1946年から1964年までの幅広い世代と言われている。だからまさに彼らは「アメリカの戦後」を代表し、その世代の最後の幕引きをする役割を持っているに違いない。
また、監督のランドは、東海岸北部のニューハンプシャー州で生まれ育ったと言っている。このことも舞台となったソルジャー・フィールド球場の周囲の森や紅葉、夕方以降の冷え込みを想像させるし、両チームのメンバーの顔ぶれにも頷ける。
多くは白人だが、白人の中にも東欧系のルーツを持つ者やイタリア系らしき人、白人以外ではアフリカ系もわずかながら居る。この顔ぶれはいかにも東海岸だ。
こうした記号がいくつも散りばめられているが、ひょっとするとアメリカ国内だって極端な話、西海岸で生まれ育った人にはまったくピンとこない映画なのかもしれない。
だからこれがカンヌの監督週間部門に選出された、というのが不思議で仕方ない。コンペティション部門でもある視点部門でもないので、勝手に想像すると「かなり変わった監督」をピックアップしたとも考えられる。
最後に。
やや『フィールド・オブ・ドリームス』っぽいキャラクターが一人いた。
突然森の奥から現れた、プレイヤーたちよりちょっと年上の世代の自信満々の男性で、選手不足を嘆く青チームのワンポイント・リリーフで三者アウトを取り、いつの間にか居なくなっている。また森に消えたのか。
スコアブックを付けるのが趣味の観客、老フラニーは「ああ。確かに見たことがあるやつだった」と呟く。
それは、ひょっとするとかつてこの球場でプレーし、ベトナムから帰ってこなかった男かもしれない。
あるいは、この球場の「野球の精」かもしれない。
あるいは、歴代この球場でプレーしてきた人たちの念の化身かもしれない。
しかしそのキャラクターも特に印象付けるような演出ではなく、「あれれ、今の人、何?」と拍子抜けしてしまうような、場合によればいとも簡単に忘れてしまうような位置づけで、さらりと描かれている。
この不思議なキャラの登場のさせ方と見せ方は、『スローボール』という作品のテイストの本質を物語っているような気がする。
そして、原題がなぜ「超スローボール」なのか。
徐々に退場していく世代が、その後のGenXやZ世代にがつんと速い球を投げ込むのではなく、人を食った超スローボールで「打てるものなら打ってみろw」と表現したかったのか。
それとも、もう速球なんか投げられないぜ、勘弁してくれよ、あばよ小僧ども、という寓意か。
超スローボールのイメージと、「最後の記念すべき試合」なのにぐだぐだと終わってしまうことと、冬にはまた集まろうな、という呼びかけに生返事で「ああ」と答えるがたぶんもう絶対に集まらないだろうことと、スコアブックと折りたたみ椅子を脇に抱えて車ではなく徒歩で闇に消えていく老フラニーの後ろ姿が、全部重なってえも言われぬ余韻を残す。
そんな、ちょっと心苦しい映画だった。
さて、これからどうしようか……
草野球をするおじさんたちを淡々と描いただけの映画なの。
試合してる野球場が閉鎖されることが決まってて、最後の試合なんだよ。それを描いてんの。
ただ淡々と描いてるからね。どう観ようが観る方の自由なんだけど。
なんか置いていかれる人たちとか、かえりみられることのない人たちとか、そういう人たちの話として観たな。この人たちはトランプに投票するだろうなとか思ったの。
野球場閉鎖して中学校ができるんだよね。いまは遠くにしか中学校ないんだって。
この設定がうまいんだよ。
誰でも普通に考えて、草野球しかやってない野球場残すより、中学校つくる方がいいんだよ。文句言えない。草野球やってるおじさんたち自身も文句言えないことは知ってんの。
でもそこが、かけがえなく大事な人たちだっているんだよ。超少数だろうけど。
その人たちのことは誰か考えてくれんのかっていう。
まあ、考えないんだよ。考えてもらえないことはおじさんたちも知ってる。
