Dear Stranger ディア・ストレンジャーのレビュー・感想・評価
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音と言語と静寂と…
予告編を観て…ハードなクライムサスペンスだと思ってた。
しかし、誘拐事件はキッカケに過ぎない。
前半は時々噛み合わない夫婦の生活を淡々と描く。なかなか事件は起こらない。
冒頭の「バベルの塔」のエピソードを持ち出すまでもなく…言語によるお互いの理解というのは可能なのだろうか?…根底にあるこの映画のテーマだろう。またこの映画、とても音に拘っている。
劇伴音楽、効果音、会話そして静寂。耳から入る情報という視点。
ニューヨークに住む日本人と中国人の夫婦のコミュニケーションに関する話。ほとんどが英語のセリフだが…英語は2人にとっては母国語ではないのがミソ。互いに思いのすべてを伝えられないようだ。
夫は感情的になったり本音をボソッというときは日本語が出る。
夫は廃墟の研究者(どんな研究なのかよくわからんが…)。何も言わない廃墟からその過去や人との関わりを読み取る。音のない廃墟は彼にとって唯一、自分自身と向き合える場所なのかもしれない。
妻は近くに住む両親とは中国語で会話をする。
妻は人形劇のパフォーマー。人形劇と言っても音楽とパントマイム…つまり無言の表現である。劇団の中で手話を使うのも興味深い。
妻は人形の練習をしながら…自問自答し、自分の感情を人形に移して表現をする。(部屋で人形を操りながら、まるで憑依されるようなシーンはホラー映画のようだ)
これもまた、妻にとっては自分自身を見つめる行為なのだろう。仮面をかぶることで心の仮面を外す…皮肉な感じだ。
そして、2人の行為は、どちらも言葉に頼らないコミュニケーションである。
話が進むにつれ、この夫婦は会話によって離れていく。他人との距離を縮めるのも伸ばすのも”言語“のなせること。時として他人との会話も雑音でしかない場合もある。
人種のルツボと言われるニューヨークの下町を…現在多国籍化しつつある日本の現状に照らし合わせている気がする。
故障した車は、ラスト近くまで雑音をまき散らし他の音を邪魔しているようだ。ラスト、その雑音が消える信号待ちで夫は、彼にとっての最良の決断をするわけだが…。
言葉の観点からもう一つ…「カイは自分の子供だ」…
実父(誘拐犯)と養父(主人公)が同じ言葉を言う。しかし…実父は、血がつながっているという事実のみに固執した言葉であるのに対し、養父は、息子として守り育てていくという覚悟の上の言葉…。
同じ言葉でもその意味は大きく違う。
映画の中で静寂を壊す二つの音が出てくる。
1つは誘拐された息子が廃墟で暴発させる拳銃の音。
もう1つはラストの信号待ちでの車の衝突音。
どちらもある意味、夫の行動を決める引き金となっている。
あと1つ、音ではないけれど…廃墟のシアターで夫が天井に向けて銃を撃つと、一瞬の閃光の中に…人形をかぶった妻(だろう)人影が映った気がする…これについてはまだ、考えがまとまっていないので…。
とりとめなく書いてしまったが…昨日、映画を観て以来ジワジワと頭の中でいろんなシーンが蘇り、色々考えてしまった。
機会があればまた、じっくりと観てみたいと思わせる作品のようだ。
「巨大な人形劇発見」
冗長でわけわからん。
ニューヨークの大学で助教授として廃墟の研究をしていた日本人の夫・賢治と、人形劇団の監督として夢を追いながら、両親の雑貨屋を手伝ってた台湾系アメリカ人の妻・ジェーン。2人は仕事や育児に追われ、そしてジェーンは父の介護も有り、余裕のない日々を過ごしていた。そんなある日、雑貨屋が覆面強盗の被害に遭った。警察の捜査幼が続く中、今度は息子・カイが行方不明になった。警察は誘拐事件とみて、夫婦それぞれから事情を聴取した。お互いを責め、夫婦間の溝が深まっていき・・・さてどうなる、という話。
最初からずっとスバル車のベルトのキュルキュル音が気になって仕方なかった。いつまで経っても部品が入ってこない?そんなバカな!日本車をバカにしてるのか?
