「「フィナーレライブ当日、僕等はAqoursを見ていたが、」Aqours Documentary つさんの映画レビュー(感想・評価)
「フィナーレライブ当日、僕等はAqoursを見ていたが、
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Aqoursは僕等を見ていなかった。」ように感じた。そうではなかったとしても、この映画を見て、僕はそう感じた。
10年という月日は、人も環境も何もかもが変わる月日なので、Aqoursがバラバラになったように感じることや、昔とは違う距離感が生まれることは、理解も出来るし、当然だと思う。
ただ、これを今一度「ドキュメンタリー映画」という形で放映することに、なんの意義があったのかがよく分からなかった。
「頭ではなんとなく理解していること」を言語化しない美学というのがある。
高槻の状況や、生放送の頻度や、フェスはおろか地元愛まつりですら9人揃わなくなったこと等、僕等だって、違和感に勘付きながら、でもそれに気付かないふりをしながら、騙し騙しヲタクをやっていた部分があると思う。特にコロナ禍以降。その答え合わせをさせられることに、やるせなさを感じた。
作中、インタビューパートのメンバーの偏りについては、流石に何か理由があるのだと思うが、「finaleを迎えること」については9人全員のコメントが知りたかった。
最後に、冒頭「フィナーレライブ当日、僕等はAqoursを見ていたが、Aqoursは僕等を見ていなかった。」と記載したことについて。
「そんなことはない!ファンを大切にしているし、Aqoursは永久だし、沼津に生き続けるんだ!」という声も勿論、分かる。そう思いたい。
でも、Aqoursというものが壊れないように、それこそ「薄皮一枚」を繋ぎ止めるのに精一杯だった彼女たちの目に、果たして僕等は映っていたのだろうか。ただ、こう「感じてしまった」ことが、この映画を見た1番のデメリットだった。
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