「リアリティは欠けても、優しさが残る映画」君の声を聴かせて こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
リアリティは欠けても、優しさが残る映画
本作を観て思うのは、アジア映画がいかに“青春恋愛もの”という王道ジャンルの中で、社会的テーマを忍ばせる手管に長けているか、ということ。台湾映画『聴説』のリメイクという時点で、新しさよりも「どう現代の韓国社会に置き換えるか」が問われるのは自明。
一見すると単なる“弁当屋の息子と耳の聞こえないヒロインの恋物語”だが、その背後には韓国社会における聴覚障がい者への根深い偏見が横たわる。驚かされるのは、聾唖者がいまだに「伝染病のように扱われる」という描写。これは誇張ではなく、結婚や就職において「家系の欠陥」と見なされる文化的背景が現実にあるからこそ観客に突き刺さる。日本人からすると「さすがにそこまで?」と思うが、社会の偏見を映す鏡として本作は十分に機能している。
主人公ヨンジュンは、常に相手の痛みに寄り添える“理想的な青年”として描かれる。彼が自然と手話を使い、ヨルムやガウルに差別なく接する姿は、社会の冷たさとの強烈なコントラストになっている。さらに両親までが偏見なくヨルムを受け入れるのだから、これはもはや“理想的な家族像”の提示であり、監督のメッセージ性が透けて見える。社会全体に蔓延する偏見の中で、せめて映画の中では「理解と受容の共同体」を描きたい、という願望と理解した。
しかしながら、作品としてのリアリティにはいくつか難がある。まず年齢設定だ。ヨンジュンもヨルムも26歳という設定だが、弁当屋を手伝う“夢を探す青年”も、オリンピックをめざし草大会レベルで泳ぐ妹を応援する姉にしても、どうにも不自然さが残る。見た目的にも22歳前後の設定であれば自然に見えただろう。さらにヨルムとヨンジュンがお互いに「声を出せること」を長らく気づかないという仕掛けも、現実的には一緒に買い物や外食に行けば一目瞭然であり、観客によっては「ご都合主義」と受け取られる。
一方で、こうした不自然さを補うだけの映像的な詩情と、優しさに満ちた演技がある。ノ・ユンソの瑞々しい存在感、ホン・ギョンの包容力ある演技は、観客に「リアリティよりも象徴性を受け入れさせる」力を持っている。つまりこの映画は、論理的に突き詰めれば矛盾だらけだが、感情としては素直に受け止められる作品。
総じて、『君の声を聴かせて』は、恋愛映画という枠を超えて「声なき声をどう聴くか」という普遍的な問いを観客に投げかけている。『コーダ あいのうた』が家族唯一の健常者として、“家族に縛られる健常者の少女の葛藤”を描いたのに対し、本作は同じ家族唯一の健常者であるが、“家族から自分の人生を生きろと背中を押される女性”を描く。ここにアメリカ映画と韓国映画の文化的な差異がくっきりと現れているように感じる。
不自然さやご都合主義を抱えながらも、それでもなお優しく心に残る映画。むしろその矛盾を抱えたまま観客に問いを委ねるあたりに、アジア映画の底力があるのではないだろうか。
共感、コメントありがとうございます。
確かに言われてみれば、スタバ的なコーヒーを買う時一緒にいればすぐわかりますよね。
そう思って観ると、不自然なところもあったと思いますが、ピュアな人達ばかりなので観るところはそんな粗探しじゃないよ、と感じました。
優しさが心に残る暖かい作品でしたね。
台湾の作品も観てみたくなりました。
こんにちは。
はじめまして。
コメント失礼しますm(__)m
数日前にこひくきさんのレビューを拝読し、おおおお!!!と、なっておりまして、すぐにコメントしたかったのですが深夜だったので遠慮しておりました。
まさかお先にコメント頂けるとは!
(私が先にしたかったぁーw)
ありがとうございますm(__)m
お書きになっている事本当その通り!
論理的には矛盾だらけでも感情として素直に受け入れられる。。
これって映画作品もしてとても大事なポイントですよね!
ココが下手な作品だと一気に冷めてしまいます。
(好きな俳優が出ていたとて!w)
鋭いご指摘に改めて優れたエンタメってそ〜ゆ〜コト押さえてるよね!って思いました。
そうそうそう!
頭曲げそうなほど頷きました。
又、共感作でよろしくお願いします♪
コーダのお母さんの言葉はあまりにも生々しくて怒りすら感じましたが、現実はこんなモノかな?という気がします。やはり欧米はあけすけですね。
ふと少林寺木人拳でジャッキーがずっと啞の誓いを立ててたのを思い出しました。