息子がいなくなって警察が来て事情聴取されてるのに、その刑事に向かって、出ていけ、は言い過ぎじゃない?
失踪したら誘拐かもしれないのに、警察がいきなりテレビで情報提供依頼を流す?身代金目的だったら殺されるとは思わないものなのか?
防犯カメラで雑貨屋を襲ったのが誰かわかったのに、警察に言わずにノコノコ1人で行くか?
カイが居なくなったのは自分が目を離してたのが原因なのに、幼稚園に行って文句を言う。何なんだ。
で、結局はドニーは自殺したって事?
理由は?わけわからなかった。
西島秀俊は99%英語のセリフで頑張ってたのは認めるが、誰一人言動に共感できず、疑問だらけの言動で、冗長だった。
あと1時間はカットして、もっとわかりやすく作ってほしい。
雰囲気はキェシロフスキ
真利子哲也監督がオリジナルシナリオ、全編ニューヨークロケで製作した意欲作。持ち味である痛みを伴うバイオレンスは抑えて、国籍が異なる夫婦間の心理サスペンスの趣き。
ダークで硬質なタッチは、フランス資本の黒沢清作品のようだが、見終わった後に、人形劇つながりで「ふたりのベロニカ」を思い出し、キェシロフスキの雰囲気を狙ったのかと思い当たった。
人形劇のほか、バベルの塔、廃墟といったキーモチーフは、夫婦二人のキャラクターや状況を示すものとして理解できる。しかし、二人の関係性に焦点を当てた前半から、子供の秘密をめぐる後半へ、うまく物語や人物描写がつながっていない感じ。ストーリー展開も突っ込みどころが多い。とにかく2時間20分が冗長で、あと30分ぐらい切ったらすっきりしたのではないか。
西島秀俊は、穏やかな前半から、後半になって感情をあらわにするあたりに違和感があった。グイ・ルンメイは、鼻筋が通った横顔が印象的。人型ロボットのような人形は初めて見た。
ジム・オルークの音楽は、いつものギターではなくキーボード主体で、作品の雰囲気に合っていた。
よく分からない(笑)
異邦人
予感はあったが、サスペンスではなく哲学でした。
序盤は地味ながら、母国語で話せない息苦しさなどはしっかり伝わってきた。
直接的ながらバベルの塔からの誘導も丁寧。
メインキャラに所謂“ザ・アメリカ人”的なキャラがおらず(刑事も黒人)、この辺も分かり易い。
しかし、誘拐まで長々とギスギスばかりなのは退屈…
逆に誘拐発生からはあまりのガバガバに混乱。
大学校舎内で、騒がれず怪しまれず誘拐?
強盗にも誘拐にもそのド派手な車を使ったの?
犯人の目星をつけたのはいいけど、なんで賢治は警察に相談もせずに単独で乗り込んだ?
強盗は複数犯だったし、1対1にしても武器すら持たないのは無謀すぎでは。
誰彼構わず噛み付くのも理解不能。
結局ドニーがどうするつもりだったかも不明。
人形劇内のアイスを巡る一幕は、ジェーンの実家での出来事を想起させ、賢治が席を立ったし嫌味では?
でも本人はやり直したい様子でハテナ。
映像が事実ならドニーを殺したのはカイで、それを賢治が庇うのは理解できるが、刑事はそれでいいの?
カイは明らかに2人の子ではないのにツッコみもしないし、真相に興味ないのかな。
廃墟などは仕方ないが、人がいる屋内までやたらと暗いのは雰囲気より見づらさが勝つ。
いなくなったカイを捜すシーンで、緊迫したBGMでなく落ち着いたジャズを流すのも鼻につく。
人形劇の練習シーンなど諸々が冗長。
最後はあまりにも予想通り、かつどう待ち伏せたら真横から来るのかというカーミサイル。
演出が全体的に合わなかった。
詰めの甘いサイコスリラー(風)
この手の詰めの甘い平凡サイコスリラーはアメリカで数限りなく作られていて、それをわざわざNYまで行って日本人監督で作ることの意味が、どうにも不明。
カメラは、どこをとってもきちんと撮れていますよもちろん。ショットごとの演出もカメラ割りも適切だと思う(いちどダブルアクション編集があったけど)。でもなあ、それがどうした、と私は思うんですよね。映画学校の技術発表会かこれは?