どうも一方のチームの監督だかキャプテンだかの人が、中学校建てようって言っちゃったみたいなんだね。だからみんな「裏切り者が」みたいなこと言っちゃうんだけど、そう言うのは理不尽だって知ってんだけど言わずにいられないの。
この監督だかキャプテンだけが、バリッとしてんの。野球場なくなっても、仕事でバリッとやんだろうなって感じなの。居場所があるんだよ。
あとは米国の野球文化みないなのいいなと思った。
野球選手の名言をひいてくるんだけど、それがカッコいいの。
日本だと「永遠に不滅です」ぐらいから、名言がなくなっちゃてる気がするのね。知らないだけかも知れないけど。ちょっと文化の点で、米国にはかなわない。
娘さんが Take Me Out To The Ball Game 歌うけど、いいね。歌詞を始めて真剣に観た。
これ、なんとなく観てたけど、七回だから歌ったんだね。そういうところもいい。
それで原題が《EEPHUS》なんだけど、山なりのボールをこう言うんだね。
水島新司が超遅球を武器にするピッチャーの話を描いてたことあったけど、こんな感じなのか。
このEEPHUSの感じが、作品の感じに合ってて良かったな。
最初と最後に引用されるのがルー・ゲーリッグのLuckiest Man Speechなんだね。
スコアブックをつけてるお爺さんが真似するんだけど、最後に「さて、これからどうしようか……」みたいなこと言うよね。
野球がある間はLuckiest Manなんだけど、それが終わってしまうと途方に暮れるしかない。
そういうことを観ていて思ったな。
休日にこうしてスケジュールを調整して、少なくとも球場に集まって来られる程度には健康体をキープしている時点でまず偉いのである
地元で長く愛されてきた野球場<ソルジャーズ・フィールド>は、中学校建設のためもうすぐ取り壊される。毎週末のように過ごしてきたこの球場に別れを告げるべく集まった草野球チームの面々。言葉にできない様々な思いを抱えながら、男たちは“最後の試合”を始める…(公式サイトより)。
公式サイトのイントロダクション文以上でも以下でもない、特に何も起こらない映画。だが、中年になってもなお、特にチームスポーツを楽しんでいる人なら共感ポイント目白押しの作品だ。
スポーツは最終的にはどっちが強いか決める。それはメジャーリーグでもおじさん野球でも同じである。だが、おじさん野球の場合は、休日にこうしてスケジュールを調整して、少なくとも球場に集まって来られる程度には健康体をキープしている時点でまず偉いのである。次に、ビール腹だろうが、腰が痛かろうが、いま持っている技術と身体能力で、勝利に貢献しているかどうかはいったん置いておいて、とりあえずその場は一生懸命やっているのも偉い。何よりも、粗野で低俗な言葉を吐きながらも、20人近いメンバーと人間関係を良好に維持できているところも偉いのである。
試合の合間に交わされる、浅そうで深そうでやっぱりそんなに深くない科白のひとつひとつも絶妙だし、選手の散漫な集中力を示すような、野球とほとんど関係のないカットも秀逸。ピザ屋のおやじはこの仕事は好きじゃないし、ガキは隠れて煙草を吸おうとするし、球場つぶしてできる学校なんて要らないと強がる。突然、ドラマチックなBGMが流れたり、そこまで必要とは思えないスローの映像演出も妙で可笑しい。もやは勝利を決するために野球をやっているのか、野球をやっていること自体が目的なのか、よく分からなくなる展開も素敵である。後半、やや愚鈍な展開になるのは、たぶん、選手たちの「ダラダラ」を観客に追体験させるためであろう。
退屈
観客が退屈するように作っているとしか思えない。人生も結局は時間の浪費で、退屈でもいいじゃないかとあきらめることができる。超スローボールの場面は見ていて恥ずかしくなるくらい馬鹿らしいが、最後まで見るとその場面がすごく心に残る。
