「泣ける!「85歳の身体に12歳の魂を宿した」巨匠ルグランに密着した秀作ドキュメンタリー。」ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
泣ける!「85歳の身体に12歳の魂を宿した」巨匠ルグランに密着した秀作ドキュメンタリー。
思いのほか、感動してしまった。
2018年のラスト・コンサート。
あの「タクトを飛ばした」瞬間。
あれはヤバい。
演奏会の終演後、若手の指揮者が、
めちゃもらい泣きしているのも、
かなりヤバい。
俺の隣のおじいちゃんもグズグズ
泣いてたから、観客もけっこう
涙腺に来ていたんじゃないか?
僕にとってのミシェル・ルグランは、なんといっても「風のささやき」の作曲家である。
もちろん一般的な代表曲が『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』といったジャック・ドゥミ作品の映画音楽だろうというのはわかったうえでなお、私的ベストは「風のささやき」だと言うしかない。
大学の頃、リヴァイヴァルでノーマン・ジュイスン監督、スティーヴ・マックイーン&フェイ・ダナウェイ主演の『華麗なる賭け』を観て、そのOPのあまりのカッコよさに只事ではない衝撃を受けた。
考え抜かれたスプリット・スクリーンのめくるめく輪舞。
スタイリッシュな映像を彩る「風のささやき」のメロディ。
中盤で、この曲はもう一度フルで流れることになるのだが、
大空を翔けめぐり、綺麗に宙返りを決める黄色い飛行機は、
何ものからも自由な主人公トーマス・クラウンの象徴だ。
僕は一撃で、この曲に恋に落ちた。
もともと曲を知らなかったわけではない。
中学生の頃から聴き込んでいたカセットテープの映画音楽全集に、インストルメンタルで収録されていたからだ。
だが、『華麗なる賭け』のOPを観ながら、あのアレンジで、あの歌声で、あのタイミングで聴いて、僕は初めて「風のささやき」に魅了された。
その後、偶然FMでエアチェックしたテープ音源を、それこそ擦り切れるまで何度も聴いた。英語詞のすべてがわかるわけでもなく、耳コピで必死で書き起こしたのを覚えている。
あの当時、たしかこの映画のサントラ盤CDはなかった。
洋盤はあったのかもしれないが、当時はネットもなく、Amazonもなく、新譜はタワレコ店頭の掲示情報頼り。僕には結局、見つけられなかった。
そんな折、ミシェル・ルグランのちょっとマニアックな映画音楽集が発売されて、そこにこの曲のサントラが入っていた。僕は喜びいさんで買って帰り、ルグランが他にもいろいろと作曲している人であることを知った。
今でも、秋が深まってくると、僕は会社の行き帰りに「風のささやき」を口笛でよく吹く。
インテンポで入って、リピートのたびにルバートをかけて崩していくのが歌わせ方のキモだ。
で、今回のドキュメンタリー。
OPの映像が、思いっ切りスプリット・スクリーンじゃないですか‼
「なんてわかってらっしゃる‼」思わずにやりとしてしまう。
冒頭から『華麗なる賭け』へのド直球のオマージュをかましてくるとは‼
しかも、映画の締めくくり。
ふたたび流れてくる「風のささやき」。
またまた、なんとわかってらっしゃる‼
でも、あれ? これフランス語だぞ。
おお⁉ 弾き語りで歌ってるの、なんとミシェル・ルグラン本人じゃないか!