後半になってくると脚本の詰めの甘さがはなはだしくなる。なんで西島秀俊は大学教員のくせにこんなに愚かなのか? なぜこの女がここで出てきて、なぜそこに都合よく刑事が居あわせるのか? まだまだある。こういうのは観客が自分で考えるべきとかいうのは甘っちょろすぎる妄言。作り手が最後まできちんと考えないで何となく投げ出してるだけだよ。
救いは、グイ・ルンメイの演技がどこをとってもきちんとしていること。この女優はもっといろんな場で活躍できると思う。そのきっかけを作ったことだけがこの映画の取り柄ってことですな。
余白を想像して楽しむミステリー
廃墟と人形
何かは描いてるんだよ多分
真利子監督は何かを描いてるんだろうね。
何を描いているのは分からなかったけど。
それで、それを分かりたいかと聞かれると、別にいいかなって思うけど。
描きたいことを描くために、細部は「まあいいかな」ってなってるんだよね。
子どもが簡単に誘拐されたところで、ちょっと萎えたの。
あんな簡単に誘拐できないよね。
犯人は、西島秀俊をずっと尾行してたの? でないと現場に行けないよね。
子どもも知らない場所でウロウロするなよと思ったけど、これは本当に小さかったらしょうがないか。
全編を通じて「奥さん、それはどうなの?」と思うところはあった。
奥さんは「やりたいことを、やる」というタイプなんだよね。なので、子どもが誘拐される日の前日深夜に人形を直しに行ってしまう。
そして西島秀俊がしかたなく大学に子どもを連れて行って誘拐されると「私が連れていけば良かった」となじってしまう。うん、連れてけよ。
それで子どもは前に付き合ってた男との間にできた子どもだったんだね。
その、前に付き合ってた男が誘拐犯。
この誘拐犯の男、ご飯を犬食いするんだよね。そんな男と奥さん付き合うんだ。なんか感じ違うな。
誘拐犯の男の今の彼女は、人生投げやりに行きてて「あなたがいればそれで良いの」って感じで、そんな感じの誘拐犯の男と奥さん付き合ったの? まあ、付き合ったっていうなら、いいか。
子どもは誘拐されたとき、銃を撃っちゃうんだよね。
知らない場所でもウロウロするほど小さな子どもなんだけど、なんと反動なし。すげえな。体幹とか鍛えるとこうなるのか、もしくは銃の威力が全くないのか。
そして誘拐犯の男は死体で発見されます。
男の子は誘拐犯の今の彼女がガソリンスタンドに置いていって発見されて無事です。
刑事さんが「誘拐犯を撃ったのは、子どもじゃないか?」って捜査すんのね。銃を撃った子どもが無傷でいられるかな。反動で後ろに倒れて怪我するんじゃ。そのへん考えないのかNYPD。
いろいろやってるなかで、奥さんの人形劇は無事終わるんだけど、西島秀俊は席を立っちゃうんだよね。
これ「こんな程度の劇のために、奥さんは俺たちを犠牲にしたのか」って嫌になっちゃったのかと思った。人形劇は好きな人は好きそうだったけど、全ての人の心を動かすって感じじゃなかったしね。
それで刑事がやってきて色々やってるうちに「誘拐犯を撃ったのは子どもじゃない、俺だ」って自首することにして刑事に捕まるの。
それでエンディングになっていって明らかになるんだけど、誘拐犯は自殺してんだよね。
はあ? 子ども誘拐して、なんで自殺すんの。分かんないんだけど。
それで自分に向けて撃ったか、他人に撃たれたか、調べたら分からんかねNYPD。
エンディングは奥さんと男の子のところに刑事が歩いてきて終わりだけど、何言うんだろうね。
「奥さん、あんたが全ての黒幕だね、俺には分かってたんだ」という展開も不思議ではないけど、まあここは「誘拐犯は自殺だ。西島秀俊も子どもも無実だ」って言うんだろうな。もっと早く分かれよNYPD。
ストーリーの細かな辻褄は合わないんだけど、そこは良いんだろうね。
理不尽に襲われた人間を描きたいってのが真利子監督なのかな。
