パトリックとクジラ 6000日の絆のレビュー・感想・評価
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海面に直立する様に眠るマッコウクジラの姿が神秘的。
パトリック・ダイクストラにマッコウクジラのことを教えてもらいながら、海に潜り観察しているような気分になるドキュメンタリー映画。
美しい海とクジラが泳ぐ迫力の映像、マッコウクジラの生態を知る驚き、自然の壮大さを感じる。
パトリック・ダイクストラの真っ直ぐな眼差しとマッコウクジラを語る言葉が心を奪われて、美しく泳ぐマッコウクジラと海に目を奪われる、海の中に浸る時間でした。
この日、映画を3本観たのです。
1本目、パルテノペ ナポリの宝石
2本目、パトリックとクジラの6000日の絆
3本目、グラン・ブルー
海に関係する映画を堪能する1日となりました。
ルーララー
イルカやクジラと泳ぐというと、ジャック・マイヨールを連想する。映画「グラン・ブルー」のモデルになった人である。別の映画で、浅い海の底で坐禅を組んでるところを見た。恐ろしい程、息をしないでいられる人である。そんな素潜り名人マイヨールを取材した、「クジラが見る夢」という本を以前読んだが、彼はザトウクジラと泳いでいた。マイヨールは、本当はシロナガスクジラと泳ぎたかったらしいが、やはり出会うのはめちゃくちゃ難しいようだ。そのへんはパトリックとかぶってる。パトリックの泳ぐ姿を見ていたら、マイヨールを思い出した。二人とも海を愛し、海に愛された人なんじゃないかな。
陸上の生物は重力に支配されているが、海洋生物は水のおかげで重力からは自由だ(深くなれば水圧はかかるが)。その巨体が立ち姿で眠る姿にほっこり。息を時々ぽっちり吐く。泡がぽぽっと上昇する。あの泡を顔に受けたい。ああ、なんと平和なのだろう。
クジラは愛情深く、穏やかで、共感力が高いと思う。家族の絆も強いという。集団座礁も仲間を守ろうとするあまりに起こってしまうのかもしれない。人間が海で動きまわるのも原因なのだろうか。原因がわかり、対策が取れることを願う。
パトリックがカメラをマッコウクジラに取り付けようとして、拒絶されてしまう。それまでとても仲良く泳げていたのに。やはり、気負いが全身に漂っていたのかな。失恋したみたいに悲しそうな顔をしていて、かわいそうだった。でも、終盤、唯一音楽が入った、クジラと見つめ合い泳ぐシーンは、最高にきれい。遊び心もあって、とても良かった。
クジラは脳が大きい。一体、クジラは、その大きな脳で、どのように世界を捉えているのだろう。同じ哺乳類でも、記憶や感情は、ヒトとどのように違うのだろう。とても知りたい。クジラの思考を翻訳する機械があったらいいのに、と、パトリックも言っていたが、激しく同意。海は宇宙と同じくらい、未知のものにあふれている。広く深く、海中を渡るクジラは、人類が及ばないような深遠な哲学者かもしれない。哲学者は歌う。ルーララー、宇宙の風に乗るー。って歌ってる可能性もあるかも!?
海洋学者ではないが、、、
まず冒頭のシーンの「眠るマッコウクジラの林立」に息を呑む。
コレを観るだけでも大満足。
パトリックは、熱狂的なクジラ好きの元弁護士(独身)だから、
「僕を許してくれるかい?」と自分の名付けたくじらにつぶやくなど、
恋人関係の様に甘く、想いも一方的に深まっていくがww
そこは気にしないでおこう。笑
彼だからこそ、撮れた至高の映像だからね。
分かりやすいドキュメント。色々考えさせられた。
パトリックは水中カメラマン。クジラを愛し、マッコウクジラとの絆をカメラにおさめたが、この撮影が見事。絆があるケースとないケースがパトリックのインタビューで分かりやすく見事。また、クジラの座礁問題や捕鯨問題も指摘し、色々考えさせられた。見事なドキュメント。
新宿まで見に行ったのに うっかり寝てしまった自分が不甲斐ない
ウトウトしてしまって、特に物語があるわけでないので、
記憶記憶のはざまで断片的に 画像を鑑賞している感じ。
あれだけ鮮明にクジラの目や クジラの質感を 画像でとらえているのはすごいと思った。
夢では、おぼれるのがこわいので でてほしくない、と思った。
個人的には、全てを
パトリックのスゴい個体識別能
パトリックのクジラ愛は本物。
くじらくん認定。
マッコウクジラの大きな頭に小さな下顎。
歯に挟まったイカゲソ。
ダイオウイカ?
