それでも私は Though I'm His Daughterのレビュー・感想・評価
全5件を表示
パンフでなく映画本編にサリンの被害者家族の意見をいれるべき。
レビュー前に大前提として
私自身は【加害者家族を差別してはいけない。罪のない加害者家族に誹謗中傷なんて絶対してはいけない】と考えてます。
ただし【被害者家族や国民の安全の為に死刑制度は残すべき】と考えてます。
勿論加害者家族の悲惨な現状を知ってもらいたいのは重々わかっています。
秋葉連続通り魔事件の加害者家族、特に罪のない弟さんの件はひどかった、罪のない加害者家族に剣を振り下ろすべきではありません。
じゃあ何故星1なのか、
私は本編最後に監督からのメッセージ付きの
回を拝見しましたが、
『実際の被害者家族の意見はパンフレットに載っているのでそちらを参考に色々な意見があれば、、、』
と仰ってました。
イヤイヤ意見の交換を監督が希望するなら
本編に取り入れるべきだし、もしこの映画が
その為のものなら飽くまで意見が同じ方の状況ばかりが本編を占めていて、とてもじゃないけど
意見を交わす為のドキュメンタリーとしては私は
みれませんでした。
被害者家族は罪のない家族を殺されて
それこそ死ぬ程の思いがあったはずです。
その意見を聞く過程や断られる過程、
があるはずですが、それがない。
実際断られた可能性もありますが
それならその過程も映画にとりいれるべき、
筋トレの大会の過程を省いてでも。
パンフレットに被害者家族の意見が乗ってると
聞きズッコケました。
いやいや、本編でまとめるべきですよ。
パンフレットで意見が納得できたとして
映画としてドキュメンタリーを作るなら
本編を魅せなきゃ駄目じゃないですか。
ここ数年の日本のドキュメンタリー映画が
星5揃いの素晴らしさで
『正義の行方』
『mommy』
『どうすればよかったか。』
が大変良かったので油断してました。
感動した方や松本さんには否は全くないですが、
『それでも私は』は
本当に残念でした。
三女の視点や思いに寄り添った作品
予告で見た時にとても気になり、娘から見た当時のことを語られるものなのか?と思い見たのですが思っていたものと違うものでした。
あくまで三女の生活を映し出したドキュメンタリー作品です。
テロリスト認定されてしまってることは作品を見て初めて知りましたが今だに母や姉などと家族関係が繋がっている点など見ていてそりゃそう思われても仕方ないと思った。
やっぱりもう家族と縁を切って生きるべきではないか。お母さんなんて逮捕されてるわけだからさ。
Xでご本人から私は一切教団と関係ないということをリプいただいたが、この作品でもそういう話をちゃんと入れないといけないのではないか?
彼女が頑張っていることはたしかにこの作品を見ればわかりましたが、そうではなくて
きっとみんな知りたいのは彼女から見えていたオウムの姿の話なのでは?
子供の頃に自分が見ていたオウムの実態、自分が思っていたオウムの印象など。
そういうものを期待して見ると内容がそうではないのでがっかりすると思います。
悲劇のヒロイン
加害者の親族としてあらゆる組織から沢山の権利を奪われ、それでも自分の手で権利を取り戻し前向きにたくましく生きていく。その姿を暖かく見つめたドキュメンタリー。
監督は主人公ととても親しくしている様子で彼女の素直の言葉や表情が映されている。
世紀の大事件の首謀者の娘。その境遇の中行動を起こして自分らしく生きようとする姿は尊敬に値するし誰もが持つ基本的人権と思う。
ただなんというか、何とも言えない違和感というか。涙をアップで撮ったり筋トレをアップで撮ったりを前面に出すより、もう少し客観的なものの方が訴えが響くのでは無いかなと感じた。
被害者の方はこの作品を観て何を感じるか
麻原の三女、麗華さんは「優しい父、松本智津夫」と「地下鉄サリン事件を起こした麻原彰晃」という2つの事実を未だに上手く相対化して考えられていないように感じた。
時間が経つにつれ、「優しかった父」への思いが彼女の中で強くなっていくことで、益々もう一つの父の顔のことは心の隅に追いやろうとしているようにも思えた。