その理不尽さを作り出すために、ストーリーの整合性は無視されてる気がするの。
登場人物がただ酷い目に遭う作品とも言えるから、もろ手を上げて評価する気は出ないかな。
でも役者さんが良いのもあって観ていられる。
真利子監督が描こうとした何かが知らずに伝わっていて観ていられるのかも知れない。
面白いは、面白いから、また真利子監督作品は観ようと思ったよ。
精神を蝕む見えない暴力に圧倒されっぱなし。
故障しかけた車から鳴り響く不快音、どんよりと曇った空、発色を抑えた照明など。
それらにより常に不安と恐怖が付き纏う作品で、派手な暴力シーンがないにも関わらず、圧倒的な暴力に怯えながら鑑賞しなければならない作品でした。
真っ向から直接的に暴力を描いて来た監督作品とは雰囲気が違うものの強盗や誘拐といった心を掻き乱す暴力がひとつの装置となって夫婦の関係を壊し、退廃させていく点では監督の色が出ている作品だと感じました。
ジム・オルークが奏でるジャズも素晴らしく、あの不穏な音色に不条理な映画を観ているような気分にも浸れました。
個人的には体感3時間くらいに感じる作品になってましたが、飽きるどころかずっと作品の中に引き摺り込まれるような錯覚さえ味わえました。
撮影環境も違うアメリカで時間のない中、妥協点を見出しながら撮ったとは思えない仕上がりにただただ感服してしまいました。
余談ですが、監督と主演の西島秀俊さんが感心していたグイ・ルンメイさんのパペット・マスターぶりが凄い!
小さな人形で喜びや悲しみ、そして怒りを表現するのですが、人形の僅かな首の動きや手の位置だけでそれらを見事に表現しています。
まるで生きているかのように見える人形に鳥肌が立ちました。
そうした点も含めて、何度でも鑑賞したくなる仕掛けが沢山あり、当分劇場通いがやめられそうもないです。
仮面ライダーBLANK?
2025年映画館鑑賞88作品目
9月15日(月)フォーラム仙台
会員デイ1300円
監督と脚本は『ディストラクション・ベイビーズ』『宮本から君へ』の真利子哲也
粗筋
賢治とジェーンの息子カイが行方不明になった
ジェーンの元恋人のドニーが誘拐したのだった
実はカイの本当の父親はドニーだった
ドニーは射殺されてしまう
カイの誤射ではなかった
当初は観る予定ではなかったが本来の目的の『リンダリンダリンダ』まで時間があったので
西島秀俊はわりと好きだし
話の内容としてはつまらないはずだがわりと苦痛に感じることもなく眠くもならなかった
おそらく真利子哲也監督がかなり有能なんだろう
確かに死人が出てから真犯人が逮捕されるまで必要以上に長かった気はするし2時間以内に収まったはず
でも真利子哲也監督にも拘りがありそれはできなかった
人形劇がシュールだった
ドリフのジャンボマックスみたいなやつ必要か
何が面白いんだがよくわからなかった
車うるさい
さっさと修理しろよ
配役
ニューヨークで暮らす日本人で建築学を教えている准教授の才賀賢治に西島秀俊
中華系アメリカ人の妻で人形劇団のアートディレクターのジェーンにグイ・ルンメイ
賢治とジェーンの4歳の息子のカイにエヴェレスト・タルデ
ジェーンの元恋人のドニーにジュリアン・ワン
ドニーの現在の恋人にフィオナ・フー
ニューヨーク市警の黒人刑事にクリストファー・マン
悲しい結末。
中国の女性は自己主張が強く、強い、というイメージがあったが、そのままの人かも。
すてきな一軒家に住み、人形劇などでは食べていけないだろうに、旦那さんのおかげでいい暮らしをしている、という考えはないのか、と思ってしまう。
なのに、子供の世話をお願いしているのに嫌だってるというし、家の片づけはいまいち、急に家を出て人形の修繕をしにスタジオへ行く、実家でもけんかする、などわがままな奥さん。