焼いて食べたくなった😎
深海での彼らの行動をカメラ撮影しょうと親しくなったメスの身体にカメラをコバンザメ方式で取り付けようとするパトリック。
その先は日本の深海探査カメラチームにお任せください。
メスのクジラがパトリックの元を去るときはいつも糞を噴射して、サヨウナラしてた。
ずいぶんなご挨拶じゃない!って、
怒らないのがパトリック👍
クジラって頭いいのがよくわかる。
ベビーシッターを任されるほど信頼されているのは大したもんだ。
ストーンヘイジのように垂直になった家族が輪になって並んでいるのはテレパシーで交信して、絆を深めてているに違いないと思った。
マッコウクジラの寿命は70年だそうだ。
10歳ぐらいの若いオスクジラの集団座礁事件。メスは群れをして一生を共にするが、オスは10歳になると群れを追い出される。普通は群れないらしい。世を儚んで集団自殺?
哺乳類らしい行動だと思って、悲しくなった。
圧倒的なクジラ🐳の存在感
パトリックとクジラ
人とクジラの愛と友情
最初から最後まで、クジラたちが力強く美しい。
『ダーウィンが来た!』のダイオウイカ対マッコウクジラや、シャチ対シロナガスクジラなどとは切り口が違う。それはそれで大好きなのだけど。
中盤で、座礁したクジラの謎を解明したい、救いたいというパトリックさんの想いが上手く伝わらず、すれ違ってしまうシーンは、まるで失恋でもしたかのよう。フラれたパトリックさんの切ない表情がいたたまれない。
人を認識して、今までとは違う接し方に違和感まで感じるとは、ホントに知能の高い動物なんだな。
ラストの逆さま映像は、ファンタジックなラブストーリーのようで素晴らしかった。
とにかくクジラへの愛に溢れた映画。英語も聞き取りやすくて良い。
72分と短いけど、おそらく何時間でも観てられる。
心残りは、前のほうの席にしようと思ってたのに、ついいつもと同じ席を取ってしまった。
タイトルなし(ネタバレ)
海洋カメラマンのパトリック・ダイクストラは、長年、マッコウクジラの生態を撮り続けてきた。
マッコウクジラは、成獣の雌を中心にして群れをつくっている。
時期によっては、いくつかの群れがさらに大きな群れをつくることがある。
クジラたちを撮り続けるうちにパトリックは、二組の群れの中心となる雌の成獣と近しい関係を築くようになった・・・
といった映画。
集団での立ち泳ぎ、クルクルと回転、至近距離での並泳など、これまで見たことがないような画が多く、圧倒されます。
二組のクジラのうち、一頭は途中から登場しなくなります。
理由はわからない。
残る一頭も、吸盤式カメラを装着できるところまで近しい関係を持ちますが、2度目は距離が置かれるようになります。
人と人のコミュニケーションですら難しいのに、コミュニケーション手段を共有していないクジラと親密な関係を続けるのはさらに難しい。
若い雄たちは絆が強く、一頭が座礁すると、残りの雄たちも次々と座礁するなど、不明な生態も多い。
また、座礁したクジラの姿など、美しいだけでなく、ショッキングなシーンも映し出されます。
全編、パトリック彼のコメンタリーで映画が進みます。
できれば、日本語吹替版を作って欲しかったなぁ、と。
より画面に集中できたと思いました。
なお、撮影は、ルパート・マーレイ。
彼は、コメンタリーを述べるパトリックや、映画を進める上での地上部分を撮影したものと思料。
水中撮影は3名体制。
パトリック本人に加え、ゲイル・ジェンキンソン、ロマン・バラッツ。
ゲイルは、たぶん、本編中に姿も写る女性カメラマン。
彼女が、パトリックとクジラが交流しているところを写したのだと思料します。
脚本のクレジットはありませんが、たくみに物語化されていました。
クジラの爺さん、ハーレムやー
75点ぐらい。予想より良かった。
正直あまり期待してなくて低い期待値で観たんだけど、かなり良かった。
クジラにホレこみ、20年もクジラを追い続けるカメラマンのパトリックが築いた、クジラとの絆。
神秘的な幻想的な美しい映像の連続で、映像美と頭よく優しいクジラに魅了されます。
クジラって、頭よくて優しいんだね…
音でコミュニケーションとったり絆が深かったり、興味深かった。
感動した。
クジラは純粋で優しいんだけど、人間って酷いな…
『アバター』を思い出した。
最後に流れる女性ボーカルの曲がスゴくよくてエンドクレジットで確めたら、アリス・フィービー・ルーってアーティストで「Nostalgia」って曲だった。
この曲が素晴らしくて、この作品にピッタリあってて、この作品の良さを引き上げてる。
このアーティストを調べてみたらスゴい日本好きの人らしくて、今まで何回も来日してライブを行ってるそうで去年も来てた(鎌倉が特に好きみたい)
次回は必ず彼女のライブ行こう!
