Dear Stranger ディア・ストレンジャーのレビュー・感想・評価
全18件を表示
夫婦の危機、あるいは父性の危機?
女は人形劇、男は廃墟研究とそれぞれオブセッション(に近い仕事)を抱え、育児に専心できないでいる。そんなところに、子の誘拐事件が起きるが、事件は意外にあっさり解決して子どもも戻ってくるが…。ミステリ、というより心理劇の要素が大きく、象徴的な表現も多用され、なかなか核心にはたどり着かない語り口。傍から見ると、ぐちゃぐちゃ悩んでないでちゃんと親をやれ、と言いたくもなるが、そうは割り切れないのもまた人間。そうしたままならなさが、人形/廃墟に象徴されている…ということだろう。NYで暮らし、非母語でコミュニケートせざるを得ない中国・日本人カップルという設定も、安易な「心の通じ合い」的解決を許さず、もどかしい。ほぼ全編英語で通すが、西島秀俊が時折切羽詰まって漏らす日本語が、とても印象的(抑制が毀れた瞬間を見てしまった、ような)。銃や車の使い方も技巧的だが、やや暗喩が渋滞気味ではある。この主題なら1時間半くらいの上映時間に収めて欲しいところ。
正直、奥さんが
疫病神だと思う、引っかかった男含めて。人形と生身で引き裂かれたのか?こういう人、よく観るねェ遠い山なみとか。
今迄観たNINIFUNIとディストラクションベイビーズより、大分観易かった。ジャズぽいジムオルークも聴き易かったけれどキュラキュラ音・・。
最後の巨大人形にはあまり意味が?
Darknessな人間の心理
前半の幸せに見えながらもすれ違っている感がわかる
賢治(西島秀俊)とジェーン(グイ・ルンメイ)夫妻。
その子カイのおかげで何とか保ている様子。
加えて、ジェーンが父母を頼り、カイを預けたりするのもリアル。
なんかもう前半だけでモヤる。
カイが誘拐されてから、夫妻の亀裂が決定的に。
もう醜い争いは本当に見たくないくらい。
しかも誘拐犯は、賢治が車屋で会った荒くれた男。
この男が妻の元カレ。
そしてカイは、その元カレの子・・・というこれでもか!というくらい
設定が入りくんでいるし、元カレの現彼女が共犯となって誘拐。
誘拐事件は解決して無事カイは戻ってくるが、
そこからカイを守る行動で賢治はすごく悩む。
ジェーンが寄り添うも悩み続ける。腹立たしいくらいウジウジしている。
ようやく光明が見えたかと思いきや・・・
誘拐犯の彼女に復讐されるという、
なんとも人間のイヤな部分だけをこれだけ見せられると、ゲンナリしてしまう。
ラストも悲しいなあ。
ジェーンとカイが元カレの墓参りをしているのがどうにも悲しいやらせつないやら。
この後、賢治とジェーンはどうなっていくのだろう?
