「舞台を米国に変えたがゆえの長所と短所」BAD GENIUS バッド・ジーニアス 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
舞台を米国に変えたがゆえの長所と短所
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿したので、ここでは補足的な事柄をいくつか書いてみたい。
「ルース・エドガー」でコンビを組んだ脚本家と監督が、役割を交換して「BAD GENIUS バッド・ジーニアス」を作ったことは評で紹介した。同作は白人の養父母に育てられたアフリカ出身の優秀な男子高校生が、やはりアフリカ系の女性教師と対立する話。多民族国家であるがゆえの根深くて複雑さを増す人種の問題に以前から意識的だったコンビゆえ、2017年製作のタイ映画を脚色する際に天才の苦学生2人を有色人種に設定した改変は、アメリカで切実な状況をリメイク版に反映させたいとの狙いがあったろう。経済格差の問題について考えることを促す、啓発的なメッセージは元のタイ映画にも当然あったが、そこに貧しい有色人種の家庭と裕福な白人の家庭の対照性を加えることで、問題の深刻さを一層感じさせる効果があるように思う。
ただ一方で、原作ではタイに暮らす苦学生たちが共通試験を受けるためにオーストラリアのシドニーを訪れ、さらに米国の大学に進学することを目指すという、現実から夢への振り幅の大きさもまた冒険感やドラマチックさに貢献していた。しかしリメイク版では、西海岸で暮らす2人が、タイムゾーンが違う東海岸側の会場に飛んで受験するというだけの話にスケールダウンしてしまった。初めての異国でカンニングのミッションを遂行する心細さも、海を越えた先の超大国で大学に通う憧れもなくなっている。ジュリアード音楽院に進学したいというリンの夢も、彼女の音楽の才能や献身的な努力についての描写が伴わないので、とってつけた設定のように感じられた。
つまるところ、舞台を米国に移したリメイク版で、多人種の要素を加えて問題の複雑さを加えることができた反面、アジアの途上国からシドニー経由で夢のアメリカを目指すというダイナミックさが損なわれた点が惜しい。