ミーツ・ザ・ワールドのレビュー・感想・評価
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原作既読だったのが裏目に出たかな
夜の歌舞伎町がなんとなく懐かしい。
個人的には訪れる機会がほとんど無くなって相当の年月が経つが、スクリーンの情景は自分の記憶の中にあるものと同じような気がする。欲望渦巻く巨大繁華街の本質はそう簡単には変わりないってことか。物語自体、一応は舞台をほぼ今と想定していると思うが腐女子という言葉が一般化してから10年以上は経っているし、あまり厳密な時間軸は必要ないのだろう。
杉咲花さんはさすがです。拗らせ腐女子になりきってくれています。ライもアサヒもこちらの勝手なイメージと100%合致するわけではありませんが、もう十分合格点です。
ストーリーはほぼ原作に忠実に進みます。もちろん映像化するにあたっての細かい変更や省略などはたくさんあるのでしょうが、オリジナルと言えるほどの場面はほぼない(厳密に比較したわけではないですが、たぶん)
序盤は好調だったのですが、物語が進むにつれ段々、由嘉里やアサヒが薄っぺらに見えてきてしまいました。原作は由嘉里の語りで物語が進みます。そのため会話や客観的な情景描写に加えて彼女の自分語り・様々な感情がふんだんに盛り込まれています。映像はそこも配慮した作りになっているのですが、文章と映像で伝わるものはイコールではなく違和感が生じてしまったのかと。原作を知る映画の場合、原作にこだわらず鑑賞しようとは思っているのですが、人間なかなか100%そうならないですね。終盤のライの元恋人からの電話の描写(雨、荷物、菅田将暉)はかなり独自色を出しているシーンなのですが、そこにたどり着く前にはすっかり冷めていました。
もっと独自色の強い脚本演出にしたほうがよかったのでは?と思いつつ、中途半端な改変は原作破壊するだけだしなーと、製作者の苦労を知らない私は無責任に思いつつ、でもはまらなかったのは事実なので杉咲さんの熱演を考慮してもなお、やや辛めの点数です。
人を思って生きてる人たち
久しぶりに杉咲花さんの生命力溢れる役が観られて嬉しかった。「片思い世界」は見過ごしてしまったので、その時はどんな役だったのかは分からないけど、今回の役の「由嘉里」は腐女子と言っても食べる事大好きで擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」と言う大好きな趣味も持っている。なのに自分に自信を持てない役。それでもライと出会ってからは、只管ライに生きて欲しくアクティブになって行く。
後半で由嘉里の幸せを願う母親に反抗するシーンがあるが、今の自分は果たして母親の気持ちと同じでは無いのか気付けるのかな。気付いた時にどう思うかは分からないが、母親の気持ちも少しは理解できるのでは無いだろうか。
この自分の大好きな事になると、凄い早口になったり大声で叫んだりと、杉咲さんがとてもキラキラと魅力的に腐女子を演じてくれて満足だったし、よく分からないけど有難うと言いたい気持ちになった。
登場人物たちのバランスが良かった
なんとなく気になり見てみました。
演者さんたちの演技が皆さんとてもよく
ずっとその世界観に引き込まれました。
ライ役の子は初めて見ましたが彼女の存在感が
とても良かったですね。
あとはやはり板垣李光人くんや渋川さんの存在がこの作品にとってのある意味救いになっていたなと思います。
終盤にかけての展開はなんとなく予想できていたのでそこからどのように持っていくのかが気になりましたが、やはりまああのような終わり方なのが妥当ですよね、自分的にはそう思いました。
あと気になったのは主人公と母の関係性がよく見えなかった点、その背景には何があったのか、この辺は原作だと描かれているのかこの作品でのあのやりとりだけではちょっと不親切というか何もわからなく母とのシーンやその要素は必要あったのだろうか?と、思いましたね。
あと、池田エライザ主演の「リライト」に老けた学生の役で出てた女性がオタク役で出ててこの方の存在感もめっちゃ気になるというか、今後バイプレーヤーとして飛び抜けてくるんじゃないかと思います。
それとラーメンがとても美味しそうに見えて帰りに私もラーメンを食べちゃいましたね(笑)
ま、暗く重い感じはなく
なかなか良い作品だと思います!
