Dear Stranger ディア・ストレンジャーのレビュー・感想・評価
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もったいない
テーマは良いし、面白くなりそうな要素が随所にあるが、結局は海外のアート系映画を装った独りよがりな日本映画で終わってる。
この監督は、はっきりと描かないことが良い、と勘違いしているのではないだろうか?もちろん説明的に全てをセリフで説明しろとは思わないが夫婦間の葛藤にせよ母語ではない英語でのコミュニケーションの不全にせよ、人形や廃墟に託された意味にせよ、謎めかしている割に全てがあまりにも「ありきたり」過ぎて興醒めしてしまう。廃墟となった劇場で拳銃をぶっ放したり、街中で人形の幻影をふらふらと追いかけるといった予告で印象深かった思わせぶりな場面も、結局大した意味はなかった。散々もったいぶった挙句、何の意外性もないままこの程度の内容で観客を置き去りにして唐突に終わる構成に怒りすら覚える。
おまけに画面も暗すぎる。演出意図としてあまりにも安易だし、それ以前に「グレーディング下手くそだなー」としか思えない。
全てが中途半端。すかしてんじゃねーよ。
素晴らしい傑作でした。
西島秀俊演じる主人公の賢治は、天災で家族を失った男で、自らが拠って立つ場をどこにも置けない。研究テーマである「廃墟」に神々(善も、悪も。天国も、犯罪も)を見る彼は、ニューヨークで、ジェーン、そして、(ジェーンあるいは自分の影のような存在である)ドニーと出逢う。夫婦の話というよりも、賢治・ジェーン・ドニーの3人の話として観ることが、この作品を味わうポイントだと想った。
「Dear Stranger」の物語は、
賢治が、本当の意味で(全存在をかけて)、ジェーンとドニー、カイ、そして自らを受容する話であり、
廃墟に自らや日本を追い求めた彼の研究テーマが表現へと昇華していく話であり、
ずっと見失っていた自らの魂の在りかを見つけた物語である、と思った。
そのためには、西島秀俊がたった一人の日本人俳優として、異国の地で、ほぼ異国のスタッフに囲まれて、英語で演技をする必要があったのだろう。どこにも拠って立てない男である必要があった。
日本映画として大胆なチャレンジをした監督と、その想いに応えた主演俳優、そして、作品への深い理解とともに表現をしたグイ・ルンメイさんに、拍手!
イライラ、憤り、曖昧模糊・・・
人形や動物のパペットはかなり良かったけど、他があまりにも良くなさすぎた印象で、申し訳ないけど、結構嫌な作品だったという印象です。
ざっくりとした流れや表現したいことは伝わってきたのですけど、肝心な場面がめちゃくちゃボカされているというか、はぐらかされているというか、混乱きわまりない描き方で、なんか、主演の怒り爆発の演技でもってこちらの憤りも助長されていく感覚で嫌でした。それまでにも、ずっと気になる音やら決して消されることがない落書きが終始見ているこちらの気持ちをざわつかせ、それは分かりやすさやシンボリックという意味では見事なまでに表現されているとはいえ、観賞する立場としては、かなり嫌な感じでありました。
展開や設定、ストーリーと、全てにおいてツッコミどころ満載です。格好良さや独自性ということの前に、まずは最低限すべきことがあったんじゃないかなぁと生意気にも思ってしまいます。懸命に質の高い作品を作ろうとしていることは十分理解できるのですけど、それでもなお文句を言いたくなるような困った作品だなーなんて─。
本当は気になるツッコミどころを並べ記そうかと思ったのですが、疲れるだけでだれも得しないので、これで終。
グイルンメイ
雰囲気優先でイマイチ没入できない
■ 作品情報
監督・脚本は真利子哲也。主要キャストは賢治役に西島秀俊、ジェーン役にグイ・ルンメイ。日本・台湾・アメリカ合作のヒューマンサスペンス。
■ ストーリー