聴いてると、声色が映画で使われていた英語版のノエル・ハリソンと似てるし。
むしろ自分と似た歌声にルグランがOKを出したのでは?(笑)
(ノエル・ハリソンは本職の歌手ではなく俳優さんらしい)
で、エンドロールに入ると、フランス語の別の歌手の歌唱に切り替わるが、これもまたなんとなく二人と似た声質の歌手で、実に興味深い。
スプリット・スクリーンで始まり、「風のささやき」で終わるドキュメンタリー。
パンフを読んでみると、本作の監督さん自身、ルグラン・ミュージックとの最初の出会いは、両親が買った「風のささやき」のLPレコードだったらしい。
まさにご同慶の至りである。
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ルグランといえば、『シェルブールの雨傘』についても一言語っておきたい。
僕は、第一部(最初の40分)に関して言えば、映画史上の10傑に入れてもいいくらいの傑作だと思っている(後半は結構ダラダラしているというか、二人の言動にイマイチ共感しづらい部分があって、個人的には苦手)。
この映画を成立せしめているのは、一にも二にも、ミシェル・ルグランが付した音楽の素晴らしさ、それに尽きる。
全編旋律付きの歌唱という、ほぼオペラのような形式のミュージカル仕立てになっているからこそ、本作は傑作になり得た。
もし同じ内容の映画をただの台詞だけでやったら、単に頭の弱そうなバカップルが公衆の面前でイチャコラし合ったあげく、赤紙が来てべろべろの愁嘆場を演じるだけの、早回しのテレビの再現ドラマみたいな陳腐な代物にしかならなかっただろう。
ところが本作の場合、舞台装置のような街の風景と、きわめて人工的な配色の衣裳、全編にわたって歌われる節付きの台詞によって「オペラのように異化」されることで、われわれは、この物語が「悲劇」であることも、ドヌーヴが『ラ・ボエーム』のミミのような薄幸のヒロインであることも、アプリオリに受け入れてしまう。
登場した段階から二人がラブラブなのも、駆け足であっという間に涙、涙の別れの場に雪崩れこむのも、音楽と歌があるからこそ、陳腐にならずに「型」として受け止めることが出来る。
本作がオペラと一番異なるのは、同じ旋律をひたすら繰り返す通俗性に敢えて恐れずに踏み込むことで、観客にそのメロディを刷り込み、かかるだけで泣けてくるような状態を作り出すのに成功している点だ。
とにかく、メインテーマの破壊力が、他の映画と違い過ぎる。
もともとこの主要主題の旋律自体、A・A・A・A’と、同じ音型を3回繰り返して変奏で締めるつくりで、返しのBメロも同じ構造だ。そしてまたAメロが回帰する。ひたすらこのメロディを登場人物たちがリピートして歌い継いでいくなかで、客の脳内は次第にこのメロディでいっぱいになっていく。やがて観客は、この旋律が鳴るだけで『椿姫』のヴィオレッタ出奔シーンくらいに泣けてくるようにしつけられていく……。ほんとうによく出来た「泣かせ」の構造をもつ映画なのだ。
(そういえば、5月に日本フィルがルグラン自身の作曲した「シェルブールの雨傘」組曲という珍しい演目をやったので初台まで聴きに行ったが、なぜか一度もBメロが出てこない不思議なオケ用編曲版だった。何かAメロしか使えない理由でもあったのだろうか??)
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本作では、ルグラン自身の出演映像やインタビューが、厖大なアーカイブからえり抜かれてあちこちにちりばめられていて、実に面白い。
彼は舞台裏で黒子に徹するような作曲家ではなかった。
堂々と表舞台にしゃしゃり出て、光を浴び続けてきた「スタープレイヤー」だった。
彼は、歌い、ピアノを弾き、軽妙にトークし、作曲し、アレンジし、オケを指揮した。
なんでもできる、正真正銘の天才だった。
協奏曲仕立ての自作曲のカデンツァで、いつ終わるとも知れない白熱の即興演奏(4分間!)を見せるシーンや、バーブラ・ストライサンドとのインタビュー中に即興で「イエントル」のスキャットを二人で披露するシーンなどは、はっとするくらい素晴らしかった。
半自伝的な内容らしいが、『6月の5日間』で映画監督まで務めていたのには恐れ入った。
伝説の女教師ナディア・ブーランジェ(コープランドやフィリップ・グラス、バーンスタインやバレンボイム、ヌヴーやリパッティなど、門人だけで1000人以上いる)のもとで正規のクラシック教育を受けながら、ジャズからの影響をも大きく受け、ポップスのアレンジャーとしてのキャリアを経て、映画音楽の世界で大成功を収めたその足跡は、エンニオ・モリコーネと被る部分も多い。
