「なぜブルースは日本であまり人気がないのか?」スプリングスティーン 孤独のハイウェイ 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
なぜブルースは日本であまり人気がないのか?
アメリカを代表する偉大なロックスター、ブルース・スプリングスティーン。アメリカではボスの名で知られ、アメリカ中で広く国民に愛され慕われているが、日本では誰それ?という人ばかり。少なくとも私の周りでブルースを知ってる人はいなかった。日本における最もアンダーレイテッドなスーパースターだ。
なぜか?わからない。本当にわからない。今夜アトランティック・シティで会おう、というしかない。しかし、彼を真似た日本の歌手はたくさんいる。日本人は元をたどるのが苦手だ。浜田省吾も長渕剛も自分のものだと思っている人が多い。そしてラーメンもチャーハンも箸も漢字も。彼らがブルースから影響を受けまくりなのがわからないのか?今夜アトランティック・シティで会おう。今夜アトランティック・シティで会おう。
ブルースは本当に暗くて鬱な曲『アトランティック・シティ』を含むアルバム『ネブラスカ』を作った。それがこの映画になった。それまでのブルースの曲は弾けた明るい曲が多かった。それが全く違うことをやることになった。なぜなのか?明るく弾けたロックのスーパースターが派手な生活もせず、バンド仲間のEストリートバンドとの交流も一切なく、『タクシードライバー』のトラビスのように革ジャンのポケットに手を入れてとぼとぼ歩き、『真夜中のカーボーイ』のダスティン・ホフマンみたいな見た目の気弱でみすぼらしい男として一人寂しくしている。何があったのか?
この映画ではそのことにはわかりやすく触れないのでよくわからない。
わかるのは父親が幼少期のブルースを男らしく育てようときつくあたっていたことだ。母親は優しかったが、父親は母親を傷つけ、ブルースも傷つけトラウマになっていたことがわかる。自分もあの父親のように癇癪もちで人を傷つけ、ろくでもない人間になり、人の温もりや愛とは無縁の寂しい人生を送るのではないかという恐怖を常にかかえていたようだ。それから逃れるように、反発するように、明るく弾けた愛くるしい曲『明日なき暴走』でスーパースターになったブルースが、自分の辛かった過去や悲しみに向き合ったとき、鬱になってしまった。ブルースは父親からただ普通に愛されたかった。それが叶わなかった虚しい幼少期。でも、あんな父親でもいいところもあり好きだった、自分の父親だから嫌いにはなれなかった。自分を育ててくれた。見捨てることはできない。人はいつか死ぬ。でもまたいつか生まれ変わって、いい父親と出会い愛されるはずだ。今夜アトランティック・シティで会おう。アトランティック・シティはブルース自身の過去を解放するための曲でもある。ブルースは幼少期のトラウマがきつくそれから必死に逃げるためにボーン・トウ・ランして人気はうなぎ上りだった。でもやはりいつまでも逃げられない。自分を偽ることはできなかったし、偽るのは疲れるし辛い。つらい過去のトラウマが押し寄せて鬱になってしまった。明るく激しいロックスターはもう続けられなかった。
この時の経験から、歌詞は鬱なのにメロディは明るく弾けたロックをやるという新境地を開いていく。『ボーン・イン・ザ・USA』だ。自分の鬱を歌詞に出すというやり方を見いだし自分を偽らなくてもよくなった。そういう道を切り開いた。自分と向き合い続けた。
日本人は自分と向き合うのが嫌いだ。辛かった過去、辛かった歴史もすぐ忘れる。忘れたがる。ルーツに向き合えないから浜田省吾も尾崎豊も長渕剛も自分のものだと思っている。ブルースの曲は人に内面的な辛さと向き合わせる強烈に暗い曲がたくさんある。だから苦手なのかもしれない。今夜アトランティック・シティで会おうとはしない。だから日本では人気がないのだ。
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