最後のピクニックのレビュー・感想・評価
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年寄りに優しくない韓国
韓国の首都ソウルで暮らすウンシムは、息子からの金の無心に嫌気がさし、幼なじみで親友のグムスンと韓国南部の海沿いの町・南海に帰郷した。久しぶりのウンシムの帰郷に、かつてウンシムに好意を持っていたテホも交えて昔を懐かしみ、3人は和気あいあいとした日々を過ごした。しかし、脳腫瘍の持病を持つテホの自殺、骨粗鬆症で腰が悪く、頻繁に大や小を漏らすグムスン、パーキンソン病で次第に自分の体が思い通り動かせなくなってきたウンシムと、3人とも将来に悲観しかない健康状態だった。互いの現状を知ったウンシムとグムスンは、美しい花が咲き誇る草原へ最後のピクニックに出かけ、生まれ変わってもまた友だちになろうと誓い・・・そんな話。
お金の事でギャアギャアとうるさい序盤、故郷に戻ってもテホが死んだら周りの人たちがお前のせいだとまたギャアギャア。
で、最後は崖から2人で飛び降り???
こんなの観て何を感じろと言うのだろうか?
お金のためなら平気で嘘をつく韓国人、とにかく人のせいにする韓国人、人前でギャアギャアとうるさい韓国人、そんな印象しか残らなかった。
そして、日本も一緒だが、年寄りに優しくない韓国社会、という事だろう。
こんな作品観て残るのは韓国の悪い印象だけ。
ま、半日教育を徹底して行なってきた国だから元々印象のよく無い国だし、別にどうでも良いんだけど。
知らない人には韓国の現状を知れて良いのだろうけど、知ってる人には観ても何も残らない残念な作品、と感じた。
韓国の出生率
最後どうなんだろ
善き財を遺す場所は、大海を望む果てにあるのかもしれません
2025.9.24 字幕 アップリンク京都
2024年の韓国映画(114分、G)
60年ぶりに故郷に帰った老女とその友人たちを描いたヒューマンドラマ
監督はキム・ヨンギョン
脚本はチョ・チョンミ
原題は『소풍』、英題は『Picnic』で、ともに「遠足」と言う意味
物語の舞台は、韓国のソウル
1人住まいのウンシム(ナ・ムンヒ、中学時代:チェ・ユリ)は、故郷の南海地方平山から60年前に出てきて、今はお金の工面にだけ顔を出す息子・ヘウン(リュ・スンス)との関係があるだけだった
ある日のこと、突然ヘウンが妻のミヒョン(イ・ハンナ)と孫のテウン(オム・ジュヨン)を連れてやってきた
ヘウンはチキン店のフランチャイズ会社を経営していたが、使用していた油の問題で加盟店から突き上げを喰らっていた
逃げるようにウンシムの家になだれ込んだヘウンだったが、そこにミヒョンの母でウンシムの旧友のグムスン(キム・ヨンオク、中学時代:シン・イェソ)までもがやってきてしまう
ウンシムは息子と顔を合わせたくなくて、グムスンを連れてソウルの街に繰り出してしまう
そして、外泊を重ねたのち、生まれ故郷へと帰ることを決意するのである
物語は、南海地方の平山に戻るウンシムが描かれ、そこでかつて自分を想っていたテホ(パク・グンヒョン、中学時代:キム・ギョンビン)と再会する様子が描かれていく
中学時代はウンシムのストーカーのような存在だったテホだが、その時期に色んな火種が生まれていた
ウンシムの父によって地元は発展したものの、従姉妹のメンヒ(イ・ヨイ、中学時代:シム・ジュヒ)の父は海難事故で亡くなってしまう
さらにウンシムの母(チャヒ)の病死も重なってしまい、ウンシムたちは町を出ざるを得なくなっていた
また、どうやらメンヒはテホに気があったようで、彼がウンシムに惚れていたのも遠因となっているように描かれていた
劇中でデモ騒動の渦中でグムスンの息子ソンピル(イム・ジギュ)がリゾート開発賛成派として活動していて、それを咎めたことで騒動が起きてしまう
ソンピルはウンシムを突き倒し、それに怒ったテホと揉み合いになってしまう
そこでテホは後頭部を打ち付けてしまうのだが、その付き添いで病院に行ったウンシムは、テホの娘のユンジュ(コン・サンア)も知らないことを突きつけられるのである
彼は娘のためだけではなく、自分が生きた証を町に残したくて反対運動をしていたが、それも叶わぬ夢となってしまう
リゾート開発によって醸造所がどうなるのかはわからないが、娘と娘を慕う従業員(キム・ヨンジュ)ならば、うまく生きていけるかもしれないし、ウンシムが託したお金で新天地で新しい暮らしを始めるのかもしれない
映画では、ウンシムが息子ではなく嫁の方に財産を遺し、グムスンは息子ソンピルに遺すことになった
ウンシムと息子の最後の会話は「信じる」と言う言葉だったが、これは「罪を償ってやり直せ」と言う意味合いだろう
ミヒョンが彼を支えるのかはわからないが、ウンシムは息子のためではなく「自分のために生きろ」と伝えていて、「支度をしなさい」とまで言い切っていた