そういえば晩年になって、クラシックの世界で認められることを強く求めて純音楽(交響曲や協奏曲)の作曲をした点や、オケとの共演で自作曲の演奏会を組んで世界ツアーを敢行した点などでも、二人はとてもよく似ている。
「やりにくくて癇癪持ちのわがままな老人」としてのルグランを容赦なく描いている点でも、とても面白いドキュメンタリーだった。
まあ、いるよね、こういう優秀な人(笑)。
猛烈に周辺に対する要求が厳しいのだが、その要求が的を射ているので、傍から見ていると少し面白かったりする。コンミスに「音を外せ!」「まだ外れていない!」「それじゃニ短調だ!」とか叫ぶシーンなどは、思わず笑ってしまった。あと、ルグランに詰められた本作の監督が一瞬、カメラに目配せしてくるシーンも良かった(劇場でも笑いが起きていた)。
「指揮者が女とどこかに行ってしまった」とか、わざわざオケの前で不平不満の電話をかけるとか、怒り狂いながらも微妙にルグランの言動には茶目っ気があるんだよな……。
個人的には、20年ほど前にお仕事で大変お世話になった某大学教授(誰でも知っているような有名な方です。昨年亡くなられました)を思い出した。
あの方も、当時70を過ぎてなお猛烈な活力で働き続け、あらゆることに怒り狂いながら「私の怒りは清浄なる炎だ」とかうそぶいて自己正当化し、そのくせ寂しがりやで人から嫌われたくない人だった。常に諍いを引き起こしながらも実に愛嬌のある人で、多くの人に慕われて、常にグループの中心で君臨していた。僕はしょっちゅう叱られながらも、先生が大好きだった。まるでルグランと一緒のタイプで、本当に懐かしかった……(笑)。
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ドキュメンタリーとしては、結構手の込んだつくりで、観ていて一切飽きるところがなかった。アーカイブ映像のつなぎ方、45人に及ぶインタビューの断片の処理、いずれも秀逸。
後半では監督本人が登場して、自身のインタビューまで挿入してくる自由さで、師匠と弟子のような温かい空気が二人の周囲には漂っていた。
ラスト・コンサートの緊迫感(いつルグランが落ちるかもしれない)とコーダの高揚(これが本当の最後なのだ)は、現場でリアルに体感した者だけが撮れる本物の魂のこもった映像で、実にスリリングだった(だからこそあのラストは泣ける!!)。
●個人的に彼の容貌は晩年のフリードリヒ・グルダ(ピアニスト)を思い出させるが、老齢ながらヴァイタリティあふれる様子や、似たような背格好とファッションのせいで、ずっと指揮者のエリアフ・インバルのことを考えながら僕は映画を観ていた。彼も90過ぎてなお毎年来日しては都響を振ってくれる。しかも年々足取りが軽くなっている印象があって、素晴らしい。
●昔の来日時の『シェルブールの雨傘』を日本人歌手に日本語で歌わせる企画の映像が出てきて、猛烈な共感性羞恥に襲われる(笑)。日本語云々はさておき、オペラ系の人に歌わせる曲じゃないよなあ。BLUE NOTE TOKYOでの晩年の来日公演の様子も収録。
●出てきた映画のなかで、観たことがあって実際にルグランの音楽が印象に残ってたのは、ゴダールの『女と男のいる舗道』『はなればなれに』、ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』『レ・ミゼラブル』あたりか。『思い出の夏』は曲は知っているけど映画は未見。『愛のイエントル』はお恥ずかしながら、今回の映画で初めて知った。
●アレンジャーとしての話のあたりで、ルグランが「枯葉」のポロポロ弾きをしているシーンがあったように思うのだが、あれは実によかった。
●スティングが礼賛者として出てくるのは、『華麗なる賭け』のリメイク版(ピアース・ブロスナン主演)で「風のささやき」をカヴァーしてたからなんだな。
●ナタリー・デセイ(ソプラノ歌手)がルグランに対して、結構辛辣な物言いをしてて笑う。きっと現場で面倒な思いもしたんだろうね……。そんなナタリー・デセイも今年の来日公演がラストになるそうで。
●パンフレットの監督インタビューで、監督が自己資金でルグランのドキュメンタリーを作っていることを知って、ルグランは本当に胸襟を開いた、あれが本当のきっかけだったという話をしていて、そりゃそうだよなと思った。「彼が公然と言ったことはありませんが、私はミシェルの遺言を撮影しているのだと感じました」。なるほど。
改めて、ミシェル・ルグランに深く哀悼の意を捧げたいと思います。