「恐怖を超えて、家族という“現実”へ」死霊館 最後の儀式 こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
恐怖を超えて、家族という“現実”へ
ホラー映画というものは、いつの時代も観客の「信じたいもの」と「信じたくないもの」の狭間に生きている。『死霊館:最後の儀式』は、その両極の緊張がようやく緩み、祈りにも似た静けさで幕を閉じる。シリーズ最終章にして、最も“怖くない”――しかしそれゆえに最も“人間的”な作品である。
もはや悪魔は敵ではない。悪魔とは、ウォーレン夫妻にとって“信仰を試す鏡”であり、観客にとっては“家族を信じる力”のメタファーだ。前作までの神父も十字架も、もはや記号でしかない。今作で本当に問われているのは、「愛する者を、信仰の外でも信じられるか」ということだ。
恐怖演出も控えめで、ドアの軋みも鏡の反射も、ジャンプスケアというより、老夫婦の心音に寄り添うような穏やかささえある。ヴァラクがどうとか、呪いがどうとか、もはや枝葉である。むしろ物語の主眼は、ロレインとエド、そして娘ジュディの三人が「家族としてどう完結するか」に置かれている。つまりホラーではなく、家族の再生劇として描かれているのだ。
とりわけ印象的なのは、無職の婚約者ボブが求職中の身分でプロポーズする場面である。観客の多くが「まず職を探せ」と心の中で叫んだ瞬間、実はこの映画がホラーの枠を超えたことを示している。悪魔よりも恐ろしいのは、現実の生活と責任。ロレインが祈りで悪霊を祓うよりも、娘が定職のない男と結婚する方が、よほど現代的な恐怖である。シリーズが12年かけてたどり着いたのは、皮肉にも“信仰の終着点=現実への回帰”だったのだ。
そして結婚式のラスト。歴代シリーズの被害者たちが一堂に会する。ホラーのはずなのに、まるでマーベル映画のエンドゲームだ。あれは完全なファンサービスであり、同時に救済の可視化でもある。過去に苦しんだ人々が幸福に生きている――その光景こそが、ウォーレン夫妻の祈りの結晶であり、このシリーズが目指した“信仰の実証”である。
思えばこの12年、私たちは恐怖と信仰を往復する物語を見せられてきた。だが本作が教えるのは、恐怖を克服する力は祈りではなく、隣にいる誰かを信じることだという当たり前の真実だ。つまり、悪魔は最初から存在していなかったのかもしれない。あれは、恐怖と向き合うために人が必要とした“名前”にすぎなかったのだ。
最終章『最後の儀式』は、ホラーとしては穏やかすぎる。だが、信仰を物語る映画としては、静かに完成している。恐怖よりも、日常に立ち戻る勇気。悪魔よりも、無職の婚約者を受け入れる愛。ウォーレン夫妻が最後に祓ったのは、もはや悪霊ではなく、“現実を恐れる心”そのものだったのだ。
共感とフォローしていただきありがとうございます✩︎⡱悪魔よりも信じる力や内面にフォーカスしていて、ウォーレン家がちゃんと作品の真ん中にいると感じた最終作としてとても良いものになったと思いました。プロポーズについてはおっしゃる通り「職探せ–」って叫びました笑
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