恐るべし真利子哲也監督。
ドスンと気分が落ち込むヘビーな作品だった。
なんか納得できん場面もありました。(;´・ω・)
① 拳銃の必要性ですね。
② 4歳に殺人罪?? 自己防衛でしょ 誘拐だし。
③ 自首しますって どーにも意味が わからんちん。
でも グイちゃんが 昔のイメージ残していたので
良しと します。手話とかも流暢でしたね。
10年ほど前に観た「言えない秘密」が最高でした。
夫婦って....難しいよね。
かなりモヤモヤが心の中に残る物語
イメージとは違う映画でしたけれど、妙に心に残る映画でした。
主役の西島秀俊さんが、アカデミックな廃墟研究者(大学の非常勤講師。)の役。
西島さんだから、廃墟でのアクション・シーンでもあるのかと思っていた(予告編でそれっぽく誤解させる)けれど、もっと夫婦の内面をえぐり込むお話しでした。
しかし、この夫婦は、結局は妻が一方的に悪いのではないか?とは思いましたね。夫がかわいそう。
悪い意味ではなく、かなりモヤモヤが心の中に残る物語でした。
音と言語と静寂と…
予告編を観て…ハードなクライムサスペンスだと思ってた。
しかし、誘拐事件はキッカケに過ぎない。
前半は時々噛み合わない夫婦の生活を淡々と描く。なかなか事件は起こらない。
冒頭の「バベルの塔」のエピソードを持ち出すまでもなく…言語によるお互いの理解というのは可能なのだろうか?…根底にあるこの映画のテーマだろう。またこの映画、とても音に拘っている。
劇伴音楽、効果音、会話そして静寂。耳から入る情報という視点。
ニューヨークに住む日本人と中国人の夫婦のコミュニケーションに関する話。ほとんどが英語のセリフだが…英語は2人にとっては母国語ではないのがミソ。互いに思いのすべてを伝えられないようだ。
夫は感情的になったり本音をボソッというときは日本語が出る。
夫は廃墟の研究者(どんな研究なのかよくわからんが…)。何も言わない廃墟からその過去や人との関わりを読み取る。音のない廃墟は彼にとって唯一、自分自身と向き合える場所なのかもしれない。
妻は近くに住む両親とは中国語で会話をする。
妻は人形劇のパフォーマー。人形劇と言っても音楽とパントマイム…つまり無言の表現である。劇団の中で手話を使うのも興味深い。
妻は人形の練習をしながら…自問自答し、自分の感情を人形に移して表現をする。(部屋で人形を操りながら、まるで憑依されるようなシーンはホラー映画のようだ)
これもまた、妻にとっては自分自身を見つめる行為なのだろう。仮面をかぶることで心の仮面を外す…皮肉な感じだ。
そして、2人の行為は、どちらも言葉に頼らないコミュニケーションである。
話が進むにつれ、この夫婦は会話によって離れていく。他人との距離を縮めるのも伸ばすのも”言語“のなせること。時として他人との会話も雑音でしかない場合もある。
人種のルツボと言われるニューヨークの下町を…現在多国籍化しつつある日本の現状に照らし合わせている気がする。
故障した車は、ラスト近くまで雑音をまき散らし他の音を邪魔しているようだ。ラスト、その雑音が消える信号待ちで夫は、彼にとっての最良の決断をするわけだが…。
言葉の観点からもう一つ…「カイは自分の子供だ」…
実父(誘拐犯)と養父(主人公)が同じ言葉を言う。しかし…実父は、血がつながっているという事実のみに固執した言葉であるのに対し、養父は、息子として守り育てていくという覚悟の上の言葉…。
同じ言葉でもその意味は大きく違う。
映画の中で静寂を壊す二つの音が出てくる。
1つは誘拐された息子が廃墟で暴発させる拳銃の音。
もう1つはラストの信号待ちでの車の衝突音。
どちらもある意味、夫の行動を決める引き金となっている。
あと1つ、音ではないけれど…廃墟のシアターで夫が天井に向けて銃を撃つと、一瞬の閃光の中に…人形をかぶった妻(だろう)人影が映った気がする…これについてはまだ、考えがまとまっていないので…。
とりとめなく書いてしまったが…昨日、映画を観て以来ジワジワと頭の中でいろんなシーンが蘇り、色々考えてしまった。
機会があればまた、じっくりと観てみたいと思わせる作品のようだ。
異邦人
予感はあったが、サスペンスではなく哲学でした。
序盤は地味ながら、母国語で話せない息苦しさなどはしっかり伝わってきた。
直接的ながらバベルの塔からの誘導も丁寧。
メインキャラに所謂“ザ・アメリカ人”的なキャラがおらず(刑事も黒人)、この辺も分かり易い。
しかし、誘拐まで長々とギスギスばかりなのは退屈…
逆に誘拐発生からはあまりのガバガバに混乱。
大学校舎内で、騒がれず怪しまれず誘拐?
強盗にも誘拐にもそのド派手な車を使ったの?
犯人の目星をつけたのはいいけど、なんで賢治は警察に相談もせずに単独で乗り込んだ?