舞台挨拶が楽しかったです
先日観た「愚か者の身分」と同じ歌舞伎町を舞台に別の側面からの物語を観た。こちらは、人と人の関係の紡ぎ方の繊細さを改めて、辛く切ない場面もあるが、こちらも最後は何か突き抜けた感じの終わり方だった。偶々、新宿バルト9での松井監督と金原先生のトークショーが付いている回が取れて、ご本人方のトークや質問の内容も充実しており、大変良かった。杉咲花の安定の演技は勿論、南琴音のトーンと表情に引き込まれた。
ラーメン食べたい。
ライやアサヒやユキやマスターの感情ののり方、由嘉里を突き放さない、都会的な距離のつめ方が良かった。
意見は言うけど否定はしない。
由嘉里も歌舞伎町に溶け込んで行ける能力がある。
生きることと死ぬこと。
水の中にいるような生活での呼吸のしやすさ。
正反対の2人。
由嘉里がやってることは由嘉里が親にやられてることとと似てるけど、ライには直接言えなかった、言っていたらどうなってたのかな。
歌舞伎町の入れ替わりの激しい世界の中での物語、歌舞伎町からすれば人が入れ替わっただけだけど一人一人の人生がある。
腐女子と言うけれど人付き合いが狭いわけじゃない、執着は強い、行動力もある、会えない人を愛す能力がある。
夢中になれる世界があるけれど、ライは特別。
ライに会いたい。
いい台詞いっぱいあったな。
原作は読んでいないけど、原作にありそうな台詞、文章が見えた。
ラーメン食べたくなった、焼肉とビールも。
クリープハイプが似合う映画。
最後、杉咲花の電話のシーンで終わっても良さそうだったけど、その続きもあって、それがあるのも良かった。
杉咲花の早口腐女子具合、南琴奈のミステリアス具合、蒼井優の闇具合、よかったな。
登場する人達が好きだと言う結論になった
杉咲花が毎回ながら素晴らしい演技をしている。
完全に腐女子そのものだし、小説を読んでいるときも
彼女以外のキャスティングが浮かんでこなかった。
誰かにただ生きていて欲しいという想いが
これほど届かないものか。
もしかしたら自分の事以上に絶望を感じるかもしれない。
登場人物はみな自分の孤独の世界に生きている。
お互いの世界を変えることは出来ないし、結局は
みな孤独なんだけど、その孤独さを言葉にすると
不思議と自分の居場所が出来ていく。
何も解決はしないし、分かりやすい幸せにたどり着いた
わけでもない。
ただそこに集った人々と自分の部屋で朝を迎える、
それだけで自分まで救われた気分になる。
何が良かったんだろう。
原作も大好きな小説。
結局、この物語に出てくるみんながどこか愛おしいと、
好きだなと、そういう想いになった。
「ひとはなかなか分かり合えない」
『アンメット』以来の推しである杉咲花主演ですが,彼女じゃないと成り立たない,あてがきしたような映画でした。
いわゆる腐女子である主人公由嘉里のはまっているBL漫画は『ミート・イズ・マイン』で,恥ずかしながら,この映画で初めてその存在を知りました.
テーマは、「ひとはなかなか分かり合えない」というものだと受け取りましたが、ユキ(蒼井優)の「ひとが他人によって変えられるのは45度まで.90度ねじれたら折れる」というセリフとか,「輪郭が曖昧で相手や状況に合わせて形を変えてしまう」自分をスライムに例えたり,とにかく、台詞が秀逸!
それにしてもい杉咲花は,食べるシーンが似合います.
早口になる杉咲花
寂寥
ここのBARに行きたい笑
自己肯定感の低い腐女子の主人公
どんどん周りが結婚していく事に焦り
婚活を初めて、合コンで不発
酔っ払い過ぎて道端に蹲り
美少女のキャバ嬢のライに会う
そこから
始まるストーリー
出てくるキャラクター達が皆愛おしい
杉咲花ちゃんの推しを語る早口言葉で興奮気味の感じがなかなか良い
ライはひょっこり戻って来ないかなと期待
ライの元カレ役の声のみ出演俳優
最後エンドロールで
なるほどこの方かと思って声出た笑
ちょい役で金原ひとみさん尾崎世界観さんも出てましたね
生徒会副会長だ!