ニューヨークで暮らす日本人教授の賢治と、台湾系アメリカ人の妻ジェーンは、仕事、育児、介護に追われ多忙な日々を送っていた。ある日、4歳の息子・カイが誘拐される。この事件をきっかけに、一見幸せに見えた夫婦の間に隠されていた本音や秘密が露呈していく。誘拐犯が死体で発見され、警察の捜査が進むにつれ、夫婦が抱えていた“暴いてはいけない秘密”が浮き彫りになっていく。
■ 感想
誘拐事件という衝撃的な出来事が、幸せだった家族に大きな試練を与え、夫婦関係が急速にギクシャクしていくさまが、痛ましくも切ないです。しかし、その幸せは元々、本音や真実を隠した危ういバランスの上で成り立っていたのではないかと感じます。事件はあくまできっかけであり、すでに内在していた不和への止めを刺すかのように、夫婦の間に潜んでいた秘密や本音を浮き彫りにしていきます。
全体に漂うのは、上質なヒューマンサスペンスの雰囲気。夫婦間の心理戦や、隠された真実が少しずつ明らかになる過程は、確かに観客の心をざわつかせます。夫の賢治が廃墟研究に没頭し、妻のジェーンが人形劇に打ち込む姿は、彼らの生き方や内面を色濃く反映しているように思えます。
しかし、正直なところ、その象徴性が難解で、彼らの行動や感情に深く共感することができませんでした。そのため、物語世界に没入しきれず、どこか客観的な視点で展開を追ってしまっていたのが残念です。
また、二人の過去があまり明確に描かれないことや、画面の暗いシーンが多いことも、物語の魅力を掴みにくくしているように感じます。雰囲気作りには貢献しているものの、それが物語の骨格を曖昧にし、感情移入の妨げになっていたのかもしれません。観終わった後には、重い余韻が残るものの、個人的にはもう少し踏み込んだ人物描写や明瞭な語り口があれば、より心に響く作品になったのではないかと感じています。
優秀なパーツはあるが面白くならない不思議さ
ニューヨークと俳優の佇まい、ルックはとてもいいのに、、、という感じ。終始お話のスピードはあがらず、エモーションも繋がらず、ハッタリもあまり効かず、物語のスイッチが入った途端に停滞に移り、そしてこちらがまたお前かと言いたくなる「ひとり警察」が気の抜けたゴーストのようにフレームに入ってくる。。
設定は悪くない。舞台はニューヨーク、日本人と中国人夫婦、言葉の違い、分かり合えない夫婦にはその理由があった。ただそれは言葉の壁だけではなかった。。まあ結婚して5年もすれば言葉の壁とかの問題ではないよな。そして冒頭からどうもふたりの子どもには見えないよなと思ってるとネタ的にそうだったか。そして誘拐事件は夫婦間の亀裂に含まれる問題が表面化したものでもあった。
なんというかミステリーやサスペンスの語り口が上手いわけではないのにネタを盛り過ぎというか。『落下の解剖学』も確か国籍言葉が違う夫婦だったと思うけど、ああいうのを観てしまうとネタがうまく使えてない、と思ってしまう。更に英語でのお芝居がなんか興を削ぐ。西島秀俊の廃墟散策とかグイルンメイ単独の人形芝居などはいいが、セリフの掛け合いというかぶつかりあいになると途端にこなれない苛立ちの連続で単調になる。この監督はセリフではない描写でないと面白さが出ないのでは、と『ディストラクションベイビーズ』を思い出す。更に音楽はジムオルークだが、これも使い所が何かもったいないというか。。振り返ってみても各パートはクオリティは高い、というかそういう人が集まってる感じがするけどまとまって力が発揮されてないというかモタモタし過ぎてる
【”様々な人心の”廃墟”が絡み合い、惹き起こしてしまった出来事。”今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。】
■アメリカ、ニューヨークの郊外。
大学で日米の”廃墟”論を研究する助教授の賢治(西島秀俊)は、台湾人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)と分担しながら、5歳のカイを育てている。
