劇場公開日 2025年6月28日

「香港民主派勢力はなぜ敗れたのか。日本の学生運動を彷彿させる暴走と分断のリアルな記録。」灰となっても じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0香港民主派勢力はなぜ敗れたのか。日本の学生運動を彷彿させる暴走と分断のリアルな記録。

2025年7月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

実は、仕事で香港の民主派とかかわったことがある。
あの頃は、まだアップルデイリーは盛んに配信していたし、
アグネス・チョウ(周庭)もまだ積極的に発信していて、
民主化運動は、大きな抑圧を当局から受けていたにせよ、
決して敗れ去ったわけではなかった。

その仕事がひと段落したあとも、
僕は香港で頑張っている若者たちに、
報われる日が来ることを心から祈っていた。
だが、残念ながら民主化運動はその後、
中国共産党によって粉々に破壊された。

あのころ仕事で関わった人の大半は、
牢屋にいるか、香港を出て国外にいる。
僕にまで、とばっちりが来ることはまずない。
でも逆に、自分はしごく安全な場所で運動と香港そのものの終焉を情報として知りつつ、見て見ぬふりをして流したどころか、まるで「なかったこと」のように忘れて日々を生きていることに、多少の罪悪感を感じている。
ちょうど、本作の監督アラン・ラウのように。

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本作は『時代革命』という告発の映画が、すでにドキュメンタリーとして存在するなかで、「ジャーナリストとしての監督の私的な矜持と後悔」をテーマにすることで、新たな切り口で香港民主化運動の勃興と終焉を描く作品である。

監督のおっしゃっていることは、よくわかる。
民主派運動家に協力できなかったことへの悔恨も。
暴力にさらされ続けたことによるPTSDの恐怖も。

ただ我々から見れば、ほぼ内戦といっていい危険な戦場と化した市街で、大量の(本当にびっくりするくらい大量の)ジャーナリストが、民主派のデモ隊と警官隊の武力衝突を「撮影し、報道する」ことを許され、メディアとして張り付いていたことに、意外なほどの「当局の度量の大きさ」を感じたりもする。
日本で同じことになっても、あれだけ警官隊が民衆をタコ殴りにしたり、民衆にタコ殴りにされたりしてる現場は、なかなか撮影許可が下りないんじゃないのかなあ。
「おれは記者だ!」の一言で、数十人がその場に中立的な立場で居残り撮影することが許されている状況って、意外に先進的な状況なのでは? 香港という社会がもともと持っていた「ジャーナリスト天国」(職業として尊敬され、優遇される)としての側面が、彼らの取材の「自由度」にかなり影響しているようにも思うのだが。

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僕は政治信条的には明快に反共なので、
中国共産党独裁政権に対しては、
30年来苦々しい想いを抱いているし、
香港に起きた悪夢のような事態には、
心からの惻隠の情を催さざるをえない。

ただ、反共・中道の信条にのっとるがゆえに、60年代末の日本の学生運動の在り方には、正直あまりシンパシーの念をいだいていない。
暴力革命理論には断固として反対の立場を主張するし、たとえ弾圧されたとしてもデモ隊の武力行使を正当化する根拠はないと思っている。
だから、映画の進行に従って、平和的・非暴力的だった雨傘運動が、次第に実力行使的な色合いを強めていく様子(勇武派)には、深い懸念を感じざるを得なかった。

ドキュメンタリーは、基本的に民主化のために立ち上がった若者たちに強い共感を寄せたつくりになっているが、守旧派の市民たちの考えていたことも数回にわたって紹介されている。
彼ら保守的な市民が、いかに暴徒化した民主派のデモ隊の連中を毛嫌いし、迷惑に思い、ゴキブリのように感じていたかが、直截的な言葉で表現されていて、なかなかにショッキングだった。地下鉄で迷惑そうな顔をして文句をつけていた市民たちは、必ずしも親中派勢力ばかりというわけではないはずだ。デモ隊は、市民からいつしか「過激派」のレッテルを張られていたのだ。