杉咲花だけでなく、南琴奈(磯村勇斗主演の学園ドラマで副会長演ってた娘だ!って思って)が出ているのが決め手になって見に行きました。
奇しくも前に見た「愚か者の身分」と同じ歌舞伎町が舞台で、映画のポスターの構図も「3人が屈託なく笑っている」ものになっている。
南琴奈は「美しい顔」と言われても違和感ないし、杉咲花はほかも女性を「あなた美しい顔ですね」と言っても、いやいや貴方も十分にきれいですよ!って不思議と思わない。
そこは南琴奈の資質と、杉咲花の才能によるところが大きいのかな。
ライが闇堕ちしたのは、藤治との別れてが理由なのか?
藤治が心を病んだのは、ライの闇堕ちが引き金なのか?
双子のように共鳴し合って、ふたりで心を病んでしまったのか?
「しあわせになって欲しいだけなの!」って言いながら、あれやこれや知らない間に期待したり要求したりしてしまうのですよね。
歌舞伎町界隈(社会)が毎日時間をかけて変わっていくように、社会の最小単位である、恋人同士、親子同士、夫婦同士、友達同士でも気付かないうちにちょっとずつ変わってるんですよね。
銀行員の女性同僚が友達になっている(と思われる)シーンなんかは味がありましたね。
食べる杉咲花。だべる蒼井優
新宿が舞台なのにバルト9とちょっとお高い109シネマズでしかやってないのなんでー な、「ミーツ・ザ・ワールド」観ました。これまた小説原作、原作未読。
杉咲花さんのオタク言葉と相変わらずの食べっぷりの良さと、バーカウンターの端っこにどすんと居る蒼井優さんが観られたらもう満足。板垣李光人くんの距離感バグったホストはハマり役◎ ライはそんなに難しい役柄ではなかったと思うけど、南琴奈さん魅力的だし役柄に合ってた。
またお会いしましたね、の渋川清彦さん、さすがの安定感。
映画が始まってすぐ加藤千尋さんが出てきてびっくりした情弱清掃員。女優活動は追えていなくて…
キリエ以来のスクリーンの安藤裕子さん、今回も存在感あった。
ストーリーに関しては、あんな風に濃くも広くも人との関係を築けていても消えちゃいたいって思うものなのかと、人との関係が薄くなるばかりで寂しさを感じ始めたアラ還おっさんの腑には落ちなかった。
ユカリ側の消えてほしくないという気持ちはわかるけど、自分の想像(妄想?)で突っ走って元恋人の家にまで行く感覚も、慟哭するまでの感情の揺れも別の生き物を見ているようで、不思議で奇妙で言葉としてはそぐわないかもしれないけど面白くもあった。
ともかく、役柄を完全に体内に入れ込んで全身で演じきる杉咲花さんをスクリーンで観られるのは最高の時間です。
精神病キャバ嬢と腐女子
自殺念慮のあるキャバ嬢と腐女子が出会ってからのドラマ。
ストーリー展開が見えず、終始謎だった。
強いて言うなら、苦い過去があって、精神に問題を抱えつつも生きている若者がいるということか。
希望は見えなかった。
二次元の世界に没頭したままでいいのかね。
無理してでも婚活して結婚した方がいいと思うが。
新宿の街が知ってるから舞台となり興奮した位。
あのちゃんぽんのラーメン屋に未だに行ってないから、行ってみようかなと思った。
菅田将暉は顔は出てなかったと思う。インパクト強くて視聴者が混乱するから?
