黒川の女たちのレビュー・感想・評価
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評価するものじゃないと思ってます。
全く知らない事実を知り,日本という国の弱さに気付かされる。映画の中で犠牲になった女性の息子さんが,語る言葉、戦争を誰も総括していない。何故こんなことが起こったのか,曖昧なまま戦争が終わっている、この言葉にハッとなる。日本て、政治もそうだな、変わってないんだなぁと思ってしまった。誰も責任取らないのだ。
黒川の女性たちが勇気を出して、無かったことにしてはいけないと声を上げてくれた。そしてそれに応えた今の開拓団の団長の方も本当にすごいと思う。過去の史実を自分ごととして、碑文を作成し、女性たち一人一人に心から陳謝する姿勢に、女性たちも自分は悪くないんだ、堂々と伝えていこうと前を向き始める。顔や名前を出さずにいた方も最後は映画に出てくれていた。辛い体験を言葉にする勇気に涙がでる。これを題材に授業をする先生も素晴らしかった。勇気のあるすべての登場人物に拍手したい。
日本の政治家が見るべきだと思った。
戦争は人を狂わせる。加害者でもあり被害者なのだ。
タイトルなし(ネタバレ)
日本って都合の悪い事は黙ってなかっと事にしてしまう。それもいつもは大和魂はと言いながら女性をソ連軍(当時)に差し出す事にした男達に呆れ果てる。また戦後も黙ってない事にしている男性達に怒りを感じる。それでも、開拓団長の孫がその女性達の慰霊碑を建立するのに尽力する姿に感動しました。
タイトルなし(ネタバレ)
終戦時、満州開拓団を襲った悲劇・・・
太平洋戦争後半、貧農たちは満蒙開拓へ急き立てられるように海を渡った。
岐阜県黒川村の農民たちも、そんな集団のひとつだった。
開拓とは名ばかりで、既に開拓されてた土地を現地の人々から安く買い上げて農業をするのだ。
だが、終戦間際、ロシアの参戦により状況は一変する。
開拓団を守るべき日本の関東軍は知らぬうちに撤退。
土地を奪われた満州の人々が開拓団の集落を襲う。
身の安全を得るために開拓団が採った手段、それはロシア軍に守ってもらうかわりに、村の若い女性を差し出すことだった・・・
という太平洋戦争秘話。
犠牲になるも生き延びた女性たち、遺族たちの証言。
十数年に渡る取材・インタビューをまとめたドキュメンタリー。
事の陰鬱さとその後の対応は、いま振り返るべき重みがある。
このことについては「隠すべきこと」として、封印されてきた。
「なかったこと」にするよりも酷く、「あったこと」だが「忌むべきこと」としても封印。
犠牲になった女性たちの扱いは、帰国後の方が酷かった。
団長ほか、開拓団をまとめる立場の者たちが、生き延びるために若い女性たちを差し出すという決断をしたにもかかわらず・・・
この構図は、戦争についての責任を追及せずに、GHQ指導の元に戦後生活を得た日本そのものに重なる。
というわけで、描かれる内容は非常に重要である。
が映画作品としては、テレビの報道特番のような印象を受ける。
これは、同じようなショットや証言が繰り返されるからか。
それとも、本件を次代へ繋ぐ、という流れ・作品のつくり自体が綺麗事にみえるためか。
映画としては「惜しい」感じがしました。
いうなれば、ルポルタージュ本として、じっくり読みたかったなぁ、という感じなのだ。
自分が団長だったらどうしただろうか?
岐阜県白川町黒川から満州へ移り住んだ開拓団の、終戦後から2か月間にわたり「性接待」を強要された人たちについてのドキュメンタリー映画です。
軍隊が国民を守らずに逃げたという話は至るところで聞く話ですが、これは、開拓団が終戦後に、自分たちが土地を奪った満族の人々からの襲撃に対して、自決をせずに、ソ連兵に守ってもらう代償に、同胞の若い女性を差し出すという選択をしたというものです。
その選択により、開拓団の多くの人々は日本に帰って来ることができました。ところが、自分たちの負の歴史を覆い隠すために、緘口令を強いたり、村八分にしたりすることで、自分とは関係のないところで起こったこと、あるいはそんなことはなかったことにしようという意図で、戦後、その事実はずっと伏せられてきました。それが、2013年7月に行われた満蒙開拓平和記念館での語り部定期講演で、勇気ある二人の女性がこれについて証言したことをきっかけに、初めて公になりました。
人間の「業」というものの恐ろしさに、途中から涙を禁じえなかったです。「性接待」を強要された人たちのお孫さんがみな、勇気ある証言をした祖母のことを誇りに思っているのがとても印象的でした。
日本中、いや世界中の人たちに観ていただきたいドキュメンタリー映画であると思いました。
これを観ても、「歴史を書き換えた」とまたあの議員は言うのでしょうか?