それに耐えて、すぐに謝ってしまう日本人ぽい旦那さん。
西島くんの英語力には驚いた。
最終的には、出演者がみな他人に責任転嫁して、西島くん演じる旦那さんが自主ということに。
息子が、実の父を撃って殺したということになっているので、それを背負っていかないための自主だと思っている。
私の想像では、悲しい結末でした。
最も近しい他者――『Dear Stranger』が描く父の無力
人はなぜ他人を狂わせるのか。この作品を観た後に残る問いは、単純な「犯人は誰か」ではなく、人と人の関わりが持つ暴力性そのものだった。
物語の表層はこうだ。ニューヨークで暮らす日本人研究者・賢治と台湾系アメリカ人の妻ジェーン、息子カイの一家が、強盗事件と誘拐に巻き込まれる。強盗に入った移民労働者ドニーは、貧困と孤独に追い詰められ、やがて子を人質にとり暴走する。そして最終的に彼は自殺し、無実の賢治は自首する。だが事件の細部は曖昧で、殺人の瞬間も描かれない。そこにこそ監督・真利子哲也の狙いがあると考える。
象徴的なモチーフは数多い。廃墟は「震災の記憶」と「壊れた心」を映す鏡、車の異音は「見て見ぬふりをしてきた夫婦の不和」、人形劇は「母が子に命を吹き込もうとする創造」であり、賢治の発砲は「自己崩壊と罪悪感の爆発」である。抽象的で難解に思えるが、すべては「生と死」「再生と断絶」の二項対立を際立たせる仕掛けだ。
興味深いのは、ドニーと賢治の対比である。妊娠を知って逃げたドニーと、逃げずにジェーンとカイを受け止めた賢治。社会的には同じ「Stranger=異邦人」だが、選んだ態度が正反対だった。ドニーは「なれなかった父」として賢治を鏡に見て劣等感を募らせ、羨望と嫉妬を破壊衝動へ転化する。だからこそ暴力はジェーンではなくカイ、すなわち未来の象徴へと向かう。
一方で、賢治もまた強くはない。彼は逃げなかったが、事件以前から家庭に深く関わることを避け、研究に没頭していた。ジェーンやカイに寄り添うより、自分の世界に閉じこもる時間が多かった。車の異音や夫婦の軋みを放置してきたように、日常の不和にも無関心だった。その積み重ねが、強盗に居合わせず家族を守れなかった現実と重なり、「父として無力だった」という痛切な自己認識へと結びつく。だからこそ、無実でありながら自首するという極端な自己罰を選んだのである。
ラスト、刑事がジェーンを訪ねる場面は結論を示さず余白を残す。真相は不明なまま、観客に「あなたはどう解釈するか」を問いかけて幕を閉じる。
『Dear Stranger』は、推理の答えを与えない不親切な映画だ。しかしそれは、人と人が本当には分かり合えない現実を映し出すための誠実さでもある。最も近しい家族ですら他者であり、他者との関わりが時に人を救い、時に壊す。その残酷さと、かすかな希望を同時に抱かせる映画だった。
落書車とプーリー音が鳴り止まない
Dear Stranger ディア・ストレンジャー
日本の大地震で全ての家族を亡くした男が辿り着いた家庭は、
日本語と台湾語と米国語で話する家庭、他者の子を身もごりした女性結婚しその子が成長した子供との三人暮らし。
子供は本当の実父親を知らずにいる。
子は鎹(カスガイ)と言うけれど、虚偽している夫婦には子供は楔(クサビ)でしかない。
この刹那的な選択が、夫は廃墟研究に、妻は人形劇に、子供はゲームに夢中となり亀裂を大きくさせて行き、糸の切れたタコの様な子供は浮遊を始め、孤独な実父は復讐心から悪戯や強盗に子供を誘拐する。
この辺りで、結末は見えてしまった。
この後は冗長となり、締めて欲しかった。
ところが、思いもよらないラストが待っていた。
偽父親の落書車と死亡実父の落書車が交差点で衝突事故を起こすのだ。
廃墟に美を観るのは、恥なのか怒りなのか、それとも…
賢治は、自首をしたのか?子息の罪を被ったのか?
