生きがい IKIGAIのレビュー・感想・評価
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RAWGAI
題名、そのもの。
構えず、感じることで受け取れ、温かさが心に広がる物語です
『生きがい』
全国公開初日から、5回観ました。
被災地を描いた作品ということで、最初は息をひそめるように身構えてしまいました
けれどもそこに映し出されていたのは、決して自分たちと"違う"存在ではない人々だと気づきました。
「何かできることはないか?」
まずは想うこと
声をかけること
側に居ること
物理的に近くに居ることができなかったとしても、気持ちだけでも
そんな小さなところから"寄り添い"は始まるのだと感じました。
「僕わかったんです。僕とおんなじだって」
その言葉をきっかけに思い出したこと
「だらやなぁ」
妻を愛しく思う気持ちと"同じ"ものを、自分自身にも向けられるようになった瞬間
「どうせ生きるなら、バカになったほうがいいですよ」
と返してくれたボランティアの青年に、かつて妻がいれてくれた方法で"同じ"色と香りのお茶を差し出す黒鬼
"同じ"を共有する2人の時間がとても温かく、そこからのはじまりを感じました。
観終わったあとは思わず空を見上げて、続いている"同じ"を感じて、想いを寄せられる、自分にも何かできる、そんな気持ちをもらえる作品でした。
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全国公開から約1ヶ月
俳優さんたちのお芝居や、同時上映のドキュメンタリー『能登の声』についても触れさせてください
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二度の災害に見舞われ様相が変わってしまっても、住み慣れた家で孤独に暮らしている、元教師・信三。大切なものをすべて奪われ、気力をなくし、張りつめた感情をあらわにしていました。そんな彼が、被災地ボランティアの青年と喪失を"共有"し、少しずつ心を開いていきます。
鹿賀丈史さんの迫真の演技は、深い怒りと喪失を抱えながらも、再び希望を見出す姿を映し出し、常盤貴子さんが演じる亡き妻の記憶は、温かく、かつての"生きがい"を思い起こさせます。小林虎之介さん演じる青年の、自然体で「そこに居る」と感じさせる佇まいが、再生の物語に深い説得力をもたらします。
美しい能登の風景が心に残ったまま、同時上映のドキュメンタリー『能登の声』では、輪島塗や御陣乗太鼓を通して、この土地の人たちの強さと、その根にある気質が、静かに、でも力強く伝わってきます。
映画の収益の一部が復興支援にあてられるため、「観る」ことが誰かの力になります。
どうか、少しでも多くの方に届いてほしい、そう願わずにはいられない作品です。
演技と真実と
演技と書いたが映画を撮り始めたのは被災してそう経っていないことが『能登の声』で分かる。ロケに使われた家屋がすぐなくなってしまう。
『生きがい』。鹿賀丈史が演じた黒鬼。あだ名の由来は御陣乗太鼓を叩く姿だと思うが最初の殺気みなぎる瞳とラストでボランティアの青年に向ける眼差しの暖かさ。その差に茫然としてしまう。出番は限られるが黒鬼の幻で現れる妻が実にいい。妻への黒鬼の口調。現実ではないと分かっているかは不明だが妻のやわらかな雰囲気と合わさってかつての幸せがある。ただ黒鬼はそれが幸せというものと分かっていたかどうか、これも不明だ。青年への一言は黒鬼が踏み出す第一歩。それが『能登の声』に繋がる。
『能登の声』。ここで映される人達は生きがいを見つけた人達だ。働きながら折れそうになっている心を隠している人もいるかもしれない。でも画面では傷だらけになった能登で生きていきたいという姿勢が見える。映らない場所で心折れてしまった人達もいるだろう。そう思うとつらい。この映画のタイトルは『生きがい』だが、やはり演技は真実に敵わない。観ている最中にメインは『能登の声』だと感じていた。
上映館が少ないのが残念だ。多くの人に観てもらいたい。
人が人に寄り添うということを教えてくれる作品です。
(先行上映鑑賞です)
2024年元旦に起きた能登半島地震と、2024年9月に起きた奥能登豪雨の災害で実際に被害を受けた地で、2024年12月初旬オールロケで作られた作品です。
宮本亞門さんが、ボランティア活動をする中で、現地の方から「あなたのような有名な方は、ボランティアをしなくていい、この現状を少しでも広めてほしい」との言葉から決意し、30年ぶりにメガホンをとった作品となっています。