強盗は複数犯だったし、1対1にしても武器すら持たないのは無謀すぎでは。
誰彼構わず噛み付くのも理解不能。
結局ドニーがどうするつもりだったかも不明。
人形劇内のアイスを巡る一幕は、ジェーンの実家での出来事を想起させ、賢治が席を立ったし嫌味では?
でも本人はやり直したい様子でハテナ。
映像が事実ならドニーを殺したのはカイで、それを賢治が庇うのは理解できるが、刑事はそれでいいの?
カイは明らかに2人の子ではないのにツッコみもしないし、真相に興味ないのかな。
廃墟などは仕方ないが、人がいる屋内までやたらと暗いのは雰囲気より見づらさが勝つ。
いなくなったカイを捜すシーンで、緊迫したBGMでなく落ち着いたジャズを流すのも鼻につく。
人形劇の練習シーンなど諸々が冗長。
最後はあまりにも予想通り、かつどう待ち伏せたら真横から来るのかというカーミサイル。
演出が全体的に合わなかった。
何かは描いてるんだよ多分
真利子監督は何かを描いてるんだろうね。
何を描いているのは分からなかったけど。
それで、それを分かりたいかと聞かれると、別にいいかなって思うけど。
描きたいことを描くために、細部は「まあいいかな」ってなってるんだよね。
子どもが簡単に誘拐されたところで、ちょっと萎えたの。
あんな簡単に誘拐できないよね。
犯人は、西島秀俊をずっと尾行してたの? でないと現場に行けないよね。
子どもも知らない場所でウロウロするなよと思ったけど、これは本当に小さかったらしょうがないか。
全編を通じて「奥さん、それはどうなの?」と思うところはあった。
奥さんは「やりたいことを、やる」というタイプなんだよね。なので、子どもが誘拐される日の前日深夜に人形を直しに行ってしまう。
そして西島秀俊がしかたなく大学に子どもを連れて行って誘拐されると「私が連れていけば良かった」となじってしまう。うん、連れてけよ。
それで子どもは前に付き合ってた男との間にできた子どもだったんだね。
その、前に付き合ってた男が誘拐犯。
この誘拐犯の男、ご飯を犬食いするんだよね。そんな男と奥さん付き合うんだ。なんか感じ違うな。
誘拐犯の男の今の彼女は、人生投げやりに行きてて「あなたがいればそれで良いの」って感じで、そんな感じの誘拐犯の男と奥さん付き合ったの? まあ、付き合ったっていうなら、いいか。
子どもは誘拐されたとき、銃を撃っちゃうんだよね。
知らない場所でもウロウロするほど小さな子どもなんだけど、なんと反動なし。すげえな。体幹とか鍛えるとこうなるのか、もしくは銃の威力が全くないのか。
そして誘拐犯の男は死体で発見されます。
男の子は誘拐犯の今の彼女がガソリンスタンドに置いていって発見されて無事です。
刑事さんが「誘拐犯を撃ったのは、子どもじゃないか?」って捜査すんのね。銃を撃った子どもが無傷でいられるかな。反動で後ろに倒れて怪我するんじゃ。そのへん考えないのかNYPD。
いろいろやってるなかで、奥さんの人形劇は無事終わるんだけど、西島秀俊は席を立っちゃうんだよね。
これ「こんな程度の劇のために、奥さんは俺たちを犠牲にしたのか」って嫌になっちゃったのかと思った。人形劇は好きな人は好きそうだったけど、全ての人の心を動かすって感じじゃなかったしね。
それで刑事がやってきて色々やってるうちに「誘拐犯を撃ったのは子どもじゃない、俺だ」って自首することにして刑事に捕まるの。
それでエンディングになっていって明らかになるんだけど、誘拐犯は自殺してんだよね。
はあ? 子ども誘拐して、なんで自殺すんの。分かんないんだけど。
それで自分に向けて撃ったか、他人に撃たれたか、調べたら分からんかねNYPD。
エンディングは奥さんと男の子のところに刑事が歩いてきて終わりだけど、何言うんだろうね。
「奥さん、あんたが全ての黒幕だね、俺には分かってたんだ」という展開も不思議ではないけど、まあここは「誘拐犯は自殺だ。西島秀俊も子どもも無実だ」って言うんだろうな。もっと早く分かれよNYPD。