おじさんの草野球に癒される
予告に偽りなし。閉鎖する野球場を舞台に草野球のおじさんたちがただ最後の野球を楽しむ映画。
本物の大リーガーがふらっとゲスト出演してるのが見せ場っちゃあ見せ場なのだが、引退してだいぶ経つ本物故に目を見張るプレイでもなく、全然活躍しない。おかしな出方してたから後で調べてわかった。
野球を扱った映画なのに、野球のシーンは音だけで、外野のおじさん達のおしゃべりや、暇つぶしの観客がメイン。
おじさん達の会話から、仕事や家族なども垣間見えるが、途中で黙って帰るおじさんがいるくらいで、何も起こらないので伏線ですらない。
なのに、スクリーンから目を離せなくなる。おじさん達が自然体で野球を楽しむ姿がドキュメンタリーをみてるみたいで、嫌味がないからだと思う。
だらしないおじさん達が子どもみたいにがんばる姿に、同世代なら友だち、若い世代なら父親など、出演者の誰かに何となく似てる人が見つかるかもしれない。
SQUEEZE
おじさん達が草野球するだけの映画?と気になって観ましたが、本当におじさん達が草野球する映画でとても新鮮で楽しめました。
球場の取り壊しが決まり、それによりこの球場での最後の試合をやろうとする2チームがひたすら試合をするってだけの内容で、どこかから隕石が降ってきたり、他のチームが参戦して三つ巴になったりとかはせず、しっかり1対1の様相を崩さない姿勢はナイスリアルでした。
特別なプレーも存在せず、ちょっと捻った投球はあったりしつつも、投げて打って捕って走ってをしっかり表裏やっていくだけなのも本当に草野球で、そこにおじさん達の日常の愚痴も混じってダラダラしている感じ、それでもこの空間が好きなんだなぁと感じれるシーンが所々あってそこも好みでした。
どんどん日が暮れて暗くなっていってからは、メンバーのやる気も盛り下がっていき、試合がめっちゃグダグダしていくのが面白かったです。
試合としての見栄えなんてあったもんじゃないですが、なんとか決着だけはつけようと躍起になっているおじさん達を応援するに限ります。
ヌルッと終わってヌルヌル退散していく様子込みで本当に普通の草野球だなぁといったところまでまったりしていて良かったです。
映画としての見応えはと聞かれるとかなり微妙なラインですが、たまにはこういうユルっとした作品があってもいいんじゃない?と思いました。
そこでしか出会えない人たちとの縁も大切ですね。
鑑賞日 10/20
鑑賞時間 19:15〜21:05
グダグダな試合の中で感じるもどかしさも、去り行くものには永遠の至福となっていく
2025.10.23 字幕 MOVIX京都
2024年のアメリカ&フランス合作の映画(98分、G)
1980年代のマサチューセッツ州ダグラスを舞台にした「取り壊される球場」で試合を行うロートルを描いたコメディ映画
監督はカーソン・ランド
脚本はネイト・フィッシャー&カーソン・ランド
原題は『Eephus』で「止まって見えるほどのスローボール」と言う意味
物語の舞台は、1980年代のとある日曜日(10月16日)
マサチューセッツ州ダグラスにある「ソルジャーズ・フィールド」は、老朽化と再開発事業のために取り壊しが決まっていた
その日、最後の試合をするために、アドラーズ・ペイントとリバー・ドッグスの二つのチームが集まり、試合を行うことになった
アドラーズ・ペイントは、エド・モータニアン(ケイス・ウィリアム・リチャード)を中心としたチームで、対するリバー・ドックスはグラハム・モリス(Stephen Radochia)が中心となっていた
グラハムは再開発の工事担当だったが、試合に仕事の話を持ち込まれることを嫌がっていた
主審(ウェイン・ダイアモンド)によって執り行われた試合は、フラニー(Cliff Blake)がスコアラーを務め、少しの観客と選手の家族たちが見守る中で行われていった
