SEXのレビュー・感想・評価
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セクシュアリティや愛の形はいろいろあるけど、皆お互いへの優しさを競い合いましょうという制作者の思い
男が抵抗なく泣き、男(の子)が裁縫して衣装を作る、ジェンダー平等が進んでいるノルウェー。
そんなノルウェーでも重いものを運ぶのは男で、手を痛めるまで手伝ってもお礼の言葉もない。一部でよく云われる「男だって辛いんだ」というバックラッシュの主張を、敢えて入れていますね。
ベテランの女医さんは、「生理は女神とは思わないけど、生命を体感できる生理のあった頃が懐かしい」みたいな台詞を口にしていました。女はしんどいけど、男には得られない痺れるような感覚もあると言うことでしょうか。
茶髪氏は、妻を裏切ってないと考えるからこそ男とのSEXの話を妻にしました。
でも妻の方は到底受け入れられません。茶髪氏も行為の一挙手一投足を説明せよと言われたらさすがに嫌になってきた。素晴らしい体験だったはずなのに。だったらコソコソやった方が良かったのでしょうか。
価値観や倫理観はいろいろあって当たり前で、それを理解した上で、お互いに優しさを競い合いましょうという制作者の意図が感じられました。勿論そう出来れば素晴らしいし、積極的に実践したいのですが、実際はなかなか上手くいかないのも事実。人間は感情の生きものなので。
全編圧倒的な会話劇で、フランク・ロイド・ライトの入れ墨のくだりと最後の聖歌隊発表会以外は映画的広がりが少なかったので(長回しやズームなど工夫はあるが)、個人的には少し残念。
清潔で整然としたオスロの街並みとフュージョン風の音楽はとてもよかったです。
あとレンジの上に置いてあった煙突掃除人のフィギュア(たぶん)がかわいかった。
3部作の中で1番好きなのがこれ 5にするか迷った 主人公の考え方に...
3部作の中で1番好きなのがこれ
5にするか迷った
主人公の考え方に共感できて気持ちがわかりすぎた
他の人もみんな素直でとても良い、その辺は見ていて気分が良い
コメディーなのかシリアスなのかわからなくなるようなセリフとか、
その辺も良かったし、
セリフ劇的なのも好き
あと、
デビッドボウイの新しい使い方を知ったかな 笑
オスロの空気感の中、重いテーマを軽やかに描く
オスロ 3つの愛の風景トリロジーの中から、時間が合う『SEX』を鑑賞。
この作品は、第74回ベルリン国際映画祭 パノラマ部門 エキュメニカル審査員賞・ヨーロッパシネマレーベル賞・国際アートシネマ連盟賞の三部門で受賞している。
ノルウェーのオスロを舞台に、妻子ある煙突掃除を生業とする男性二人を中心に描かれるドラマ。一人の男は、客の男性と一度きりだが肉体関係を持ち、それに刺激を感じたと打ち明け、その出来事を妻にも話す。
もう一人は、毎晩のように見る夢の中で、デヴィッド・ボウイから女として見られ、解放感を得る感覚に陥っている男。
それぞれの妻たちは女性らしい現実的な反応。男性と関係を持った方は、夫婦仲がこじれ思い悩み、デヴィッド・ボウイに女として見られた男性は、声変わりしたと思い込んだりという風変わりな展開。
二人ともゲイではなく、セックス、愛、ジェンダーの境界に悩む男性ならではの未熟な姿を、台詞のやりとりが非常に多い中、描いていく。
重いテーマながら、けして重くせずむしろ軽やかな流れを感じる造り。オスロの街の景色やそれぞれの家庭、家族とのつながりを淡々とスクリーンは映し出していく。
性と愛について考えさせられる内容でもあり、見る者によって捉え方は色々という映画作品。
煙突掃除という日本にはない職業、単なる汚れ仕事でもなく中流以上の所得層。新婚カップルが煙突掃除人と出会うと幸せになるという逸話があり、見知らぬ新婚カップルと写真に写るシーンがあったり。
全編にわたり、北欧の独特な空気感を深く感じ不思議な感覚を覚える。特段の展開はない中、あっさりしながらも何処か温かさを覚えるエピローグが印象的。
起承転結の物語なき、映画マニア向け作品。他の2篇も観てみたい。
意外と難しくて読み取れず楽しめず
DREAMがかなり良かったので、3部作全部見ようと決めました。で、その2番目の観賞。タイトルから勝手にイメージしてしまう直接的な絡みは非常に少ないし、映像も非常に静かで、語られる事柄もかなり濃密、というか難しい。