ストーリーの細かな辻褄は合わないんだけど、そこは良いんだろうね。
理不尽に襲われた人間を描きたいってのが真利子監督なのかな。
その理不尽さを作り出すために、ストーリーの整合性は無視されてる気がするの。
登場人物がただ酷い目に遭う作品とも言えるから、もろ手を上げて評価する気は出ないかな。
でも役者さんが良いのもあって観ていられる。
真利子監督が描こうとした何かが知らずに伝わっていて観ていられるのかも知れない。
面白いは、面白いから、また真利子監督作品は観ようと思ったよ。
悲しい結末。
中国の女性は自己主張が強く、強い、というイメージがあったが、そのままの人かも。
すてきな一軒家に住み、人形劇などでは食べていけないだろうに、旦那さんのおかげでいい暮らしをしている、という考えはないのか、と思ってしまう。
なのに、子供の世話をお願いしているのに嫌だってるというし、家の片づけはいまいち、急に家を出て人形の修繕をしにスタジオへ行く、実家でもけんかする、などわがままな奥さん。
それに耐えて、すぐに謝ってしまう日本人ぽい旦那さん。
西島くんの英語力には驚いた。
最終的には、出演者がみな他人に責任転嫁して、西島くん演じる旦那さんが自主ということに。
息子が、実の父を撃って殺したということになっているので、それを背負っていかないための自主だと思っている。
私の想像では、悲しい結末でした。
最も近しい他者――『Dear Stranger』が描く父の無力
人はなぜ他人を狂わせるのか。この作品を観た後に残る問いは、単純な「犯人は誰か」ではなく、人と人の関わりが持つ暴力性そのものだった。
物語の表層はこうだ。ニューヨークで暮らす日本人研究者・賢治と台湾系アメリカ人の妻ジェーン、息子カイの一家が、強盗事件と誘拐に巻き込まれる。強盗に入った移民労働者ドニーは、貧困と孤独に追い詰められ、やがて子を人質にとり暴走する。そして最終的に彼は自殺し、無実の賢治は自首する。だが事件の細部は曖昧で、殺人の瞬間も描かれない。そこにこそ監督・真利子哲也の狙いがあると考える。
象徴的なモチーフは数多い。廃墟は「震災の記憶」と「壊れた心」を映す鏡、車の異音は「見て見ぬふりをしてきた夫婦の不和」、人形劇は「母が子に命を吹き込もうとする創造」であり、賢治の発砲は「自己崩壊と罪悪感の爆発」である。抽象的で難解に思えるが、すべては「生と死」「再生と断絶」の二項対立を際立たせる仕掛けだ。
興味深いのは、ドニーと賢治の対比である。妊娠を知って逃げたドニーと、逃げずにジェーンとカイを受け止めた賢治。社会的には同じ「Stranger=異邦人」だが、選んだ態度が正反対だった。ドニーは「なれなかった父」として賢治を鏡に見て劣等感を募らせ、羨望と嫉妬を破壊衝動へ転化する。だからこそ暴力はジェーンではなくカイ、すなわち未来の象徴へと向かう。
一方で、賢治もまた強くはない。彼は逃げなかったが、事件以前から家庭に深く関わることを避け、研究に没頭していた。ジェーンやカイに寄り添うより、自分の世界に閉じこもる時間が多かった。車の異音や夫婦の軋みを放置してきたように、日常の不和にも無関心だった。その積み重ねが、強盗に居合わせず家族を守れなかった現実と重なり、「父として無力だった」という痛切な自己認識へと結びつく。だからこそ、無実でありながら自首するという極端な自己罰を選んだのである。
ラスト、刑事がジェーンを訪ねる場面は結論を示さず余白を残す。真相は不明なまま、観客に「あなたはどう解釈するか」を問いかけて幕を閉じる。
『Dear Stranger』は、推理の答えを与えない不親切な映画だ。しかしそれは、人と人が本当には分かり合えない現実を映し出すための誠実さでもある。最も近しい家族ですら他者であり、他者との関わりが時に人を救い、時に壊す。その残酷さと、かすかな希望を同時に抱かせる映画だった。
賢治の聴衆入りの講演シーンは現実なのかな?
