劇場公開日 2025年11月21日

「様々なテーマを取り上げたせいで、論点が発散してしまったように思われる」金髪 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 様々なテーマを取り上げたせいで、論点が発散してしまったように思われる

2025年11月22日
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主人公が、モノローグで、「これは金髪の話ではない」と、何度も説明するものの、どうしても、金髪を巡る校則の是非について考えてしまう。
「地毛証明書」なるものを提出させることについては、確かにやり過ぎで、改めるべきだと考えられるのだが、金髪に染めることについては、それが不適切な理由として、「中学生らしさ」とか「社会常識」といった言葉しか思いつかず、それで生徒達を説得するのは相当に難しいに違いないと実感することができた。
ただし、劇中でも指摘されているように、「校則に抗議するために、校則を破る」というやり方は、明らかに間違っているので、教師としては、ラストで実施されたような、正規の手続きを踏んで校則を改正するように、はじめから生徒達を指導するべきだったのだろう。(この手続きも、金髪騒動があったからこそ実施されたという考え方もできるのだが•••)
その点、主人公の教師が、自分を有能だと思っている割には、その場しのぎで、当たり障りのない言動しかできない様子は、確かに面白いのだが、いくら上層部の方針に振り回されることに嫌気が差したり、身に覚えのない暴力沙汰で処分されたことに憤慨したからといって、問題となる動画を拡散して、それが「やらせ」であったと暴露したり、テレビのワイドショーで虚偽のコメントをしたりするのは、非常識であるとしか思えない。それで、本当に復職できると考えていたのだとしたら、余りにも浅はかだし、呆れてしまって、笑っていいものかどうか戸惑ってしまった。
彼が、同志となった、金髪騒動のリーダーの女子中学生を、「世間は、怒った中学生など求めていない」と責めることにも、今一つ共感できなかったし、実際に、SNSの世論が、女子中学生に批判的になったことにも、素直に納得できなかった。
そんな考え方をする主人公は、若者ぶっている「おじさん」として描かれていて、彼が、同世代の友人と繰り広げる「知らない間に『おじさん』になっていた件」についての居酒屋談義や、彼の恋人が、「おじさん」なのに、それを認めようとしない主人公のことを説教するくだりには、「おじさんアルアル」に共感できるところが一杯あって、その悲哀を楽しむことができた。
その一方で、こうした「おじさん」になり切れない主人公のキャラクターが、金髪騒動の成り行きに活かされていたのかと言えば、必ずしもそうとは思われず、むしろ、論点が発散してしまったように感じてしまった。
金髪を巡る校則の是非、教育現場の混乱と教師の疲弊、若者から「おじさん」への移り変わり(成長?)と、せっかく色々なテーマを取り上げながら、それらの絞り込みや掘り下げが、中途半端で不十分に感じられたのは、残念としか言いようがない。

tomato
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