Dear Stranger ディア・ストレンジャーのレビュー・感想・評価
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雰囲気優先でイマイチ没入できない
■ 作品情報
監督・脚本は真利子哲也。主要キャストは賢治役に西島秀俊、ジェーン役にグイ・ルンメイ。日本・台湾・アメリカ合作のヒューマンサスペンス。
■ ストーリー
ニューヨークで暮らす日本人教授の賢治と、台湾系アメリカ人の妻ジェーンは、仕事、育児、介護に追われ多忙な日々を送っていた。ある日、4歳の息子・カイが誘拐される。この事件をきっかけに、一見幸せに見えた夫婦の間に隠されていた本音や秘密が露呈していく。誘拐犯が死体で発見され、警察の捜査が進むにつれ、夫婦が抱えていた“暴いてはいけない秘密”が浮き彫りになっていく。
■ 感想
誘拐事件という衝撃的な出来事が、幸せだった家族に大きな試練を与え、夫婦関係が急速にギクシャクしていくさまが、痛ましくも切ないです。しかし、その幸せは元々、本音や真実を隠した危ういバランスの上で成り立っていたのではないかと感じます。事件はあくまできっかけであり、すでに内在していた不和への止めを刺すかのように、夫婦の間に潜んでいた秘密や本音を浮き彫りにしていきます。
全体に漂うのは、上質なヒューマンサスペンスの雰囲気。夫婦間の心理戦や、隠された真実が少しずつ明らかになる過程は、確かに観客の心をざわつかせます。夫の賢治が廃墟研究に没頭し、妻のジェーンが人形劇に打ち込む姿は、彼らの生き方や内面を色濃く反映しているように思えます。
しかし、正直なところ、その象徴性が難解で、彼らの行動や感情に深く共感することができませんでした。そのため、物語世界に没入しきれず、どこか客観的な視点で展開を追ってしまっていたのが残念です。
また、二人の過去があまり明確に描かれないことや、画面の暗いシーンが多いことも、物語の魅力を掴みにくくしているように感じます。雰囲気作りには貢献しているものの、それが物語の骨格を曖昧にし、感情移入の妨げになっていたのかもしれません。観終わった後には、重い余韻が残るものの、個人的にはもう少し踏み込んだ人物描写や明瞭な語り口があれば、より心に響く作品になったのではないかと感じています。
優秀なパーツはあるが面白くならない不思議さ
ニューヨークと俳優の佇まい、ルックはとてもいいのに、、、という感じ。終始お話のスピードはあがらず、エモーションも繋がらず、ハッタリもあまり効かず、物語のスイッチが入った途端に停滞に移り、そしてこちらがまたお前かと言いたくなる「ひとり警察」が気の抜けたゴーストのようにフレームに入ってくる。。
設定は悪くない。舞台はニューヨーク、日本人と中国人夫婦、言葉の違い、分かり合えない夫婦にはその理由があった。ただそれは言葉の壁だけではなかった。。まあ結婚して5年もすれば言葉の壁とかの問題ではないよな。そして冒頭からどうもふたりの子どもには見えないよなと思ってるとネタ的にそうだったか。そして誘拐事件は夫婦間の亀裂に含まれる問題が表面化したものでもあった。
なんというかミステリーやサスペンスの語り口が上手いわけではないのにネタを盛り過ぎというか。『落下の解剖学』も確か国籍言葉が違う夫婦だったと思うけど、ああいうのを観てしまうとネタがうまく使えてない、と思ってしまう。更に英語でのお芝居がなんか興を削ぐ。西島秀俊の廃墟散策とかグイルンメイ単独の人形芝居などはいいが、セリフの掛け合いというかぶつかりあいになると途端にこなれない苛立ちの連続で単調になる。この監督はセリフではない描写でないと面白さが出ないのでは、と『ディストラクションベイビーズ』を思い出す。更に音楽はジムオルークだが、これも使い所が何かもったいないというか。。振り返ってみても各パートはクオリティは高い、というかそういう人が集まってる感じがするけどまとまって力が発揮されてないというかモタモタし過ぎてる
【”様々な人心の”廃墟”が絡み合い、惹き起こしてしまった出来事。”今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。】
■アメリカ、ニューヨークの郊外。
大学で日米の”廃墟”論を研究する助教授の賢治(西島秀俊)は、台湾人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)と分担しながら、5歳のカイを育てている。
ジェーンは、アートディレクターを務める人形劇団の活動が、育児により思うように出来ず、苛立つ日々を送っている。
ジェーンの両親が営む雑貨店に強盗が入ったり、二人が買い物に行った時にスーパーの駐車場で何者かに”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きされたり、二人の周囲は不穏な空気に包まれている。
