劇場公開日 2025年10月3日

「絶望の隣には希望がある」アフター・ザ・クエイク アベちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 絶望の隣には希望がある

2025年10月7日
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鑑賞方法:映画館

1995年は歴史に深く刻まれる大災害と大事件が立て続けに起きた。当時私は名古屋に居住しており大災害が起きた1月17日は早朝に新幹線で東京に出張に行くところだった。移動途中、地震が起きた事はわかったがスマホもない時代だったので最初は詳細がわからなかった。東京に着いたら関西が大変な事になってるとのことで、名古屋にとんぼ返りする事になった(新幹線はこだまの運行だけになってた)。名古屋の事務所に戻り、被災地へ向け何か助けることができないかということで、弁当工場をフル稼働させ、おにぎりを大量に製造してもらい支援物資として送ったりしていた。そして、大事件が起きた3月20日は、里帰り出産をした妻と3月の初めに生まれたばかりの娘に会う為、日比谷線の地下鉄に乗り妻の実家に向かっていた。サリンが撒かれた時間とはズレていたので難は逃れたが、。このようにして、私は阪神・淡路大震災も地下鉄サリン事件も直接には関わらなかったが一生忘れることがないであろう記憶がある。
原作は未読だが、村上春樹は「戦後の日本で1番不吉だった時、人々がどこで何を考え何をしていたのか」をこの本で書きたかったのだという、。なので、NHK土曜ドラマ「地震のあとで」の放映時は何となく自分自身の事も少し投影しながら見ていた気もする。
しかしながら、ドラマはかなり不可思議な展開だったので、何となく消化不良に陥っていた。
そんな中での映画版の登場である。岡田将生が友人から預かった箱の中身はやはりわからなかったが妻から三行半を突きつけられた手紙の通り、彼も箱の中身も「からっぽ」なのだろう。鳴海唯は自分自身が「からっぽ」であると自覚し家出をしたが同じく「からっぽ」になって久しい堤真一と焚き火を見つめ自死を仄めかしたが、眠りについた後には何もなかったように朝を迎え、その日の午後、大震災に直面するのだろう。渡辺大知は神の子でも何でもない事は自覚している。外野フライを捕球する望みも叶えられないのだから神など必要ない筈である。彼もやはり「からっぽ」なのだが、無人の夜中の野球グランドで飛び跳ねる姿は決して絶望してる訳ではない。初老の佐藤浩市はカエルくんとの30年前の出来事を忘れる程「からっぽ」の存在になっていたが人知れず東京の大災害を食い止めるカエルくんを支援した。この2025年の第4章は原作とは違うオリジナル脚本とのことである。
ドラマ版から映画版に変わる中でこの4つの物語は編集の妙により、細い縦の線で繋がっているように見えた。私の消化不良もかなり解消されたようである。
「何があろうとなかろうとも世界には希望がある」という映画であった。

アベちゃん
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