言ってることがどんどん感傷に飲み込まれて何言ってるかわからんし、客からは感傷に飲まれるな情けねえみたく野次られるし、アクチュアルなシーンじゃなく隠してきた精神のハイライトかなと。長年の廃墟の研究水準が実は高くないことの映画内暴露でもあるかなと。やはり賢治は日本で大震災被災し家族を全て失い、精神的壊滅をいちどは避けられなかった人生だったのだろうな。さも車も修理に出せないほど忙しげに研究に没頭しているやに見えても…。長男が実子じゃなけりゃ、身の上考えても自分の子を望むだろに数年レスて…。妻は拒否したいとか人形劇団優先よりもまず、この賢治の変えることの困難な、大きな過去から形成された人間性に家族の拡大を断念していたんじゃないかなと。でも人形への執着に、逆に?賢治との家庭で実現しない将来を代償させていたように自分は感じました。かなり個人的な感想かもですが。
あと子どもがかわいい。賢治を逆恨みする男の気持ちも、もともと将来の希望もなかったのに命さえ奪われたと思ったあの男の彼女の最後の気持ちも、あの4歳のかわいさ通しで見れば理解はできるもんです。
素晴らしい傑作でした。
西島秀俊演じる主人公の賢治は、天災で家族を失った男で、自らが拠って立つ場をどこにも置けない。研究テーマである「廃墟」に神々(善も、悪も。天国も、犯罪も)を見る彼は、ニューヨークで、ジェーン、そして、(ジェーンあるいは自分の影のような存在である)ドニーと出逢う。夫婦の話というよりも、賢治・ジェーン・ドニーの3人の話として観ることが、この作品を味わうポイントだと想った。
「Dear Stranger」の物語は、
賢治が、本当の意味で(全存在をかけて)、ジェーンとドニー、カイ、そして自らを受容する話であり、
廃墟に自らや日本を追い求めた彼の研究テーマが表現へと昇華していく話であり、
ずっと見失っていた自らの魂の在りかを見つけた物語である、と思った。
そのためには、西島秀俊がたった一人の日本人俳優として、異国の地で、ほぼ異国のスタッフに囲まれて、英語で演技をする必要があったのだろう。どこにも拠って立てない男である必要があった。
日本映画として大胆なチャレンジをした監督と、その想いに応えた主演俳優、そして、作品への深い理解とともに表現をしたグイ・ルンメイさんに、拍手!
【”様々な人心の”廃墟”が絡み合い、惹き起こしてしまった出来事。”今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。】
■アメリカ、ニューヨークの郊外。
大学で日米の”廃墟”論を研究する助教授の賢治(西島秀俊)は、台湾人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)と分担しながら、5歳のカイを育てている。
ジェーンは、アートディレクターを務める人形劇団の活動が、育児により思うように出来ず、苛立つ日々を送っている。
ジェーンの両親が営む雑貨店に強盗が入ったり、二人が買い物に行った時にスーパーの駐車場で何者かに”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きされたり、二人の周囲は不穏な空気に包まれている。
賢治と妻ジェーンの関係も、良好とは決して言えず、口論が絶えない。
そんなある日、賢治が大学にカイを連れて行った時に、カイが行方不明になるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、不穏な雰囲気が横溢した作品である。久しぶりに映画に出演してくれたグイ・ルンメイの活躍を楽しみに観に行ったのだが、彼女も笑顔は殆どない。
息子に甘い両親に注意し、ゲームばかりしている息子を叱り、夫には家事をしないと苛立ちを隠さない。
・賢治も、大学で日米の”廃墟”論を研究し、講義するが、教授たちからはプレッシャーを掛けられている。
登場人物皆が、何処か追い詰められており、平穏感はない。
・そんな家族に、次々と禍が起きる。まるで家族の絆を試されるように。
その中で明らかになって行く、ジェーンが且つてドニーという男と付き合っており、妊娠したがドニーはそれを知って、彼女を捨てたという事実。
その事をジェーンは賢治には告げずに、カイは彼の息子と言い育てて来た事。
