「スーパーマンは 不在だった」ハウス・オブ・ダイナマイト YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)
スーパーマンは 不在だった
予告編を観た段階で、興味ある本作の鑑賞を決めていました。
COVID-19前までの十数年間のハリウッド劇場映画は、出演料等のお金はかかってはいても、主演者に主眼を向けた内容が稚拙な、ハリウッドの内輪ウケを重視した 要領の良い‘’賞取り映画‘’が多く、続編以外は、大作と言っても、単に長尺なだけの映画は、ワクワク感がない作品が多かったが、こうして
Netflix でしかできないようなできないような 企画重視な映画づくりは、劇場と配信の両公開する手法により、映画づくりの対象を ハリウッドから、お茶の間鑑賞者に戻してくれた、実に素晴らしい 映画の原点回帰だと思いました。〈企画賞〉
これは、映画を創るにあたり、監督・プロデューサーが企画し、映画会社へ下から 上に 持ち上げて通す手法が、マンネリ化した限界を、今度は無銘な制作サイド者側から下におろして行く 手法が上手く機能しているのだと推察されます。
アメリカ合衆国の中枢部は、少しのアフリカ系とイタリア系以外は、すべてアングロサクソン系が占め、ラテン系や中東系等の異種人種が存在しない違和感はあったが、そこには、日系でなく、K国系スタッフが極少数入り込んでいた
ベイカー国防長官の屋上での最後の対応は、意外なだけに 驚きました。
冷戦時代のシチュエーション映画は、幾作もあったが
if的SF映画としては、、「ファイナル・カウントダウン(1980)」に わくわく感が通じます。
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