賢治と妻ジェーンの関係も、良好とは決して言えず、口論が絶えない。
そんなある日、賢治が大学にカイを連れて行った時に、カイが行方不明になるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、不穏な雰囲気が横溢した作品である。久しぶりに映画に出演してくれたグイ・ルンメイの活躍を楽しみに観に行ったのだが、彼女も笑顔は殆どない。
息子に甘い両親に注意し、ゲームばかりしている息子を叱り、夫には家事をしないと苛立ちを隠さない。
・賢治も、大学で日米の”廃墟”論を研究し、講義するが、教授たちからはプレッシャーを掛けられている。
登場人物皆が、何処か追い詰められており、平穏感はない。
・そんな家族に、次々と禍が起きる。まるで家族の絆を試されるように。
その中で明らかになって行く、ジェーンが且つてドニーという男と付き合っており、妊娠したがドニーはそれを知って、彼女を捨てたという事実。
その事をジェーンは賢治には告げずに、カイは彼の息子と言い育てて来た事。
だが、その虚構は、ドニーに父性が戻り崩れ去って行く。ドニーはジェーンの両親が経営する雑貨店に強盗に入り、その顔を防犯カメラに晒し、更には夫婦の車に”BLANK”とスプレーで車に赤く落書きするのである。
■その事で、賢治は妻が内緒にしていたドニーの存在を知ったのだと思う。賢治は”廃墟の中に真実がある。”と意味深な事を口にするが、彼はカイが攫われていた場所を知っていたのである。
そして、ドニーと賢治の知り合いの整備工の娘が彼の車から盗んだ銃で、暴発と見せかけてドニーを撃ち殺したのである。
それにより、カイは解放されるが、警察は解決したとは思っていない。賢治を密かにマークしているのである。
そして、賢治が車を運転している時に、整備工の娘はバンで衝突し、血だらけになり社外に出た賢治は、道から出て来た警部に両手を差し出し、自らの罪を認めるのである。
<今作は、父親に成れなかった男と、成りたかった男と、二人の間で逡巡する女の姿を通して、哀しく重い家族愛を描いた物語である。
真利子哲也監督が、全編ほぼ英語で書き下ろしたオリジナル脚本が先読みが出来ずに、面白哀しく鑑賞した作品である。
今作のタイトル”Strenger"は家族に成れなかった、賢治とドニーとジェーンの事を差しているのではないかな、と思った作品でもある。>
Drive My Car Again
ニューヨークの大学で教鞭を執る日本人助教『賢治(西島秀俊)』の研究対象は「廃墟」。
その原体験は、「1.17」にある。
震災で家族は皆亡くなり、自分だけが生き残ったことに
罪の意識を抱えている。
妻の『ジェーン(グイ・ルンメイ)』は中華系のアメリカ人。
人形劇団のプレイングディレクターも、
今は四歳の息子『カイ』の世話と近所に住まう父の介護、
母が経営する雑貨店のサポートに追われ劇団は休止状態。
ある日、幼い息子が誘拐される。
それを契機に、隠れていた夫婦の感情のすれ違いが露呈するプロットも、
実際はそれ以前から関係の軋みが各所に見られる。
廃墟となった映画館を定期的に訪れる『賢治』や、
家に持ち帰った人形と密やかに戯れる『ジェーン』の姿はその証左。
夫婦が今の住居に越した経緯すら、
互いの利便が優先されたとの不満を持つ。
それが事件を契機に表出したに過ぎない。
事件は誘拐犯が死亡し、息子が無事に保護されたことで
一旦の解決を迎えたに見えたが、
警察は四歳の幼子に疑いの目を向ける。
結果は『賢治』の贖罪的な行為に繋がるも、
科学捜査はどこへ行ったんですか?との疑問が頭をむくむともたげるほどの
無能な捜査ぶり。
一見有能そうに見えた刑事は、
全てを理解した上で『賢治』の表面的な罪滅ぼしに手を貸しているのか、と
穿った見方をしたくなるほどの意味不明な行動。
息子のことになるとエキセントリックな態度をとる『賢治』。
が、捜査への協力をあからさまに拒否したり、
証拠らしきものを見つけても独断的に行動したりと、
あまりにもアンビバレンツ。
共感の欠片も持てぬ人物造形。
廃車同然の自家用車に乗り続けるのは
「廃墟」についての想いの延長とともに、
自身の心中の荒廃をも象徴しているよう。
『ジェーン』にしても、
何故か重要な手掛かりを警察に渡さない。
普段の息子を溺愛する態度と、
あまりにも裏腹に見える。
身近な存在でも、
言葉によるコミュニケーションが不全で
時として衝突するのは共同生活の常。
それをどうにか折り合いをつけるのは
継続する課題も、
心の奥底に潜む闇が阻害する。
シンプルなテーマを
持って回った表現で却ってわかりにくく描く。
一方でモチーフはありきたりで、
斬新さはない。
中途挟まれる人形劇のシーンも、
何を象徴しているかさえわからない。
三拍子揃った独りよがりの一本だ。
雰囲気ある作品だけど好みではない
人間関係の不協和音と自動車のノイズ
まさに全てがデァーストレンジャー?
