「そして娘になる」ワン・バトル・アフター・アナザー M.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
そして娘になる
最初に観た時、「そして父になるみたいな話だな」と思いました。是枝監督の「そして父になる」のことです。あの映画ほど、テーマを全面に出してないし、雰囲気も暗くないと思いますし、言葉で直接伝えるものではないとは思うのですが。
家族を家族たらしめるものは、血か過ごした時間か。
本当はどちらも大切なのでしょうが、もしどちらかしか得られないとしたら、どちらが大切になってくるのか。少なくともこの映画の登場人物である娘は、過ごした時間を選んだことになりました。というか、実の父親である警官がクズ過ぎて選択の余地もなかった訳ですが。
主人公のボブを演じるレオの、人間のド底辺にいながら父性(といっても毒親な面は否めないのですが)だけは超一流な人間像が、あり得ないようで妙にリアルなところはどうしてかを考えた時、元テロリストという側面が現実性を担保していつつ、そのくせにどこか抜けていて、人が良くて他人を疑わない面が絶妙に同居しているバランス感が、妙な説得力を持たせているのだろうなと思いました。物語の最後まで、結局、この人は娘が実の子供ではないことは知らないでいる訳ですし、そのままテロ行為に赴く娘に「ほどほどにな」と、この家族らしい「いってらっしゃい」を送る能天気さを見せてくれるところもそう思わせてくれました。
他の登場人物もみんなが同じような造形で象られていると個人的は思っていて、警官でありクズ人間であるロックジョーですら、完全な悪というよりは、アメリカという国によって「そう形作られてしまった被害者」の側面すら見えてしまうところが面白いところでした。理想の自分と本当の自分が矛盾した関係にあり、常に葛藤を抱えている様子を、妙な歩き方や無表情の中に潜む狂気でS・ペンが見事に演じていると思いました。結局、ダブスタを演じようとした結果、何一つ得ることなく死ぬこととなる最期はさすがに憐れだな、と思いました。
ただ、この物語の真の主人公は娘であるウィラであり、彼女が本当の意味で「娘になる」ことこそが、この物語の醍醐味なんだろうな、と思っています。予告だけだとレオが追手から逃げる物語なのかと思ったら真逆で、むしろ追っていく方で、追手から逃げるのはウィラでした。最後の最後まで彼女は逃げ続けるのですが、最後のジェットコースターのような道路(おそらく山あり谷ありな人生のメタファーだと思っていますが)の頂点で一転、反撃に躍り出ます。追手(だったのかは定かではありませんが)の白人至上主義者を撃ち殺し、父親が違ったこと、母親が裏切り者だったことなどを知り、グチャグチャになった思考回路で一心不乱にやって来たボブに「お前は何者だ!」と問い詰め、何も知らないボンクラなボブが純粋に「お前の父親だよ! もういいんだよ!」と近付いていき、ようやく二人が邂逅する場面は、確かに感動的でした。この時、彼女はやっとボブの本当の娘となったのだと思います。
人種問題、移民問題、テロリズム、血のつながらない親子関係など、困難な問題を取り扱いながら、その実、まるで優しい世界を描いた寓話を見せられているような不思議な心地にさせてくれる作品でした。それは、登場人物たちがみんな、どこか憎めない面を持ち合わせつつ、善悪がはっきりした対立構造となってもいると思うためかな、と思っています。善悪と言っても、この作品でいう善悪は、通常のそれとはちょっと違うとも思いますが。
物語の構造でいえば、ボブの知らないところで多くのことが起こっていて、それにボブはまったく気づかずに進行していくところだったり、一見すると理不尽に見える展開が、その実、自業自得であったりするところなども、見事な構成だな、と思わされました。
その他、この物語は「一人の自由な女に振り回される憐れな男たちの物語」でもありますし、「金と勇気の関係性」の話でもありますし、「思想という概念の馬鹿馬鹿しさ」の話でもありますし、「人間は完全になろうとすることでより不完全になっていく」というメッセージもあったように思います。他にも色々なテーマを抱えた作品であると思いました。
ただ、上記のような話である割に、そのテンポや音楽がとても軽快で、最初はチューニングが上手くいかず、楽しみ方を心得るまでに少し時間が掛かったので、あくまで個人的な気持ちの問題で1点引きました。
娘は育ててくれた人が実の父ではないと知ったときに、誰も信じられなくなったけど、ダメダメなのに必死でなんなら部屋着のまま自分を取り戻すために奮闘、「お前は誰だ」「お前の父親だよ」このひとことで信じられるのは誰かわかったよう。「そして(改めて)娘になる」話だったような気がしますね。
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