物語は、試合に際して久しぶりに集まった野郎たちが軽口を叩きまくると言う内容で、その何気ない一言がキャラ付けをしていくと言う感じになっている
だが、選手だけで20人、審判が4人、観客が複数人いて、家族も数名いるので、誰が誰なのかを把握するのは非常に難しい
ユニホームを着た髭面のおっさんがたくさん登場するし、背番号はあるけど名前は書いてないので、数少ない固有名詞から人間関係を導き出すのは至難の技のように思える
ちなみに、冒頭ではラジオのアナウンサー(フレデリック・ワイズマン)が街の置かれている状況を話したり、当時流れていたラジオCMなども紹介されていく
なので、当時を知る人の方が楽しめる内容になっていて、そんな中で名残惜しさから「どうしても試合を終わらせたい」と言う想いで試合が行われていく様子が描かれていた
アドラーズ・ペイントは、監督&投手のエドが姪っ子の洗礼式のために退場するし、審判も時間が来れば残業しないと帰ってしまう
そんな中で試合を続行するためにフラニーがバックネット裏から審判をすると言う流れになっていて、さらに日没とともに何も見えない中で試合が行われていく
そうして、何とかキリをつけた格好で試合は終わるのだが、この試合を最後にフラニーはみんなの元を去ってしまったように描かれていた
彼はリバードッグスのユニフォームを着ていたが試合には参加しておらず、おそらくは健康面が理由で参加していないのだと考えられる
それが高齢になってからなのか、若い頃からなのかはわからず、彼自身にはモデルとなる人物がいたこと
ある意味、フラニーに対する追悼の映画にもなっていて、長年の付き合いの終わりがあったからこそ紡がれた物語のように思えた
映画内の登場人物を脳内構築するのは難しいが、映画の冒頭でスコアブックのようなキャストロールがあるので、しっかり見ておけば「どの選手を誰が演じて、何番を打ってどこを守っているのか」がすべて書かれていた
このあたりは野球用語の略語の知識が必須だが、ポジションや打順はそこまで大した問題ではないと思う
それよりも、恋人メラニー(イザベル・シャルロット)が来ているエイドリアン(ジョニー・ティラド)とか、家族が見に来ているビル(ラッセル・J・ギャノン)がどの選手なのかは把握したい情報のように思えた
いずれにせよ、試合のスコアをつけながら観戦しているフラニーの視点になっていて、彼の紡ぐ野球界の偉人たちの名言というものが「章の区切り」のようにも思えた
ベーブ・ルースは有名だが、ヨギ・ペラとか、サチェル・ペイジ、ハンク・アーロンなどを知っている日本人だとマニアに近いと思う
日本だと長嶋茂雄、王貞治などのようなレジェンドたちなのだが、そんな彼らの名言が登場してもピンとは来ないかもしれない
だが、そこで登場している名言の数々は、試合経過の中でフラニーが感じて思い出した言葉となっていて、意味のあるものとなっていた
そう言った視点で見ると、試合に参加できないものの悲哀と、試合に臨みながらも全力で向かえない者を見る歯痒さというものが感じられるかもしれない
その上でフラニーは「この時間は最高の時間だった」と結んでいた
原題にあたる「Eephus」は「止まって見えるほどのスローボール」という意味なのだが、フラニー目線からすれば「この至福の時が永遠でありますように」という意味になる
それを思うと、とても切なくて悲しい物語だったのかな、と感じた
ただの草野球の話とは聞いていたが
クダグダと始まって最期までクダグダで終わる
ホットドッグは永遠
中学校建設の為に取り壊されることが決まった野球場で、地元のおっさん達が最後の試合をする話。
40km先まで行かないと中学校が無い町にある野球場ソルジャーズフィールドに、地元のザ・草野球2チームと2人の審判、そしてこの球場が好きな野球観戦&スコアリングが趣味のおっさんがやって来て巻き起こって行く。