彼女が自分の魂を救うためには、もう一つの父の姿をしっかりと見つめ受け入れる他に無いと僕は思った。
作中で気になった点として、彼女が本作の中で「父の犯した罪に対して、私が謝るのはおかしいと思う」と話していたが、これは被害者やその遺族の方達との断絶を生む考えで間違っているのではないか。
例えば、自分の親が交通事故で誰かを傷付けたとすれば、その家族が被害者の方に対して「父が大変なことをしてしまい申し訳無い」という意思表示をすることは相手の気持ちをねぎらったり、心の距離を縮めるためには必要だと考えるからだ。
この映画では三女、麗華さんの置かれている心無い人達による差別に苦しめられているいる様子が次々と映し出されていて、それでも下を向かず頑張って前に進もうとする麗華さんの姿は健気で心から応援したくなる。
しかし、恐らく現在もサリン事件の後遺症で今も苦しんだり仕事が出来ずにいる人もまだいることだろう。その人からすればこの映画で麗華さんの息苦しさを知ったとしても、(貴女も辛いかもしれないけれど、私の方がもっと辛い)という印象を持つにしか至らない人が多いのではないだろうか。
「被害者と加害者」この両者の関係はお互いの置かれている境遇に対しての共感が無ければ、その溝は決して埋まらないだろうとも感じた。
僕の映画の見方からすれば麗華さんの言動からサリン事件の被害者に対する共感が明確に感じられない以上、「麻原彰晃の骨の話」や「筋トレのコンテスト」の話を聞かされても、被害者の方からすれば(そんなのどうでもいいよ)というトピックにしかならないようにも思えた。
監督は上映後のトークショーの場で、三女、麗華さんと和歌山カレー事件の長男と同じ「加害者の家族」として話されていた。
林真須美の長男さんも加害者家族として酷い差別やいじめを受けて幼少期を送ったものの、現在は自分の母親の冤罪を信じ、母のいわれなき罪を晴らそうとして活動している。
このように和歌山カレー事件の場合はまだ林真須美さんの冤罪の可能性があるという現在進行系の話であり(オウム真理教が犯した犯罪事件と同列にするにはどうかな)とも感じた。
またトークショー内では監督も同席した担当弁護士も松本智津夫氏のことを「松本智津夫さん」という呼称で話されていたが、こういった点から製作者側が加害者側に軸足を傾け過ぎていると感じ、被害者の人の心象を悪くするかもしれないなと思った。
「それでも私は...生きていく(生きている)」
阿佐ヶ谷ロフトAでの先行上映会&トークイベントで鑑賞しました。
オウム真理教・麻原彰晃(松本智津夫)の三女、松本麗華さんを6年間にわたり追ったドキュメンタリー。
12歳のとき、サリン事件で父親が逮捕され、16歳で教団を離れた。その後41歳となった今もなお、国は彼女を「関連教団の幹部」として認定し続けており、認定取り消しを求めた裁判でも敗訴している。
加害者家族は、時として被害者そのものである。彼女は世間からの激しいいじめやバッシングだけでなく、国家からも人権を剥奪され続けている。
大学入学拒否や職場での解雇に加え、理由のない銀行口座開設拒否、海外渡航の制限など、日常生活そのものがいまだに大きく制約されている。
精神的に追い詰められ、時には寝込んでしまうこともある。それでも彼女は何度でも立ち上がり、しなやかで力強く日常を生きている。その姿が丁寧に描かれている。
小規模な公開かと思いきや、全国25館で公開されており、新宿K'sシネマでは1日3回も上映されているという。
出演者には森達也、宮台真司、鈴木邦男、香山リカ、雨宮処凛など、ファン垂涎のメンバーが名を連ねている。ただし登場シーンは少なく、発言も主に前者2名のみであるため、過度な期待は禁物だ。それでもファンにとっても十分観る価値のある作品である。
麗華さん自身は「バッシングする人は、観てもなおバッシングするだろう」と語るが、それでもこの作品は、より多くの人に観てもらうべきものであることに疑いはない。
途中で何人ものディレクターが離脱するなか、6年間にわたり撮影を続けた長塚監督と、見る者に勇気を与えてくれる麗華さんに、最大限の賛辞を送りたい。
全5件を表示

