「作り方次第では、外見と内面に関する問題提起やジェンダー批判ができたのではないだろうか?」君の顔では泣けない tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
作り方次第では、外見と内面に関する問題提起やジェンダー批判ができたのではないだろうか?
男女の心が入れ替わるというシチュエーション自体に目新しさは感じないが、そのまま元に戻らなかった場合の「その後」を描くという発想は、斬新で面白いと思う。
ただし、男性の体になった女性が、早々に童貞を失ったり、何人もの女性と付き合ったりといった「性」に関するエピソードには、違和感を覚えざるを得なかった。いくら体が異性になったからといって、そんなに簡単に同性を好きになったり、セックスをしたりできるものだろうか?
女性の体になった男性が、同窓会の夜に初体験をする経緯も、比較的丹念に描かれるのだが、ここでも同じような違和感を覚えたし、それを嬉しそうに聞いている元女性の態度にも疑問を抱かざるを得なかった。いくら、相手が、よく知っている同級生だからといっても、自分の大切な体で、勝手にそんなことをされたら、普通の女性だったら怒るのではないだろうか?
こういうシチュエーションならば、「体」よりも「心」の方が重要だと考えられるので、無理して「身体的に異性(精神的には同性)」の相手と付き合うよりは、表向きは同性愛者として、「身体的に同性(精神的には異性)」の相手をパートナーとした方が、よほど自然な人間関係になったのではないかと思えてならない。
それから、こうした設定では「定番」とも言える、2人が入れ替わる前の描写がなかったので、入れ替わった後のキャラクターの変化が分からなかったり、男性が女性的になったり女性が男性的になったりすることの面白さがあまり感じられなかったことにも、物足りなさを感じてしまった。
その点、男性の父親の葬儀の後で、家族に真相を打ち明けるかどうかで2人が言い争う場面では、芳根京子の男っぽさが「それらしく」感じられて、最もすんなりと2人のやり取りを受け入れることができた。せっかく男女逆転を描くのであれば、こうした、内面が外見に溢れ出すようなシーンが、もっとあっても良かったのではないかと思えてならない。
終盤になって、女性の体になった男性が、男性と結婚して、出産までしていることが分かると、序盤で抱いていた「性」に関する違和感が、嫌悪感へと変わってしまい、生理的に受け付けることができなかった。
さらに、そのことで、元男性が、今の心と体のままで良いと考えていることか明らかになると、外見で「男」とか「女」とかを押し付けようとする世間の価値観に、内面を合わせることを肯定しているかのように感じられて、まったく共感することができなかった。
それどころか、元女性が、職場の同僚に打ち明けた心と体についての悩みは、性同一性障害の人が抱いている悩みと似通っているのでないかとも感じられて、内面を外見に合わせることよりも、内面を否定せずに「自分らしく」生きることこそが大切なのではないかと思えてならなかった。
こうした設定を活かせば、もしかしたら、外見と内面はどちらが大切なのかとか、「男らしさ」や「女らしさ」とは何なのかといった問題を提起したり、ジェンダーやルッキズムに対する批判を盛り込むことができたかもしれないのに、そうした姿勢が少しも感じられなかったのは、残念としか言いようがなかった。
「3軍」と言われていた陸(の外見)がアッサリ童貞捨ててセフレを持つのは違和感がありました。
大学あたりからは特にそれぞれ勝手に生きてたようにも見えます。
お互いのために貞操を守るとか、就職先などに気を配るとかもないですし。
あそこまで行ったら、逆に「戻ったら困る」と自分ならなります。笑
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