ジェーンは、アートディレクターを務める人形劇団の活動が、育児により思うように出来ず、苛立つ日々を送っている。
ジェーンの両親が営む雑貨店に強盗が入ったり、二人が買い物に行った時にスーパーの駐車場で何者かに”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きされたり、二人の周囲は不穏な空気に包まれている。
賢治と妻ジェーンの関係も、良好とは決して言えず、口論が絶えない。
そんなある日、賢治が大学にカイを連れて行った時に、カイが行方不明になるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、不穏な雰囲気が横溢した作品である。久しぶりに映画に出演してくれたグイ・ルンメイの活躍を楽しみに観に行ったのだが、彼女も笑顔は殆どない。
息子に甘い両親に注意し、ゲームばかりしている息子を叱り、夫には家事をしないと苛立ちを隠さない。
・賢治も、大学で日米の”廃墟”論を研究し、講義するが、教授たちからはプレッシャーを掛けられている。
登場人物皆が、何処か追い詰められており、平穏感はない。
・そんな家族に、次々と禍が起きる。まるで家族の絆を試されるように。
その中で明らかになって行く、ジェーンが且つてドニーという男と付き合っており、妊娠したがドニーはそれを知って、彼女を捨てたという事実。
その事をジェーンは賢治には告げずに、カイは彼の息子と言い育てて来た事。
だが、その虚構は、ドニーに父性が戻り崩れ去って行く。ドニーはジェーンの両親が経営する雑貨店に強盗に入り、その顔を防犯カメラに晒し、更には夫婦の車に”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きするのである。
■その事で、賢治は妻が内緒にしていたドニーの存在を知ったのだと思う。賢治は”廃墟の中に真実がある。”と意味深な事を口にするが、彼はカイが攫われていた場所を知っていたのである。
そして、ドニーと賢治の知り合いの整備工の娘が彼の車から盗んだ銃で、暴発と見せかけてドニーを撃ち殺したのである。
それにより、カイは解放されるが、警察は解決したとは思っていない。賢治を密かにマークしているのである。
そして、賢治が車を運転している時に、整備工の娘はバンで衝突し、血だらけになり社外に出た賢治は、道から出て来た警部に両手を差し出し、自らの罪を認めるのである。
<今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。
真利子哲也監督が、全編ほぼ英語で書き下ろしたオリジナル脚本が先読みが出来ずに、面白哀しく鑑賞した作品である。
今作のタイトル”Stranger"は家族に成れなかった、賢治とドニーとジェーンの事を差しているのではないかな、と思った作品でもある。>
Drive My Car Again
ニューヨークの大学で教鞭を執る日本人助教『賢治(西島秀俊)』の研究対象は「廃墟」。
その原体験は、「1.17」にある。
震災で家族は皆亡くなり、自分だけが生き残ったことに
罪の意識を抱えている。
妻の『ジェーン(グイ・ルンメイ)』は中華系のアメリカ人。
人形劇団のプレイングディレクターも、
今は四歳の息子『カイ』の世話と近所に住まう父の介護、
母が経営する雑貨店のサポートに追われ劇団は休止状態。
ある日、幼い息子が誘拐される。
それを契機に、隠れていた夫婦の感情のすれ違いが露呈するプロットも、
実際はそれ以前から関係の軋みが各所に見られる。
廃墟となった映画館を定期的に訪れる『賢治』や、
家に持ち帰った人形と密やかに戯れる『ジェーン』の姿はその証左。
夫婦が今の住居に越した経緯すら、
互いの利便が優先されたとの不満を持つ。
それが事件を契機に表出したに過ぎない。
事件は誘拐犯が死亡し、息子が無事に保護されたことで
一旦の解決を迎えたに見えたが、
