揺さぶられる正義のレビュー・感想・評価
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上田さん、応援してます!
テレビ局社員として可能な限り、事件や取材対象者に対して真摯に誠実に向き合おうと奔走する上田記者の姿に心打たれました。
偽ジャーナリズムがはびこる大手メディアの中から、“真のジャーナリスト”としての使命を果たすべく、今後もますます取材・発信してほしいです。
子どもが突然死ぬ。
報道のされ方と冤罪
どっちもダメでしょ
こんな多くの冤罪を生んだ事件があったことを、この映画を観るまで知りませんでした。
虐待を疑われた人たち、その人を信じて支える人たちの生き様に心を打たれ、このような姿を伝えてくれた上田監督、自分たちの取材姿勢をさらけ出して冤罪に向き合う誠実さが印象的でした。
でも、一点・・・
「時には最初から信じてみるべきなのか」みたいなナレーションには、思わず首をかしげてしまいました。
取材する側は最初は「信じること」も「疑うこと」もしてはいけないのでは?
先入観を持たないことが大前提では??
なぜその人は虐待をしてしまったのだろうか、まずは人となりを取材する。
どんな仕事をしている?職場での仕事ぶりは?
最近まで親しくしていた人に、子どもへの接し方は?
学生時代はどんな子どもだった?家庭環境は?
取材をする過程でもしかして「絶対そんな事する人ではない」的な証言が積み重なって初めて、立ち止まって考える「信じるべきか、疑うべきか」。
自分が目で見て聞いた事をかき集めて。
記者は弁護士とは違うのだから。
記者クラブに流れてきた紙に沿って、各社同じように原稿をしたため
みんなでせ~ので容疑者を取り囲んで、同じインタビューを流し・・・
毎日毎日、いろんな事件・事故が繰り返されるなかで、流れ作業のように。
昨今ではメディアは嫌われ者。取材もますます難しくなり、他業種と同じく効率よく働くことも優秀な記者の能力のひとつとされ、人手も常に不足、ひとつの事案にそこまで労力をかけられないのかもしれない。
そのナレーション以降、ずっとモヤモヤとそんなこと考えてしまいました。
虐待か冤罪かをめぐり、二つの異なる「正義」を深く考えるきっかけにな...
虐待か冤罪かをめぐり、二つの異なる「正義」を深く考えるきっかけになった。マスコミの安易な演出が、冤罪による差別を招き、家族を更に不幸にすることも胸に刺さった。誰のために理不尽な冤罪が面白おかしく報道されるのだろう。クロにされた容疑者たちが奪われるものに、私たちの想像力は及ばず、正義感は全く当てにならない。それぞれの正義や、それぞれの役割や都合を、根本から疑い続けることが、理不尽な世の中を少しでも改善し、信じる人を守る事につながると受け止めた。
終始、胸が痛むほど切ない
上田監督の誠実な姿勢
起訴こそされませんでしたが、ごく身近で類似の体験をした(今年です)ものとして、親子が引き離された辛さが痛いほどわかります。
映画には登場してこないもう一つの機関として児童相談所があり、その職員から当初から犯罪者のごとく扱われ子供を隔離(拉致)されたのです。起訴、逮捕、拘留などに至らない類似案件はかなり多いと思います。児童相談所の職員はマニュアル通りの対応なのでしょうが、本人との面接や自宅の育児環境確認などを通じて、明らかに虐待でないと常識では判断できる場合でも、たいへん心無い言葉を浴びせられ、改善や再発防止と称する対応を指示されました。理不尽な対応に怒りを覚えました。
虐待または不注意や過失での傷害を認めない限り子供を返してくれない事例が横行していた(いる)と思われます。
この映画では、冤罪被害者の方々も医師もカメラの前で勇気と覚悟を持って語ってくれていると思います。これは上田大輔監督が人と向き合う誠実な姿勢があってこそであり、素晴らしいドキュメンタリーです。警察発表、メディア報道を疑うことなく受け入れてしまう、SNSでの根拠ない攻撃など、私たちのあり方への問題提起として、多くの方に観てもらいたい作品です。
正義の反対にいる人たちも正義…
揺さぶられて亡くなる赤ちゃんたちが、結構いた時期があったと記憶しています。
冤罪だとしたら正されるべき
だけど亡くなった子どもたちは、なぜ亡くならなければならなかったのか、証明されるべき。
まずもって、当事者の方々が名前も顔も出されていることに、リスペクトします。
もしこの人たちが犯罪を犯していたとしたら…とは、考えられないのかなと映像を見て思いました。
朴医師が、最後の案件に検察側の証人として証言した後に、ご本人の言葉を聞きに行ったことも評価します。
冤罪はあってはならないけれど、虐待もあってはならない。
揺さぶられる正義というタイトルは、自分たちは正義と確信したタイトルと感じました。
検察側の証人が不正を行ったとか、そういう裏付けの読み取れないままに、自分たちが正義と取れるタイトルをつけた
それが気に入らない。
正義の反対の立場にいる人たちも、自らを正義と思っている。
もしそうじゃないことが起きているなら、それも含めて断罪してほしいなぁと感じました。
最後の案件の方は、上告されたからまだ続くのですね。
公正な判断がなされるよう祈ります。
人が人を裁くということ。正義とは?
