劇場公開日 2025年9月5日

「R.I.P. J.L.G.」シナリオ osmtさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 R.I.P. J.L.G.

2025年10月16日
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鑑賞方法:映画館

う〜ん…
これが遺作かあ…
まさにオープニングからして、ゴダールにしか撮れようがない(マネしても絶対に失敗する)ゴダールならではの完璧なショットから始まるのだが…
う〜ん…
やっぱり最初のプラン通りで作って欲しかったかなあ…
その最初のプランは本編の後に続き併映される『シナリオ:予告篇の構想』においてゴダール本人によって語られるのだが、本編の後半で続け様にインサートされることになる死のイメージは、そこには無い。
やはり、リアルに死を間近に控え、あの構成にしたくなったのは、わからんでもないが…

今回も複数の異なるイメージや音や言葉を組み合わせ、それら各要素を対比・衝突させて、観る側の思考を紋切り型の短絡な道筋ではなく、オリジナルな映像言語として詩的にダイレクトにイメージさせる表現となっている。
結果、異なる要素が関連し合い編集されることによって、思考が自由にドライブしていく。
なぜ?そんなゴダール独自の手法が、未だ本人でないと出来ないのか?やはり謎だ。

よって今回も様々なコラージュとなるのだが、過去の映画のシーンの断片が幾つもインサートされるので、下記の作品は事前に観ておいた方がいいかもしれない。

▼ゴダール
右側に気をつけろ
新ドイツ零年
はなればなれに
軽蔑
ウイークエンド

▼ロベルト・ロッセリーニ
戦火のかなた
無防備都市

▼オーソン・ウェルズ
上海から来た女

▼ハワード・ホークス
コンドル

▼エイゼンシュテイン
イワン雷帝

などなど…
まあ、必須って訳ではないが、ロッセリーニの作品や『軽蔑』『はなればなれに』に関しては、決定的なシーンが使用されているので、先に本編を観るに越したことはないだろう。

特に冒頭でコラージュされていた『右側に気をつけろ』に関しては、序盤において引用されてたマルローの言葉(本作では引用されてない)が、あまりに重要だ。

当然といえば当然だが、己の死を前提に作られているため、引用される要素はヘヴィな部分もあるのだが、ラストで登場する本人は、あまりに滑稽で軽妙だ。まるで道化師のように。
というか、翌日に迫る死が、引用された映画と地続きになり、何処かフィクションにしか過ぎないようにも見えてくる。
あまりにあっけらかんとして、生々しい悲壮感など微塵も無い。
本当に最後の最後まで徹底してユーモアの人だ。

そして、そこで引用されるサルトルの「指と指ならざるもの」というヴォルス論に関しては、メタ的な視点の有効性を見出しているとは思うのだが…
なぜ「指」と「馬」なのか?未だに謎だ。
謎は謎のままの方がいいのかもしれないが…

なお、日本語にもなっている「OK」は南北戦争の頃「Zero Killed」つまり、戦場での「死者はゼロ」の略語だったと『愛の世紀』で語られていた。
戦場から「死者ゼロ」で帰還したことは、勝利の報告だったはずだが、それは「殺戮の現実」や「実際に生じたはずの大量の死」を覆い隠し死者の不在を軽薄な「OK」サインという記号に変換してしまった。
あの場面を通じて、暴力と殺戮が繰り返されてきた歴史を、容易に「全て問題なし(All Correct > Oll Korrect )」としてしまうことを痛烈に批判していたのかもしれない。

そして「OK」という言葉の無邪気な普遍性と、歴史の残虐性を対比させて、現代社会における「殺戮の歴史」に対する記憶の喪失と無関心を改めて皮肉っていたのかもしれない。

この言葉を発した翌日、ゴダールは医師の幇助によって自ら永眠を実行した。

R.I.P. J.L.G.

osmt