それとも、ドニーは暴発、自殺したのか?
ストレンジャーですか?
レビュー35
(^∇^)
Dear Stranger ディア・ストレンジャー
「ディストラクション・ベイビーズ」「宮本から君へ」の真利子哲也が監督・オリジナル脚本を手がけ、
「ドライブ・マイ・カー」の西島秀俊と「薄氷の殺人」のグイ・ルンメイが夫婦役で初共演した、
日本・台湾・アメリカ合作によるヒューマンサスペンス。
ニューヨークで暮らすアジア人夫婦を主人公に、息子の誘拐事件をきっかけに夫婦の秘密が浮き彫りとなり家族が崩壊していく姿を、全編ニューヨークロケで描き出す。
ニューヨークの大学で廃墟の研究をしている日本人助教授の夫・賢治と、
人形劇団のアートディレクターとして夢を追いながら、老いた父のかわりに地域密着型ストアを切り盛りしている台湾系アメリカ人の妻・ジェーン。
仕事や育児、介護に追われ余裕のない日々を過ごしていたある日、幼い息子・カイが行方不明になってしまう。
警察は誘拐事件とみて、夫婦それぞれから事情を聴取する。
悲劇に翻弄されるなかで、ふたりがこれまで胸に秘めてきた本音や秘密が浮かび上がり、夫婦間の溝が深まっていく。
Dear Stranger ディア・ストレンジャー
2025/日本・台湾・アメリカ合作
賢治の聴衆入りの講演シーンは現実なのかな?
言ってることがどんどん感傷に飲み込まれて何言ってるかわからんし、客からは感傷に飲まれるな情けねえみたく野次られるし、アクチュアルなシーンじゃなく隠してきた精神のハイライトかなと。長年の廃墟の研究水準が実は高くないことの映画内暴露でもあるかなと。やはり賢治は日本で大震災被災し家族を全て失い、精神的壊滅をいちどは避けられなかった人生だったのだろうな。さも車も修理に出せないほど忙しげに研究に没頭しているやに見えても…。長男が実子じゃなけりゃ、身の上考えても自分の子を望むだろに数年レスて…。妻は拒否したいとか人形劇団優先よりもまず、この賢治の変えることの困難な、大きな過去から形成された人間性に家族の拡大を断念していたんじゃないかなと。でも人形への執着に、逆に?賢治との家庭で実現しない将来を代償させていたように自分は感じました。かなり個人的な感想かもですが。
あと子どもがかわいい。賢治を逆恨みする男の気持ちも、もともと将来の希望もなかったのに命さえ奪われたと思ったあの男の彼女の最後の気持ちも、あの4歳のかわいさ通しで見れば理解はできるもんです。
今ひとつ散漫な気がする。
人種の坩堝、大都会の廃墟と現代人の心の荒み、これらがテーマなのかな。托卵というか妻の不貞というべきか、男の甲斐性のなさと研究テーマの「廃墟」が少しやり過ぎな程に記号的で、ちょっと気になるところ。なので警察の捜査と鑑識が余りに雑なのは、あんな程度の事件にマンパワーを投入することを無駄と思っているアメリカの行政機関としての警察の限界なのか、話の展開上あの程度で良しとしておかないとと思った脚本家・演出家の都合かは分からないが。日本人が監督してもあの景観と空気感でアメリカ映画っぽくなるのね。後半の西島秀俊がビルの合間のオフィス街を車で進む主観映像を見ていて、勝新太郎主演の勅使河原宏監督・安部公房原作の「燃えつきた地図」を思い出して懐かしさを感じた。思ったより長さは感じなかった。大好きなグイ・ルンメイを見ることが叶ったからか。とりあえずは満足しています。
すごくおもしろかった
全74件中、21~40件目を表示