だが、その虚構は、ドニーに父性が戻り崩れ去って行く。ドニーはジェーンの両親が経営する雑貨店に強盗に入り、その顔を防犯カメラに晒し、更には夫婦の車に”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きするのである。
■その事で、賢治は妻が内緒にしていたドニーの存在を知ったのだと思う。賢治は”廃墟の中に真実がある。”と意味深な事を口にするが、彼はカイが攫われていた場所を知っていたのである。
そして、ドニーと賢治の知り合いの整備工の娘が彼の車から盗んだ銃で、暴発と見せかけてドニーを撃ち殺したのである。
それにより、カイは解放されるが、警察は解決したとは思っていない。賢治を密かにマークしているのである。
そして、賢治が車を運転している時に、整備工の娘はバンで衝突し、血だらけになり社外に出た賢治は、道から出て来た警部に両手を差し出し、自らの罪を認めるのである。
<今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。
真利子哲也監督が、全編ほぼ英語で書き下ろしたオリジナル脚本が先読みが出来ずに、面白哀しく鑑賞した作品である。
今作のタイトル”Strenger"は家族に成れなかった、賢治とドニーとジェーンの事を差しているのではないかな、と思った作品でもある。>
子は鎹…って諺、正直大嫌いです。
勝手に子供を鎹呼ばわりすんな。
本当は頭でも心でも【血は水よりも濃い】なんて戯言…共に積み重ねてきた時間より重いわけねぇだろ!って、
声を大にして言いたいのにね。
無駄に歳だけ重ねてきてさ、そう言い切るだけの自信が無くなってきた。
継子を平然と噛み殺すと云うオス♂ライオン…思春期真っ盛りのガキん頃は、喩えソレが野生の抗えぬ本能だったとしても赦せない!ムカつく!なんて思ってたけど、
大人になっていく過程で心が擦れて穢くなるにつれ、
軽々しく口では良き父になると息巻いた割りに、直ぐに本性を顕して…連れ子を虐待する無職のクソ野郎と、その外道に従うバカ女が逮捕される報道を見たりすると、
後顧の憂い無く…端っから【不愛】を貫くそのオスライオンの方が嘘が無い分、真摯なのでは?
って考えてしまったり…
なればこそ、人間性とは何ぞや?って。
血の呪縛に翻弄されず、我が子同然に育て上げる親が、
《当たり前》としてではなく、未だ【美談】扱いされる時点で、
人間の根底は愚かしく、性悪説こそがヒトと云う生き物なんだ…と気が滅入る。
遠い異国の地・ニューヨークで、日本人♂と台湾人♀が出逢い…結ばれる。
まるでラブストーリーな筈なのに。
日常的に受ける人種的マイノリティの圧。
英語と云う第二言語が共通語と云う違和。
価値観・文化の違和…
本来、二人にとって尊かった[違い]が、いつの間にか重荷になっている哀しみ。
ソレを繋ぎ止めていた息子と云う存在…子は鎹。
はぁ、哀しいなぁ。辛いなぁ。
他人たちのストーリー
舞台はNYC。主人公の賢治はNYCの大学で建築学を教える。冒頭の授業シーンはバベルの塔の崩壊で共通言語を失った人間は共同作業ができなくなった、というシーンがストーリーの全てを含む。
共通言語の象徴の息子が消えて家庭とか家族と言う共同作業がどんどん崩壊していく。
登場人物は皆、何かの崩壊をなんとか止めたいと思いながら双方向で繋がれない事態に陥る。それがストーリーの設計図。個々の小さなシーンも全てそのテーマで通されている。主人公夫婦、妻の親子、妻の両親、保育園と父親、保護者と主人公、警官と主人公、犯人と実の息子、整備工場の親父と娘…皆お互いがストレンジャーズ。
エンディングは崩壊の後の希望か、それとも完全な廃墟か… 何処へ行こうが地獄には違いないのかもしれないが。
記号的観測
国籍が違う俳優陣が多く集まり、舞台はNY、多くの国に属している作品というところに興味を持って鑑賞しました。
んー…?夫婦間での歪み合いが凄まじくなっていくもんかなーと思ったらその歪み合い含め展開がノロノロしていて、その上母国語を喋らない2人がメインの会話が多いからかテンポも悪くなっており、テーマ性も多くぶち込んでいる割にはそこまで活かしきれていないという、どっちつかずどこへ向けた作品なのか全く掴めずまま終わってしまいました。
廃墟と人形劇はそれぞれの人物の比喩なんだろうなとは思いつつも、行間がありすぎかつ観客に委ねすぎて何もない時間が結構あったのも個人的にはマイナスかなーと思いました。