不可侵領域を守るものがアイデンティティだとしたら、その先に行く事は罪になるのだろうか
2025.10.28 アップリンク京都
2025年の日本映画(126分、G)
原作は金原ひとみの同名小説
腐女子とキャバ嬢の邂逅を描いたヒューマンドラマ
監督は松井大悟
脚本は國吉咲貴&松井大悟
物語の舞台は、新宿歌舞伎町
銀行員として働いている由嘉里(杉咲花)には、誰にも言えない「推し活」があって、さらに腐女子としての側面も持っていた
友人たちと合コンに参加しても、腐女子とバラされて空気を悪くされるだけで、現実の恋愛はほど遠くなるばかりだった
ある夜のこと、合コンで悪酔いした由嘉里は、路上でうずくまっていたところをキャバ嬢のライ(南琴奈)に介抱されることになった
ライは彼女を自宅まで連れていくものの、汚部屋に驚いた由嘉里は掃除を始めてしまう
その後、街に繰り出したあと、ライは由嘉里に家の鍵を渡し、「家に帰りたくなかったら、ここに帰ってきたら良い」と告げた
それから二人は一緒に暮らし始めることになり、由嘉里は腐女子を隠すストレスから解放されていく
ライも由嘉里のハマっているコンテンツに興味を示し、その世界を知っていくのだが、その沼にどっぷりを浸かるようなことはなかった
ライは「死にたみ」と言うものを抱えていて、「死を選ぶことができるのはギフテッド」だと言い切る
由嘉里は彼女に生きて欲しくて彼女を理解しようとするのだが、ある日突然、姿を消してしまったのである
由嘉里は彼女を痕跡を辿って、元カレだと言われている藤治(菅田将暉)を探すことになった
だが、両親からは精神病院に入院していると言われ、コンタクトを取ることも難しい状況になってしまう
さらにアサヒは妻(安藤輪子)を慕う男に襲われて、意識不明の重体になってしまう
なんとか一命を取り留めたアサヒは、再び日常に戻ることができたのである
映画は、ライとの生活によって「腐女子でいることに前向き」になる由嘉里が描かれ、恥ずかしがることもなく同僚の恵美(加藤千尋)や万奈(和田光沙)たちにカミングアウトする様子が描かれていく
そして、母親(筒井真理子)と対峙することになり、母親自身も由嘉里を理解しようとしていたことがわかる
そんな中、由嘉里はライの残した300万を元にして彼女のマンションを自分名義に変え、いつでも帰ってきても良いように、インスタグラムに部屋からの景色を毎日アップロードすることになった
映画では、生きづらさを抱えている由嘉里と、生に執着していないライが描かれ、ライがどうなったのかは描かれない
ラストでは、自宅を出ることになった由嘉里の元に藤治から電話が入り、そこでライの居場所を聞こうとする
だが、彼は「僕と付き合っていたのは生きていることを実感するための実験だった」と感じていて、由嘉里との生活は「生きている実感を感じるための時間だったのでは」と続ける
由嘉里はライの本心はわからないままだったが、自分との時間の意味を感じ、そして彼女のマンションで生きていくことを決めていた
自分らしく生きていくことが由嘉里との時間を肯定し、さらにその先を予感させることもあって、彼女はその時をずっと待つことになったのである
ライが彼女の元を去ったのは、ある意味で由嘉里がライの境地に近づいたからであり、自分の助けは必要ない地点まで辿り着けたからであろう
彼女自身は藤治の病気によって自身の責任を感じていたのかもしれないが、相手には伝わらないようにしてきた
そうした中で由嘉里と出会うことになるのだが、彼女にも踏み込まれたくない領域というものがあったのだと思う
それが由嘉里の大阪行きだと思うのだが、それは単にきっかけを探していただけで、そのタイミング(由嘉里が自分から離れる)が重なったから、のように感じた
いずれにせよ、自分自身が誰かと関わりあう中で、他人を変えることはできず、作家のユキ(蒼井優)は、「変えられるのは15度まで」と言っていた