そこにはウンシムとグムスンの決意も重なっているので、「発見」によって、その言葉の意味はもっと重いものになるのではないだろうか
いずれにせよ、思った以上に重いテーマで、尊厳死についてどう考えるとか、生き様のみならず「どのように死ぬか」を突きつける内容だったと思う
映画のタイトルは「遠足」と言う意味だが、その場所が「善財庵」と言うのにも意味があるのだろう
最後に2人は振り返るのだが、そこには誰も誰もいなかった
さらにウンシムは、グムスンのカレンダーの詩に言葉を追加していた
そこにはグムスンの言葉で「幼い頃に近所の川にはハマナスが咲いていて、今年もまた咲くだろう」と言うものが書かれていた
そして、最後に「友だちに会いたい」とウンシムが追加しているのだが、これはテホをはじめとした多くの同級生たちに「あの世で会いたい」と言うものなのだろう
グムスンは「生まれ変わっても親友でいたい」と言うが、ウンシムはそう言った考えは持っていない
その対比があるからこそ、2人が肝心な言葉を避けてでも、同じ想いを共有していると言うことに胸が痛くなる
それほどまでに老いた者たちの「自由が奪われる意味」と言うものは重たく、自分らしく死ぬと言うことへのこだわりというものは強いのだろう
それができるのも体が動くうちというところが切なくて、今後の社会では、このような決意がもっと生まれてしまうのではないか、と感じた
将来に希望は持ちたいけど……
60年ぶりに故郷を訪れた女性が親友と楽しい時を過ごすなかで、青春時...
60年ぶりに故郷を訪れた女性が親友と楽しい時を過ごすなかで、青春時代の思い出をよみがえらせていく姿と、それぞれの波乱万丈な人生を描いたヒューマンドラマ。
大都会ソウルで息子家族と暮らすウンシムは、「宝島」と呼ばれる海沿いの町・南海(ナメ)に60年ぶりに帰郷し、親友グムスンのもとに身を寄せる。かつてウンシムに思いを寄せていたテホも交えて昔を懐かしみ、3人は和気あいあいとした日々を過ごす。忘れていた記憶をひとつずつ思い出し、懐かしさに心を躍らせるウンシムだったが、彼女が長年この地を離れていたのにはある理由があった。16歳の時に彼女の未来を決定的に変えてしまった出来事と、波乱に満ちた人生が明かされ、互いの現在を知ったウンシムとグムスンは、美しい花が咲き誇る草原へ最後のピクニックに出かけ、生まれ変わってもまた友だちになることを誓う。
「怪しい彼女」のナ・ムニが主人公ウンシム、Netflixドラマ「イカゲーム」のキム・ヨンオクが親友グムスン、「チャンス商会 初恋を探して」のパク・クニョンがテホを演じた。監督は「怪談晩餐」のキム・ヨンギュン。
最後のピクニック
2024/韓国
配給:ショウゲート
遠くの身内より近くの友
主要な人物3人の「死」について想いを馳せ、その3人を取り巻く「家族」との関りについても考える、そう遠くない未来、実際に我が身へと降りかかる問題を見せつけられた気がした。
しかし、スクリーンからは行く末を案じた悲壮感は伝わらず、かえって清々しさを覚えてしまう。
それは女性二人の歯に衣着せぬ言葉のぶつけ合いや、「初恋の人よ!」と明るく言い続けられる男性の偽らざる言葉の発露がそうさせているのだろうと感じながら、時にクスりと笑いながら最後まで観ることができた。
家族だからここそ慮って言葉や態度を濁してしまう場合もあるだろう、それこそ遠い(現実の距離であったり、心が離れていたり、それは様々な意味で乃【遠い】ということ)身内よりも近くの(これは距離ではなく、同じ時を歩んできた者同士の記憶や感情の【近さ】)友が勝ることは有るよなぁとしみじみ思った。
そういった意味では満点に近い星を付けたくなるのだが、ラストのシーンは、これから先を暗示させるもので、それを考えると手放しでは喜べなくなってしまうので、このような評価になってしまったが、どの国でも共通の親子あるあるを見事に描いた素敵な作品だと思いました。
最期までピクニックを楽しもう。
親友と迎える人生の終章
■ 作品情報
監督:キム・ヨンギュン。脚本:チョ・ヒョンミ。主要キャスト:ナ・ムニ、キム・ヨンオク、パク・クニョン。製作国:韓国。
■ ストーリー
大都会ソウルで一人暮らしをしているウンシムのもとに、突然親友グムスンが訪れる。これを機に、ウンシムは60年ぶりに故郷の海沿いの町・南海へ帰郷する。そこでグムスンのもとに身を寄せ、かつてウンシムに思いを寄せていたテホも交え、青春時代の思い出を懐かしむ日々を送る。しかし、ウンシムが長年故郷を離れていた理由や、それぞれの波乱に満ちた人生が明らかになっていく。互いの“今の真実”を知ったウンシムとグムスンは、美しい花が咲き誇る草原へ最後のピクニックに出かけ、生まれ変わってもまた友達になることを誓う。
■ 感想
