劇場公開日 2025年10月3日

「悪い意味でP.T.A.らしい作品」ワン・バトル・アフター・アナザー 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 悪い意味でP.T.A.らしい作品

2025年10月3日
iPhoneアプリから投稿

『マグノリア』の過大評価や、
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』といった、
俳優の演技力を軸に据えたP.T.A.が取るべき路線を、

なぜ継続しないのかというのは、
詳しくはYouTubeをご参照ください。

本作も、
良くない意味でP.T.A.らしい、

つまり、帯に短し襷に長し、
とでも言うべき、
本作自体の完成度と構成や演出に焦点を当てたい。

まず指摘しておくべきは、
ペルフィディア、ディカプリオ、
ショーン・ペンといった主要キャラクターたちに、
それぞれ一定の〈尺〉が与えられているにもかかわらず、
その描写がいずれも主観的に偏っているという点だ。

演出は彼らの内面に寄り添っているようでいて、
実際には外部からの視座が希薄なため、

物語の〈つかみ〉となるべき導入部が機能しているとはいい難く、
観客が感情的にも論理的にも物語にアクセスしづらい構造になっている。

フレンチ75の思想的背景、
ボブの技術の説得力、

ロックジョーは相変わらずの怪演ぶりでなんとか見れる、
ベニチオくん然り。

民主党よりも極端なペル、
共和党よりも偏ったペン、
この縁取りを明確にして、
ボブの適当だけど娘は大事、
ここ、ちゃんとやらないと、
後々全てが上滑りになるよ。

物語がようやく転調するのは、
〈平安三段〉あるいは、
ディカプリオに〈親心〉のような感情がほの見え始める頃だ。

ここで一瞬、主題の核心に接近する。

しかし、
そこから一気にエンターテインメントに振り切れることを期待しても、
中途半端な足踏みを続ける。

確かに、画面にはさまざまな〈余白〉がある。

キャスト陣の演技力も申し分なく、
場面ごとのテンションにも〈可能性〉は宿っている。

だが、その余白はあくまで未使用のスペースにとどまり、
脚本や演出によって意味的に活かされることは少ない。

とりわけアクションパートにおいては、
『マッドマックス』的なオマージュにとどまり、

アップダウンで三車など、
変わった事はやっているが、

それを超える新しさやユーモア、

あるいはP.T.A.らしい編集や構造すら現れてこない。

断片を意図的に積み上げ、
時間差で全体像を浮かび上がらせる手法は、
『ブギー・ナイツ』や『パンチドランク・ラブ』以来の持ち味であり、
本作においても例外ではないといえなくもない。

だが、それもまた部分的であり、
結局のところ、

2ストロークバイクの排気音を、
車に使用したり、
ラロ・シフリン風の音楽は部分的に効果的だったが、

問いとして残るのはひとつ、
「ワン・バトル・アフター・アナザー」過ぎやしないか?

P.T.A.なりの明日はどっちだ。

蛇足軒妖瀬布
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