彼女はそれ以上変えようとすると「人は折れてしまう」と言い、それはライと藤治の関係を見てきたことに起因するように思えた
由嘉里の大阪行きはまさに15度を越えようとする行為であり、ある種の不可侵地帯だったのだろう
そう言った意味において、由嘉里はある種の地雷を踏んだようにも見えるし、由嘉里がアサヒとの交流を深めたことに安心したとも言えるのではないだろうか
朝焼けはミノ
重い役が多かった杉咲花の、コミカルな演技と聞いたことない声が満載で嬉しかった。
出会いから強引な流れでの同棲開始は、まぁフィクションなので。
そこからは由嘉里とライの交流を描いていく。
ネガティブかと思えば腐女子スイッチが入る由嘉里が面白く、ライは安定してダウナー気味。
このアンバランスさが心地よい。
腐女子やホストは紋切り型で、ライのキャラも含めてやや漫画チックな印象。
奥山譲の“いそう”なウザさ(仕切り直してなおウザい。笑)含め、会話劇が上手い。
ユキの語る「幸せになることが幸せと思えない人もいる」「90度、180度捻じ曲げたら折れる」は至言。
中盤まではいい雰囲気だったが、後半で失速。
いくらなんでも、由嘉里がアサヒと同部屋で泊まるのは違和感が大きい。
鵠沼の実家に突撃するのはまだしも、そのへんの押し付けを由嘉里は自覚したのだろうか。
母から同じ言葉(「幸せになってほしい」)をかけられた後も明確な描写はないし。
また、アサヒが刺される必要性を感じず、鵠沼との電話も長過ぎ。(芝居は凄かったけど)
その後のシーンも蛇足感が強く、もっとスッキリ纏めてほしかった。
序盤で似てるなぁと思ったら、チッチ(CENTとも加藤千尋とも呼ばない)出とるやん。
そしてまさかの鵠沼、顔出しナシで菅田将暉。
渋川清彦のオネェに和田光沙の隠れヲタ、由嘉里や鵠沼の母役なども隙なくいい芝居。
ただ、ラインや書き置きの文字がほとんど読めない…
落とし所は好みだから、終盤にとっ散らかったのだけが非常に惜しかった。
不器用なままでもいい
朝の情報番組で気になり鑑賞しました!
擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」に全力で愛を注ぎながらも、自分のことは好きになれない由嘉里。
27歳になって結婚・出産…と違う世界に次々と離脱する腐女子仲間をみて、このまま仕事と趣味だけで生きていくことへの不安と焦りを感じ、婚活を始める。
しかし参加した合コンで惨敗。
歌舞伎町で酔いつぶれていたところ、希死念慮を抱えるキャバ嬢・ライに助けられる。
ライになぜか惹かれた由嘉里は、そのままルームシェアを始めることに。
やがて、既婚のNo.1ホスト・アサヒ、人の死ばかりを題材にする毒舌作家・ユキ、街に寄り添うBARのマスター・オシンと出会い、歌舞伎町での生活に安らぎを覚えていく。
そんな日々の中でもライのことが気がかりな由嘉里は、かつての恋人との確執が解ければ死にたい感情は消えるかもしれないと考え、アサヒやユキ、オシンに相談する。
だが、価値観を押し付けるのはよくないと言われてしまう。
それでもライに生きてほしいと願う由嘉里は、元恋人との再会を試みるが―。
というのがあらすじ!
ライほどではないですが気持ち少しはわかります
別に人生不幸ではないし嫌なことがあった訳でないけど終わらせたい、死にたいの思うことはあります
前ほどではないですけど…
ライは最後どこに行ったのか気になりますけどおそらく死んではいないかなと思います
ライや由嘉里もお互い出会ったことで少しずつ変われていたように見えました
そしてアサヒ、ユキ、オシンは決して相手を否定する訳じゃないしあるがままを受け入れる
相手を理解しようとしてくれる
こんな人たちがまわりに1人でもいてくれたらいいなと個人的に思いました
あと相変わらず杉咲花さんの食べるシーンはいい!
いろんな作品でそうでしたが観てて美味しそうに食べるしこちらまでお腹が減ってくる…笑
みなさんの演技はとてもよかったです!