日本の学生運動もまた、大人からはだいたいこういう風に思われていたのだった。
本人たちは、アメリカの属国への道をひた走る日本の国体に命がけでノーを唱え、正しい道へと日本国と国民を導こうと必死だったのだろう。
だが、多数派の民衆は、新時代がもたらした高度経済成長を謳歌し、大量消費文化を堪能し、思想的闘争に殉じようとする極右(三島由紀夫)と極左(全学連)の双方を「切り捨てた」。彼らにとって、武力闘争を高らかに主張する有象無象は、いっしょくたに「社会のゴキブリ」として扱われるべきものだった。

きっと、同じことが香港でも起きていたのではないか。
僕には、そう思えてならない。
長い非暴力的な闘争がまったく成果をあげることなく黙殺され、官憲による取り締まりがどんどん強化されるなかで、デモ隊の最前線の猛者たちに「反撃」を禁じ続けることは、もはや難しかったに違いない。抑えきれなくなったストレスと鬱屈はやがて暴発し、いったん軛が外れると、警官隊への抵抗から反撃が始まり、バリケード封鎖、火炎瓶闘争と戦術はエスカレートし、活動はいや増しに暴力的になり、運動の反国家的側面が強くなればなるほど、親中派どころか良識的市民からの共感すら失われ、やがて見放されていった。
国家はそのタイミングを見計らって、国家安全維持法を制定し、過激化した運動を強制的に鎮圧していった。
おそらくすべて、敵からすれば計算ずく、最後にどうなるかはお見通しだったに違いない。

最初に言った通り、僕は香港民主派勢力のシンパであり、ほんのわずかながらそのお手伝いもさせていただいた。
だが、彼らの運動が失敗に終わったことは、武力闘争に走らざるを得なかった経緯を考えると、多分にやむを得ない部分もあったと思う。

逆に中国共産党と香港政府のやり口は、きわめて狡猾だった。
雨傘運動の前から、本土からの移住政策を推進し、本省人を水増しし、多数派工作に余念がなかった。中国は必ず「多数決で勝つ」(=選挙で勝つ)人口構成を根回ししてから、おもむろに中華政策を始動させる。政治は畢竟、数の力だ。その土台づくりに関して、中国政府は常に手を抜かない。
さらに大衆運動が非暴力的なデモに収まっている間はおおむね静観し、その後じわじわとプレッシャーをかけ、持久戦に持ち込み、デモ隊がじれて行動が過激化するのを煽る。その呼び水として、政府と結託したヤクザ集団を裏で操って721事件や831事件を起こし、デモ隊に暴力を加え、反撃しようとした連中を今度は警察隊を使って鎮圧する。
大衆のあいだに、長く続く内乱状態への嫌気が広がり、運動家たちへの共感が落ちてきたころ合いを見計らって、次々と法整備によって息の根をとめにかかる。

キャリー・ラム行政長官の見せるどっしりした応対ぶりの、なんと憎たらしいことか。
彼女の落ち着いた挙動を見ていると、いかに民主派が香港政府(と背後にいる中国共産党)に横綱相撲をとられて、がっぷり四つに組み止められて、大相撲に持ち込まれたあげく、じわりじわりと寄り切られてしまったかが痛感される。
やはり、彼らのほうが一枚も二枚も上手だったのだ。残念なことに。
あらためて中国というのは、本当に恐ろしい国だと思う。

もう一つ、中国共産党にとって、2019年の「逃亡犯条例改定」をめぐる民主化デモで、香港の人口の3割を占める「約200万人の市民」が集結したという事実は、「これは本当に叩き潰さないとまずい」と指導層に強く心を固めさせる契機になったのではないか。
200万という人の数は、マジでただ事ではない数字である。
それは、民主派にとっては誇らしく、称揚されるべき、最高の勝利の数字だったろう。
だが、そのあり得ないような数字が逆に中国に本腰を入れさせ、運動の終焉を早めたというのは皮肉なことだ。