小児虐待から、子供をいかに守るか、誰が監視する?
何も言えない子供を大人が守るか?
誰から守る?生んだ親であり、育ての祖父母から?
子供を守る時に、家族、親が犯罪者となる事。
家族のなかから、犯罪者がでるということ。
人が生きていく上での、基本単位である、家族がやられてしまう。正義はどこですか?
冤罪がテーマであるので、明らかな、誰からみても、犯罪者はいない、そのなかで、人を裁く。
正義は存在しない。自然に起きた現象であれば、正義はあくまで自然の中にのみ、存在する。
一般の判断で正義側に立つ、警察、医師、弁護士、なども、自然のなかでは、むしろ、邪魔であり、驕りの存在である事が浮きでてくる。自然ではない、人為の介入においては、正義の判断が必要となる事がある。
人は、全てを理解、判断できると思い裁いてしまう、
そんな力は何もないのに、人の驕りが、人を裁く事になる。
自然に起きる可能性は、人為ではないと、弁護士が指摘、修正をする。悲劇からの救済としての、弁護士の活動、家族の悲劇は、心を震わせる。
ただ、監督作成者が、司法に携わったものとして、
小児虐待に携わってきた、医師が、自然な現象を、人為的であるとした事、それにともない、家族の悲劇、冤罪が生み出された背景を出すことはいいが、作り手から、映画からは、医師は、世間の名誉を優先したともとれる撮影であった。
人が人を裁くということ。
人為を超えた、自然の中では、人による正義は存在しないという事。
人為がある出来事でさえ、人が人を裁くのは、驕りではないかと考えさせられる。
そんな映画を見ることが、出来て良かったです。
個人の権利、ソーシャルメディア事態のあり方をも問える
映画でもあり、こっそりと、ひっそりと、個人で楽しむ映画です。事実より衝撃は強いです。
そして、口コミでこっそりと広げていってほしい映画である事を、期待します。
正義を観る観点
このような「調査報道」番組や映画が観たい。
とてもスリリングでしっかりした構成、見事な作品でした。若干、情緒的な家族の抱擁シーンなどが長く感じましたが、許容範囲でしょう。反対派の医師などもキチンと判決後もインタビューに答えていて立派でした。無理は承知で言うと、検察側の役人の意見も聞いてみたかったですね。昨年の「正義の行方」も力作だったが、最近は眉唾のドキュメンタリー映画も多い。自分たちの原罪に無自覚な東海テレビの「さよならテレビ」や扱うテーマとSEほかで茶化しまくりの演出が鼻につくチューリップテレビの「はりぼて」、テレビマンユニオンの「ヒポクラテスの盲点」はこれを見て勉強して欲しい。「WHO?」の監督は、ドキュメンタリー風は断念してそれまでのエンタメ路線で啓発して欲しい。
正義を通すことの難しさと危うさ。
方や【子供を虐待から守る為犯人を有罪に】
方や【子供を虐待していない人々を無罪に】
大きくこの二つの正義のぶつかり合いだが
冒頭の溝口医師は正義の名の下に
診断を大袈裟にしすぎた。
ただし溝口医師は
『子供のために』と言っていたが、
それも冤罪であればその子供が、家族が
悲しい思いをする。果たしてそれは
本当に正義たりえるか、
単なる正義の暴走ではないか。
冒頭、溝口医師は自分の考えを自信満々に
語っていたが、【条件が3つそろっだからといって揺さぶられっこ症候群とは言えない】
その根拠を別の脳外科医から提出され。
今まで溝口医師の診断で有罪となっていた
事件は無罪となる。
溝口医師はその後のインタビューを拒否したが
、勿論正義の暴走は溝口医師だけじゃない。
マスコミのせいで日本全国の視聴者は
誤解したはずだ。
嘘の報道、誇張された報道。
