「不正義の16日間をどう観るか──韓国映画の覚悟と観客のリテラシー」大統領暗殺裁判 16日間の真実 基本的に映画館でしか鑑賞しませんさんの映画レビュー(感想・評価)
不正義の16日間をどう観るか──韓国映画の覚悟と観客のリテラシー
韓国映画はつくづく歴史を題材にした物語化が上手い。本作もその系譜に連なる一本で、朴正熙暗殺から全斗煥クーデターまでの「わずか16日間」を描くことで、軍事独裁時代の歪んだ司法と政治権力のあり方を炙り出している。もっとも、ここで描かれるのは史実の再現ではなく、あくまで「史実に基づいたフィクション」である。
主役は実在の金載圭をモデルにした「パク・テジュ」、そして勝利至上主義の弁護士チョン・インフ。法廷で権力と対峙しながら、勝ち負けより正義に向き合う姿へと変化していく弁護士像は、実際の裁判記録を知る人間からすると脚色過多ではある。しかし、観客を物語に引き込む装置としては実に機能的で、韓国映画らしい人間ドラマの構築力に舌を巻く。
映像は抑制された色調と緊張感あるカメラワークで、軍法会議の不穏な空気をうまく可視化している。遺作となったイ・ソンギュンの静謐な演技は「敗者の尊厳」を体現し、冷酷な権力者チョン・サンドゥ(全斗煥モデル)を演じるユ・ジェミョンの怪演と鮮やかな対比を成す。俳優陣の力に支えられた重厚な作品だ。
一方で気になるのは、やはり史実との距離感だろう。非公開だった軍法裁判を「劇的な法廷ドラマ」として再構築したことは映画的成功だが、海外の観客にとっては「実際にこういう裁判があった」と誤解されかねない。韓国では現代史教育で共有されている事件なので文脈理解は容易だが、日本を含め国外では解説がないと「暗殺事件の詳細再現」と勘違いする危険は残る。
それでもなお、韓国映画が一貫して取り組んできた「記憶の掘り起こし」という文脈で本作を捉えるべきだろう。勝者が書き換える歴史に対し、敗者の視点から「正義とは何か」を問い直す。その姿勢自体が、この映画の最大の価値であり、韓国民主化の痛みを知らない世代にとっても、普遍的なテーマとして響くはずだ。
総じて、本作は「歴史映画」としての事実性を求めるより、「法と正義をめぐる寓話」として味わうべきだろう。そういう意味で、韓国映画の厚みと覚悟をまたひとつ見せつけられた作品だ。
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