人生の終わりをどう締めくくるのか、何をもって良し悪しとするのか。本作は、そんな根源的な問いを観る者に深く投げかけてくるようです。
60年ぶりに故郷に戻ったウンシムと親友グムスン、そしてかつてウンシムに思いを寄せていたテホとの再会。彼女らがこれまで歩んできた人生、我が子との確執、故郷の人々との温かい交流を通して、自らの生き方を見つめ直していく姿が胸に迫ります。自分の人生を精いっぱい生きてきたと心から思いたい、そしてそれを誰かに認めてほしいという切なる願いは、きっと多くの人が共感するのではないでしょうか。そんな時に、隣に親友がいることの尊さ、二人の絆の深さが本当に羨ましく、幸せな光景に映ります。
主演のお二人の演技は本当にすばらしく、登場人物たちの人生の重みや感情の機微を繊細に表現しています。特に終盤、物語が一気に盛り上がり、胸に迫る展開を見せる時には、涙腺が緩むのを抑えられません。
しかし、それまでの道のりは、やや散漫に感じられます。個々のエピソードやキャラクターは魅力的なのに、ちょっと盛り込みすぎて、それらが全体のテーマを盛り上げるための相乗効果を十分に生み出せていないように見えてしまうのが惜しまれます。
ラストシーンについても、決してダメというわけではなく、観る者に想像の余地を残しているとは思いますが、個人的な好みとしては、もう少し希望のもてる締めくくりがよかったです。厳しい現実を描きながらも、どこかに光を見出せるような終わり方であれば、より心に残ったかもしれません。
とはいえ、観終わった後には、自分の家族との向き合い方、そしてこれからの人生をどう生きるべきかについて、深く考えさせられる作品であったと感じます。
ラストは、、、
【今作は、年を重ねる事を美化せずに、身体の衰え、都市と地方格差、遺産問題を絡めながら、幼馴染の二人の女性の久しぶりの交流を描いた作品。ラストショットの解釈は観客に委ねられます。】
■韓国、ソウルで一人暮らしをするウンシム(ナ・シム)は、息子が食用オイル不正を働き、自身の遺産を頼って来た事で、中学生以来に海辺の故郷の戻り、親友のグムスン(キム・ヨンオク)の家に身を寄せる。
そこで、且つて彼女に恋していたテホ(パク・クニョン)と再会し、彼が作るマッコリを呑みながら昔話にふけるのであった。
3人は夫々の今までの生き方を語り合うが、或る日脳に腫瘍があったテホが急死してしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・前半は、少し重いトーンで物語は進む。ウンシムの息子は食用オイル不正を働き、彼女の遺産を確かめに実家に戻り、嫁は娘をカナダに留学させる事のみ考えている。韓国は、ご存じの通り、ソウル大、高麗大、延世大に入れるかどうかで、将来が決まると言っても過言ではないからである。
・故に、足の悪いグムスンの息子は”一生、マンションには住めない。”と暗い表情を浮かべ、日々過ごしている。
そうかなあ。日本の田舎では、一軒家で庭が有って、四季の野菜が取れてそれを食べる生活も、豊かだと思うのだがなあ。
・老人ホームに入所し、暴れるので紐に縛られて、生きた屍の様に生きる3人の同級生のシーンや、グムスンの背骨の骨粗鬆症が進行して粗相をしてしまうシーンや、ウンシムがパーキンソン病に悩まされているシーンも今作では、正面から描かれている。
・そして、ウンシムは自分の遺産を息子ではなく、息子の嫁と娘に相続させるのである。
<二人は、キンパを作り、眺めの良いところでピクニックの様に食事を摂り、笑顔で断崖絶壁の上で笑顔を見せるのである。
今作は、年を重ねる事を美化せずに、身体の衰え、都市と地方格差、遺産問題を絡めながら、幼馴染の二人の女性の久しぶりの交流を描いた作品である。ラストショットの解釈は観客に委ねられます。>
愚痴女vsすねシム
60年ぶりに故郷を訪れた女性の過去と家族や友人への思いの話。
あらすじ紹介にはソウルで息子家族と暮らしているって書いてあるけれど、1人暮らしをしている家に息子と嫁とその子供が突然逃げて来て、そして同じタイミングで嫁の母親も訪ねて来て巻き起こっていく。
息子がクズなのは一目瞭然だけれど、嫁もカナダがーってなかなかですよね、そりゃあ家出するわなと始まって、あれ?嫁母が親友!?
そこから南海へとなって行き、そこでみせるエピソードとか関係性とかは良かったけれど、息子や息子が絡んだ考え方とかはどうもね…この国の人たちの考え方とか意識みたいなものが個人的に苦手というか受け入れ難いからなんでしょうね。
しかもその部分が結構強く出ているし。
ということで、悪くはないけれどイマイチ刺さらなかったかな。
人生は一睡の夢
複雑…
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