子は鎹…って諺、正直大嫌いです。
勝手に子供を鎹呼ばわりすんな。
本当は頭でも心でも【血は水よりも濃い】なんて戯言…共に積み重ねてきた時間より重いわけねぇだろ!って、
声を大にして言いたいのにね。
無駄に歳だけ重ねてきてさ、そう言い切るだけの自信が無くなってきた。
継子を平然と噛み殺すと云うオス♂ライオン…思春期真っ盛りのガキん頃は、喩えソレが野生の抗えぬ本能だったとしても赦せない!ムカつく!なんて思ってたけど、
大人になっていく過程で心が擦れて穢くなるにつれ、
軽々しく口では良き父になると息巻いた割りに、直ぐに本性を顕して…連れ子を虐待する無職のクソ野郎と、その外道に従うバカ女が逮捕される報道を見たりすると、
後顧の憂い無く…端っから【不愛】を貫くそのオスライオンの方が嘘が無い分、真摯なのでは?
って考えてしまったり…
なればこそ、人間性とは何ぞや?って。
血の呪縛に翻弄されず、我が子同然に育て上げる親が、
《当たり前》としてではなく、未だ【美談】扱いされる時点で、
人間の根底は愚かしく、性悪説こそがヒトと云う生き物なんだ…と気が滅入る。
遠い異国の地・ニューヨークで、日本人♂と台湾人♀が出逢い…結ばれる。
まるでラブストーリーな筈なのに。
日常的に受ける人種的マイノリティの圧。
英語と云う第二言語が共通語と云う違和。
価値観・文化の違和…
本来、二人にとって尊かった[違い]が、いつの間にか重荷になっている哀しみ。
ソレを繋ぎ止めていた息子と云う存在…子は鎹。
はぁ、哀しいなぁ。辛いなぁ。
他人たちのストーリー
舞台はNYC。主人公の賢治はNYCの大学で建築学を教える。冒頭の授業シーンはバベルの塔の崩壊で共通言語を失った人間は共同作業ができなくなった、というシーンがストーリーの全てを含む。
共通言語の象徴の息子が消えて家庭とか家族と言う共同作業がどんどん崩壊していく。
登場人物は皆、何かの崩壊をなんとか止めたいと思いながら双方向で繋がれない事態に陥る。それがストーリーの設計図。個々の小さなシーンも全てそのテーマで通されている。主人公夫婦、妻の親子、妻の両親、保育園と父親、保護者と主人公、警官と主人公、犯人と実の息子、整備工場の親父と娘…皆お互いがストレンジャーズ。
エンディングは崩壊の後の希望か、それとも完全な廃墟か… 何処へ行こうが地獄には違いないのかもしれないが。
バベルの塔
NYで暮らす大学で廃墟の研究をしている日本人助教授の夫と、人形劇団の監督兼演者で台湾系2世の妻という、結婚して5年の夫婦の仕事と家庭と掛け違いの話。
人形が壊れたことで休業中の妻が、近くに住む両親が営む商店の店番を息子と共にしていたら、店に覆面強盗が襲来し、と始まっていく。
父親の介護が大変なのはわかるけれど、娘に自分の都合を押し付けようとして、断られると全否定して、と古いアジア人思考丸出しの婆さんと、これまた自分の虫の居所の悪さを家事のことにして夫にぶつける妻…と思ったら夫もなかなかでどっちもどっち!?だけど過去の話しってこれ…。
警察には提出してないし初見なのか?な映像で一気に頭の中で話しが繋がって、話しも転がり始めるけれど、BARの行の妻はお前がいうな状態だし、そんな訳のわからない開き直りというかブチキレで終わりって…。
なんだかムダな描写が多い割に、本筋部分は粗く感じてしまい悪い意味でモヤモヤした。
記号的観測
国籍が違う俳優陣が多く集まり、舞台はNY、多くの国に属している作品というところに興味を持って鑑賞しました。
んー…?夫婦間での歪み合いが凄まじくなっていくもんかなーと思ったらその歪み合い含め展開がノロノロしていて、その上母国語を喋らない2人がメインの会話が多いからかテンポも悪くなっており、テーマ性も多くぶち込んでいる割にはそこまで活かしきれていないという、どっちつかずどこへ向けた作品なのか全く掴めずまま終わってしまいました。