元々表面上うまくやっていそうな夫婦が子供が誘拐された事により関係性が壊れていくヒューマンミステリーという筋はシンプルなはずなんですが、あっちやこっちや手を出してしまっているが故にグチャっとしてしまっている印象がありました。
両親2人もしょっちゅう子供を見逃すくらい自分本位なのもアレなんですが、そもそもガキンチョが落ち着きなく動き回るのもなんだかなぁって思いました。
まぁあのくらいの年頃ならと許容はできるんですが、施設内を3輪車爆走はあかんやろ…と思ってしまったり。
警察の捜査が杜撰すぎるのがポンコツ邦画と比べても、真面目な雰囲気を出しているがためにより脆弱性が際立ってしまっているなと思いました。
めっちゃ監視カメラがあるのにろくに調べず、証拠もバンバンあるのに雰囲気だけ出して闊歩し、最後の方もドヤァって佇んでいる様子ばかりでイライラさせられました。
この手の刑事はしっかり有能であって欲しかった…。
そのせいで作品自体の印象が悪くなってしまった気がします。
子供が誘拐された理由もまぁそうだろうなーくらいでインパクトは薄く、それでいて結構展開を引っ張りまくるので内容が無いよう状態が延々と続いて脳内カオスでした。
前半から後半にかけて夫婦2人の言動もトンチンカンになっていき、特に旦那の賢治は行き当たりばったりで、もう清々しいくらいに自分に酔ってる感じがして、自分の保身してる場合じゃないでしょ…と行動全てに呆れてしまいました。
監督の作品からして熱いぶつかり合いがあるように思えたのですか、感情と感情が互いを高め合っていた過去作と比べ、熱いぶつかり合いというよりかは相手の悪いところ探しに熱がいってしまっており、バチバチというよりかはネチネチしたぶつかり合いが奇妙でした。
全体的に男性視点での物事が描かれているので、男性女性それぞれで見方も変わるとは思うんですが、総じて苦手な人は多いんじゃないかなと思いました。
俳優陣も演技の違和感がどうしても拭えなかったです。
全編渡ってほとんど英語での演技をやってのけた西島さんとグン・ルンメイさんは凄いんですが、どうしても会話のラリーがうまいこといっている気がせず、ゴリゴリ日本生まれ日本育ちでも分かる英語の違和感がずっとあってモヤモヤしました。
他の俳優陣も淡々としているので、作品としては合っているのかもしれないんですが、主役たちを食ってしまう勢いの俳優がいたら良かったのになぁとは思ってしまいました。
オチもグダグダして中々終わらないのも嫌ですし、なんじゃその終わり方はとなってしまったのも残念でした。
まぁーしっかり苦手な作品でした。
テーマを深掘りできれば面白く観れるのかもしれないんですが、意味なく鬱屈になってしまっているのもあり、もう一回観るのはちとハードかなと思いました。
鑑賞日 9/12
鑑賞時間 12:00〜14:25
本当にストレンジャーばかり出てくる
西島さんが運転する年季の入った車。登場人物の母国語がバラバラな中でのコミュニケーション。というとどうしても「ドライブマイカー」を思い出してしまうが、もちろん違う点もある。
廃車寸前の車は、始終異音を発してるし、大きく落書きもされている。登場人物は、英語を介してコミュニケーションを取ってはいる。西島さんは感情を表に出すキャラクターだ。
主要な登場人物は皆、ストレスやフラストレーションを溜めていて、それぞれ日本語、中国語、スペイン語?で吐き出されるが、その理由はラスト近くまでわからないものが多い。というか、ラストになっても明示はされない。
解釈はいろいろあると思うが、捜査担当警官が言った「クロらしいことをひとつずつ調べて可能性を排除していって、最後に残ったのがクロだ」みたいなセリフに沿うと(ありましたよね?)、ラストショットのあの人がクロなんだな、と自分は思った。
そう思うと、物語全体の表現が腑に落ちてくる気がする。
家族の崩壊の話とも取れるが、すべてをつまびらかにした上で再生に向かう第一歩の瞬間を観たと思うと、希望が感じられるかなと思った。
それにしてもルンメイさん、初めて観たけど美しかったなー。
観光では行かないようなNYの秋冬の風情も美しかった。
諸行無常。
好きなタイプの作品だった。
父とは、母とは、パートナーとは。
夫婦だって所詮は他人。子は鎹とは言うけれど、子供が親にしてくれると言うのはある意味では真実。
では主人公のケンジやジェーンは?