生きづらいと思っているならこの映画を観たら少しは楽になるんじゃないかなと個人的に思います
不器用なままでもいいんだとも思えました
いい映画をありがとうございました😊
前半の展開が面白かっただけに、後半の失速が惜しまれる
腐女子の主人公が、路上で知り合ったキャバ嬢の部屋に転がり込む序盤から、キャバ嬢の「死にたい」という気持ちを改めさせようと、彼女の元カレに会いに行こうとする中盤までは、どこに向かって行くのかが分からないような展開に引き込まれる。
妻に愛人として稼がせた金で店のNo.1になっているホストや、幸せを幸せと感じることができない女流作家、客に寄り添うオカマのバーのマスターなど、主人公が歌舞伎町で出会う面々も、皆、キャラが立っていて面白い。
役者達も好演していて、特に、杉咲花の板に付いたヲタクっぷりは見応えがあるし、凛とした美しさと、どこかに消えて無くなりそうな儚さを併せ持った南琴奈の存在感も印象に残る。
ところが、キャバ嬢が300万円を残して姿を消した中盤以降は、ホストが妻の愛人に刺されて入院したり、主人公が一時帰宅して母親と口論したり、主人公のところにキャバ嬢の元カレから電話がかかってきて、キャバ嬢は自分の存在価値を試す「実験」をしていたのだと告げたりと、一体何の話なのかが分からなくなってくる。
キャバ嬢と元彼は、どうして別れてしまったのかとか、その元彼は、どうして精神を病んでいるのかとか、主人公と母親(毒親には見えない)は、どうして折り合いが悪いのかとか、キャバ嬢は、どうして居なくなってしまったのかといったことも、最後まで分からずじまいで釈然としないものが残った。
結局、堅物の銀行員で、ヲタクの自分に引け目を感じていた主人公が、歌舞伎町で暮らす個性豊かな人々との触れ合いを通じて、ありのままの自分を受け入れ、自分らしく生きて行こうとする物語なのだろうが、特に、後半は、余計なエピソードが多い上に、テンポも悪く、冗長に感じてしまった。
それから、ラストは、主人公と同じ趣味を持っているらしい銀行の同僚(主人公は、彼女のために自宅からグッズを持ち帰ったはず)との、ヲタク同士の交流も描いてもらいたかったと思えてならない。
好みではなかった
原作未読。
あまり好きな類ではないと思いつつ、杉咲花を信じて鑑賞。やはり好きではなかったです。
ゆかりがそこまでライに惹かれる理由も、ゆかりとアサヒやユキ、オシンとの距離が急に近づいたのも、よくわかりませんでした。
ゆかりは他人に入り込み過ぎてうざいし、他の人は言葉の揚げ足取りでこちらもうざい。ゆかりがライの元カレの家に行ったのは、マジで気持ち悪すぎました。親への態度も、20代後半で厨二病かよ、と思いました。
「他者の受容」というフィクション
人は、他人を本当に受け入れることができるのか。
この問いに、正面から誠実に挑もうとする映画は案外少ない。松居大悟監督は、本作をその稀有な例として世に送り出した。腐女子、キャバ嬢、ホスト、夜の街。社会の「普通」からわずかにズレた人々が、互いの孤独をそのまま見つめ、静かな化学反応を起こしていく。
主人公・三ツ橋由嘉里(杉咲花)は、焼肉を擬人化した漫画『ミート・イズ・マイン』を愛する27歳の銀行員。推しのマイナーキャラに感情を注ぐ一方、自分を肯定できず、周囲に合わせて婚活を始める。そんな彼女が、歌舞伎町の路上で出会うのがキャバ嬢・鹿野ライ(南琴奈)。ライは、美しく、繊細で、どこかこの世に属していない。彼女は言う――「自分は死ぬの。形も魂もない状態で消えるのが自然だから」。
この“死にたみ”を前に、由嘉里は懸命に言葉を尽くすが、彼女の説得は通じない。だが、ライの部屋での生活が始まると、二人の間に不思議な均衡が生まれる。言葉を交わしながらも、互いを変えようとはしない関係性。そこにこそ、この映画の核心がある。