廃墟と人形劇はそれぞれの人物の比喩なんだろうなとは思いつつも、行間がありすぎかつ観客に委ねすぎて何もない時間が結構あったのも個人的にはマイナスかなーと思いました。
元々表面上うまくやっていそうな夫婦が子供が誘拐された事により関係性が壊れていくヒューマンミステリーという筋はシンプルなはずなんですが、あっちやこっちや手を出してしまっているが故にグチャっとしてしまっている印象がありました。
両親2人もしょっちゅう子供を見逃すくらい自分本位なのもアレなんですが、そもそもガキンチョが落ち着きなく動き回るのもなんだかなぁって思いました。
まぁあのくらいの年頃ならと許容はできるんですが、施設内を3輪車爆走はあかんやろ…と思ってしまったり。
警察の捜査が杜撰すぎるのがポンコツ邦画と比べても、真面目な雰囲気を出しているがためにより脆弱性が際立ってしまっているなと思いました。
めっちゃ監視カメラがあるのにろくに調べず、証拠もバンバンあるのに雰囲気だけ出して闊歩し、最後の方もドヤァって佇んでいる様子ばかりでイライラさせられました。
この手の刑事はしっかり有能であって欲しかった…。
そのせいで作品自体の印象が悪くなってしまった気がします。
子供が誘拐された理由もまぁそうだろうなーくらいでインパクトは薄く、それでいて結構展開を引っ張りまくるので内容が無いよう状態が延々と続いて脳内カオスでした。
前半から後半にかけて夫婦2人の言動もトンチンカンになっていき、特に旦那の賢治は行き当たりばったりで、もう清々しいくらいに自分に酔ってる感じがして、自分の保身してる場合じゃないでしょ…と行動全てに呆れてしまいました。
監督の作品からして熱いぶつかり合いがあるように思えたのですか、感情と感情が互いを高め合っていた過去作と比べ、熱いぶつかり合いというよりかは相手の悪いところ探しに熱がいってしまっており、バチバチというよりかはネチネチしたぶつかり合いが奇妙でした。
全体的に男性視点での物事が描かれているので、男性女性それぞれで見方も変わるとは思うんですが、総じて苦手な人は多いんじゃないかなと思いました。
俳優陣も演技の違和感がどうしても拭えなかったです。
全編渡ってほとんど英語での演技をやってのけた西島さんとグン・ルンメイさんは凄いんですが、どうしても会話のラリーがうまいこといっている気がせず、ゴリゴリ日本生まれ日本育ちでも分かる英語の違和感がずっとあってモヤモヤしました。
他の俳優陣も淡々としているので、作品としては合っているのかもしれないんですが、主役たちを食ってしまう勢いの俳優がいたら良かったのになぁとは思ってしまいました。
オチもグダグダして中々終わらないのも嫌ですし、なんじゃその終わり方はとなってしまったのも残念でした。
まぁーしっかり苦手な作品でした。
テーマを深掘りできれば面白く観れるのかもしれないんですが、意味なく鬱屈になってしまっているのもあり、もう一回観るのはちとハードかなと思いました。
鑑賞日 9/12
鑑賞時間 12:00〜14:25
本当にストレンジャーばかり出てくる
西島さんが運転する年季の入った車。登場人物の母国語がバラバラな中でのコミュニケーション。というとどうしても「ドライブマイカー」を思い出してしまうが、もちろん違う点もある。
廃車寸前の車は、始終異音を発してるし、大きく落書きもされている。登場人物は、英語を介してコミュニケーションを取ってはいる。西島さんは感情を表に出すキャラクターだ。
主要な登場人物は皆、ストレスやフラストレーションを溜めていて、それぞれ日本語、中国語、スペイン語?で吐き出されるが、その理由はラスト近くまでわからないものが多い。というか、ラストになっても明示はされない。
解釈はいろいろあると思うが、捜査担当警官が言った「クロらしいことをひとつずつ調べて可能性を排除していって、最後に残ったのがクロだ」みたいなセリフに沿うと(ありましたよね?)、ラストショットのあの人がクロなんだな、と自分は思った。
そう思うと、物語全体の表現が腑に落ちてくる気がする。
