「人類の“最後の十数分”と、決断の向こう側」ハウス・オブ・ダイナマイト 画面の旅人さんの映画レビュー(感想・評価)
人類の“最後の十数分”と、決断の向こう側
『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、シカゴに向かって発射されたミサイルが止められないまま、爆発までの十数分間を多視点で描く戦争ドラマだ。
だがこの作品に、派手な戦闘や爆破の映像はない。
描かれるのは、その瞬間を迎える前に人間たちが何を思い、どんな選択をするのか――滅びの直前に残された心の記録である。
司令室では、迎撃の可能性を探る指揮官たちが焦燥と責任に押しつぶされそうになりながら、決断を迫られる。
彼らの沈黙や短い視線のやり取りには、「自分も家族も死ぬかもしれない」という恐怖が潜んでいる。
特に印象的なのが、ロシア大統領へのミサイル発射確認のシーンだ。
アメリカは真実を知ろうとするが、ロシアは「情報を渡すこと自体が罠かもしれない」と疑う。
そしてアメリカも、ロシアの否定を完全には信じられない。
わずかな通信の間に、国家間の信頼の崩壊と、人間の理性の限界が凝縮されている。
全編を通して、ミサイル着弾の時間が繰り返し映し出され、DEFCON 1 の表示も突き刺さる。
そのたびに緊張が高まり、観客の呼吸まで支配していく。
時間が減るごとに、登場人物たちの表情も少しずつ変わっていき、
観る側もまた、自分自身がそのカウントダウンに巻き込まれているかのような錯覚を覚える。
この“見せ方”こそが、本作最大の演出だ。
そしてラスト。
爆発の瞬間は描かれない。
代わりに、アメリカ大統領が報復攻撃を行うか否かの判断を迫られる場面で幕を閉じる。奥さんに答えを求めたが、彼女はアフリカ?のサファリ中で、「核はダメ」というニュアンスの返答をする。しかし通信は不安定で、彼女の声はノイズにかき消される。
彼が下すかもしれない“報復”は、罪のない人々、そして動物たちの命まで奪う。
映画は戦争を人間の悲劇として描くだけでなく、地球そのものへの暴力として提示している。最後は画面は暗転し、答えは示されない。
『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、戦争の開始も終結も描かず、
その“狭間”に立つ人間たちの揺らぎを描いた異色の戦争映画だ。
銃弾ではなく沈黙で、爆発ではなく判断で、戦争の本質を語る。
時間が減っていくというシンプルな演出が、これほどまでに恐ろしく美しい映画は滅多にない。