理想の親になれている?家族にはなれている?夫婦にはなれている?
お互いを大切に想うがあまり本音が言えない。理想の風味像を追い求めるが故に嫌な話題には触れない。それがストレスとなり大きな歪みとなる。けど仕方がない。折り合いをつけることは悪いことじゃないし、皆んな神様みたいに出来た人間じゃない。自尊心も捨てられないし、被害妄想も感じてしまう。
その配慮と我慢が、息子のカイの失踪事件をきっかけに濁流を巻き起こしていく展開が興味深い。
カイを通してお互いを疑ったり確かめあったり。『子は鎹』にならないこともある。ポスターの夫婦の間にいるのはカイではなく人形だ。無表情の。
そう、この作品に出てくる人形は無表情。人形の気持ちは観客が解釈するもの。人形劇のシーンでは劇を観て笑うカイ、笑えないケンジ。人形を通じて己を表現し切って清々しいジェーン…と対比が切ない。
言語も効果的に使われていた。
喧嘩や独り言で感情が爆発するシーンはお互い中国語、日本語。
監督がトークセッションで言われていたけど、ジェーンは夫婦の少し深い問題、ケンジは表面的な問題を母国語で伝えていたのもまた興味深い。
個人的にジェーンの好きなシーンは英語だった。
バーの外でジェーンが『英語』で本音をぶつけるシーン。まるで母国語のように率直で心から湧き出た表現。あぁジェーンはちゃんと進んでいる。歩み寄っている。涙。
ケンジの印象的なシーンは日本語だった。車を運転しながら独り言を言うシーン。『あいつを見つけたかった…』ジェーンにも感情をもっと話せていたら間違った遠回りはしなかったかもしれない。
でも、ラストには明るい未来が見えた気がした。
警察官だって馬鹿じゃない信じたい。
虚偽の自首だってわかったよね?
一緒にここまで落ちたんだから、夫婦で登っていけるはず。
(メモ)
・ジェーンが自宅で人形操作の練習をするシーン。意味もわからず圧倒され、後で思えばストレスが最大限に溜まっていたことが痛いほど分かる。胸を締め付けられる。人形を通じた自分との対話。息を呑み惹き込まれた。
・ケンジが廃墟で拳銃打つシーン。一瞬明るくなった先には人形の幻影。ずっと囚われているケンジの苦悩が苦しい。辛い。
・ケンジが廃墟について語るシーンは全て重要。
・中心にいるようで、絆のようで、問題の核のようで、不在の存在でもあるカイ。まだ4歳。きっと自我が芽生えた未来は明るいはず。
・車の故障音、落書き、雨、雪、NYの住宅街、廃墟となった劇場や学校。人形。全てが登場人物の心の有り様にリンクして意味のある描写だった。
・あの人形劇観てみたい。
・ケンジの講義受けてみたい。
・一見難解なようでとても分かりやすい。
・警察絡みのシーンは所々テンポが悪く感じた。あと15分は短くまとまっていたら最高だった。
全18件を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。