今回は、男性同士の愛とか男性の性をテーマにしていたという印象。2つの夫婦を軸に、そこに入り込んでくる男性目線の愛が、じっくりと複雑で濃密にこねくり回されていくような印象でした。物語として展開されるエピソードは第三者目線では結構面白かったりするのですが、テーマそのものはかなり重く容易ならざるもの。興味深い内容にぐいぐい引き込まれていくのですが、入り込んでいけばいくほどに難度が高くなっていくような感覚で、単純に楽しむことはできなかった気がします。
男女の夫婦に子供がいて、日常を切り取っているだけ─なのに、なんか別次元の出来事に感じてしまうのはなんでだろう。「ヨーロッパってああいうの進んでるよねー」というような声が聞こえてきて、なるほど、そういった感覚かー・・・と何となく実感。
とはいえ、あのような歌をあのような衣装で不思議な振付で朗々と歌い上げるようなことなんて、見たことないかなぁ。でも決してそれを先進的とか進歩的には見えないんですけど、神秘的には感じました。ああ、だからああいう締め方なのかとようやくつかめてきたような気が─。それでも、この作品はかなり難しかったように思います。
悦ばしき曙光
特集上映「オスロ、3つの愛の風景」オール鑑賞済となりました。3作の共通点は、精神科医のビョルンが出てくることと、オスロ市庁舎(ノーベル平和賞授賞式会場で有名)が出てくることです。3作品とも見応えがありましたが「DREAM」「LOVE」で解放された心が「SEX」でちゃんとお灸を据えられて現実との折り合いを考えさせられます。3作とも年長女性のユーモアと知性が魅力的でした。本作で言えば、女神やタトゥーの話が印象的でした。3作とも性についての議論がふんだんにあります。特に当作では永遠にSEXについて聞かされるバカバカしさ、絶妙な嫌悪感が顕著でしたが、思考を超えて愛し合うことの可能性を模索します。お見事です。短期間で強度の高い映画を連チャンで観たので頭とお尻が痛いですが、心はとても軽やかになりました。
ただただ話してるだけなのに
3作とも観るべきなんだろうけど『DREAMS』は、なんとなくぬるそうで惹かれず、時間が合ったので先にこっち。
最後の変なダンス以外は大きな動きもなく、ほぼほぼ会話劇。
誰も激昂したり声を荒げることもなく、人の話を遮ることもなく、『SEX』というタイトルながら、性的な描写も無いに等しい。
特にヤマ場もないのに、何故か眠くなることなく聞いていられる不思議。
茶髪男と妻のやり取りが、どっちもどっちで共感はできない。
金髪男の方は、何言ってんだかイマイチ分からない。まぁ本人も分かってないようだし。
宗教にはとんと疎いので、ノルウェーの宗教事情も知らないけど、キリスト教徒と知られて困る事ってあるのかな?隠れキリシタン的な?
分からない事だらけで、ただの傍観者なのだけど、なんだか面白かった。
タイトルなし(ネタバレ)
主人公は、40代の煙突清掃員。
ある日、同僚から「昨日の夢の中で、D.ボウイからトイレで見つめられて、何か求められている気持ちになった」と言われる。
それに対して、主人公は「俺は昨日、客とやった。作業後、彼が突然、求めて来たんだ。一旦は無視して部屋を出たんだが、求められていることに何かを感じて引き返したんだ。君にだけ話すが、昨日の夜、妻には話した」と返答する・・・
といったところからはじまる物語。
男性と(衝動的で一時的に)関係を持った主人公と妻の関係が壊れていく話だけれど、「愛と性行為は別」と主人公は妻に話し、両者の心情がとことん話し合われる。
どこからが浮気で、どこからが愛か。
それぞれと性行為との関係は幾ばくか。
漠然とした概念の淵を形作ろうとして、徹底的に話がなされる。
一応はコメディなのだが、真面目に愛を追究する。
真面目ゆえに可笑しい。
夫婦関係が修復不可能なほど壊れきってしまえば判りやすい話なのだが、そうならないあたりが興味深い。
並行して、同僚の物語が描かれる。
彼が夢の中でD.ボウイに見つめられるという挿話は主人公との対比でわかりやすいのだけれど、キリスト教信者であることを隠している(大っぴらにしていない)あたり、彼の立ち位置がスッと飲み込めず、少々もどかしい。
というのも、彼が教会の発表会でパフォーマンスするのが最後のエピソードだから。
嫌いな作風ではないので、予定どおり他の2作品も鑑賞する予定。
煙突掃除人の後悔
題名がストレート過ぎてちょっと恥ずい
北欧では煙突掃除人はメジャーな職業なのだろうか?