家族の崩壊の話とも取れるが、すべてをつまびらかにした上で再生に向かう第一歩の瞬間を観たと思うと、希望が感じられるかなと思った。
それにしてもルンメイさん、初めて観たけど美しかったなー。
観光では行かないようなNYの秋冬の風情も美しかった。
ゆれる夫婦
ポイントは「Dear Stranger」「廃墟」そして「人形」
真利子哲也監督、過去作については『ディストラクション・ベイビーズ(16)』『宮本から君へ(19)』についてのみ(配信にて)鑑賞済み。どちらもインパクトが強くて印象に残る作品ですが、ストレートに好みかと問われれば正直違うこともあり、今作も劇場鑑賞は少し悩みました。ですが、劇場で何度か観たトレーラーに過去作とはまた異なる印象に期待を寄せ、公開初日にTOHOシネマズシャンテにて鑑賞です。
ニューヨークに拠点を置いて生活をする日本人と台湾人の夫婦。幼い息子を抱えて決して楽ではありませんが、それでも協調性をもってお互いのキャリアを尊重し合い、日々を助け合って暮らしています。ところがある日、妻方の家業である日用品店に強盗が入ったことをきっかけに、徐々に危うい空気が流れ出して夫婦の歯車が狂い始めます。
まず本作、作品紹介におけるジャンルを確認すると多くに「ヒューマンサスペンス」とありますが、設定や雰囲気、或いは落としどころなどから見て「ノワール」と言う方がしっくりくると思います。いくつか起こる事件(or事故?)によって不安な状況が生まれ(それなりに)「ハラハラ(サスペンス)」要素はあります。そして、それらの件について刑事・ビクスビー(クリストファー・マン)による捜査(的)なことも行われますが、それらの設定や展開にあまりリアリティはなく、また「謎解き(ミステリー)」もメイン要素ではありません。その為(と言っては何ですが)、臭わせる事柄やバックグラウンドは中盤以降にようやく小出しに明かされるものの、語られることは空白だらけで意味するところは概ね鑑賞者の想像に委ねられることばかり。上映時間138分、、もっと絞り込めるような気がするのですが。。
と言うことで、このボンヤリとした作品について、ポイントとなるのはまず題名である「Dear Stranger」。そして、夫・賢治(西島秀俊)の研究テーマである「廃墟」。さらに妻・ジェーン(グイ・ルンメイ)が命を吹き込むペルソナとしての「人形」。
祖国ではない地で弱い立場でありつつも、明るい将来を見据えて前向きに生きようとしている二人。ところが本来はお互いの言語ではない「英語」でコミュニケーションし、本当の意味での「意思の疎通」は出来ていたのか?或いは、目を逸らしてきた暗部や隠し続けていた本心など、息子・カイ(エヴェレスト・タルデ)を大切に思えばこそ抑えていたものが、あることをきっかけにして一気に揺らぎ、そして崩れる「諸行無常」を画に描いたような人生。
と、一応私なりに解釈はしたものの、果たしてこれが自分好みの作品かと問われれば、やっぱり私には合わないかな。。ストーリーは「凡庸で退屈」だし、オチに起こることも想像通りの「クリシェ」であくびが止まらない。。せめてその内容に琴線に触れるような教示があればそれなりに見応えはあるのですが、廃墟については同じことを繰り返すだけで薄っぺらく(発表前から解り切っていたガヤに、涙浮かべながら反論するとかw)、また劇中劇も尺もあってか共感は得られず、メインキャラクターの「見た目のインパクト」が全てとしか感じない。
いくらノワールとは言ってもね。。今の政権のことを考えれば、例えニューヨークであってもストレンジャー達にとって更に生き辛い現状があると思われ、本作のようなアプローチはむしろネガティブイメージ(犯罪傾向等)も懸念したり。折角こういった背景を作品にまで昇華させるなら、せめてもう少しスパイスがあって欲しいかな。
全68件中、41~60件目を表示
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