それと、改めて強調しておくが、最終的に民主化デモを応援しなくなった民衆の全員が親中派だったわけではない。香港の自由を愛して一国二制度の維持を大切に思う人たちのなかにも、先鋭化する民主化デモにノーを唱えた人はけっこういた。
彼らからすると、デモ隊は明らかに「やりすぎた」。「逃亡犯条例」がほぼ「死に体」になった時点で引いていれば、中国共産党も香港親中政府も、ここまで事を性急に進めるつもりはなかったはずだ。それをデモ隊は「五大訴求,缺一不可」と叫んで、一歩も引かなかった。
結果としてどうなったか? 1年も経たないあいだに香港国家安全維持法の制定を招き、数年で香港の民主派勢力は「根こそぎにつぶされた」。文字通り、全滅させられたのだ。
彼らは、中国共産党の沽券にかかわるような要求を突き付けて、相手が逆に「引けない」状況を作り上げてしまった。五つの要求を是が非でものませようとして、逆に不快害虫のように民主派は香港から「駆除」されてしまった。
彼らが「やりすぎなかったら」今でも中国は一国二制度を「ある程度は」維持できていたはずだし、民主派が一定の勢力を残存させることもできた。それなのにあいつらのせいで……。
デモ隊を応援しなかった人たちのなかには「そういう考え方」の穏健派もいたということは、僕たちもわかっていたほうがいい。
「正義」は必ずしも、身を張って戦ったものの側にだけあるものでもなければ、敗れ去った側にだけあるものでもない。お涙ちょうだいで「失敗した民主派」への共感を語っているだけでは、見えてこない真実もある。

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この映画のドキュメンタリーとしてのキモは、とにかく「見づらい」ことにある。
どこに誰がいて、何をやっているのかすらさっぱりわからない。
デモ隊と警官隊の小競り合いと暴力の応酬の映像を延々と見させられながら、僕は「たとえ手持ちカメラでバタバタ走りながら撮っていても、映画に出てくる暴力シーンや乱闘シーンって、ちゃんと誰が敵でどこで何をやってるかくらいはわかるように撮ってあるんだなあ」と、些かどうでもいいことを考えていた。

それくらい、ニュース映像としての「現場の路上闘争」は、何が起きているのかを把握すること自体が難しい。敵味方それぞれが好き勝手に動いていて、群としての行動に一貫性がないことに加えて、撮っているカメラマン自身も命の危険と隣り合わせだから、銃声や爆発音がするたびに激しくカメラは揺れ、上下動し、方向を見失う。
報道フィルムとしてカメラのプロが撮った映像でありながら、そこに刻印されているのは徹底した「カオス」の記録なのだ。

国家権力と民主派が潰し合う最前線には、ルールもなければ、段取りもない。
あるのはただ、混乱と無秩序。突発的な暴力と予測不能の衝突。
汚く、無慈悲に、怒りと憎しみがぶつけ合わされる「修羅場」。

アラン・ラウのハンディ・カメラがとらえているのは、まさにその混乱と無秩序の発現だ。

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●民主派の若者の一人がフルートで吹いている曲って、ベルトルッチの『1900年』の主題歌だよね。そういえば、あれも抵抗と革命の物語だった。

●レノン・ウォールの光景は、どこか僕の胸を刺すものがあった。猥雑でありながら真摯な空間は、まさに学生運動当時の日本と共通するものだ。共犯性の強調とある種のサブカルチャー性によって団結と連帯が謳われ、秘密基地の様相を呈する感じが僕のノスタルジーを刺激した。ちなみにWikiによれば、香港で最初のレノン・ウォールは2014年の雨傘運動の際に香港政府庁舎の外壁にある階段に沿って出現し、2019年の際は香港市内の150か所に及ぶ場所に出現したとのことだ。

●催涙弾味のアイスを食べるデモ隊の青年の姿に、まさしく60年代末の日本の学生運動のノリを見て、ふたたび強いノスタルジーに襲われる。ジョークの精神は、今後の香港の「再生」を占ううえで重要だ。なぜなら日本における「市街戦」に敗れた学生運動の闘士たちは、やがて鉄パイプをペンに持ち替え、反権力の「紙街戦」(雑誌・テレビ・予備校・広告など)へと活躍の場を切り替えていったからだ。その成功者の代表が、かつて学生運動の指導者だった糸井重里だ。
僕は、敗残の民主化運動の闘士たちの未来に、新たな希望が輝くことを心から願っている。その際もっとも重要になってくるのは、闘争心や思いつめた愛国心ではない。戯作精神と茶目っ気だ。「催涙弾味のアイス」の精神で、彼らには「死んだ香港」のなかでの生き方をぜひ探っていってほしいと切に思う。

じゃい