幸福の象徴であり結婚式の日に出逢うと幸運みたい
ノルウェーではキリスト教はマイナーなのだろうか?
茶髪の男は何の悪びれもなく昨日の体験を話してしまう
パートナーに話さなくてもいいのに…
同性なら良いのか、隠さなければ良いのか
コメディタッチだけど妙に考えさせられる
相手の受け取り方が期待していた回答と違くて
全く予想しない答えが返ってくることはよくあるよね
今回は茶髪の男だけが考えが浅かった
日本との文化の違いもたくさん出てくる
3部作あるけど他の2つも評価が良いので観てみたい
あとノルウェー語の語尾が上がる所ちょっとクセになりそう
はてしない会話劇とボウイ様の存在感
これは寓話かリアリズムか
BL論者には普遍的に問題になる、初めてのSEXにおける洗浄および慣らしとあう事項が全く触れられてないにも関わらず快楽を得たというのが、初めはなかなか受け入れられなかった。
でもみてるうちにこれはリアリズムをまぶした寓話としての傑作映画だと確信しました。
台詞、エピソード、音楽、全て良し。
SEXについて真摯に考えるひとは必見です。
全然関係ない映画だけど「リンダリンダリンダ」ぐらいのマジックがある。
セックスは語れるのに宗教は語れない──自由な社会の逆説
昨日見た3部作の2作目「LOVE」がとても刺激的で面白かったので、2日続けての鑑賞。今日はこの第1作目を同じ映画館に見にきた。月曜日お昼の上映でもあり、客席は2割程度。刺激的なタイトルだから敬遠されるかもしれないが、中身はこの監督らしい知的な会話劇だ。
今作のタイトルはSEXだけれど、SEXはテーマというよりは題材だ。性的な規範や性的志向性の問題というのは、この世界で最もリベラルで民主的な国では、すでに解体されていて、個人の自己選択に任されている。どういった形であれ認められるべきで、あとはパートナー同士での合意の問題であるというような世界での出来事だ。
昨日見た「LOVE」同様に性の話題はオープンに話される。子供がいようと関係ない。親子で外科にいくと老齢の女性医師から、妊娠中のセックスの素晴らしさとかが語られる。
しかし、こうした自由さは、規範が不明瞭なだけに、パートナー(夫婦)間でのすりあわせが重要で、主人公の一人はここで間違えてしまうことから話が始まる。
仕事先で同性から誘われて、ゲイではないのに、ちょっと迷った結果、応じてしまう。彼にとっては、新しい発見でもあり、ワクワクする越境体験でもあったのだろう、友人にも妻にも話してしまう。ところが当然だけれど、それは浮気だ、裏切りではないかということになる。
彼は「隠すと浮気」「隠さなければOK」という彼なりの規範を作り上げていたようだ。しかし、それは妻にも友人にも通用しない。自分が相当ズレていたことに話してみて相手の反応で気がつく。それをフィードバックとして取り入れて、その後の自分の言動を調整していくという「LOVE」でも行われた自由な世界で生きるためのパターンがここでも行われていた。
もう一つのテーマは他者から寄せられる視線や欲望が、その人自身の主体を作るというテーマだ。対話が重視される自由な社会では、一人一人しっかりした自己を確立して、それぞれの意見を持っているのかと言えば、やっぱりそれは簡単なことではない。他者からの視線、眼差し、向けられる欲望に応じて自己が形成されていくという、空気を読む日本人にはお馴染みのパターンが、ノルウェー人ではちょっと違った形だけれど、主人公2人それぞれに起きることが印象的だった。
浮気をした彼は、要するに他者から欲望を向けられることで、その欲望を模倣するかのように自分自身にも欲望が乗り移ったからの浮気であるし、もう一人の主人公は夢の中でデビット・ボウイから性別を超越した視線を向けられたという。後者の方は、日頃の役割としての自分、煙突掃除人、妻のパートナー、父…そうしたペルソナではなく、真の自分自身に対しての視線を感じたというようなことではないかと思った。
さらに興味深いのは、この主人公が、これだけ性的なことまであけすけに語る社会で、キリスト教信者であることを打ち明けたことを、なかなかできることではないと賞賛され、喜ばれる場面だ。
これだけ自由な社会においても、というか自由な社会を志向するからこそ、どんな思想を持ってもいいというわけではないということなのだろう。
