また逢いましょうのレビュー・感想・評価
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後半になってなかなかのトンデモ展開になるのだが、大西礼芳さんは多才だなあと思った
2025.7.22 アップリンク京都
2025年の日本映画(91分、G)
原案は伊藤芳宏のノンフィクション『生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く』
父の怪我によって介護施設と関わることになった漫画家を描いたヒューマンドラマ
監督は西田宣善
脚本は梶原阿貴
物語の舞台は、京都市右京区宇多野近辺
父・宏司(伊藤洋三郎)の大怪我を聞きつけて東京から舞い戻った漫画家の夏川優希(大西礼芳)は、主治医(安部朋子)からこの3日がヤマだと言われてしまう
脊椎損傷の怪我を負った父は、何とか命を取り留めるものの、右半身に麻痺が残ってしまう
一人暮らしは難しいものの、優希が同居するならという条件付きで帰宅が許可された
その後、ケアマネージャーの野村(カトウシンスケ)とともに今後の生活についての話し合いをした結果、ハイデガー哲学をケアプランに取り入れている「介護施設ハレルヤ」に通所することになった
所長の武藤(田山涼成)は「ハレルヤ通信」という利用者の過去を取り扱う冊子を作っていて、それをきっかけに利用者同士の交流が進めば良いと考えていた
また、自分の過去を文字にすることで、自分自身と見つめ合い、自分の言動によって他人にどんな影響を与えてきたかを考えるきっかけにもなる
そう言った趣旨でケアプランを考案し、チーフの向田洋子(中島ひろ子)を筆頭に数名の介護士が利用者のケアにあたっていたのである
物語は、ハレルヤに通う父と優希が描かれ、さまざまな利用者と交流を持っていく様子が描かれていく
ダンスが得意な梅子(梅沢昌代)や、若くして病気で下半身不随になったゆかり(田川恵美子)たちと過ごす中で、洋子ともプライベートで仲良くなっていく
彼女の娘ルイ(神村美月)の勉強を見てあげたり、洋子のケアプランを一緒に考えていく中で、野村との仲も徐々に縮まってくる
そして、二人きりでデートに出かける時間などが増えていった
だが、ある日のこと、梅子が自宅で倒れてしまい、そのまま息を引き取ったことを知らされたみんなは、ショックを受けてしまうのである
映画では、ハイデガー哲学が引用され、自己の存在理由と時間(経験)の相関性などが描かれていく
ハイデガーはドイツの哲学者で、劇中に登場する『存在と時間』という書籍を残している
「存在の哲学」を思考し、人間の存在や世界との関わり方を根本的に問い直して、実存主義哲学に大きな影響を与えたとされている
彼は人間のことを「現存在」と呼び、「人間は世界に投げ込まれた存在として、世界と切り離せない関係にある」と言う
また、劇中で言及されるように「死を運命として自覚的に受け入れ、そこから自分の人生を捉え直すこと」を思考の骨格として、「死への先駆(Vorlaufen)」を提唱している
映画内でも、「死を乗り越えた人に見えるもの」ということで、利用者はそういった経験がある人が多く、彼らが語る自分史によって、人間同士の理解が深まると考えられていた
そして、優希の父もライフストーリーを手がけることになり、口下手で寡黙な父が饒舌に内面を吐露している様子が描かれていく
父の知らない一面を知り、それによって自分の人生を見つめ直すことになった優希は、東京で戻ることをやめて、実家に帰ってくることを選択するのである
映画では描かれないが、父と距離を置くことが上京の一つの理由になっていると考えられ、そうした内面の変化というものが現れているのだろう
とは言え、その源泉となっているのは野村の存在であり、その理由についても、父はなんとなく察しているのかな、と感じた
いずれにせよ、かなり変わった作品で、洋子が手がけるケアプランでは3部構成の劇を行おうとしていた
そこには急逝した梅子や、障害者と健常者の関係性に違和感を持つゆかりなどのライフストーリーを組み込んでいくのだが、そこに「みんなしぬ」というインパクトが強すぎる歌も登場する
特攻服姿で天誅を下しに行ったり、大声でこの歌を歌ったりするのだが、このあたりの何とも言えない感じはハマる人にはハマるのかもしれない
個人的には無茶な映画だなあと思っていたが、死を自覚してこそ見えてくる世界というものには興味があったので、そう言った観念とか、ハイデガーの哲学に興味がある人にとっては、良いきっかけになるのかな、と感じた
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