松居監督は、登場人物たちに“言葉”を与えながら、説教臭さを排している。由嘉里は「普通になりたい」と言い、ライは「生きることに意味を見出せない」と語る。ホストのアサヒ(板垣李光人)は「演じることも自分の一部」と軽やかに言い放ち、バーの仲間は「人が人を変えられるのは四十五度まで」と諭す。彼らは自分の痛みを美化せず、それを他者と共有しようとする。その誠実さが、現代の過剰な共感文化とは異なる“静かな思考の共同体”を形づくっている。
杉咲花の演技は相変わらず圧倒的だが、ここで特筆すべきは南琴奈の存在感だ。ライというキャラクターは、繊細さと破壊衝動の同居する難役。南琴奈はその不安定さを、感情ではなく「体の静けさ」で表現する。目線、呼吸、沈黙――そのどれもが、彼女の“生と死の境界”を映し出す。彼女が何も食べず、何も欲しがらない姿は、由嘉里の“食べる”という生の衝動と鮮やかな対照をなしている。
ラストのエンドロールに響く“足音”を、私はライのものとして受け取った。それは、消えることを望んだ彼女が、それでも世界のどこかを歩いているという証。姿はないのに、音だけが残る――それが、生きるということの残酷な希望だ。松居監督は声高に「救い」を語らず、わずかな音で“世界はまだ続いている”と告げる。
現代社会では、違いを受け入れることが容易ではない。SNSのタイムラインを見れば、他者の意見を“理解したつもり”で否定し合う光景ばかりだ。だからこそ、『ミーツ・ザ・ワールド』の登場人物たちが見せる無理のない寛容さは、現実ではほとんど奇跡に近い。それゆえに、この映画は「気持ちの良いフィクション」なのだ。人が人を変えようとせず、ただ一緒にいることを肯定する。そんな理想的な世界は、現実にはほとんど存在しない。だが、だからこそ、観客は一瞬でも信じたくなる。
本作は、痛みのある優しさを描く映画だ。由嘉里が焼肉を頬張る音も、ライが静かに歩き去る足音も、どちらも“生の音”として等価に響く。その響きに耳を澄ませば、私たちもまた、この世界を少しだけ受け入れられるような気がする。
新たな出会いで由嘉里の世界が広がる
主人公由嘉里(杉咲花)が住む世界が異なるライ(南琴奈)
と出会うことで、自らの世界が広がっていく。
ライとの同居生活による由嘉里の変化、
そしてライの変化、
ライがいなかったら出会わない世界の住人アサヒ(板垣李光人)との出会い&推し活旅、
朝のチョコレートフラッペ、
いろんな経験が由嘉里に変化をもたらす。
もちろん由嘉里と関わった人たちにも影響を与えている。
由嘉里は寂く孤独だと劇中はなしているが、
実はそうではないことにだんだんと気づいていくし、
固定観念を拭い去り、自分の好きな生き方をしていい
ということに気づく。
それはライの失踪により加速したと言えよう。
それにしても杉咲花の腐女子へのなりきり感と
鼻水を垂らしながら泣く感情の表現が圧巻だ。
ますます俳優としての演技の幅が広がっていると思う。
さらには、
渋川清彦、蒼井優、筒井真理子による脇の固め方も秀逸。
そして声でまさかの菅田将暉(エンドロールで認識)。
実に奥深く余韻がたなびく秀作だと思う。
自分らしく
危うい街中で出逢った3人の若者。
眩しく光が当たる場所もあるが
暗くて見えない部分もある。
自分らしく生きること
自分の幸せとは、人の繋がりで
包み込まれていく優しさがあった。
大好きな自分の趣味を他人が否定せず
受け入れ和ましていくのは微笑ましい。
早口になる由嘉里役の杉咲花さんも良くて
食べ方も相変わらず上手。
人間の複雑な矛盾した心理をストレートに
演じてたなぁ。
ライ役の南琴柰さん。
あの絶妙な間と空気感は素敵。とても実年齢には
見えない大人っぽさ。
この二人の生きてきた環境も性格も違うのに
距離が縮まり仲良しになっていくのが良い。
ライの元彼。菅田将暉さんなんだね。
あの声だけで姿を感じさせる演技力は
さすがだね。
渋川清彦さんも最高。
人間っぽい人との繋がりや交わり
の中に感じる愛おしさと優しさ。
グラグラ揺らぐシーソーのような
心理状態。
人生ってそうだよね。
全33件中、1~20件目を表示
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