警察は四歳の幼子に疑いの目を向ける。
結果は『賢治』の贖罪的な行為に繋がるも、
科学捜査はどこへ行ったんですか?との疑問が頭をむくむともたげるほどの
無能な捜査ぶり。
一見有能そうに見えた刑事は、
全てを理解した上で『賢治』の表面的な罪滅ぼしに手を貸しているのか、と
穿った見方をしたくなるほどの意味不明な行動。
息子のことになるとエキセントリックな態度をとる『賢治』。
が、捜査への協力をあからさまに拒否したり、
証拠らしきものを見つけても独断的に行動したりと、
あまりにもアンビバレンツ。
共感の欠片も持てぬ人物造形。
廃車同然の自家用車に乗り続けるのは
「廃墟」についての想いの延長とともに、
自身の心中の荒廃をも象徴しているよう。
『ジェーン』にしても、
何故か重要な手掛かりを警察に渡さない。
普段の息子を溺愛する態度と、
あまりにも裏腹に見える。
身近な存在でも、
言葉によるコミュニケーションが不全で
時として衝突するのは共同生活の常。
それをどうにか折り合いをつけるのは
継続する課題も、
心の奥底に潜む闇が阻害する。
シンプルなテーマを
持って回った表現で却ってわかりにくく描く。
一方でモチーフはありきたりで、
斬新さはない。
中途挟まれる人形劇のシーンも、
何を象徴しているかさえわからない。
三拍子揃った独りよがりの一本だ。
雰囲気ある作品だけど好みではない
人間関係の不協和音と自動車のノイズ
まさに全てがデァーストレンジャー?
子は鎹…って諺、正直大嫌いです。
勝手に子供を鎹呼ばわりすんな。
本当は頭でも心でも【血は水よりも濃い】なんて戯言…共に積み重ねてきた時間より重いわけねぇだろ!って、
声を大にして言いたいのにね。
無駄に歳だけ重ねてきてさ、そう言い切るだけの自信が無くなってきた。
継子を平然と噛み殺すと云うオス♂ライオン…思春期真っ盛りのガキん頃は、喩えソレが野生の抗えぬ本能だったとしても赦せない!ムカつく!なんて思ってたけど、
大人になっていく過程で心が擦れて穢くなるにつれ、
軽々しく口では良き父になると息巻いた割りに、直ぐに本性を顕して…連れ子を虐待する無職のクソ野郎と、その外道に従うバカ女が逮捕される報道を見たりすると、
後顧の憂い無く…端っから【不愛】を貫くそのオスライオンの方が嘘が無い分、真摯なのでは?
って考えてしまったり…
なればこそ、人間性とは何ぞや?って。
血の呪縛に翻弄されず、我が子同然に育て上げる親が、
《当たり前》としてではなく、未だ【美談】扱いされる時点で、
人間の根底は愚かしく、性悪説こそがヒトと云う生き物なんだ…と気が滅入る。
遠い異国の地・ニューヨークで、日本人♂と台湾人♀が出逢い…結ばれる。
まるでラブストーリーな筈なのに。
日常的に受ける人種的マイノリティの圧。
英語と云う第二言語が共通語と云う違和。
価値観・文化の違和…
本来、二人にとって尊かった[違い]が、いつの間にか重荷になっている哀しみ。
ソレを繋ぎ止めていた息子と云う存在…子は鎹。
はぁ、哀しいなぁ。辛いなぁ。
他人たちのストーリー
舞台はNYC。主人公の賢治はNYCの大学で建築学を教える。冒頭の授業シーンはバベルの塔の崩壊で共通言語を失った人間は共同作業ができなくなった、というシーンがストーリーの全てを含む。
共通言語の象徴の息子が消えて家庭とか家族と言う共同作業がどんどん崩壊していく。
登場人物は皆、何かの崩壊をなんとか止めたいと思いながら双方向で繋がれない事態に陥る。それがストーリーの設計図。個々の小さなシーンも全てそのテーマで通されている。主人公夫婦、妻の親子、妻の両親、保育園と父親、保護者と主人公、警官と主人公、犯人と実の息子、整備工場の親父と娘…皆お互いがストレンジャーズ。
エンディングは崩壊の後の希望か、それとも完全な廃墟か… 何処へ行こうが地獄には違いないのかもしれないが。
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