自分が開拓団の団長だったら、どういう意思決定をしたのかとずっと考えています。
だんだん時間が経っていく。
大体混乱期には理不尽なことが起こりやすいが、黒川開拓団が第二次世界大戦終戦直後、満州から逃げられず、ロシアの支配下に置かれた時に何が起こったかを、具体的に語ってくださって、為になった。人身御供にされた元娘さんたちが「乙女の碑」ができて、少しだけ報われたように感じた。今はおばあちゃんとなった人たちも、心なしか表情がふっきれたように感じた。
まだ語られてない歴史が生存者が減ることで、だんだんなかったものになっていく。
映画を見た数日後、白川町黒川にある佐久良太神社に「乙女の碑」やその碑文を見に行ってきた。なぜ満州にいったのか、とか、満州からの引き上げについて詳しく書いてあった。
【第二次世界大戦時、傀儡国家満州国に国策のため渡った岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた性接待の事実を明らかにした強烈な反戦ドキュメンタリー。高齢になった被害女性達の声と、壮絶な生き様には涙が出ます。】
ー 今夏、戦後40年という事もあるからか、戦争映画が多数シネコンで上映される。戦争を知らない私たちにとっては、反戦思想を学ぶ事が出来てとても良い事だと思う。
今作もその一作である。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・当時、貧しかった岐阜県白川町黒川人達は国策に乗り、開拓団として傀儡国家満州国に渡る。既に敗色濃厚で、軍隊は撤退しつつあったのに・・。劇中で語られるが、彼らは”人の盾”として派遣されたのである。
・現地民が住んでいたボロイ住居に入り(という事は、現地人から当然恨まれる。)、生活を始めるもあっと言う間に、敗戦濃厚のため現地人と、ソ連兵に怯える日々。
そこで、開拓団の男達が下した決断が、未婚の18歳以上の女性達をソ連軍の幹部に”性接待”の相手として差し出す事であった。
当時の事を克明に語る女性達の言葉が、哀しい。”お母さん”と泣きながらも、開拓団を護るために行わされた事。
・だが、もっと哀しかったのは命からがら戻った岐阜での、マサカノ日本人たちからの差別と偏見に満ちた態度と言葉だったという事実。
ある女性の手記には”日本に帰ってからの方が哀しかった。”とある。
証言をする女性の中には、顔を映させない方もいるのである。
ある女性は、岐阜の更に北部である、今は観光地のひるがの高原に移住して、酪農家として生きて来た。彼女の言葉”満州の事を思えば、辛くはなかった。”
■今作の途中から、50代の男性が登場する。彼は被害女性達の家を何度も周り、証言を得て、それまで像しかなかった黒川の鎮守の森に、岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた出来事を克明に記した記念碑を作ろうと奔走するのである。
そして、漸くその碑が出来た時に、彼は涙を流しながら女性達に詫びるのである。彼が生まれる前の出来事なのに・・。凄い男性だと思う。立派だと思う。
彼の詫びの言葉を聞いて女性達の表情は変わるのである。
特に、それまで顔を出さずにインタビューを受けていた女性が、顔を出してくれたり、それまで笑顔が無かった女性に笑顔が戻ったり・・。
<今作のタイトル「黒川の女たち」の意味が分かったのは、最後半である。
被害者の女性達が生き永らえたお陰で、多くの子孫が出来、その中には3人の女性達の孫もいたのである。彼女達は祖母たちの生き様を知り、彼女達のお陰で自分達がいる事を知るのである。
一人の女の子の孫が幼い時に、祖母に書いた葉書に書かれていた言葉も、優しさに溢れていて、涙が出そうになった。
そして、彼女達は自分達の幼子を、被害者の女性達に会わせるのである。その時の被害者の女性の涙の笑顔も、実に沁みた。涙が出たよ。
今作は、第二次世界大戦時、傀儡国家満州国に国策のため、渡った岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた性接待の事実を明らかにした強烈な反戦ドキュメンタリー映画である。
最後に印象的な言葉を記してレビューを終えます。
■次に生まれるその時は、平和な国に産まれたい。>
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