当初次女の幼い娘2人の子の世話をしていた祖母は
長女が車で病院へ送る流れになったため救急車を呼ばなかったがマスコミは『救急車呼ばなくていい』と報道。
この他主に4人のケースが映画全体を構成
してるが、どれも胸が痛くなる事案ばかり。
代謝の遅れによるもの、
心疾患による突然死、
立とうとしてソファーをつかんだ
瞬間後ろに転倒。等。
本当なら事故として処理される事案は
マスコミ、医療関係者のマニュアルの思い込み、
捜査不足、正義の名のもとに
大事な人生の時間を無くした無実の人たちが
いる。
今でもオールドメディアの偏った考えや
報道が後をたたない、
その報道は本当に正義が?
公平性、正確性、一体何を見つめその
報道を行なっているのか。
見る側の私も今一度考えなくてはならない。
いま、そのニュースにうつる情報は
本当に正しいのか、人の人生だけじゃない、
もしかしたらありえたかもしれない
自分の人生に降りかかる事としてしっかり
自分の考えを持たないといけない時代だ。
その大事な【気づき】を
もらえるきっかけになる
良いドキュメンタリー映画でした。
「信じること」と「疑うこと」は、本当に対立するのか
揺さぶられっ子症候群については興味を持っていた。事故で頭部に衝撃を受けた可能性もあるのに、3つの症候があればただちに「大人による揺さぶり」「虐待」と疑われ、冤罪が多く生み出されたのだ。この映画は一連の報道の集大成のように見ることができた。
この3症候論を強く主張した医師のインパクトあるインタビューも、もともとは関西テレビの報道で、この映画の監督によるものだった。
対する秋田弁護士は一審で有罪とされた事件で次々と逆転無罪を勝ち取る。映画は、一種の法廷ドラマとして緊迫感をもって鑑賞することができる。
一方、ハッピーエンドで幕を閉じることを拒んでいるのが20代後半の男性被疑者のケースだ。「俺がそんなんするわけないやろ」とまくしたてる、いかにも悪質そうな義理の父。
それまで冤罪を疑われた親たち(あるいは祖母)とは違い、この人の冤罪を晴らすのは難しいのではと思わせる。
しかしこの若者は5年も収監された末、支援してくれた弁護士に感謝でいっぱいの、人懐こくて味のある人物として戻ってくるのだ。高裁で立派に無罪を勝ち取ったが、現在検察が上告中とのこと。
テレビの報道者としての監督は、当初この若者を疑ってしまった。その贖罪のように、メディアの限界を問題提起することが映画後半のテーマになっている。
ただ、映画の踏み込み方は深くない。「犯人逮捕」の瞬間だけ盛大に報道し、冤罪に加担するメディアの問題は大昔から言われてきたではないか。
「初めから君を信じていればよかった」という監督の反省は、人間ドラマとしては誠実だし、天然な人柄をうかがわせる。その分、考えるべき余白を大きく残していると思うのだ。
そもそも、「虐待を見逃さない」「冤罪を作らない」という「二つの正義」の争いとしてこの問題を描くのはちょっとズレている。
虐待発見派の医師は「子どもの立場に立つ」と言う。しかし、親の加害を立証するだけでなく、急死の原因となる病気を突き止めることも子どものためだろう。冤罪を晴らす側だって、「あなたを信じたいからこそちゃんと疑いを晴らそう」という考えも成り立つはずだ。
つまり二項対立に陥らず、多角的に真実を明らかにするという姿勢が大事ではないだろうか。被疑者と二人三脚を組む弁護士ならいざ知らず、報道や検証の仕事であるのなら。
たくさんの人に観てもらいたい
今日の味方は、明日の敵
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