「タイトルなし(ネタバレ)」Dear Stranger ディア・ストレンジャー えーが宅さんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし(ネタバレ)
話の筋はとても好みだっただけに、細かな物語の展開で大きな損をしている印象。
主演が西島秀俊という共通点もあって、序盤から日常と不安が共存する部分は黒沢清監督の"クリーピー 偽りの隣人"を想起させる。しかし、サスペンスではなくヒューマンドラマとして描いた部分があり、クリーピーほど人間存在というものの不可解さ、精神分析学的な無意識とカオスを表現しきれていない。
西島秀俊演じる賢治は震災で家族を亡くしている。理不尽そのものである世界の訪れを体験したにも関わらず、それが廃墟に魅入られるキッカケとなるのみで不可解な世界存在そのものと向き合おうとしない。むしろヴェールに覆われた仮初の社会的存在であろうとする。妻の不平に対して呑気に返事をする振舞いと合わせて、この理不尽に対する無頓着さに鑑賞者は苛立ちを覚えるだろう。
ニューヨークで暮らす夫婦は共に母語の違いで言語による自己表現が困難である。だから妻は人形劇というアクティブな、一方夫は廃墟研究というパッシヴな方法で自己表現を行なう。妻がそのような不自由を夫と共有したいのは明白であるのに、あくまで一般化された生活、父性を望む夫はやはり無頓着である。思いかえせば、この家族は序盤からほとんど視線が邂逅しないではないか。賢治が自著の講演会で廃墟の必要性と不可視化の危険性を訴えながら苛立つのは、自分自身が最も身近な廃墟"Blank"から目を背けていたことに気づいてしまったからだ。結局、"Blank"の烙印が消えることはなく、車はまるで何かのアラートかのように悲鳴をあげ続ける。
こうして思い返してもやはり話の筋は良い。でも最悪なのはラストだ。賢治は結局、事件を追っていた刑事に嘘の自白をしてしまう。まるでそれで罪が償われるとでも言うかのように。結局、彼の無頓着さは物語冒頭から何一つ変わっていなかったのである。本来であれば彼は世界の理不尽を受け入れ、より辛い道を家族と共に歩まざるをえないはずであるのに。
製作の意図はともかく、ぬるい結末でこの作品の価値は大幅に損なわれてしまったといえる。