キリスト教は、同性婚や中絶、ジェンダー平等に関して批判的立場を取るいわば伝統重視でもあるから、リベラルな社会での非寛容勢力として、差別的に扱われるリスクがあるという矛盾も描かれていた。
自由で個人主義の徹底した社会だからこそ起きるコンフリクトを巧みに描いた映画で、LOVEに続きとても面白かった。
規範のない社会だからこそ、徹底的に自分の感覚を頼りに内省して、自分の感じていることを確かめる。そしてそれを言語化し、対話してみて、擦り合わせていく。
なかなか大変だけれど、それをするからこそ自由で平等な社会が実現のしていることを実感させられる一作だった。
煙突掃除人は幸福のシンボル🍀
ハウゲルード監督の三部作、最初に見たのが「SEX」。いきなりなタイトルで少し緊張したが楽しくて笑える映画でもあった。みんなとにかくよく喋る。イタリア人みたいに人の話に割り込む方式でなく、じっくり一人が語りその次に相手が語る、順番ちゃんと守ります方式。北ヨーロッパだ。
煙突掃除人、ときたら、四つ葉のクローバー、てんとう虫、馬の蹄鉄、豚さん、1ペニヒ硬貨と並んで幸運をもたらす御守りアイテムだ。煙突掃除人は黒い帽子に始まって黒い作業服に黒い靴、全身真っ黒で針金みたいな道具を背中にしょっている男性だ(映画では女性もいた)。この映画は二人の煙突掃除人の会話から始まる。
金髪の彼は、デヴィッド・ボウイに性的な眼差しで見つめられる夢の話をする。人の夢の話ほど退屈なものないが相手はジッと聞いている。金髪男は今までそんな風に男から見られることも願望もなかった。ところが夢の中の自分は快感を覚えた。映るのはひたすら話す彼の顔だけなので、ジッと聞いているのが誰なのか観客はわからない。ボウイの話が終わって相手が映ったと思ったら、その男は「俺は昨日、男とセックスしたんだ」とあっけらかんと言う。この「あっけらかん」は可笑しいが後に大変な状況を引き起こす。同僚で友人同士の二人にはそれぞれ妻がいて子どもがいる中年男だ。生まれて初めて男とセックスをした茶髪男は気持ちよかったらしい。妻に対して罪悪感はなく自分に対してショックを受けることもなく、かといってこれからも男とセックスしようとは思っていない。自然ななりゆきで、異常でも有り得ないことでもなかった。性自認とか性志向なんて言葉は脳裏を掠めもしなかった。ただ人間は社会的存在だから大変だ。妻にとっては夫に「浮気され」「自分にとって繊細で大切なことが蔑ろにされた」のだ。妻は混乱する。そしてこの夫婦も本当によく話す。声を荒げることなく沢山話す。妻に細かく質問されて答えるうちに、夫も混乱して訳がわからなくなりドツボにはまる。妻泣く、夫も泣く、寝室別になる、妻は友だちに相談することにする。
一方の金髪男は、ボウイの夢のせいで自分の声がかすれて音程が変わったのだと悩みカウンセリングを受ける。隣には13才の息子(この年齢で自分の将来の年金を心配したり、パパのコーラス発表会のための衣装をミシンで縫う。すごく可愛い!)が居る。緊張をほぐすとのことで、舌をタオルで挟まれ引っ張られる。カウンセラー(女性)はハンナ・アーレントの本を紹介し読んでみるといいと言って貸す。ここでアーレントか~!とシュールな感じだが茶髪男同様、社会との関わりを問われている気がする。社会や公共といったものから役割をあてがわれ、その通りに生きていけば男性は楽だ。その楽ちんなマッチョ世界の裏には深くて暗い無意識世界がドーンと構えている。知らなかった世界にちょっと触れた金髪男と茶髪男、似たような経験をして互いに共感しあって、これからもたくさん色んなことを話すんだろう。笑えて考えて映像がユニークで面白い映画だった!
おまけ
今、思い出した。北欧は幸せいっぱい~💕と思われてるけどそんなの嘘、といって悪ければどこにでもあることが北欧にもあるよ、だと思う。いい、悪い別としてパッチワークファミリーが普通のようだし、男同士仲良く固まってルンルンするの好きみたいだし。気候が気候だから11月は薬でも飲まなければ鬱になる。でも北欧の映画に惹かれるのは、表情が硬くても、喋る時は喋る、でも沈黙の意味もわかってることかな。
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