雑談とヤジを聞きながら、下手くそでも楽しく野球をやっているおっさんたちの様子を観戦して行くだけの作風で、ほのぼのとなかなか良かったんだけど…草野球とはいえどんだけ試合時間長いんだよw
しかもアメリカでは9回まであるんですね…。
そして日没後はただただ怠いし、これといってみどころらしいものもないし、どんどんテンションが下がって、結局冗長になってしまって残念だった。
日没ノーゲーム、とはならず
予告編を観た印象は、ほのぼのと、そして淡い感動が訪れる作品なのかと思いましたが、最初から最後までオッサンたちがグデグデの草野球をやり続けるのを観続ける作品でした。
プレーしているご本人たちにも「今日でこの球場ともお別れだから」みたいな感慨もさしてうかがえず、いつの間にか夕暮れに、そして闇が訪れますが、何故か試合終了とはならず、白い息を吐きながら車のヘッドライトを頼りにゲームは最後までやり切るのでした。
野球愛に最も溢れていたのはスコアブックを付けているおじさんだった気がします。
途中ふらりと現れリリーフをして、不意にいなくなった方は実在していたのでしょうか?検索してみたら元メジャーリーガーだったようですが、作品との繋がりは不明(不勉強なのと、元来野球に親しみが無いのがいけませんね、ハイ)。
観ながらスッパイものがこみあげてきたと思ったら、作品とコラボのひと缶1,000円のビールに含まれているオレンジピールとコリアンダー含みのゲップだったようで……
野球が好きな人や、実際にプレーしている方たちにはささる作品だったのかなぁ。
お前らとずっとこうしていたいんだ。ってのが痛いほど伝わる。
ただひたすらにおっさん達の野球
予告を見てちょっと観てみたい。と思って足を運んでみましたが。
感動するシーンはほぼありません。
取り壊しの決まった小さなスタジアム(草野球場といったほうがいいか?)、取り壊された後は新しく中学校が建つらしい、現在は約40kmも離れた所の中学に通っていることもあって、地域のお母様方は中学校が出来る事に賛成の様子。
本編はスタジアムが取り壊される前に控えたラストゲーム、本当にただ「草野球」で「ただのおっさん達」がダラダラと愚痴や野次を飛ばし、体の現状を報告しあいながら草野球をするだけの映画。
彼女が応援に来てくれるも格好いい所が見せられず腐る若者、子供が応援に来るも良い所を見せられないお父さん、姪っ子のめでたい日だと試合中に呼び出されて球場を去るおっさん、ボールバケツもなくファウルボールを探しに行くおっさん、「俺には仕事もあるしもう帰りたいんだ」と愚痴りだし、本当に帰るおっさん、ビールを飲みまくって酔っぱらうおっさん、時間が来たからと試合中にも関わらず帰宅する審判のおっさん達、電気代を払っておらず日が暮れてから照明もなく試合をするおっさん達、ラストゲームという事もあり「引き分け」でゲームセットなんて嫌だと駄々をこねるおっさん達、苦肉の策で皆が乗ってきた車のヘッドライトを証明代わりにするも所々見えずにグダって行く試合。
そして…後に中学校ができた。とかのエピソードもなく、真っ暗な中スタジアムをさっていくおっさん達で終了。
途中、レジェンドたちの名台詞が挟まり、時間の経過も表現するも…。
観る人を…選ぶ映画かもしれません。
ただ本当に、古き良き?おっさん達の草野球を垂れ流しているだけの映画です。
※噛みタバコを吐き出すシーンなども多々ある為、そういった表現が苦手な方は控えた方がいいかもです。
良くも悪くも「アメリカ草野球」で日本の野球アニメ、映画とは違いますので、ジョーク的な野次等も多く含まれています。
好きな雰囲気の映画だが、途中寝そうになってしまったぐらいだった。
全42件中、1~20件目を表示
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詳細は遷移先をご確認ください。

 
  















 
 