劇場公開日 2025年9月5日

「映画は結局、誰のためのものか。」タンゴの後で あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 映画は結局、誰のためのものか。

2025年9月7日
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鑑賞方法:映画館

マリア・シュナイダーは2011年に亡くなっている。この作品「Maria」は本人の死後に従姉妹が出版した評伝を映画化したもの。ベルトリッチへの暴露ものといった評価もあるが、マリアの女優スタートであり結果として彼女の名前を後世に残すこととなった「ラスト・タンゴ・イン・パリ」でのエピソードはマリアのキャリアにおいて取り上げざるを得ないし、撮影時のトラブルと、マリア対マーロン・ブランド、ベルトリッチのその後の不和はとてもよく知られたものでありいまさら暴露云々という話ではない。
この映画は、「タンゴ」のあと、いわば女優として最初からつまずいてしまったマリアが、以降も表現者としてなんとか生き延びていこうともがき苦しむ話である。その中にはヘロイン中毒という負の側面もあったが、映画の中でも触れられているように、例えば、アントニオーニの「さすらいの二人」のような良作への出演もあるので沈み放しというわけでもない。女優人生をアナマリア・バルトメイが好演、見応えのある作品となった。
ところで、本作を#Me tooトレンドへの追随と捉える向きもある。そもそも#Me tooをトレンドとして仕分けることに問題があるのだが、それはさておき、「タンゴ」はハーヴェイ・ワインスタインの件とは異なり、撮影現場で起こっているところに問題の本質がある。つまり、男性が女性を性的に支配することをテーマにした作品が、監督と主演男優が圧倒的に力を持っている現場で撮影される、二重の抑圧である。
これは結局は「映画は誰のものか」というところに帰結する。いまさら撮影現場の民主化みたいなことは言いたくないが、少なくともベルトリッチのように自分の映画には出演者はいない、登場人物しかいない(そして登場人物が何を語りどんな行動をするかは自分だけが決める)と嘯くようなマネジメントはもうあり得ないとは思うけど。
ちなみに私は自分自分が若かった頃はともかく、今となってはベルトリッチは全然良いとは思わない。「暗殺の森」も「シェルタリング・スカイ」もね。何、オッサン格好つけてんねん、っていうところですかね。
ところで、バターの件ですが、日本映画だけど「花腐し」にもバターが登場します。あれは意図的にやったのかな?荒井晴彦に尋ねてみたいところです。

あんちゃん
トミーさんのコメント
2025年10月3日

バターは最初から使う予定だったんでしょうか?
韓国映画みたいに脱がないから駄目!SS監督とか表現者の問題は根深いモノがありますね。

トミー
prisonerさんのコメント
2025年9月9日

荒井晴彦脚本のロマンポルノ「ベッド・イン」でもバターを使ってましたね。

prisoner
ひろちゃんのカレシさんのコメント
2025年9月7日

お邪魔します。
「花腐し」はこの件を踏まえてるのだろうと私も思いました。
それは兎も角、本作は、画家や楽器奏者のように自分の内なるパトスを自分の技術で表現する者と、映画監督や指揮者のように他者にそれをさせる者との資質の違いを意識させます。「させる」以上、権力構造みたいなのが自然発生してしまうけれども、それを意識させないのが極意だ、という意味の事をある指揮者が言ってたのを思い出しました。

ひろちゃんのカレシ