東京では、被災地での撮影に反対の声も多く中止となる可能性もあった中、公費解体が進む前のそこに生きていた風景をおさめるために、急ピッチで撮影が進められたとのことです。主人公の黒鬼の住む家も、実際に半壊認定となったお宅を使用しています。
フィクションですが、脚本は全て被災された方やボランティア活動に実際にあたる方の声を丁寧に集め作られているので、みせるための飾りは一切ありません。
孤独で生きることもあきらめつつあった主人公の黒鬼が、生存率が下がるギリギリの時間に助け出された時にしがみついた「命」。しかし命があるだけでは、人は生きてはいけないということを作品は伝えます。では何があれば、生きて行けるのか。何度も救いを求めようとしながら、絶望を繰り返す中、彼の時間を動かしたものは、劇的な何かではなく、寄り添いと関心の姿勢で、それはそれほど難しいことではないんだと気づくことができた作品です。
能登半島地震の被害は石川県にとどまりません。能登半島には富山県氷見市も含まれ大きな被害が出ています。また全国各地の被災地や、災害にとどまらず日常を生きるための辛さを抱えている方や、周りで支える方、普段何かできることはないのかと考える方にも、それぞれに受け取るメッセージがある作品となっています。
鹿賀丈史さんは、深い怒りと孤独を抱え、生きることに疲れ果てている黒鬼を見事なたたずまいで表現されていました。その黒鬼の唯一の理解者である妻美智子を、大らかな強さをもって包み込むような優しさで表現された常盤貴子さんは、今も能登を頻繁に訪れ支援を続けて下さっています。そして、活動の対象を「片づける物」ではなく「そこに生きている人」への共感、労り、関心をもって、黒鬼の時間を動かすボランティアの青年を演じた小林虎之介さん。宮本亞門さんが絶賛されていましたが、お芝居を超えた彼自身の感性が光る演技で、作品を支えていました。
「生きがい」は、28分というショートフィルムですが、地震発生から11カ月、豪雨発生から2カ月余りの被災地で、冬の天候、公費解体のスケジュールを考えると、これ以上の長さの作品を作ることは不可能でしょう。その限りある時間の中で、「私たちのことを知ってほしい、忘れないでほしい」という能登の方々の切実な願いと、それを受けた制作陣の熱い想いが結実した作品です。後半の「能登の声」は、ドキュメンタリーです。「能登の人は強い、優しい、みんな笑って迎えてくれる」しかし、その奥にある声を届けてくれる作品で、「生きがい」とともに、能登の今を伝える作品となっています。
御陣乗太鼓に始まり、御陣乗太鼓に終わるこの作品は、能登の方々の感情が全て詰まっているように感じました。ぜひ全国に上映がひろがることを願っています。
いい映画だけに短すぎるのが残念
2025年劇場鑑賞196本目の1。
エンドロール後次の映画有り。
パンフレット無しにつきマイナス0.5。
全国公開でパンフレット販売されるなら点数戻します。
能登復興支援の一貫で宮本亜門が制作、脚本、監督を行い、金沢市出身の鹿賀丈史を主演に、根岸季衣、常盤貴子、津田寛治と、三十分もない映画の割にキャストは豪華です。
こういう地方映画を観る時、自分が必ず気にするのが現地の言葉を使っているかどうかなのですが、元々石川出身の鹿賀丈史はもちろん(それでも東京暮らしの方がだんとつに長いので忘れてそうですが)東京出身の根岸季衣が能登ことばを完璧に話していてさすがベテランは違うなと感心しました。金沢を舞台にした大河の一滴という映画で、金沢育ちの設定の人たちがみんな標準語を話す中、三國連太郎だけがちゃんと金沢弁を話していて、俳優の格の違いを見せつけられました。
ちなみに朝ドラの「まれ」で能登ロケをしてから、主演の土屋太鳳より能登に来てくれている常盤貴子の能登弁も綺麗でした。まれでは東京から能登に移住してきた設定だからそこまで能登弁の練習はしていなかったはずなのですが。
そして一番面白かったのが津田寛治で、一応能登弁を話そうとしているのですが、福井出身なのが災いしてか福井弁に結構引っ張られてしまって関西弁っぽいなまりになってしまっていました。
自分の高校の遠い先輩でもある鹿賀丈史ですが、クセのある、ちょっとニコニコしながら裏で悪いことする役が多いイメージでしたが、今作のような一言しゃべるだけで心に来るような演技が出来る方とは知らず驚きました。
話としてはとても良かったのですが、とにかく短く、もう少し「黒鬼」の話を見たかったなと思いました。
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