そう思えるぐらい、いい曲で、この曲が流れるなか余韻に浸るエンディングがウットリして最高です。
ぜひ映画館で上映してるうちに、大画面で体感して下さい。
僕は、もう1回観ます♪
愛するあなたのために何ができる?
とんでもなく癒やされる映像である…
観ているうちにマッコウクジラへの愛情がムクムクと育まれてしまうのだ。
この映画のテーマは「愛」だろう。
ーー愛とは何か?
考えさせられる物語が綴られる。
初めはクジラに近づきたいという純粋な愛情だけで動いていたパトリック。
クジラと人との戯れのようなコミュニケーションは純粋な歓びで満たされる。
だが、カメラをクジラに装着しようと試みるところから様相が変わっていく。
きっかけは、幾頭もの雄のマッコウクジラが、同時に同じ浜に打ち上げられた死骸を見たことだった。
群れで泳ぐクジラは悲運も共に享受する。
パトリックは「クジラは仲間を見捨てない」からだと解釈し、愛するクジラのために何かできないかと考え始める。
そのためには、クジラのことをもっと深く知り、それを社会に伝えなければならない。
特に深海でのクジラの行動は謎に包まれている。
そのためにはクジラにカメラを装着して調査する必要がある。
一度目はもっとも親しかったクジラにカメラに装着し、何とか短い映像を得たパトリック。
しかし二度目はーー
5トンの巨体に少しでも押されれば、パトリックは一巻の終わりである。
愛と恐怖の入り混じった感情を吐露するパトリック。
彼が伝える「クジラの感情」ーーカメラの装着を嫌がっている、僕への親しみがなくなった、などーーは、当たっているのだろうか? それとも独りよがりな当て推量に過ぎないのか?
真実と錯覚は容易にひっくり返るものだ。
どんな愛にも続きがある。
初めは見ているだけで幸福だったのにーー
欲望や負の感情が、純粋な愛を蝕み始める。
この映画は、愛を抱える者の葛藤の物語である。
1人のクジラオタクの個人的な映像
クジラに魅せられた1人の男性が個人的にクジラと交流して、仲良くなったり冷たくされたり子供を預けられたりする話し。
主人公がクジラに虜にされている様子がとても伝わってくる内容でした。クジラの大群がいる大海原にかなり軽装で飛び込んでいく様はちょっとはらはらしますが、彼はとても慣れている様子で悠々と泳いでいるのですごい技術だなと感じました。
海などの景色の映像がきれいでした。もっと海や空.クジラ等の映像を使って1時間半強くらいにしても良かったと思います。
夏ばて気味で何もしたくない時に大きなスクリーンでぼんやり観るのにちょうどいいかも。
期待しすぎたかな?
今までDEEP BLUEとかOCEANSみたいなドキュメンタリー好きだったのでそんな感じかな?と見に行ったのですが、何となく中途半端なイメージ。拍子抜け?
クジラとの6000日がそこまで描かれてないのと、科学的にクジラの研究をしているっていう感じではなく、試してクジラに嫌われ、ショックを受ける有様。
追跡もただひたすら待つのみ。自然に介入しすぎない、ある一定のルールをもって(自ら触らないとか)くじらに敬意を払っているところは素晴らしいのかもしれないけれど、結局、人間には届かないところにいる自然の生き物っていう事なのかな??何がどうだった、とかいう結論には達しない自然のドキュメントって感じでした。
鯨の美しさ。鯨への畏怖。
で、誰が撮ったの? 勝因はパトリックのルックス
オレ、写真やってて、ネイチャー系の。主にクジラ。オレのドキュメンタリー撮らない?
だったのか
やぁパトリック、キミの行動は面白いね。ドキュメンタリー撮らしてくんない?
だったのか。
タイトルが、何年も密着してるように見えるがそうでもない、と思う。
編集の妙も結構ある。かなりある。
音楽がバシバシ鳴るし。
多くの人々が指摘してない?
ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」の実写版のようでもある。あちらも実写だけど。
そしてイカは食われる側だけど。
しかし機材いっぱい持ってって音声分析とかしてない。
いっぺん「科学」をやろうとして失敗したような見せ方になっている。
科学への批判も入っている。
クジラたちは美しい。
その横に毛の生えてない哺乳類という、ハダカデバネズミ拡大版みたいな生き物を並べるとどうも見劣りするものだが、パトリックのルックスはギリ、海の美しさを邪魔しない。一般人にしては横顔や鼻がキレイ、ジャン=マルク・バールじゃん、グラン・ブルーじゃん、タンク背負ってないじゃん、というのがこの映画の最大の勝因だと思う。
話す英語もバカっぽくないが上から目線でもない。
よくあるネイチャーもの方向に落とし込んでない演出。
御涙頂戴ではない感情方向に振り切ってて不思議な感情……喜怒哀楽ではない宇宙的な感情を味わうことができる。
そこを解らない人の感想が妙な愛情ものや宗教がかったものに変換されてたとしても許容するだけの度量もある。
今になって説教くさくないネイチャーもの。
もしかしたら問題作なのかもしれない。
圧倒的な映像!衝撃と感動のドキュメンタリー
衝撃の映画だった。
水中カメラマン・パトリックと2頭のマッコウクジラ(ドローレスとキャンオープナー)の交流のドキュメンタリー。
まずはその驚異的な映像に圧倒されるのだが見ているうちにパトリックと自分がシンクロしてまるで海の中にいるような感覚に取り込まれる。もう完全に映画の中に入り込んでしまうのだ。(私はイルカ・クジラのガイドを仕事にしています)
パトリック自身ももちろん撮影しているのだが、パトリックとクジラを見事なアングルで撮影しているもう1人のカメラマンの存在も忘れてはならない。もう一人の水中撮影はゲイル・ジェンキンソン(女性) 映画の中にもちょっと出てくるが30年以上のキャリアを持つベテラン水中カメラマン。この映像は本当に素晴らしい。
ドキュメンタリーというのは往々にしてディレクターの意図に合うように映像がつなぎ合わされると言う手法が取られるのだけれどどうやらこの映画はそうはいかなかったらしい。マークフレッチャー監督によると途中からクジラが監督を始めて演出をされてしまったのだそう。つまりクジラが何か伝えたいことがあってそれに映画全体が引っ張られて行ったそうなのだ。
パトリックが20年以上にわたって目指してきたのはクジラとのコミュニケーション。その中で1番大切なのは信頼である。途中で彼がドローレスとの信頼関係を失ってしまったと思って落ち込む場面があるんだがここは見ていて本当に辛い。そして最後、彼とキャンオープナーとの絆が描かれて幕を閉じる。まさにクジラによって演出されたラブストーリー。エンディングのドローレスとパトリックのダンスはまさに恋。感動的で美しいラストシーンだった。
・・・
20〜30m向こうにいる親子イルカ。子供が遠くからまっしぐらに僕のほうに向かってきてぐるぐる遊び始める時がある。遊び終わるまでお母さんは近くで待っている。お母さんが僕を指名してくれたのだと思うことにしている。あいつは大丈夫だから行って遊んでおいでって。パトリックがベビーシッターを任されたように。もしそうだったら嬉しいよね。
とにかくクジラがデカすぎるのでスマホやテレビの画面には入りきらない。是非映画館でデカいクジラを見てください。
わかりあうとは
9月のファーストデー2本目。
異種と心の交流はできるか?ドローレスとキャンオープナーという2頭のマッコウクジラに魅せられた主人公の主観で描かれる圧倒的な映像美は、客観的に覗かせてもらう体で撮影される他のネイチャードキュメンダリーとは明らかに一線を画していて、実際に自分が海に潜りコミュニケーションしているような錯覚に陥って面白かったな。
まあ、顎下にカメラを付けるって言い出した時に「そりゃ悪手だよ」と内なるちびまる子ちゃんが呟いたが、まあ実際そうなったわね。これだから自惚れ屋の男ってやつは。
実際思い込みだけでどこまでがクジラの気まぐれかはわからないけど、ラストカットの構図の美しさには息を呑んだし、空を漂うクジラのモチーフもあながちSFではないのかもなと思うほどの説得力を伴った映像だった。これはIMAXで見たいなあ。
それではハバナイスムービー!
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