「不条理の可視化と真実の行方」BAD GENIUS バッド・ジーニアス HGPomeraさんの映画レビュー(感想・評価)
不条理の可視化と真実の行方
本作は、少々退屈な時間も在りましたが面白い作品でした。
宣伝広告を見た印象の先入観としては、どのようにカンニングを繰り広げ、大舞台の見せ場や完結はどうなるのだろう、との心持ちで鑑賞しました。
私は鑑賞前にあまり下調べをせずに観るタイプで、本作がリメイクであり実話を基にしている事は知らないまま鑑賞いたしましたが、カンニングの緊張感や技術の開発、そして実行中や実行後の緊張感が十分に体感でき、また登場人物それぞれの個性もしっかり表現されていて感情移入もしやすく全体的に面白い映画でした。
ただ、見せ場のSAT会場の山場が、ちょっと間延びしたシーンが多い印象があり、眠くなりました。
作品中の貧困の差においては、過度な差別やいじめが描かれていなかったことは良かったのですが、裕福ではないために危険な考えに意識が向いてしまう非凡な才能を培った人。
逆に、裕福であるがゆえに全てが簡単に「どうにでもなる」と身勝手な意識に自然となってしまった人。
それぞれの人物が社会とうまく絡み合う事を阻害する原因が、作中に描かれている「貧富の差」が、究極悪と最終的にも表現していた作品と思えました。
それは、選択が違っていたとしても、結果的な不条理は解消されないように思えたからです。
以下、その理由場面
①主人公がお金がないために身を引こうとするシーンと、父親が何とかキャリアを築いてほしいと必死にお金の心配をするなと説くシーン。その後の金銭状況。
主人公が身を引いて三流で頑張っていったとしても、貧困の中で不条理に恨みを抱き、間違った道に進んでしまう可能性も高いと思える。
父親や周りの人との確執や衝突は自然と発生してしまう環境だし、そして名門に進学したとして父親が必死に働いたとしても、長い就学期間の学費(形式の学費は無料で有ったとしても、校長が寄付まがいな購入の斡旋を、対象者の経済を顧みず購入するしかない場を設けるなど、ある意味での別の形の学費が掛かる)や生活費は、絶対に賄えそうに思えなかった。
一時は「無理」できても、リアルな食費・物品費・消耗品・交際費・インフラが必ず家計を圧迫し、非情な現実を味わってしまうそうな圧倒的貧富差がある。
父親も人間、体を壊す可能性も高い。
②グレースの存在。
冒頭で言ったように、裕福なために、自然と悪意がなく簡単に「不正」と「利用」ができる事の恐ろしさを、どうしようもなく痛感した。
はじめは普通に接してくれる「いい人」で安心したが、ところがどっこい、リンがちょっと助けてやったが最後、利用し続ける。平然と不正への罪の意識がまるで無く。金で。
しかも、学生。
もし、リンが再度の不正を完全に遮断したとしても、何とか利用するためにあらゆる手を使って引きずり込んでしまうか、逆切れの復讐をするかのどっちかしか想像できない。
そうなる傾向は、バンクを貶めた卑劣な行為に準じている。※グレースは、多少抵抗するかもしれないが利益のため結局パットに委ねるハズ。
③リンも、頭が良すぎるがゆえに、結局我慢する不条理を受け入れられない。
どう「正しい」選択をしても、報われることがない「可能性が圧倒的に高い」のが、貧富の差。
数パーセントの成功を得る陰には、身内や自分自身の犠牲が必ず起きてしまう。
それほど、貧困の差を克服するのが困難なのが現実であると感じます。
バンクもしかり。バンクの意志とは関係なく、どんなに努力しても、背負った罪が消えない。
そういう意味で、あのラストは誰の不幸も描かれてないし、リンのあの「選択」も良かったと思う。
受験生たち。バンク。リン。みんな、新しい人生を歩めるから。
そしてグレースやパットを始めとする、どこまでも身勝手な富裕者達は、必ず報いを受けると思う。
不正ゆえに、正当な環境の人たちだったら、本性をあっさり見抜くでしょうから。
犯罪は正当化できないかもしれないが、逆に新しい人生を手に入れたリンやバンクは、素晴らしい人物に成る事によってその罪を償う事とし、新しい人生を正しく生きてほしいなと思いました。
最後に、ベネディクト・ウォンさん演じる父親像。最高に感動しました。
なんてすばらしい親なんでしょう。子供に寄り添い最後まで、手を上げない。
大事なことです。「信頼」しているという事が伝わりました。
あの父親との最後のシーンが、すべてを明るく捉えて鑑賞を終えることができ、個人的には秀逸と感じるラストシーンと父親像でした。